「くそっ! やはり罠を仕掛けていたか!」
先程の爆発で先行させた兵の大半を失った左慈は、動揺を隠せず悪態を吐く。
罠を警戒していたのに、この有様だ。左慈が焦るのも無理はない。
「くっ……」
左慈の脳裏に過ぎるのは、洛陽での一件だ。
太老の姿をした影武者に追い回され、最後は光に呑み込まれ全身を焼かれたことは、身体だけではなく左慈の心に大きな傷痕を残していた。
その身で非常識の塊とも言える太老の罠を体験している左慈からすれば、目の前の惨状は一種のトラウマだ。
「また、俺の邪魔をする気か……北郷一刀!」
怒りに表情を歪ませ、ギリッと歯軋りをする左慈。
今、彼が対峙しているのはトラウマの元凶≠ナはない――北郷一刀だ。
しかし、その一刀ともまた、彼は深い因縁を持っていた。
この世界での左慈と一刀の出会い。それは一枚の銅鏡を巡る事件から始まった。
外史と現実を繋ぐ鏡。それは、この世界を構築するシステムの鍵となるモノの一つだ。
左慈は新たな外史を誕生させないため、閉ざされた世界を開くために、その鏡を手に入れようとしたが、また≠オても北郷一刀に邪魔をされた。
それが先の事件の真相。しかしそれは、この外史での出来事だけではなかった。
運命に誘われるまま、幾度となく彼等は出会い、争い続けてきた。
謂わば、それさえも『星の箱庭』が生み出した予定調和の結果だったのかもしれないと、今になっては思えてしまう。
永遠に閉ざされた世界。
物語の起点となる者が次の段階に進まない限り、新たな外史が生み出され、この世界は延々と続いていく。
高次元の存在に憧れ、その力を解明すべく人の手によって生み出された装置。
それが――この『星の箱庭』の正体だ。
左慈はその真実を知り、管理者の立場にありながら、この世界に終焉をもたらすことを目的に暗躍し続けてきた。
一刀が人々の希望だとすれば、左慈は破滅そのものだ。
彼は疲れていた。意味や価値などない、この世界に――
何千、何万と歴史を繰り返そうと、神に至る道など容易に見つかるはずもない。
絶対に得られない結果など、何度繰り返そうが同じことだ。無為な行いでしかない。
――意味や価値がないのであれば、自分は何故ここにいる?
――この世界はなんのために存在する?
多くの矛盾を抱え、生まれてきた意味を見出せず、左慈は世界を憎むようになった。
だから、こう考えたのだ。
――こんな世界は消えてしまえ、と。
「邪魔はさせない……もう止まることなど出来ないんだ」
見渡す限り荒野の広がる戦場。この荒野の何処かに、まだ罠が隠されているかもしれない。
しかし、だからと言って今更やめられるはずもない。
左慈にとって重要なのは兵の命ではなく、自らの目的を遂げることだ。
「所詮は人形……使い捨ての駒など幾らでも代わりはいる」
左慈が取った作戦は突撃。全軍で一気に城まで駆け抜けることだった。
作戦とも呼べないお粗末な作戦だが、ここで足止めを食らうよりはマシだ。
城の攻略に手間取れば、他国より援軍が駆けつける時間を与えることに繋がりかねない。数の上ではそれでも有利だが、将や兵の質で劣る以上、集結した英傑を一度に相手をするのは難しい。
それに兵力に圧倒的な差がある以上、突撃は兵の損失さえ考えなければ、最も有効な手段でもあった。
「そうだ! そのまま突き進め!」
そこかしこで爆発が起こるが、左慈は気にした様子もなく駒を進める。
どれだけの罠が仕掛けられていようと、一つの罠で止められる兵の数には限りがある。
数千、数万の兵を減らされたところで、二百万という大軍の前では些細な問題だった。
「止められるものなら、止めてみろ! 今日がこの世界の最後だ!」
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第158話『因縁』
作者 193
罠を物ともせず、成都へ迫る五胡の大軍。
まるで津波のように全てを呑み込み、押し寄せる敵兵の数にさすがの北郷軍も圧倒される。
しかし恐怖に飲まれようとも、その場から逃げだそうとする者は一人としていなかった。
自分達の住む街を、家族を守るため――
確固たる信念と強い意志を持ち、彼等はこの戦いに挑んでいる。
そして彼等が敵を恐れずに戦えるもう一つの理由。それは――
「雛里殿! 敵本隊が突撃を開始しました!」
「あわわ!」
楽進の大きな声に驚き、ビクンと体を震わせる小柄な少女。
諸葛亮と双璧を為す軍略の天才、伏龍こと鳳統がこの戦の舵を握っていたからだ。
「上手くこちらの誘いに乗ってくれたみたいでしゅ……ですね」
慌てていた所為か、舌を噛み言い直す鳳統。恥ずかしそうに帽子の鍔で顔を隠す。
先程までの張り詰めていた空気は何処かに行き、ほっこりとした空気に場が包まれる。
「ううぅ……」
こう見えても彼女は、軍略に関して言えば、諸葛亮を上回る才を持つと噂される天才だ。
商会の自警団が最小限の損害で大きな戦果を上げて来られた背景には、鳳統の存在があったと噂されるほど彼女は軍略に長けていた。
そんな彼女が、この絶望的な状況のなか勝利を諦めていない。その事実が、彼等に勇気を与えていた。
それに小さな身体で戦場に立ち、勇敢に戦おうと頑張る彼女を見て、弱音を吐く者がいるはずもない。
商会を影で支える小さなアイドル。鳳統もまた、彼等にとって守りたいモノの一人だった。
「では皆さん、作戦通りにお願いします。でも、無理はしないでください。深追いはせず、程々に敵を牽制したら兵を引いてください。機動力に長けた凪さんの部隊が、この作戦の要ですから」
「心得ています。必ず、ご期待に添って見せます」
鳳統の指示に頼もしい言葉を返す楽進。強い意志と決意に満ちた表情からは、かなりの期待が持てる。
事実、楽進の部隊は商会のなかでも遊撃に優れた高い機動力を誇っており、虎の穴の厳しい訓練を潜り抜けた精鋭が揃っているだけあって、一騎当千とまではいかないまでも一人一人が高い戦闘力を有していた。
「こちらの意図に気付かさせないように、沙和さんは出来るだけ敵の注意を惹きつけてください。一番危険な任務かと思いますが――」
「どんと大船に乗ったつもりで任せてなの!」
一方こちらも楽進と同じく頼もしい返事をする于禁だが――
「お前達の役目は、あのクソ虫共のケツ穴に後から無理矢理突っ込んでやることなの!」
『サーッ! イエス、サーッ!』
「声が小さいの! 死にたいの? ここで死ぬ気なの!?」
『サーッ! イエス、サーッ!』
「よし! なら、お前達の意地汚さをあのクソ虫共に見せてやるの! 一発カマしてやるの!」
于禁と兵達の一風変わった気合いの入れ方に、周りはなんとも言えない空気になる。
商会最大の隊員数を誇り、団結力と士気の高さという点では、于禁の隊は他の隊と比べてズバ抜けていた。
しかし戦いに行くというよりは、今から狩りに出掛けるといった様子だ。
それでも彼女達の活躍に期待するしかない。彼女達以外に、この大役を任せられる人物がいないからだ。
街の警邏から商隊の警護と、商会の自警団の活躍は誰もが知るところだが、その自警団において一際目立つ存在として注目を浴びているのが、楽進・李典・于禁の三人で構成される『三羽烏』の存在だ。
個々の実力の高さもそうだが、やはり一際凄いのは彼女達が率いる隊の戦闘力の高さだった。
厳しい訓練に耐え、虎の穴の試験にパスした兵は、軍の正規兵と比べても能力が高く、そして高い練度を誇る。
呂布のように一人で万の敵を相手にするのは無理でも、百いれば万の敵を足止めするくらいはやってのける精鋭揃いだ。
圧倒的に数で劣るからと言って、そう簡単にやられる部隊ではない。
「あとは真桜さんが作戦通りにやってくれれば……」
作戦が上手く行くことを祈り、戦場の空を見上げる鳳統。
普通にやっては勝ち目のない戦い。だからこそ、絶対に作戦の失敗は許されなかった。
◆
「副長! 全員、所定の位置につきました!」
「了解や。ほな、後は連中が釣れるのを待つだけやな」
ニヤリと笑みを浮かべる李典。風に揺られた白衣が、バサバサと音を立てる。
正木工房――技術局、副長の証。研究者の魂とも言うべき白衣を纏い、李典はこの戦いに挑んでいた。
――全ては研究のため
ついでに、この国を守るという目的はあるが、第一の目的は自らの研究成果を示すことだ。
「でも、よろしいのですか? あれを投入して――」
「ちゃんと上の許可はもろとるで?」
上の許可とは、郭嘉と程イクのことだ。技術局の保有する技術は使い方を誤れば、各国の軍事バランスを大きく変えるような代物も多数存在する。商会が技術を管理しているのは、余計な軋轢と争いの火種を生み出さないためだ。
しかし、その一番の火種となりかねないのが、この技術局の存在だった。
知識だけでは役に立たないものを、この世界の人々が扱える技術として研究するのが、技術局の役割だ。
街の発展と人々の生活に欠かせない役割を担っている一方で、中には危険な研究も少なくない。
そのことから技術局のことをよく知る者であれば、絶対に出すはずのない許可だが――
今回は緊急事態ということで、特例でその許可が降りたのだ。
程イクが彼女達に同行したのは、無茶をしないように技術局を監視するためだ。とはいえ、それは建て前でしかなかった。
誰もが本気で李典を止められるとは思っていないからだ。
一度は許可をだした以上、李典の暴走は折り込み済みで、止めても止まらないものと半ば諦めていた。
どちらにせよ、こうなった以上は出し惜しみをしていられる余裕は彼女達にはない。
曹操が太老の置き土産≠フ使用を躊躇しなかったように、商会もまた今回の戦いに文字通り全力を投じていた。
「いや、でもあれは、まだ試作段階で……」
「研究に失敗は付き物、失敗を恐れてたら成功はない。今が、その時や!」
格好良いことを言ってはいるが、ただ実験をしたいだけだということは明白だった。
ただ、こうなった李典が止められないことは、ここにいる誰もが理解していた。
それに研究に携わる者として、李典の気持ちがわからないわけではない。
作った以上、実験をしてみたくなるのは研究者の性だからだ。
「敵部隊が城門に接近!」
その合図に、舞台は整ったとばかりに李典は笑みを浮かべた。
【Side:一刀】
遂に城門にまで五胡の兵が迫ってきた。
仕掛けた罠を物ともせず、死をも恐れない敵の突撃に為す術なく、俺達は後退を余儀なくされていた。
「こちらの被害は?」
「雛里ちゃん達が健闘してくれているようですが、思った以上に敵の攻撃が激しく、損害は二割を超えています」
二割……覚悟をしていたこととはいえ、失った兵の数を考えると胸が痛む。
やはり、何らかの術で操られているというのが一番厄介だ。死を恐れないということは、怯みも躊躇もしないということだからな。
敵の警戒を促せない以上、これでは折角の罠も効果を最大限に発揮することが出来ない。
「城門を破られるのも時間の問題です。どうか、ご決断を!」
兵達にも焦りが見える。これ以上、足止めは無理か。
少し早いが、次の段階に作戦を進めるしかなさそうだ。問題は撤収に掛かる時間か。
「朱里、撤収にどのくらいの時間が掛かる?」
「はい。既に準備を進めていますから、半刻ほどあれば」
一時間か。それくらいなら、なんとか時間を稼げそうだ。
「怪我人を優先して、撤退を始めてくれ」
「わかりました。一刀さん……気を付けてください」
こんなところで死ぬつもりはない。朱里の言葉に笑顔で応える。
ここまでは朱里達の立てた作戦通りだ。後は、俺が上手く役≠演じられるかに掛かっている。
(大丈夫だ……)
身体が熱い。喉が渇く。緊張から嫌な汗が滲み出てくるのを感じる。
「北郷……」
「大丈夫。皆、命懸けで戦っているんだ……やれるさ」
翠の言葉で我に返る。握りしめた拳は白く染まり、びっしょりと汗を掻いていた。
今までに感じたことのない戦場の空気に飲まれ、思うように身体が動かない。
幾度と戦場を経験し慣れたつもりでいても、やはりこの空気には馴染めなかった。
「いざとなったら、あたしが守ってやる。だから、心配するな」
「はは……それは頼もしいや」
でも、やるしかない。俺には頼もしい仲間がいる。
皆がこの国を守るため、大切な人を守るために、自分に出来ることを精一杯やっている。
俺も、俺にしか出来ないことを……力の限りやるだけだ。
「行こう。今出来ることをするために――」
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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