「くっ!」
于吉にとって、それは予想外の出来事ばかりだった。
非常識だ非常識だと思っていた相手が、自分の予想を遥かに上回る存在だったことにようやく気付く。
それは例えれば、熊や虎だと高を括っていた獲物が、実際に対峙してみれば神話や伝承にしか登場しないような天災クラスの神獣だったと言ったくらい、斜め上に飛び抜けたものだった。
「か、管理システムその物を造り上げるなど――」
この世界の根幹をなす『星の箱庭』本体から切り離され、消えゆく定めにあった世界を、まさかこんなカタチで救ってみせるとは于吉には想像もつかない方法だった。
失われた世界の根幹に『守蛇怪・零式』を代用する発想といい、ハードに対してOSに当たる管理システムを何もないところからこの短期間で作り上げるなど、普通の人間に出来る芸当ではない。
世界の創造――それは、この箱庭を造った創造主にしか許されないことだ。
「まさか、創造主以上の知識と技術を持っているとでも!? そんなバカなことが――」
于吉はこの世界を管理する側の人間だ。オンラインゲームで言うところのGMのような権限と役割を持つ。しかし、あくまで管理する側の人間であって、この『星の箱庭』の開発者ではない。
それだけに、このような発想は思いつくはずもなかった。
太老のやったこと――それは『使う側』ではなく『作る側』の発想だった。
「そろそろ諦めたらどうだ?」
「そ、そんな――私は確かに!」
于吉は用意周到な男だ。計画が失敗した時のことを考え、いつでもここから転移で逃げられるように準備をしていた。
しかし、その最後の策も失敗に終わる。確かに転移の術を使ったはず、発動も確認できた。
なのに転移先はイメージした場所ではなく、元の場所に戻っただけだった。
太老が術に干渉して転移先を書き換えたのだと于吉は気付く。
「既にこの世界のシステムは零式の管理下にあるんだ。その気になれば――」
そう言って太老が右腕を空に掲げると、空の色が変わり、景色が純白の世界へと変わっていく。
瞬時に世界の理を書き換えたのだと于吉は理解することが出来た。
太老の意思一つで、この世界を滅ぼすことも救うことも自由自在なのだと悟る。
「はははは……な、ならば、その力でこの私を――」
計画は失敗に終わった。
しかし、于吉が一番に望んでいたのは、この世界から解放されることだ。
そう、彼は死を望んでいた。太老が自身を消滅させる力を持つと知り、狂気の笑みを浮かべる。
そんな于吉に対し、太老は双眸を細めた。
「ふざけんな……」
伝説の哲学士直伝の鋭い眼光を于吉へ向ける太老。並の者なら、その視線に晒されただけで意識を失ってしまうほどのプレッシャーに場は支配されていた。
殺して終わらせるつもりはない。奴隷のように扱き使ってやると言った様子で太老は冷笑を浮かべる。
そもそも最初から于吉を殺すつもりなどなかった。
話し合いで済めばよし、それでダメなら多少お仕置きをしてから再教育をするつもりだったのだ。
死んで、すべてを終わらせようなど考えが甘いと太老は于吉を冷ややかに見る。
「再教育してやる。哲学士をなめんな!」
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第168話『マスターキー』
作者 193
いつもなら決して口にしない言葉。しかし太老は敢えて、その言葉を口にした。
性格に難があることや周囲の迷惑を顧みないところなど、どうにしかして欲しいと切実に願ってはいるが、色々と口で言ってはいても太老は鷲羽のことを偉大な先達者として認め、根の部分では尊敬している。
それは彼女が『伝説の哲学士』と呼ばれているからでも、自分を育ててくれた師匠だからでもない。
力を持つ者の責任、そして力の扱い方を誰よりも弁えているからだ。
「鷲羽的に言えば、アカデミー式の流儀らしいが、哲学士――力を持つ者はどんなにバカをやっても、その力の使い方を間違えちゃいけない。絶対に超えてはいけない一線ってのがあるそうだ」
哲学士の知識と発想から生まれる新たなテクノロジーは、時に単純な力よりも厄介で非常に危険な物を世に産み落とす。
天災クラスの災厄、下手をすれば一つの星や世界を滅ぼすほどの力を持ったテクノロジー。そうした技術を管理することも彼等の役割であり責任だ。
だからこそ、彼等は己が生み出した発明品に誇りと愛情を持ち、同時に大きな責任が伴うことを理解している。
それだけに于吉の取った行動は、一人の科学者としても許せるものではなかった。
「お前のやったことはそれだ。世界の破壊が目的? もっと理性的な奴だと思っていたが、それだけの智慧と力を持っていてやっていることは、そこらの野盗と変わらない。そんなのは単なる独りよがりだ」
「何がわかる! 私達の絶望の何が――これ以外に方法など!」
「違うよ。他に幾らでも選択肢はあった。でも、お前はプライドを優先して考えることを放棄し、一番簡単な方法に逃げただけだ。ようするに復讐したかっただけだろう? この箱庭を作った科学者どもに――」
太老も、于吉の気持ちが全然わからない訳ではなかった。
科学の犠牲となった被害者のことを、大なり小なり知っているからだ。
一部に限って言えば、ノリが良すぎるのも考えものだと、よく林檎も愚痴を溢しているほどだった。
それほどに哲学士と呼ばれる連中は――悪ノリが過ぎる。
この『星の箱庭』も、そうした狂気の果てに生み出された物の一つだろうと予想はつく。
「まあ、その辺りは正直わからないでもないんだがな。俺達の世界へ行けば、共感してくれる被害者は一杯いると思うぞ。でもな――」
そこまでは同情できる。しかし太老には、何より許せないことがあった。
道徳的な精神――『幼女は愛でるもの』という紳士の教えを于吉が破ったことだ。
「お前は力の使い方を間違えた。俺に幼女を殺させる? ふざけんなよ、このロン毛!」
于吉の失敗は、一番踏んではならない地雷を踏んでしまったことだ。
ここまで太老を怒らせたのは、『タコ』の渾名を持つ哲学士に続いて于吉で二人目だった。
「教育の時間だ!」
太老の全身から嘗てない力が溢れ出す。
もはや、子供と大人の喧嘩だ。いや、実際にはそれよりも遥かに質が悪い。
太平要術の書を失い万策尽きた于吉と、零式や皇家の樹のバックアップを受け、全力を発揮した太老とでは力に差がありすぎた。
それを理解していても于吉は諦めない。いや、引き下がる訳にはいかなかった。
「うがああああっ!」
一気に妖力が跳ね上がり、暴風のような風が于吉を中心に吹き荒れる。
それは怒りや憎しみを力へと変え、自らの生命力を糧に強大な妖力を得る于吉の最後の手だった。
半狂乱した状態で太老へと迫る于吉。玉砕覚悟の突撃だった。
例え、これで殺されたとしても目的は果たせる。そうでなくても太老に一矢を報いるつもりでいた。
しかし、それは甘かった。
この状態の太老に悪意を向ける。それは『事象の起点』のことをよく知る者なら間違ってもやらない最大の愚行。
善意には善意を、悪意には悪意を――その力は神の予想すら超える。
『きゃああああっ!』
成都の『扉』から天に立ち上る光。その光の中から何かが飛び出して来る。
ヴリトラと、その背に乗った尚香達だ。
「な――っ!」
「え?」
予想もしなかった第三者の介入に驚く太老。
咆哮を上げたヴリトラの巨大な口が――于吉を丸呑みにした。
【Side:太老】
于吉がヴリトラに食べられてしまった。こんな終わり方を誰が予想しただろう。
これって、ヴリトラ……いや、何故かヴリトラの背にいたシャオや張三姉妹の手柄なのか?
俺の怒りの矛先はどこに向ければいい?
いっそ、ヴリトラごと、ぶちのめしてやろうかと思ったくらいだ。
本気で睨んだら、何やらブルブルと震え始めたので可哀想になって途中でやめたが……。
『あれでも元管理者の一人ですし、不死の属性を持っていますから死にはしないと思いますけど。そのうち排泄物と一緒に出て来るんじゃないですかね?』
「それはそれで嫌だな……」
自業自得なので同情する気にはなれないが、これからの人生は悲惨なものになりそうだ。
というか、零式の奴――なんで、こんなに大きくなってるんだ?
『演出です。ほら、神様って大きく踏ん反り返ってるじゃないですか』
間違っちゃいないが、あの創造の三女神が聞いたら泣くぞ。
「それで、進行状況は?」
『最終段階までプロセスはすべて完了しています。あとは鍵を起動すれば万事解決ですね』
「となると――」
地上を見下ろし一刀達の姿を捜すと、戦いは最終局面を迎えようとしていた。
愛紗の方は完全に暴走しているようだ。あのままだと間違いなく助からないだろう。
まさか、ここまで呪いが進行しているとは思っていなかった。少し甘く見ていたか。
揚羽の件といい、やはりあの男には同情の余地はないな。
『お父様、よろしいのですか?』
「ああ、一刀なら于吉のようにはならないだろう。やはり管理者は必要だしな。そう、思うだろう? アンタ達も――なあ、鷲羽の手先」
後ろを振り返ると、零式の甲板の上に腕組みをした二人のマッチョが立っていた。
ピクピクと震える筋肉が相変わらず個性的な貂蝉と卑弥呼の二人だ。
「フフッ、さすが哲学士≠ニ言ったところかしら?」
「正確には見習いだけどな。本職と言うよりは、趣味の延長みたいなものだし」
白眉鷲羽の出鱈目さに比べれば、俺の作った物なんて紛い物と言ってもいい。
実際、その知識のほとんどは鷲羽から譲り受けたものだ。俺は既存の技術を繋ぎ合わせて自分が作りたいと思った物を作っているだけで、鷲羽のように全く新しい物を生み出すような才能はない。
既存の技術から新しい使い道を探ることは、哲学士の本来の在り方としては正しいのかもしれないが、そこが俺の限界だ。
それに、まだまだ完全に活かせているとは言い難い。超一流には程遠い、二流と言ったところだろう。
本当に『哲学士』を名乗る日が来るとすれば、それは誰にも真似の出来ない俺だけの作品が完成した時だと思っている。
まだ何百年、何千年と掛かるかわからないが、それが色々と面倒を看てくれた鷲羽への恩返しだと考えていた。
まあ、本人には絶対に言えないが……からかわれるのがオチだ。
「それで、いつから儂らがあの哲学士と通じておると気付いたのじゃ?」
「疑い始めたのは多麻の事件だ。そして核心したのは零式と再会してからだな」
そもそも最初からおかしかった。なんで気付かなかったと思えるほどに。
あの鷲羽がこんな面白そうな物を手に入れて、何もせずにただ封印していただなんて信じられない。
自分でも調べたはずだ。この箱庭がどう言ったものかを丹念に――。
実際、鷲羽が弄ったと思われるプログラムの痕跡は、この世界にも幾つか見つけることが出来た。
調査の過程で管理プログラムに割り込ませ、生み出したデータ収集用の自動プログラム。それが貂蝉と卑弥呼の二人だ。
悪趣味な性格と外見も、哲学士なりのユーモアと考えれば自然と納得が行く。ようするに俺は原作知識がある所為で物事を先入観で見てしまい、肝心なところを見落としていたと言うことだ。
結局、あのマッドの尻拭いも一緒にさせられていたかと思うと腹が立つ。林檎にその辺りの情報を伝えなかったのも態とだろう。
「大体、登場するタイミングがいつも良すぎるんだよ。大方、鷲羽と俺の関係を確かめたかったんだろうけど……」
「そこまでわかっているのなら説明はいらないわね。フフッ、それであなたはどうするつもりなのかしらん?」
「さっきも言ったとおりだ。この世界のことは一刀に任せる。貂蝉、あんたもそれを望んでいるんだろう? だから、この場に姿を見せた」
「……全部、お見通しみたいね。でも、それで彼女達は納得するかしら?」
「さあな……でも、俺に出来るのはここまでだ」
華琳とかには色々と言われそうな気もするが、この世界のことは一刀に元々任せるつもりで準備を進めていたので問題はないはずだ。
そろそろ頃合いだと思った。いつまでも、こっちの世界に居座る訳にはいかないと今回の件で嫌と言うほど理解したからだ。
ここまでやっておいてなんだが、やはり俺達はこの世界では異物なんだろう。
「零式のマスターキー『絶無』は一刀に預ける。後は好きにやってくれ」
【Side out】
【Side:一刀】
俺が戦いに加わるまでもなく、愛紗の身体は限界に達していたのだろう。もう、彼女に戦う力は残されていなかった。
それでも、まだ彼女の戦意は喪失していない。全身から血を流しながらも武器を引き摺り、じわじわと近付いてくる。
正直、見ているこっちが辛くなるほどだ。
やはり愛紗を殺すしかないのかと諦めかけたその時、桃香の宝剣『靖王伝家』が眩い光を放ち――
「これは……」
「一刀さん、これって……」
透き通るような剣身を持った両刃の剣へと姿が変わっていた。
神秘的な輝きを持つ剣に、戦いの最中であることも忘れ、思わず目を奪われてしまう。
でも、不思議と理解できた。剣が語りかけ、俺達に教えてくれているような。そんな感覚。
「桃香……」
「はい」
二人で剣の柄を握る。今こうして手に握っているはずなのに重みを全く感じない。目の前にあるはずなのに空気のように存在を感じない。
まるで幻を見ているかのような感覚。この剣は現実の物なのか? それとも幻なのか?
でも不思議と頭に入ってくる。これは剣だ。そして『鍵』なのだと理解できる。
「愛紗っ!」
「愛紗ちゃん!」
剣を天に掲げ、力の限り振り下ろす。
咄嗟に青龍偃月刀を振り上げ、防御の構えを取る愛紗。
透明の刃は防御をすり抜け――愛紗の身体だけを斬り裂いた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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