「北郷一刀――ッ!」
全身傷だらけの満身創痍といった様子で、怒りをぶちまけるように左慈は一刀の名を叫ぶ。
城の最上階。ここに到達するまでに掛かった罠の数は、優に千を超えていた。
よく無事に、ここまで辿り着くことが出来たと思うような奇跡だ。
――いや、この場合、悪運が良いと言うべきか?
ここに到達するまでに突入部隊は左慈を除き一人も残らず、全滅へと追い込まれていた。
左慈が傷を負いながらも城の最上階に到達することが出来たのも、彼等の犠牲をなくして語れなかった。
もっとも全員死んだわけではなく、気絶して意識を失っているだけだが、そこはそれ。
生かさず殺さず、ギリギリのところを的確に突いてくる悪辣さは、まさに『虎の穴』がこの世の地獄と語られる所以でもあった。
「ああ……俺が言うのもなんだけど、大丈夫か?」
「よくもぬけぬけと! 貴様の仕業だろ!?」
左慈の身体を気遣う一刀。しかし、それは左慈の感情を煽るだけだった。
人の心を操り、問答無用で侵略を仕掛けてくるような相手だ。本来なら同情の余地はない。
しかし、見るも無惨な左慈の惨状を見ると、なんとも言えない気持ちで一杯になる。
「ああ、うん。そうだよな。俺がやったの……か?」
最初はノリノリだった一刀だが、それは左慈を誘い出すためだ。
罠を設置したのは多麻であって一刀ではない。その罠の設置を多麻に言い付けたのも程イクなので、実際のところ一刀は何も関わっていなかった。
それだけに一刀も、まさかこんなことになるとは思っていなかったのだ。
「取り敢えず、ごめん。俺の監督不届きで……」
「ふざけるな!」
普通に罠や策に嵌め、敵を撃退したのなら作戦勝ちということで話は簡単だった。
しかし、あれはまずい。人を小馬鹿にしたような……いや、実際におちょくっているとしか思えないような古典的な罠に何度も嵌まる左慈の姿を見た後では、勝利の余韻に浸る気持ちにもなれない。
僅かな良心があれば、罠に嵌めた方も敵に同情するやら申し訳ないやら、微妙な空気に包まれておかしくなかった。
(ど、どうしよう……凄く気まずいんだが……)
一刀の予想では、突入部隊を三分の一も削れれば上々と言ったところだったのだ。
それが蓋を開けてみれば全滅。左慈しか残っていないこの状況だ。
しかも、その左慈も怪我を負って万全とは言い難い。挙げ句、左慈は自分の身に降りかかった惨事に、突入前より怒り心頭といった様子で一刀を睨んできている。殺気で人を殺せそうな視線だ。
(予想以上の成果なのに、何故か喜べない……)
命を懸けて自身を囮にする覚悟を決めていただけに、一瞬にして場の空気を打ち壊されたこの状況に、どうしたものかと一刀は思案する。
――今なら和解が可能なのでは?
と考えを巡らせるが、怒り心頭な左慈を見て、それは不可能と悟る。
平和な世界からやってきた一刀からすれば、これが戦争をわかっていても、出来ることなら争いなどせず話し合いで平和的に解決したいという思いがあった。
とはいえ、それが無理なことも理解している。話し合いで解決が可能なのであれば、そもそも戦争など起こりはしない。
そこまでのことをして譲れないものが左慈に、そして一刀達にもあるということだ。
「俺を殺したいほど憎んでいるのなら、それでも構わない。でも、戦う前に一つだけ教えて欲しいことがある。お前達の目的はなんだ?」
「……それを知ってどうする? お前には関係のないことだ」
「一刀! もう、いいだろう!? こいつに何を言ったって無駄だ」
先程まで一刀の邪魔をしまいと黙って傍に控えていた馬超に、遂に我慢の限界が来る。
左慈は確かに強い。しかし、敵は一人。玉座の間まで辿り着かれたとはいえ、状況は五分だ。
一対一なら相手が誰でも、馬超は負けるつもりはなかった。
それに例え勝てなかったとしても、一刀を逃がすくらいの時間は稼ぐつもりでいた。
「待ってくれ。まだ、こいつには訊きたいことがある」
「だけど……!?」
「抑えてくれ、翠」
一刀にそう言われては引き下がるしかない。馬超は構えた槍を、そっと下ろす。
何かあれば即座に応戦が可能なように、警戒を怠ることなく左慈を睨み付けていた。
そんな馬超の様子に一刀は苦笑を漏らすが、ちゃんと言うことを聞いてくれるだけマシと考える。
これが華雄だったら一刀の静止など聞かず、問答無用で戦いになっていたはずだからだ。
「話の続きだ。お前達の目的はなんだ? 何故、争いを望む?」
「お前には関係ないと言ったはずだ」
尚も冷たく一刀の質問をはね除ける左慈。しかし一刀とて、それで引き下がるつもりはなかった。
一刀は馬超や華雄のように武に優れているわけではない。かと言って、諸葛亮や鳳統のように策謀に長けているわけでもない。
出来ることと言えば、こうして皆の御輿でいることくらいだ。
しかし、ただのお飾りであっても王である以上、一刀にしか出来ないことがある。
――何を目的に自分達は戦っているのか?
自分達の国を守るために侵略者と戦う。それは確かにその通りだ。だが、
――この戦いで、自分達が失う物はなんだ?
――彼等が得る物はなんだ?
何も分からず状況に流されるまま、泥沼のような戦いに流れていくことだけは避けたかった。
故に一刀は問う。彼等の目的を、この戦いの真意を――
それは王として、この国を預かる者として、一刀は左慈に問う責任がある。
「関係はある。命を狙われている当事者なんだから、それを知る権利くらいはあるはずだ」
「命? 何を勘違いしているのか知らないが、そもそも俺達は、お前の命などに興味はない」
「……は?」
今更、左慈達の目的が侵略にあるとは、一刀も思っていなかった。
これまでのことからも、彼等が金や権力欲しさに目立つ行動を取るとは考え難い。
故に、その真意を確かめたかったのだ。
「じゃあ、お前達はなんで攻めてきたんだ?」
侵略が目的ではないのなら、彼等の求めるモノは別にある。
一刀は過去の因縁から、太老の関係者もしくは自分に原因があると考えていた。
しかし、それを本人から否定されれば、そもそも根底が間違っていたということになる。
「少し予定とは違うが……まあいい。北郷一刀、俺達に協力しろ」
思わぬ誘いに、一刀は目を丸くして驚いた。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第160話『戦争の裏側』
作者 193
「――ふざけるなっ!」
左慈から聞かされた真相に一刀は声を荒げる。
『この地を手に入れるのが第一の目的。次はお前だ、北郷一刀。正木太老に目的を悟らせず、お前の協力を得るにはこれしか方法がなかった』
この戦争が、太老の眼を欺くためだけに引き起こされたものだと知り、一刀は激昂した。
(貂蝉の言っていたことはこれか……)
今更ながら、もっと詳しく貂蝉から話を聞いておくべきだったと、一刀は後悔する。
左慈が望んでいるような力が自分にあるとは思えない。しかし、ヒントはそこら中にあった。
貂蝉の残した意味深な言葉。そして太老から聞かされたこの世界の秘密。左慈達の行動。
よく考えれば、もっと早くに気付けていたかもしれない。
「それじゃあ、お前達の目的は……この世界を救うことにあるって言うのか?」
「すべてを終わらせるだけだ。この狂った世界を、あるべき姿に戻すために」
「でも、それは……!?」
すべてを終わらせる。それは、新たな始まりであり終わりでもある。
太老が探していた方法とは異なるが、確かにそれもこの世界を救う方法と言えなくもない。
ただ、物語を終わらせた結果、この外史が何処に向かうかは誰にもわからない。
勿論、一刀の立場からすれば、そんな博打のような方法を受け入れられるはずもなかった。
「どちらにせよ、このまま放って置けば、この世界は消える。あと数ヶ月と保たずにな」
「……どういうことだ?」
「管理システムから、この世界は切り離された。それは、この外史が切り捨てられたということだ。世界を維持するために必要なエネルギーが供給されなければ、自然とこの世界は役割を終え、消滅するしかない」
そんな話は太老からも聞かされていなかった一刀は驚愕する。
まさか、そこまで切羽詰まった状況になっているとは考えてもいなかったからだ。
このまま何もしなければ、世界は何事もなく続いていく。そんな甘い幻想すら抱いていた。
しかし現実は違っていた。左慈の話が真実なら、もう時間は余り残されていない。
「それじゃあ、愛紗のことは……」
「あれは干吉のやったことだ。俺はしらん。お前が首を縦に振らなければ、交渉の材料に使えと言われてある」
この時点で、自分に選択権はないことを悟る一刀。その表情は後悔と絶望で染まる。
自ら望んだこととはいえ、一度に告げられた内容の深刻さに、どうしていいかわからず困惑していた。
――左慈に協力するのか?
しかし、左慈に協力したからと言って、この世界が救われるという保証はない。
――ならば協力を拒否するのか?
だが、そうすれば関羽の身がどうなるかわからない。未だ彼女は操られ、彼等の下にいる。
仲間を大切に思う気持ち。そして、この世界をどうにかして救いたいと考えの間で一刀の心は揺れていた。
「一刀、しっかりしろ!」
「翠……」
馬超の声で、我に返る一刀。しかし、どうすればいいのか、一刀にはわからなかった。
覚悟を決めたつもりでいたが、それでもまだ自分の考えが甘かったことに一刀は気付く。
この世界の行く末と、関羽の命。その二つを天秤に掛け、どちらか一方を取ることなど一刀に出来るはずもなかった。
「あたしには話の内容はほとんど理解出来ない。でも、お前が気に食わない奴だってのは、一刀の反応を見ればわかる」
槍の矛先を左慈へと向け、怒りに満ちた表情で馬超は殺気を放つ。
「やめろ、翠! そんなことをすれば愛紗が――」
「一刀にとって関羽がどれほど大切な存在かはしらない。でも、あたしにとって一刀は命を懸けて守るに値する大切な仲間≠セ。それにこの槍には、あたしのことを信じて一刀のことを託してくれた人々の想いが詰まっている」
諸葛亮から託された思い。一刀のことを慕う人々の願いを一身に受け、馬超はこの場に立っていた。
一刀にとって関羽が大切な仲間であると同時に、馬超にとって一刀は家族を除けば最も親しい友人だ。
その友が苦しみ、悩んでいる。その元凶が目の前にいる。馬超にとって命を懸ける理由は、それだけで十分だった。
「言ってくれ、ご主人様=Bあたしは、どんな無茶な願いだって、それが一刀の望みなら叶えてみせる。あたしにどうして欲しい?」
一刀は理解しているつもりだった。いや、答えなんて最初からわかりきっていたことだ。
世界と引き替えに命を救われたところで、あの関羽が喜ぶはずもない。交渉の材料にされたとしれば、彼女はきっと激昂するだろう。
そして、ここで一刀が首を縦に振れば、それは劉備の覚悟も冒涜することになる。
「ああ、そうだな。俺が間違っていた」
先程までとは打って変わって、晴れ晴れとした男らしい表情を浮かべる一刀。もう、そこに迷いはなかった。
頼りになる仲間と、信頼できる友が近くにいる。それは左慈にはないものだ。
「俺は仲間を信じる。翠、俺に力を貸してくれ!」
関羽は必ず救ってみせると劉備は言った。
脅しに屈すれば、そこで終わりだ。一刀は仲間の言葉を信じ、今は為すべきことに集中する。
「交渉は決裂のようだな。ハッ、ならば力尽くで協力させるまでだ!」
◆
「交渉は決裂ですか。こうなることは予想していましたが……」
一刀と左慈のやり取りを一部始終、水晶球で観察していた干吉は嘆息する。
左慈に任せたのは、やはり失敗だったと思いつつも、こうなることは予想していた。
それに一刀ほどの適性はないとはいえ、一刀に代わる生け贄は既に手中にある。
左慈には計画の全容を教えていない。せめて囮にでも役立てばと考えていたからだ。
「まあ、いいでしょう。保険は揃えてあります」
目の前で眠る少女には、その血が必要だと言ったが、大切なのはそこではなかった。
重要なのは、正木太老と縁を持つ者。そして、歴史の鍵となる役割を果たす存在。
すべての条件を兼ね備え、そして捕らえやすかったのが劉協≠セったと言うだけの話だ。
「関羽、あなたは残りの兵を率い成都を陥落した後、逃げた者達を追いなさい」
「……はい」
干吉の命を受け、闇に溶け込むようにスッと姿を消す関羽。
まるで人形のように冷たく凍った表情からは、一切の人間味が感じられなかった。
既に心の大部分を闇に侵食され、意思を閉ざした関羽は、干吉の操り人形でしかない。
それがわかっているからか、干吉は愉悦に満ちた表情を浮かべていた。
「これで舞台は整いました。さあ、見せてください。正木太老……あなたの真の力を!」
これが最後とばかりに、干吉は物語の終幕を宣言した。
……TO BE CONTINUED
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