「くっ! まさか、ここまでやるとは……」
仮にも、この世界を統括する管理者の末席に名を連ねる者だ。舞台の役者という枷を失い、全力を発揮した左慈の力は英雄を凌駕する。
于吉のように術に長けているわけではないが、その分、左慈は戦闘能力に秀でている。
個人が所有する武では最高位と言っていい、かの呂奉先を素手で凌ぐほどの力を彼は持っていた。
しかし生体調整を施され、多麻の用意した特訓によって以前より大きく実力を上げた馬超の動きは、互角とは言わないまでも左慈に迫っていた。
「人形の分際でっ!」
まさか、全力をだした自分の動きに、物語の配役に過ぎない馬超がついてこれるとは左慈も思っていなかった。
それだけに、この短期間でこれほどの実力を付けた馬超の潜在能力に驚く。
英雄――その二文字が左慈の頭を過ぎる。
そう、舞台が用意した配役に過ぎないとはいえ、彼女達はまがりなりにも英雄だ。
史実で名を残し、物語のなかで今も人々に語り継がれる英雄の化身。
偽物か、本物かなど些細な問題だ。錦馬超は確かに、三国志を代表する英雄の一人なのだ。
「あたしを舐めるなっ!」
心の臓を狙い、研ぎ澄まされた馬超の槍が一筋の光となって左慈に迫る。
神速に届こうかという一撃。回避しきれないと咄嗟に判断した左慈も迎撃にでる。
足下の石畳を粉砕するほどの力で地を蹴り、馬超の槍に合わせるように全力の蹴りを放つ。
「はああっ!」
「ぐっ!」
力と力の激突、その軍配は左慈に上がった。
馬超の槍が左慈の蹴りによって弾かれ、軌道を大きくズラされる。
まるで鋼に打ち付けたかのような重い一撃に、馬超の身体が仰け反り、一瞬の隙が生まれた。
すかさず着地と同時に軸足を回転させ、弧を描くようにもう片方の足で追い打ちを仕掛ける左慈。
「――ッ!?」
しかし、左慈の攻撃が馬超の身体を捉えることはなかった。
咄嗟の判断で左慈と馬超、二人の間に割って入った一刀が馬超を庇ったのだ。
「あっ……」
甘い吐息が馬超の口から漏れる。
馬乗りになるカタチで馬超を押し倒す一刀。その手は馬超の胸を鷲掴みにしていた。
「早く退け! いつまで触ってる!?」
「ああっ、すまん!」
慌てて飛び退く一刀。
「助けに入るなら、もっと上手くやれ! 盾になるとか!」
「無茶言うな! あんな攻撃受けたら普通は死ぬわ!」
多少は剣の心得があるとはいえ、一刀は元一般人。その実力は警備兵に毛が生えた程度だ。
馬超のような英雄と違い、まともにやって左慈の攻撃を防げるはずもない。
固い石畳を一撃で砕くほどの蹴りだ。そんな蹴りを一撃でも貰えば、即お陀仏だ。
「貴様……俺をバカにしているのか?」
「いや、そんなつもりはないんだが……」
「あたしが言うのもなんだけど、今のは説得力がないと思うぞ」
二人の夫婦漫才のようなやり取りに、バカにされたと感じたのか、左慈の肩が怒りで震える。
もっとも、一刀にそんなつもりはない。これでも精一杯どうにかしようとした結果だ。
真面目にやって状況を混沌とする性質は、ある意味で太老に近かった。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第162話『神に至る道』
作者 193
星の箱庭――神に至るシステム。しかし、このシステムは大きな矛盾を抱えていた。
努力や運だけでは、どうすることも出来ない絶対的な壁。それが人と神との間にはある。
――人は神になれない。
――だが、神に至れないのであれば、この箱庭の世界は何故生まれたのか?
幾千幾万と繰り返す世界の果てに、北郷一刀は本人も知らぬところで覚醒を始めていた。
命のやり取りを知らぬ現代の若者が、このような世界に身一つで放り出され、はたして命を落とさず物語に登場する英雄のように活躍できるものだろうか?
付け焼き刃の剣技など、武人は疎か、盗賊相手にも役に立たない。
一刀に求められたモノは、英雄を上回る強さではない。智謀、策謀に長けた軍師に勝る知恵でもない。
強運や悪運、そうした物を超越した何かだ。
因果律をねじ曲げ、誰も予想だにしない結果を手繰り寄せる力。
神を超えるということは、神の定めた運命に抗い、神の予測を超えるということだ。
――人はそれを、『確率の天才』と呼ぶ。
◆
(何故、俺の攻撃があたらない!)
技術、速さ、力、そして経験。
すべてに置いて左慈より劣る一刀が、実力で勝る左慈に敵うはずもない。
馬超の助けを借りているとはいえ、攻撃がかすりもしない状況に左慈のなかに焦りが生まれる。
「貴様、何をした!?」
「なんのことだよ! 変な言い掛かりは――」
左慈の猛攻を対処しきれず、姿勢を崩し、受け身を取るように前方に回転する一刀。
そのままゴロゴロと転がり、壁に頭を打ちつける。
「今のをかわした……だと?」
回避されると思っていなかったのか、左慈の表情に動揺が走る。
偶然と切り捨てるのは簡単だ。しかし偶然が二度続けば、それは偶然ではなく必然となる。
一度目は、不意を突かれたとはいえ、馬超を庇いながら左慈の渾身の一撃をかわしてみせた。
二度目は、一刀の反射速度では絶対に回避することなど不可能だった一撃を、不格好とはいえ完璧に回避してみせた。
今のをかわされたことで、左慈のなかで一刀への警戒レベルが最大にまで上がる。
「だが、もう逃げ場はない。これで終わりだ!」
壁際に追い詰められた一刀のもとへ、左慈が迫る。
「あたしがいることを忘れるな!」
だが、その前に立ち塞がったのは馬超だった。
一刀を守るように槍を構え、馬超は迎撃の姿勢に入る。
「いてて、ん……なんだ、これ?」
何か、帯のような物を手にしていることに気付き、一刀は首を傾げる。
先程まで、こんなものは手にしていなかった。
不思議に思い、一刀は帯を持つ手はそのままに、左慈の方へと視線を向ける。
その時だ――ストンッ!
「あっ……」
左慈の下半身を隠していたズボンが、重力に逆らうことなく床に落ちた。
そこで手にしている帯が、左慈のズボンを支えていた腰帯だと、一刀はようやく気付く。
「いちごパンツ?」
一刀の一言で時が凍り付く。
次の瞬間、全速力で一刀に迫っていた左慈の足を、ずれ落ちたズボンが絡め取った。
そのまま前方に転倒する左慈。石畳に顔を打ち付け、鈍い音と共に跳ねるように前へ転がっていく。
ドゴンッ――その大きな音が、左慈の最後となった。
気を失った左慈の身体は石の壁を突き破り、瓦礫と共に城の最上階から地面へと落下していく。
一刀と馬超は呆然と、その姿を見送った。
◆
その頃、城門から一里と離れていない場所で、劉備の部隊と五胡が激しい衝突を繰り広げていた。
数の差は圧倒的だが、城から近いこともあり地の利は劉備達にあった。
李典達、工作部隊の援護を後押しに、道を切り開く劉備隊。左慈という頭を失ったことで、五胡の動きが鈍くなっていることも劉備達には有利に働いていた。
「愛紗ちゃん! お願い、私の話を聞いて!」
義姉妹の契りを交わした義妹に、大声で呼びかける劉備。だが、その声が最愛の義妹――関羽の心に届くことはなかった。
まるで心ない人形のように冷たい瞳で、嘗てはその剣を捧げ共に歩むと決めた義姉に向かって、関羽は躊躇いなく青龍偃月刀を振り下ろす。
「お姉ちゃん、下がるのだ!」
劉備と関羽の間に割って入り、蛇矛を構える張飛。
その小さな身体からは想像もつかない力強い動きで、張飛は関羽の攻撃を弾いてみせた。
「うりゃりゃりゃりゃりゃ――っ!」
弾いた方の腕が痺れるのを我慢し、張飛は狙いを関羽に定め、連続で突きを放つ。
しかし張飛の攻撃は一撃として、関羽の身体を捉えることはなかった。
生体調整で動きの鋭さを増しているはずの張飛の反射速度を、更に関羽は上回っていたのだ。
「鈴々ちゃん、大丈夫!?」
「このくらい、どうってことないのだ。それより、ここは鈴々に任せて下がるのだ」
于吉の施した妖術によって限界以上に強化された身体は、太老や林檎の身体に施された生体強化に限りなく近い力を関羽に与えていた。
その上、太平要術によって集められた妖力が関羽の力を更に増大させる。
「でも、それじゃあ……鈴々ちゃんが!」
「鈴々は負けないのだ。愛紗! ここからは鈴々が相手になるのだ!」
関羽を劉備から引き離すため、持ち前の素早さを生かし、関羽に攻撃を仕掛ける張飛。
小さな身体から放たれる閃光のような一撃を、関羽は紙一重で捌いていく。
意識がないとはいえ、関羽の身体は張飛の癖や動きを覚えていた。
「私はまた何も出来ないの……」
武術に長けていない劉備の目から見ても、張飛の不利は明らかだった。
最悪、相打ちを覚悟に挑んだとしても、今の関羽に通用するかはわからない。このままでは、関羽だけでなく最愛の義妹も失ってしまう。
関羽を救いたいと思う気持ちと、張飛まで失いたくないと思う気持ち。その二つが劉備の心に迷いを生む。
「何も出来ないと、自分を卑下することはありませんよ。現にあなたは戦場に立っている」
「え……」
声に導かれるように顔を上げる劉備。顔を上げた先には、よく見知った物腰静かな着物姿の女性と、大きな槍を手にした妖艶な女性が立っていた。
「林檎さんに……趙雲さん?」
思いも寄らなかった助っ人の登場に、劉備は呆然と言葉を失う。
まさか、彼女達が助けに来てくれるとは想像もしていなかったのだ。
張三姉妹とずっと旅に出ていた趙雲とは面識がほとんどなく、林檎とは公の席で顔を合わせたことはあるものの親しいと言えるほどの間柄ではない。それだけに、どうしてという感情の方が強かった。
「林檎殿……これは少し分が悪い気が……」
「依頼を破棄するなら御自由に。ですが、メンマ一年分に天上の美酒。これに勝る報酬がありますか?」
「仕方ありませんな。それに――関羽殿とは一太刀交えて見たかったのも事実」
そう言って趙雲は、獲物を見定めた猛禽類のような獰猛な笑みを浮かべる。
張飛と趙雲の実力に開きはほとんどない。単純な戦闘力だけを見れば、張飛は趙雲を僅かながら上回っているほどだ。
ならば関羽と張飛との戦いからも、関羽と趙雲の力の差は明らか。普通にやって趙雲に勝ち目はない。
しかし、武人として関羽と戦ってみたいという衝動が理性を上回っていた。
「あなたはどうしますか? このまますべてが終わるのを黙って見ている? それとも戦いますか?」
「でも、私には戦う力なんて……」
「その腰に下げている剣は、なんのためにあるのですか?」
「これは……」
劉備の家系に代々伝わる宝剣――靖王伝家。
中山靖王、劉勝から受継がれる血脈の証。劉備の志を影で支えてきた象徴とも言える剣。
しかし、劉備はこの剣を抜いたことがない。いや、正確には戦いに用いたことがなかった。
世界に二つとない宝剣とはいえ、その剣を扱う劉備は武の才がなく、剣術に関しては素人に近い。
あくまでこの剣は護身用に持ち歩いていた物だ。後は身分を証明する手段に過ぎない。
「大切な人に剣を向けるのは恐いですか?」
林檎の言葉に、ずっと目を背けていた本心を暴かれ、劉備は顔を青ざめる。
「それもまた一つの選択。誰だって大切な人を傷つけるのは恐い。失うのは恐い。今ここで何も出来なくても、あなたを責める人はいないでしょう」
林檎の言葉は、劉備の心の弱さをえぐりだす。
「――でも、本当にそれでいいのですか?」
露呈した自分の弱さと向き合うことで、劉備は今何をすべきか?
自分がどうしたいのかを考えさせられる。
「私は……」
関羽を救いたいという気持ち、そして張飛まで失いたくないという気持ち。
そのどちらもが、劉備の本心だ。
(そうだ。私は――)
視界に光が差す。
劉備の目に浮かんだのは、あの日、三人で杯を交わした桃園の世界だった。
それは彼女が忘れかけていた想い。大切な約束。
「私は愛紗ちゃんに、まだ伝えてない。私の本当の気持ちを――」
伝えるべきことは、関羽に戻ってきて欲しいと泣き叫ぶことではなかった。
王になることが出来なかったのも、理想を叶えることが出来なかったのも、誰の責任でもない。
中途半端な気持ちを隠し、偽ってきた自分の責任だと劉備は考える。
もっと早くに伝えるべきだった。言葉にするべきだった。
(私は気付いていたはずなのに……言い出せなかった)
太老との出会いが劉備を変えた。いや、彼女に気付かせたのだ。
彼女の理想は確かに尊い。皆が笑顔で平和に過ごせる世界。そんな世界が実現すれば、それは民にとって理想の国となるかもしれない。
しかし彼女は、王になることを望んでいなかった。
身分の差など気にせず、誰とでも気さくに語り合い、仲良くなれるのは彼女の長所だ。
しかし、孫策や曹操は感謝こそすれ、太老のことを名前で呼ぶことはあっても決して『ご主人様』とは呼ばなかった。
それは彼女達が、王としての自覚と誇りを持っているからだ。
だが、劉備にはそれがない。良くも悪くも彼女は優しすぎた。
人としては正しい。しかし王としては愚かだった。
――私は、王様になんてなりたくない。
本当に伝えるべき言葉は、初めから劉備のなかにあった。でも、それを口にするのが恐かったのだ。
理想という志の下に集まった仲間達。
言葉にすることで、皆が自分から離れていってしまうのではないか、と劉備は恐れていた。
「お願いします。私を愛紗ちゃんのところへ連れていってください」
しかし、それも終わりだ。
人々の笑顔を守りたいという最初の想いは、劉備の胸のなかに今もある。
理想を諦めたわけじゃない。ただ、理想を叶える方法が一つではないことを彼女は知った。
王にはなれない。皆が望むように、理想の国を興すことも出来ない。でも――
◆
「私の為すべきことは太老様を支え、その願いをお手伝いすること」
劉備と趙雲が関羽との戦いに赴いたことを確認した林檎は背を向け、まるで彼女達との間に壁を作るように五胡の兵の前に立ち塞がる。
最初から、林檎はそうするつもりで、この場へと姿を現した。
すべては劉備の覚悟を確かめるため、そして太老の願いを叶えるためだ。
「あなた方に恨みはありません。ですが、彼女達の邪魔をされては困ります」
その言葉が、彼等の耳に届いているかどうかはわからない。しかし、それは些細なことだ。
大切なのは太老が信じた彼女達の無事を祈り、その邪魔をさせないこと。
「この人数では手加減は出来ません。怪我をしたくない方は、お下がりを――」
それが彼等に提示された最後通牒だった。
……TO BE CONTINUED
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