「うわ〜。これ、どうやって飛んでるのかな?」
「天和姉さん、見てよ。ここからの眺め凄いよ」

 目をキラキラと輝かせ、空から見下ろす景色に少女達は夢中になる。
 桜色の髪をした、ちょっとのんびり屋のお姉さん張角と――
 落ち着きのない様子で姉の名を呼ぶ青い髪の少女、張宝の二人だ。

「ちょっと姉さん達、みっともないから少しは落ち着いて!」

 そんな二人を注意するのは、末の妹の張梁。眼鏡をかけているからと言うわけではいないが、その見た目通り姉二人と違って几帳面で真面目な性格で、いつも暴走しがちな二人の姉の抑え役になっていた。
 三人は現在、成都の上空に浮かぶ船、守蛇怪・零式の船内にいた。
 成都に残っていた非戦闘員の多くは既に船への避難が完了しており、三人は太老に招かれてここにきていた。

「ねえ、ちょっと探検してみない?」
「ちぃ姉さん!?」
「だって、景色を見るのはもう飽きてきたし……ここなら色々と面白そうな物がありそうじゃない?」

 妹の制止も聞かず、船内の物色を始める張宝。
 三人姉妹のなかで一番落ち着きがなく、好奇心が人一倍旺盛な張宝を止める術はなかった。

「ちぃ姉さん、危ないからやめて!」
「大丈夫よ。まったく心配性なんだから、人和は……」

 張梁からすれば姉の行動は、武器を持たず戦場に飛び出すくらい危険な物に思えてならなかった。
 張梁達からすれば、どういう理屈で空を飛んでいるのかもわからない得体の知れない船だ。
 それでなくても、あの太老の船だ。下手に動き回れば、何があるかわからない。
 一際、慎重な張梁は姉の蛮行を止めようと必死に足掻くのだが――

「ここはなんの部屋かなーっと……」
「あっ、ちょっと」

 一度火のついた張宝がそんな妹の言葉で止まるはずもなく、小部屋のなかへ入った――その時だった。
 眩い光が三人を包み込み、どこか別の空間へと誘う。それは転送装置だった。

「うぶっ! もう、なんなのよ」

 顔から砂浜に突っ込む張宝。ペッペッと口と鼻に入った砂を吐き出す。
 しかし、景色に目を向けた瞬間――張宝の表情は固まった。
 耳に聞こえて来るさざ波の音。鼻を刺激する潮風の香り。

「え、ええ! ちょ、ちょっと姉さん、人和! これ見て、海、海だよ!」

 そう、三人の前に広がっていたのは南国の海だった。
 青い海、白い砂浜、そして爛々と輝く太陽。
 ヤシの木が茂るビーチには、ご丁寧にデッキチェアやパラソルまで完備されている。

「う、嘘……ここって船のなかじゃ……」

 部屋のなかに固定された亜空間の一つだと知る由もない張梁は、夢でも見ているのかと自分の頬をつねる――が、これは紛れもなく現実だった。
 守蛇怪・零式のなかには、長期航行を可能とするための農業プラントや最先端設備を揃えた工房、船員のレクリエーションや訓練のための施設が、こうして幾つも亜空間に固定されていた。
 これも、そのなかの一つだ。恐らく、レクリエーション用のレジャー施設なのだろう。

 太老の生まれ育った世界が飛び抜けた技術力を有しているとはいえ、船に使用されているエネルギージェネレーターの性能によって固定できる空間の広さは決まることから、これほどの設備を整えた船は全体の極一部だ。
 太老の世界の警察、宇宙の平和と秩序を守るギャラクシーポリス――通称GPの大型戦艦クラスでも、これほどの空間を固定する力はないことから、この船の異常さが窺える。それが可能なのは、それこそ『皇家の船』か、伝説の海賊船『魎皇鬼』くらいのものだ。
 例え、ここにいるのが張三姉妹でなく太老の世界の住人でも、これを見れば腰を抜かして驚く光景だった。

「気持ちいい! ほら、何してるのよ! 二人もこっちきなさいよ!」

 服を脱ぎ捨て、下着一枚で海へ飛び込む張宝。
 普通の人間なら腰を抜かすところだが、そんなこととは知らず、お気楽なものだった。
 何も知らないということは、ある意味で幸福なことだと言える。

「凄いね〜。ご主人様って本当は神様とかだったりして」

 こちらはこちらで呑気な長女の一言に、張梁はため息を漏らす。
 とはいえ、姉のその言葉を完全に否定する気にはなれなかった。
 こんな物を見せられれば当然だ。新たな世界を創造するなど、人間に出来ることではない。

(姉さん達はわかってなさそうだけど、本当に無茶苦茶よ……)

 太老が神様であろうとなかろうと、この際それはどうでもいい。問題は、それだけの力を太老が持っているという事実だ。
 そう、以前から考えていたこと。太老なら三百万の軍勢が攻めてこようが、国中の兵隊を敵に回そうが、一人で戦えるのではないかという予想。寧ろ、これを見た後では、その考えすら甘かったと張梁は理解する。
 出来るのではないか、ではない。可能なのだ。それも確実に――

「ちぃ姉さんっ! うしろ!」

 ハッと我に返り、慌てて姉の名を叫ぶ張梁。
 思考に埋没していたからか、これだけ巨大な物≠ェ接近しているのに気付けなかった。
 浜辺を覆い隠す巨大な影、獰猛な牙、鋭く光る眼光。そう、それは龍だった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第163話『桃園』
作者 193






「はああああっ!」
「うりゃりゃりゃ――っ!」

 趙雲、張飛の閃光のような攻撃が関羽に迫る。
 目にも留まらぬ連撃。だが、絶え間なく身に迫る攻撃を、関羽は危なげなくかわしていく。
 精練された足裁きで、時には武器を使い。常人離れした反応速度で対応してみせていた。

「――ッ!」

 一瞬の隙を突き、関羽が反撃にでる。
 張飛の攻撃をすり抜けるように回避し、趙雲の一撃にあわせるように青龍偃月刀を横凪に振り払う。

「ぐっ!」

 大砲をその身に受けたかのような強烈な一撃に、身体ごと大きく弾き飛ばされる趙雲。
 その隙を逃すまいと、関羽は踵を翻し、がら空きとなった張飛の背中へと凶刃を放つ。

「鈴々ちゃん!」

 咄嗟に間に割って入った劉備が、宝剣で関羽の一撃を受け止める。
 だが、圧倒的に腕力で劣る彼女の細腕で、関羽の強烈な一撃を受けきれるはずもなく、張飛とともに弾き飛ばされてしまう。

「きゃっ!」

 バウンドするように転がり、地面に叩き付けられる劉備。
 その横には張飛が転がっていた。

「がっ……ぐっ、げほっ!」

 全身に激しい痛みが走る。込み上げてきた嘔吐に堪えきれず、劉備は口から血を吐き出す。
 土と埃にまみれ、全身は擦り傷だらけ。地面に叩き付けられた衝撃で思うように身体が動かない。だが、それでも運がよかった方だ。
 攻撃に割って入れただけでも奇跡。あと少し遅ければ、張飛ごと劉備も斬られていた。

「まだ……まだ、私は……」

 靖王伝家を支えに立ち上がる劉備。
 普通に歩くことすら困難な状態でも、まだ彼女は諦めていなかった。

 ――伝えたい言葉がある。

 ただ、それだけのために、劉備は立ち上がる。

 ――誰も飢えることのない、皆が笑って過ごせる。

 ずっと、そんな世界を夢見てきた。
 その彼女の理想と志を一番近くで支えてきたのが関羽だ。
 だから、これだけは誰かに甘えるのではなく、自分の口で伝えたい。

「ぐっ……お姉ちゃん、に、逃げるのだ……」

 迫る足音。悲痛な張飛の声が聞こえる。
 でも、劉備は一歩もその場を動かない。いや、動けなかった。
 立っているのもやっと。当然、走って逃げるなんてことが出来るはずもない。

「ごめん、鈴々ちゃん……」

 例え動けたとしても、今の劉備は絶対に逃げようとはしなかっただろう。
 それほどの意思と覚悟が、今の彼女を支えていた。

「愛紗ちゃん、私は……」

 残された力を振り絞り、顔を上げ、胸を張り、劉備は関羽と向き合う。
 ずっと口にしたくても言えなかった言葉。ただ一言、彼女に伝えたかった。





【Side:桃香】

「私は王様になりたかったわけじゃない」

 誰かの上に立ちたいと思ったことなんて一度もない。
 自分の国を興したい。権力や金が欲しいと思ったことなんて今までなかった。

「私は家族の皆と、笑顔で過ごせる居場所(いえ)が欲しかった」

 願ったのは、家族の幸福。私のささやかな願い。
 二人が私の妹になったあの日。たった三人だけど、仲間が出来て、家族が出来て。
 私の夢を一緒に叶えてくれると言ってくれたことが、凄く嬉しかった。

「私が目指したのは理想なんて尊いものじゃない。誰もが当たり前のように願うこと」

 それは、簡単なようで難しい願いだった。
 ずっと努力すれば、諦めなければ、いつかは叶うと思っていた。
 でも、それだけじゃダメなんだって、ご主人様や華琳さんが気付かせてくれた。

「最初から気付いていたはずなのに……凄く遠回りをしちゃった……」

 二人が三人になり、三人が十人になり、十人が百人になった。
 とても大切な、守りたい家族が増えて、それは何時しか大きな力となっていった。
 でも、私が願ったのは、最初からたった一つだった。

 ――大切な人を、家族(なかま)を守りたい。

 大切な人が困っていたら、手を差し伸べたい。
 思い悩んでいたら話を聞いて、傍に居てあげたい。
 あなたを心配する人はここにいる。ひとりじゃないことを教えてあげたい。

 華琳さんや雪蓮さんにとって、それは国であり――
 ご主人様にとって、それは商会を頼ってくる皆で――
 私にとって、それは考えるまでもなく――

「ありがとう、愛紗ちゃん。私の妹になってくれて」

 あの桃園こそ、私の理想(ねがい)そのものだった。

【Side out】





「お姉ちゃん!」

 張飛の悲痛な叫びが戦場の空を駆ける。
 劉備の言葉も虚しく、関羽の凶刃が彼女に迫ろうとしていた。
 振り下ろされる刃。既に劉備には、剣を構える体力すら残されていない。

 ――私、伝えられたかな? 愛紗ちゃんに私の気持ちを……。

 無情な刃が劉備へと迫る。
 だが、その刃が劉備の身体に届くことはなかった。

「まったく……だから言ったでしょ? 甘い考えは捨てなさいって」
「華琳……さん?」

 それは『絶』――覇王の傍らに常にあり、その覇道を支えてきた死神の鎌。
 劉備の命を狩ろうとしていた関羽の一撃を、二人の間に割って入った曹操が受け止めていた。

「はあああっ!」

 その小さな身体からは想像もつかない力強い動きで受け止めた関羽の一撃を弾き、曹操はすかさず渾身の一撃を叩き込む。

「……やはり、この程度ではダメなようね」

 衝撃で風が吹き荒れ、土煙がもうもうと立ち上がる。
 劉備から引き離されたものの関羽はほぼ無傷で煙の向こうに立っていた。
 咄嗟の判断で曹操の一撃に攻撃をあわせ、致命傷を受けるのを避けたのだ。恐るべき反応速度だった。

「季衣、わかってるわね?」
「はい、こいつらの相手はボク達、親衛隊にお任せください!」

 数の差で苦戦をしている劉備隊を助けるべく応援に向かう許緒達、親衛隊。
 幾ら林檎が強くても一人でなんでも出来るわけではない。一度に相手に出来るのは精々百人やそこらが限度だ。手段を選ばなければ殲滅することも可能かもしれないが、それには味方の兵を巻き込む恐れもあり、余り派手なことは出来ない。
 だが、劉備の兵に曹操の親衛隊が加われば、被害の拡大を食い止めることは出来る。ここに林檎がいるということは、あとは太老がなんとかするだろうし、時間を稼げれば十分と曹操は判断した。
 あとは――

「さてと、桃香。まだ、やれそう?」
「だ、大丈夫です……」
「なら、今から私が関羽に隙を作る。その隙に一発ぶっ叩いてやりなさい」

 剣を支えに、フラフラと立ち上がる劉備。
 満身創痍と言った様子の劉備に、曹操の提案を実行することは難しい。
 それでも劉備は、曹操がくれたチャンスを無駄にするわけにはいかなかった。

「華琳さん、ありがとうございます」
「――ッ!」

 不意に放たれた劉備の感謝の言葉に、曹操は頬を紅くして顔を背ける。
 自分でも、なんでこんなことをしているのか、曹操にもわからなかった。
 劉備に甘いと言いながら、その劉備に協力している自分はなんなのだろうと曹操は思う。
 でも、不思議と悪い気はしなかった。

「そんなことより、次に失敗したら許さないわよ。話せばわかるなんて甘い考えは捨てなさい」
「……はい。もう伝えるべきことは伝えましたから」
「やれるのね?」
義妹(いもうと)を叱るのは、お姉ちゃんの役目ですから」

 劉備の覚悟を前に、曹操もまた覚悟を決める。
 情け深い一面もあるが、王としての彼女は冷徹だ。
 臣下とは即ち駒。昔の曹操なら、関羽のことは諦めろと冷たく劉備に迫ったはずだ。
 しかし、劉備が曹操の影響を色濃く受けたように、曹操もまた劉備の影響を受けていた。

「なら、これを飲んでおきなさい」
「これは……」
「太老の置き土産よ」

 太老が置いていった七つ道具の一つ、皇家の樹の実を材料に作られた霊薬(ハイポーション)を曹操は劉備に手渡す。
 傷を癒すことは出来ないが、体力だけなら、これで回復できるはずだ。
 あとは劉備の覚悟と運次第。曹操に出来るのは、その手助けだけだ。

「本当は、こんな物を使いたくなかったのだけど……」

 そうして前に歩み出る曹操。その手には一冊の本が握られていた。





 ……TO BE CONTINUED



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