【Side:太老】
領地視察一日目。視察と言っても予定が入っているのは三日目からで、それまでは特に予定がなかった。
報告書を見て必要な事はその都度指示を送ってあるし、それでなくてもここの使用人達は優秀で俺の出番など全くと言って良いほどない。
一先ず、屋敷に着いた俺はゆっくり持参した荷物の片付けでもしようかと思っていたのだが、それすらもやらせてはもらえなかった。
屋敷に着くなり侍従達に取り囲まれ、『そのような雑務は私達にお任せください!』と強引に手荷物と一緒にする事を奪い取られてしまったからだ。
その後も、俺が何かをしようとする度に『屋敷の事は私達にお任せください』と言って、何もさせてくれない使用人達。
暇なので何か手伝う事はないかと思っても、掃除はおろか台所に立つ事も許してもらえない。
結局どこに行っても邪魔者扱いで、早々と明後日からの予定の確認も済ませてしまった俺は暇を持て余していた。
侍従達に手伝いを拒否されるほど役立たずな自分が情けない。確かに俺って部屋の片付けも満足に出来ないほど家事能力ゼロだからな。そんな風に言われても仕方が無いが……。
「こういう時は温泉でゆっくりするに限るな」
我が家の自慢と言うべきか、ここの前の持ち主である元公爵の趣味で屋敷の離れには露天風呂が設置されていた。
勿論、源泉掛け流しの天然温泉だ。温泉は良い。落ち込んだ気持ちや嫌な気分をスッキリ洗い流してくれるからな。
お肌もツルツル、旅の疲れも一気に吹き飛ぶ。そして湯上がりに飲むコーヒー牛乳は絶品だ。
温泉こそ、庶民が選ぶ最高の贅沢の一つだった。
「ここの温泉に入るのも随分と久し振りだな」
ここの露天風呂を利用するのは随分と久し振りの事だ。前に領地に足を運んで以来の話だしな。
以前はここにも、極僅かではあるが男の使用人が住み込みで働いていたため、その名残が今も残っている。
女ばかりの中に男が数人という環境に耐えられなかったのか、一人、また一人と移動が相次ぎ、気付けば屋敷の使用人は皆、女性ばかりに成っていた、というのが事の顛末だった。
そのため、温泉を普段利用するのは女性ばかりなのにも拘わらず、今でも男湯と女湯の二種類に分かれている訳だ。
脱衣所へと続く入り口の暖簾には、『太老』と『女』の文字がはっきりと記されていた。
「――って、『太老』!?」
自分で言っておいてなんだが、『太老』ってなんだ『太老』って! 物凄くデジャヴなんですけど、この展開。
確かに、この屋敷に男は俺だけだが、それにしたって『太老』は無いだろう。捻らなくていいから、素直に『男』にしておけよ。
いや、というか俺が改装した時には『男』だったはずだ。設置した本人が言うのだから間違い無い。それがどうして『太老』に変わってるんだよ。
地球の柾木家にある空中温泉も、こんな感じだったのを思い出す。あちらの暖簾には勿論、『天地』と『女』の文字が記されていた。
まさか、こんなところで天地に親近感が湧く出来事にぶち当たるとは、世の中、何があるか分からない物だ。
「はあ……」
単に悪ノリしただけだと思うが、正直勘弁して欲しかった。
うちの使用人って本当に女性ばかりだしな。弄られる立場になるのは当然、男の俺という事になる。
幾らこの世界が聖機師の影響で女性の方が教育を施された有能な人材が多いと言っても、余りにも俺の周りだけ男女比率が偏り過ぎに思える。
実のところ、俺の中で男で印象に残っている人物というと、両手で数えられるほどしかいなかった。
――この屋敷の持ち主だった元公爵や、自業自得でヌイグルミに憑依したシトレイユ皇
――空気の読めないバカ息子の所為で、苦労ばかり背負わされているシトレイユ宰相のババルン・メスト
――そのババルンの息子で、如何にも親の七光り丸出しのお坊ちゃん、といった感じのダグマイア・メスト
比較的まともなのはババルンくらいで、他には碌な男の知り合いが居ない。奇人だったり、変態だったりする奴ばかりだ。
これ以外となると印象に残らないような奴ばかりで、一言でいえば影が薄すぎて記憶にすら残っていないし。
女性陣の印象が濃すぎる気がしなくもないが、それは必然と半ば諦めていた。
学院に入れば、男の知り合いも少しは増えるのだろうか?
女性聖機師に比べれば少ないとはいえ、男性聖機師も在籍しているという話だし顔を合わせる機会くらいはあると思う。
だが、そもそも俺は余り男性聖機師に良い印象を持っていない。だから、それも望み薄だと思っていた。
相性が悪いというか、男性聖機師絡みの時は大抵なんらかのトラブルに巻き込まれる事が分かっているからだ。
ハヴォニワは以前に比べて大分改善されたが、それはハヴォニワだけが特殊と言うだけでの話で、何処の国でも男性聖機師が極端に優遇されている現状は何も変わっていない。
以前に訪れたシトレイユ皇国が良い例だろう。ダグマイアを始め、その取り巻き達の横柄な態度は正直好きにはなれなかった。
個人的な感情で言えば、ああ言った連中とは友達になれそうにない。
「まあ、いいか。今までと、それほど変わらないし」
俺の周囲だけどう言う訳か、男女比率が極端に女性に傾いているのは、別に今に始まった話ではない。
地球で暮らしていた頃から極端に女性に比率が傾いた環境で育ってきた俺にとって、気にはなるけど生活に影響を与えるほど大きな問題ではなかった。
まだ、今の段階で周囲に居る女性陣があっちの世界のレベル≠ノ達して無いだけ、現状の方が遥かにマシと言える環境だ。
「ふうっ……極楽、極楽」
温泉に浸かり、ほっと一息つく。この世界で歳の近い男友達が出来るといいな、くらいの気持ちで気楽に構える事にした。
樹雷皇や内海、それに兼光は友達と言うのとは少し違ったし、一番歳が近かったのは西南くらいだから余計にそう感じるのかもしれない。
こちらの世界で知り合ったババルンも樹雷皇同様、友達と言うには少し語弊があるし、そう考えてみると俺って男友達が極端に少ない事が分かる。
「深く考えると悲しくなるな……友達が居ないみたいで」
嫌な事実に気付き、複雑な気持ちに駆られた。
「ん?」
その時だ。
ガラッ、という音と共に脱衣所に通じる引き戸が開き、その向こうから湯着一つ身に纏っていない全裸のシンシアが姿を見せたのは――
片や、薄い桜色の湯着を身に纏ってはいるものの、笑顔のシンシアに引き摺られながら嫌々といった様子で温泉に姿を見せるグレース。
シンシアが俺と一緒にお風呂に入るのはそう珍しい事でもなかったので特に気にしてはいなかったが、普段は恥ずかしがって一緒に入って来ないグレースまで珍しいと思った。
「グレースまでどうしたんだ? 珍しいな」
「見るな! バカ!」
またも知らず知らずの内に、俺は地雷を踏んだのだろうか?
俺の姿を見つけ、パタパタと足音を立てながら無邪気に走り寄ってくるシンシア。
その後方、風呂桶を手にしたグレースの第一投が綺麗な弧を描くように放たれ、パコーンという軽快な音と共に俺の頭へとクリーンヒットした。
【Side out】
異世界の伝道師 第154話『温泉に誘われし乙女達』
作者 193
【Side:マリア】
まずは、マリエルやメイド隊の侍従達と共謀して考えた計画の第一弾。
マリエルや侍従達との話し合いは既に済んでおり、今回の視察では普段働き過ぎのお兄様にゆっくりと休養を取って頂くのを一番の目的としていた。
屋敷の使用人達にも既に根回しは済んでいて、お兄様が勝手に仕事を始めないように全員で協力してお兄様に何もさせないように目を光らせてもらっていた。
商会の仕事と公務のスケジュール調整など、商会員だけでなくお母様や城の皆の協力も得て推し進められたこの計画には、お兄様の身体を心配する皆の総意と願いが籠められている。絶対に失敗する訳にはいかなかった。
それに――
(お兄様にあのような恥ずかしい真似をしてしまうなんて……)
先日の私はどうかしていた。
お兄様の過去に僅かに触れ、いつかお兄様が私の目の前から居なくなってしまうのではないだろうか、という不安に駆られただけでなく、それで我慢がならず、お兄様の迷惑も考えずに散々我が儘を言って子供のように甘える始末。
朝起きて、お兄様のベッドでお兄様の手を握って眠っている自分に気がついた時は、顔から火を噴きだしそうなくらい恥ずかしい思いで一杯だった。
私も色々と堪っていたのかもしれない。そう、きっとお兄様成分≠ェ不足していたから、あんな暴走をしてしまったのだ。
(これからは小まめに充電しないといけませんわね)
二度とあのような醜態を晒さないように、どれだけ忙しくてもお兄様充電≠セけは絶対に欠かすまいと心に固く誓っていた。
それが原因でお兄様に嫌われてしまったら、私はきっと生きてはいけない。
だが同時に、お兄様の負担も考えなくてはならない。仮にも妹を名乗る私が、お兄様に負担を掛ける。それがどういう意味を持つか分かっていないはずがない。ただでさえ、お兄様は自分の事と成ると無頓着で、周囲が止めるのも聞かず頑張りすぎなところがあるからだ。
「お兄様を見ませんでしたか? 部屋にもいらっしゃらないようなのですが……」
「太老様ですか? 露天風呂近くの廊下でお見かけしましたよ。温泉にでも入られているのでは?」
廊下の掃除をしていた侍従を呼び止め、私はお兄様の行き先を尋ねた。
侍従の話からも、どうやら私達の目論見通り、ちゃんと休養を取ってくださっているようだ。
少なくともこの屋敷に滞在している間くらいは、仕事の事など考えずにゆっくりと療養して頂きたい。
「フフッ、そうと決まったら、お兄様のお背中を流して差し上げないと」
より寛いで頂くためにも、妹の私がお兄様のお世話をするのは当然の義務だ。
直ぐに洗面用具を用意して、風呂桶を片手に私は意気揚々とお兄様の待つ露天風呂へと向かった。
【Side out】
【Side:マリエル】
母さんには本当に困った物だ。孫が早くみたい、なんて……私と太老様はそんな関係ではないと言うのに。
そもそも太老様と私では全くと言って良いほど釣り合いが取れていない。
私は太老様のメイドとしてお仕え出来るだけで幸せだと言うのに、それ以上の事を望むなんて高望みしすぎだ。
「太老様、失礼します」
コンコン、と扉を二度ノックして太老様の部屋にお邪魔する。明後日からのスケジュールの確認を済ませるためだ。
……というのは建て前で、本音は母さんやグレースの言葉が少し気になっていたからかもしれない。
書類を掴む手にギュッと力が入る。どれだけ言い繕っても、私が太老様に想いを寄せているのは隠しようのない事実。
それだけは私も自覚していたからこそ、母さんの言った言葉が頭を離れなかった。
太老様に身体を求められたら、私はきっと拒めないという事も分かっていた。
皆の言いたい事も分かる。色々と言い繕っても、私のしている事は臆病な自分に言い訳をしているだけに過ぎないのだと。
太老様のメイドでありたいという想いは本物だが、結局は太老様に結果を委ねているだけで、私自身は何も行動を示せてすらいない。
いっそ、本当に太老様に身を委ねてみれば、スッキリとするのだろうか?
(そ、そんな真似が出来る訳……)
自分から迫るなんて真似がメイドである私に出来るはずもなく、ましてや夜伽なんて知識も経験もない私が相手では太老様が満足してくださるとは思えない。
第一、そんな恥ずかしい真似が自分に出来るとは到底思えなかった。
さすがにこの案は却下する。特にフローラ様や母さんに悟られないように気をつけなくては大変な事になると考えた。
「……太老様?」
部屋はもぬけの殻だった。主人の居ない部屋は物音一つしない静けさに満ちていた。
部屋を留守にされて何処に行かれたのか?
この視察の主な目的は太老様の療養にあった。マリア様と先日取り決めした通りの内容だ。
だから、侍従達にも太老様には出来るだけ仕事をさせないようにと言い含めていた。
「太老様を見かけませんでしたか?」
「太老様ですか? 確か、露天風呂の方に行かれるのを見かけました」
廊下で掃除中だった侍従の娘を捕まえ太老様の行き先を尋ねると、返ってきた答えに私は少し思案し、太老様の待つ露天風呂に向かう事にした。
母さんの言葉に釣られた訳ではないが、自分が本当はどうしたいのかを確かめる丁度良い機会だと考えたからだ。
それに太老様には確りと休養を取って頂きたい。お背中を流すのも、太老様の専属メイドである私の務めだ。
【Side out】
【Side:ユキネ】
マリア様、それにシンシアとグレースの姿を私は捜していた。
不覚だった。太老にマリア様とミツキ様のご家族の護衛を頼まれたというのに、警備の件で侍従達と話をしていた僅かな隙に姿を見失ってしまった。
これでは私を信頼して任せてくれた太老とコノヱに申し訳が立たない。
それぞれの部屋の方を確認してみたが三人の姿はなく、太老の部屋にも誰も居なかった。
心当たりのある場所を片っ端から捜索するが、何処にもマリア様達の姿は見当たらない。
「マリア様ですか? 先程、『太老様を見なかったか』とご本人から尋ねられましたが……」
「それで、何て答えたの?」
「露天風呂の方で見かけたので、『温泉にでも入られているのではないですか?』とお答えしました」
「そう、どうもありがとう」
廊下で掃除をしていた侍従を捕まえ、マリア様達を見なかったか、と尋ねるとすんなり答えが返ってきた。
これでマリア様の居場所は判明した。もしかしたら、シンシアとグレースも一緒に居るのかも知れない。
私は早速、侍従の言葉に従い、マリア様の待つ露天風呂へと向かった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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