【Side:華琳】
本国の護りは春蘭に任せてあるし、秋蘭と多麻がいれば私が留守の間も上手くやってくれるはずだ。当然、首都を移転したばかりで本国のことも気に掛かるが、それ以上に気になるのは太老のことだ。
国は大事。しかし、それ以上に太老の存在は私達にとって重要な意味を持っていた。
(太老は自覚があるのかないのか、よくわからないところがあるし……)
太老に何かあれば、この平和はご破算になる。連合の話も振り出しに戻るだろう。
天の御遣いに各国の首脳が臣下の礼を取っているという状況が、今の私達には必要だった。
そのため大切な式典を控えている今、私達が都を離れるわけにはいかなかった。
(こんな時だからこそ、私達がしっかりしないと)
益州で起こっている不穏な動き。予想もしなかった劉備軍の敗退という大きな問題を抱えている時だからこそ、せめて指導者である私達が天の御遣いの名の下に一つにまとまらなければいけない。一番やってはいけないのは、民の不安を掻き立てる行動だ。それだけにいつも以上に冷静な対応が要求される。大切なのは動揺を見せないことだった。
敵の狙いは恐らくそこにある。こうして都に詰め、太老の皇帝就任を一緒に祝うことこそ、私達が今出来る最善の方策だ。黄巾の乱のような出来事を二度と起こさせないためにも、今ここで民からの信頼を失うわけにはいかなかった。
「これで大体、必要なものは揃ったわね」
そのこともあって本国の政務を行える長期滞在が可能な屋敷が必要だった。
張譲や十常侍と繋がりの深かった宦官や官吏が粛正されたことで、宮廷に蓄えられていた財が市井に流れ込むことになった。そのどさくさで持ち主のいなくなった今は使われていない屋敷を買い取り、以前から改装させていたのも、こうした事態を予想してのことだ。
現在、洛陽に常備軍を置いている西涼は当然として、呉も長期滞在を見越して二ヶ月前から拠点となる屋敷の準備を始めていた。恐らくは私の手紙から事情を察し、周瑜が用意させたのだろう。考えていることは、皆同じということだ。
「ふう……ようやく一息と言ったところね」
指示通りに運び込ませた荷物を片付け終え、玉座に背中を預ける。太老の特訓に付き合うために一部の仕事が滞っていることもあり、式典を前に屋敷の片付けくらいは済ませておきたかった。
許昌の城に比べれば手狭ではあるが、それなりに体裁の整った屋敷にはなった。
「華琳様!」
その時だ。
「あの噂は本当なんですか!」
「少しは落ち着きなさい。あの噂ってなんのこと?」
随分と焦った様子で、目を血走らせて謁見の間に駆け込んできた人物――それは桂花だった。
噂と聞いて嫌な予感を感じつつも、桂花を落ち着かせ、話をちゃんと聞いてみる。
「あの種馬のことです!」
やっぱり……と私はため息を漏らす。
予想を裏切らない桂花の答えに、また太老が何かをやったのかと思った。
桂花がこれほど取り乱すほどのことだ。恐らく女絡みだろうとは予想が付く。
「それで、今度は何をやったの?」
「名前です!」
「……名前?」
なんの名前か気になった。
今の一言だけでは、さっぱり事情が呑み込めない。
「か、華琳様、いつの間に……に……に、に」
「に?」
「妊娠されてたんですか!?」
「…………はい!?」
もう、何が何やらさっぱりわからなかった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第132話『お子様騒動』
作者 193
【Side:太老】
あれから蓮華に勉強を教える代わりに、資料集めに付き合ってもらうことになった。
「……まさか、国号のことだったなんて」
「ん、なんのことだと思ったんだ?」
「な、なんでもない!」
何を勘違いしたのかわからないが、必死に否定するところが怪しかった。
取り敢えず、蓮華に付き合ってもらって名前を付けるのに役立ちそうな資料を色々と漁ってはいるのだが、今一つピンと来るものが見つからない。何しろ、国号を決めるのなんて初めての経験だ。何もかもが手探りの状態だった。
「役に立ちそうなものはあった?」
「微妙だな。あっ、でも『男を虜にする家庭料理大全』――これに載ってたのは意外と興味深い内容だったかも」
「な、何故それがここに!?」
「え? 俺のために取ってきてくれたんじゃないのか?」
「それは……太老のためと言えば、その通りなんだけど……」
何やら、歯切れが悪かった。
男を虜にするというところはどうかと思うが、監修は『食品開発局』発行元は『正木商会』となっていた。
身内の作った本かと思うと頭が痛くなるが、過激なタイトルと違って内容は至って普通だった。
ここに載っている家庭料理は肉じゃがを始め、俺の世界で一般家庭の食卓に並ぶ、定番とされている料理ばかりだ。以前、流琉に色々と質問されて答えたメニューなんかを中心に掲載していた。初心者用の料理入門書としては最適な代物だろう。
「こう言う本が気になるってことは、蓮華は料理とかするのか?」
「いや、私は……」
「蓮華の手料理なら一度食べてみたいな」
肉じゃがに味噌汁。家庭料理の本を見ていると、その味が懐かしく思える。
宮廷の料理は見た目と味は良いんだが、俺の口には合わない物が多い。家庭料理のような毎日食べたくなる味とは違うんだよな。
流琉の料理も美味しいことは美味しいが、どちらかというとしっかりとした外食系だ。
華琳に頼めば、宮廷料理のような豪華で上品な料理が出て来るし、俺が食べたい物とは懸け離れていた。
だからと言って手抜きして作ってくれというのも、はっきり言って頼みづらい。
料理人としてプライドを持つ流琉にそんなことは言えないし、華琳だってそんな中途半端なものは絶対に作らないだろうしな。
「そ、それは本当!?」
「あ、うん」
随分と食いつきが良かった。それほど料理に興味があるんだろうか?
「もしかして、作ってくれるのか?」
「そ、そのうち、機会があれば……」
「それじゃあ、楽しみに待ってるよ」
蓮華の場合、お堅いお嬢様というイメージが強かったので意外と言えば意外だが、料理と言うのは日々の積み重ねだ。飽きっぽい雪蓮には無理だろうが、真面目な蓮華なら料理にも真剣に取り組むだろうと思った。
変にアレンジをしようとするから失敗するのであって、レシピ通りに作りさえすれば、誰だってそこそこ美味しい物は作れる。華琳や流琉に比べれば全然大したことはないが、俺が料理を作れるのも料理の知識と経験があるからだしな。
随分とやる気のようだし、これなら期待は持てそうだ。今から蓮華の手料理が楽しみだった。
「それで、良い名前は思いついたの?」
「いや、それなんだけど実のところさっぱりで……」
「ふむ……なら、方向性を変えてみてはどう?」
「方向性?」
悪くない考え方だとは思うが、その方向性が問題だ。
これまで俺はこの国の歴史を調べて、そこからヒントを得ようと考えた。
でも、結果はこの通り。なかなかこれと思う良い名前は思いつかなかった。
「例えば、自分の好きな物の名前をつけてみるとか? 花とか、食べ物とか」
「えっと、そんなものでいいのか?」
国の名前をそんな適当に決めていいのかと心配になったが、蓮華は笑って――
「気負い過ぎよ。太老が責任を感じているのはわかるけど」
「でも、名前って大切だろ? 特に一生を決めることなら」
「確かに大切よ。でも、太老の決めたことなら、きっと誰も反対しないわ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、でも俺は……」
この世界の人間じゃないと言おうとしたところで、蓮華の指が俺の口を止めた。
「信じているからよ」
それは蓮華の優しさが詰まった言葉だった。
信じているから――そんな風に言われたら、無責任な言い訳をする気にはなれなかった。
思うように良い名前が思い浮かばず、ナーバスになっていたのかもしれない。色々な物を参考にするのも一つの手だが、大切なことだからちゃんとした名前を考えないと、と確かにそのことに拘りすぎていた。
蓮華の言葉は、何故、揚羽が俺にこんな重要な役目を託したのか、そのことをもう一度考えさせられる言葉だった。
「ごめん。もう一度じっくりと考えてみるよ」
「大丈夫よ。太老なら、きっと出来るわ」
自分らしく。この国の人達に託したい想い。それは俺の原点に返る言葉でもあった。
【Side out】
【Side:蓮華】
――太老なら、きっと出来るわ。
それは自分への言葉でもあった。そうすることで私はいつも自分を奮い立たせてきたからだ。
民のために最後まで勇敢に戦った母様や、その志を継ぎ呉を独立へと導いた姉様。私はそんな二人の後を継いで呉の王となった。
私は母様や姉様のように強く無いし、経験も浅く、他国の指導者に比べれば未熟な王だ。
呉の悲願でもあった独立を果たし、すぐに姉様は私に王の座を譲られたが、姉様があのまま呉の王を続けていた方がよかったのではないかと、今でも時々思うことがある。本当に私なんかでよかったのだろうかと。
だからだろうか? 太老が何を言おうとしたのか、私は本能で察することが出来た。
そして思ったのだ。一見、完璧に思えるような男でも、私のような悩みを抱えているのだと。
そのことが不思議と嬉しくて仕方がなかった。
「本当に不思議な男ね。自然と周囲を惹きつけてしまう。そう、まるで姉様のように」
小蓮や姉様、それに冥琳から話を聞いて、太老の人となりは知っているつもりだった。
彼がどれだけのことを私達にしてくれたのか、呉の民を支えてくれたのかも知っている。
天の御遣い、正木太老。その名はいつしか、私の中で姉様と同じくらい特別な物になっていた。
最初は憧れに近いものだった気がする。姉様と同じで私にないものを持っている太老が羨ましかったのだ。でも、その特別の意味が実際に彼と会って話をしているうちに段々と変わってきていることに私は気付いた。
だけどそれは決して嫌な感じではない。寧ろ、心地の良い物だと感じていた。
「その顔だと上手く行ってるみたいね」
「ね、姉様!? いつのまにそこに!?」
「さっきから居たわよ。料理の本を見てニヤニヤと笑ってるところとか、良い物を見せてもらったわ」
「こ、これは……っ!?」
素早く本を背中に隠す。
太老の故郷の料理を記した本。私は料理の経験なんかないし、誰かのために作ってあげたいと考えることもなかった。
でも、太老はそんな私の手料理を食べて見たいと言ってくれた。だから本来持ち出し禁止のところを無理を言って借りてきたのだ。
それを姉様に見られた。そのことが、どうしようもなく恥ずかしかった。
「で、どうだったの? 太老とは上手く話せた?」
「し、知りません!」
最初、太老が手料理に弱いという話を私にしてきたのは、他ならぬ姉様だった。
大方こうなることを予想していたに違いない。相変わらず、こうしたことばかり頭が回る。
すべてわかっていて訊いているのだろう。本当に意地が悪い。ニヤニヤと笑う姉様を見て、心の底からそう思った。
「でも、良い雰囲気だったって聞いてるわよ? 名前のことで相談に乗ってるんでしょ?」
「ど、どうしてそれを……まさか、亞莎が!?」
姉様の口から出た言葉に、私は思わず取り乱した。
やっぱりと言った顔でニヤリと笑う姉様を見て、しまったと私は思う。
「皆、知ってるわよ。もう、都中の噂になってるんじゃないかしら?」
「……噂?」
よく考えてみると、亞莎が私との約束を破って口外したとは考え難い。
ただの勘で尋ねてみたのだろう。姉様にカマを掛けられたのだとすぐに気付いた。
しかし噂というのは気になる。変な噂でなければいいのだけど、姉様の表情を見ると安心は出来なかった。
「でも、やるわね。さすがは私の妹。少し見直したわ」
姉様の言葉に違和感を感じた。
褒めてくれるのは嬉しいが、太老とは本当に大した話をしていない。
勉強を見て貰う代わりに相談には乗ったが、あとは料理の話をしたくらいだ。
さっきの噂と関係のある話だと私はすぐに察した。
「あの……姉様、それはどう言う意味ですか?」
だから訊いてみる。嫌な予感はするが、訊かないわけにはいかなかった。
「謙遜しなくていいわよ。生まれてくる子供の名前を二人で考えてたんでしょう? まさか、妹に先を越されることになるなんてね。でも、おめでとう、蓮華。これで呉も安泰ね。姉として鼻が高いわよ」
「…………こ、子供!?」
どうしてそんな話に……。話の流れが、さっぱり読めなかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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