【Side:太老】

「やっと終わった……」
「お疲れ様です、太老様」

 あれから更に三日が経ち、不眠不休で続いた仕事はようやく一区切りついた。
 足の踏み場も無いほど散らかっていた書類の山もすっかり無くなって、今整理が終わったばかりの机の上に乗っかっている書類で最後だ。

「太老様、お茶をどうぞ」
「ありがとう、マリエル」

 マリエルの淹れてくれた御茶を飲みながら一息つく。
 幾ら俺が丈夫(タフ)なのを自慢としていると言っても、さすがに今回のは堪えた。
 単純な肉体労働よりも、書類仕事のような単純作業を延々と続ける方が精神的にもずっと辛い。特に今回のような突発的な仕事は尚更だ。

「んー! 今日は久し振りにベッドでゆっくり休むかな」
「ここ最近、ずっと働き詰めでしたからね。そうして頂けると私も安心できます」
「マリエルだってそうだろう?」

 マリエルが休んでいるところなんて、一緒に長く居る俺ですら見た事が無い。
 多分、他の侍従達に聞いても、同じような答えが返ってくるはずだ。
 働き過ぎと言う点については、俺の事を言えるような立場ではなかった。

「私はちゃんと仮眠を取っています」
「いや、仮眠じゃなくて、ちゃんと休んで欲しいんだけど……」
「ご心配には及びません。体調管理はきちんとしていますから」

 マリエルは疲れを一度として顔に出した事が無いので、体調管理が出来ていると言うのは嘘ではないのだろう。
 だが、働き過ぎなのは間違い無い。今は大丈夫でも、いつかその無理が身体に来る。俺としてはマリエルにもちゃんと休んで欲しかった。
 とはいえ、俺に休めと言う割には人一倍真面目に仕事をして、一向に休みを取る気配の無いマリエル。これはなんとかしないといけないと俺は常々思っていた。

(マリエルって結構頑固だしな)

 普通に休めと言ったところで素直に休んでくれるとは思えない。
 ここ数日まともに休んでいないのはマリエルも同じだ。やはり強引にでも休ませるべきかもしれない。
 でも、どうやって? いや、待てよ。あの方法なら――

「マリエル」
「はい? なんでしょうか?」
「この後、俺の部屋に来ないか?」
「……え? お休みになられるのでは?」
「うん。だから、俺の部屋で休まないかって。ぐっすり眠れるように気持ちよくしてやるよ」

 前みたいにマッサージをしてやれば、自然とぐっすり休めるのでは無いかと考えた。

【Side out】





異世界の伝道師 第197話『危険な工房』
作者 193






 樹雷本星、首都『天樹』。全長十キロを超す巨大な大樹の上に作られた街。
 銀河アカデミーと並び称され、銀河経済を支える主要都市の一つとして必ず名が挙がる巨大な街だ。
 その天樹の中枢。皇家の樹と契約を交わした皇族で無い限り入れない重要な場所に、一人の少女の姿があった。

「やっぱり準備は必要よね。何を持っていったらいいかな?」

 とブツブツ言いながら、手元の小さなポーチに選別した怪しげなアイテムを詰めて行く幼い少女。
 この小さなポーチのどこにそれだけの量や大きさの物が入るのか、不思議でならないほど吸い込まれるように物が入っていく。
 ここは皇家の樹の間の最奥にある太老の工房。普通であれば、第一世代以上の皇家の樹と契約した者にしか入れないエリアだ。
 太老とこの少女、『平田桜花』はその中でも自由に天樹に出入り出来る≠ニいう例外中の例外と言える存在だった。
 樹雷の中でも最高機密にあたる特殊な二人。あの柾木天地と同列の扱いで、厳重に秘匿されている内容がこれだ。

「船穂と龍皇も行きたいの?」

 周囲をぴょこぴょこと飛び回っていた二匹のマシュマロのような生物が、桜花の質問を肯定するように身体を擦りつける。
 船穂と龍皇と呼ばれたこの二体は、第一世代の皇家の樹『船穂』と第二世代の皇家の樹『龍皇』の端末達だ。
 前者は伝説の哲学士『白眉鷲羽』が、太老と遊べる身体を欲しがった船穂のために用意した物。
 後者は太老が龍皇の修理と言いながら悪い癖が働き、魔改造をした結果だった。黒い方が船穂。白い方が龍皇だ。
 決して名前の元となった『柾木船穂樹雷』、通称『船穂様』が腹黒いから黒になったと言う訳ではない。『口は災いの元』とも言う。余り深読みしないのが賢明だ。

 この二体の本来のマスターである『柾木勝仁』こと樹雷の第一皇子『柾木遥照樹雷』と、第一皇女『阿重霞』の二人は人目を避けて地球で隠匿生活を送っているため、余りこの事に関してとやかく言うような事は無かった。
 それに、この二体の事に関しては太老関連≠ニ言うのも理由にあるのだろう。
 太老と深く関わりを持つ皇家の樹のマスターは大抵、皇家の樹のご機嫌取りに疲れ、その辺りの事は諦めてアバウトな考えに達してしまう。
 下手に樹の機嫌を損ねては大変。それならば、どうせ困るのは太老に関わった人達の方だ。樹達の好きにやらせておこうと言う考えだった。
 ちなみに太老がジェミナーに行ってからは、ずっと桜花とその妹がこの二体の世話を焼いていた。

「まあ、連れてっても大丈夫かな? 置いていったら、みんな困った事になりそうだしね……」

 主に阿重霞お姉ちゃんとか、勝仁おじちゃんとか、と冷や汗を浮かべながら二体のマスターの顔を思い浮かべ、そう口にする桜花。
 桜花の脳裏には機嫌を損ね、拗ねてしまった皇家の樹のご機嫌取りに苦労する二人の姿がはっきりと思い浮かんでいた。
 まあ、そうなる事は太老を知っている人物であれば、誰もが行き着く答えだろう。実際、あの『鬼姫』こと『神木瀬戸樹雷』ですら、その被害者の一人だ。
 後にも先にも、樹雷の鬼姫をあそこまで困らせた人物は太老を置いて他にはいない、と関係筋で噂されているほどだった。

「持っていくのはこのくらいかな? お兄ちゃんの発明って変わったの多いけど、結構使えるのもあるんだよね」

 このドリンクとか、と言って小瓶をポーチから取り出す桜花。太老の開発したアイテムの一つで、簡単な怪我くらいなら瞬時に直してしまうし、体力も完全に回復してくれると言う優れ物。寝る間も惜しんで忙しく働いている瀬戸の女官達の必需品となっているアイテムだった。
 実のところ、ここ最近になってまた女官達の仕事が増えていた。原因は、ここ最近多発している天樹の発光現象にある。
 太老が居なくなった後も主不在の工房で生産が続けられているのは、そうした事情があるからだ。
 そんな忙しく働いている女官達のためにここまでドリンクを取りに来るのも、桜花の仕事の一つだった。

 皇家の樹の実を使って作った本来であれば貴重なアイテム。
 しかし、皇家の樹の間に工房を持ち、天樹に存在する全ての皇家の樹から実を分けてもらえる太老からしてみれば、それほど貴重な物と言う訳ではなかった。
 樹雷に居る間などは、毎朝健康のためにと皇家の樹の実を絞って作った天然ジュースを飲んでいたほどだ。
 ちなみにそれ一杯で、未開拓惑星一個分の価格が付いても不思議では無い。ラシャラ辺りがこの話を聞いたら卒倒するような話だ。
 太老は惑星何百個分のジュースを口にしていたのか、考えるだけでも恐ろしい金額だった。

「でも、こっちの物騒なのはさすがに持って行けないよね……」

 桜花の視線の先に、その物騒なのが無造作に置かれていた。
 見ただけでは今一つ使い道の分からないアイテムがごっそり。太老の作った『オリジナル』と呼ばれるアイテムは、GP(ギャラクシーポリス)で採用されている量産品とは違って癖が強く扱いの難しい厄介なアイテムが多い。
 惑星を一撃で粉々にしてしまうような魔砲(誤字にあらず)少女セットや、一級の樹雷闘士でも敵わない環境に応じて変形合体するガーディアンなど、ネタに富んだ常識外れの性能を秘めたアイテムばかり。いや、これはもはや兵器と言っても過言では無い。太老が『白眉鷲羽の後継者』と巷で呼ばれている理由の一つが、これらのアイテムの存在にあった。

 柾木家の面々などはその事を良く理解しているので、太老と鷲羽の工房には好きこのんで近寄ろうと言う物は一人としていない。
 太老のもう一つの名、『哲学士タロ』の名は今や白眉鷲羽に次ぐとまで言われるほど有名な物だからだ。
 哲学士の中で更に有名人、しかも『伝説』と同格に扱われている時点で、普通の神経の持ち主であれば自分から望んで関わり合いになりたいとは思わないものだ。
 熱狂的なファンも確かに多いが、それは一般人と言うよりは太老や鷲羽と同じような変人が大半だ。
 知らない方が幸せな真実という物もある。太老がこの事を知れば、頭を抱えるであろう事は間違いない話の内容だった。

「さてと、船穂に龍皇も行くよ」

 必要な荷物をまとめ工房から立ち去ろうとした瞬間、桜花の足元でカチリと言う音が鳴った。

「えっと……」

 この手の工房でその手の音は不安の材料でしかない。散乱したアイテムの何かを足で踏みつけたのは確かだ。
 桜花は冷や汗を滲ませながら、そっと足をどかして問題の音をだしたアイテムを見た。

「光ってる……。動いてるよね……?」

 しかも、ピピピピと言う音が段々と早くなっていた。
 テレビのリモコンのような装置。なんのリモコンかは分からないが、嫌な予感しかしない桜花。
 ここが伝説の哲学士の後継者とまで呼ばれる、銀河トップレベルの哲学士(ヘンジン)の工房だと言う事を彼女は失念していた。
 例え、太老から自由にしていいと通行許可を貰っていて侵入者用のトラップを無効化できるとは言っても、転がっているアイテムは何れも危険な物ばかりなのだ。

「お兄ちゃんのバカ! ちゃんと片付けないから!」

 桜花が誤って踏んだのは自業自得だが、その言い分も分からないではない。
 普通、こんな危険なアイテムを無造作に床に散らかしたりはしない。

「亜空間が開いてる!? まさか、これって――」

 工房の中に展開される亜空間の穴。黒いブラックホールのような巨大な穴が開いていく。桜花のポーチに使われている技術も、これを応用したものだ。
 部屋の数百倍の荷物を収容する空間圧縮や皇家の船の居住空間のように、幅広い用途で使用されている高度な空間制御技術。
 美星の愛用しているキューブも、『亜空間キー』と呼ばれる亜空間を展開するためのアイテムの一つだ。
 使い方を誤らなければ凄く便利な物ではある。ただ、これは――

「ぼ、暴走してる……リ、リモコン! 早く止めないと!」

 慌ててリモコンを拾いあげる桜花。最新の録画機器のように、無数によく分からないボタンがリモコンには大量についていた。
 どれを押せば良いか分からないで桜花が迷っている間にも、どんどん黒い穴は広がっていく。
 停止スイッチを探していると、一際大きく目立つ赤いボタンを桜花は見つけた。
 その少し上に『困った時はここを押せ』と小さく樹雷文字が書かれている。それを見た桜花は覚悟を決め――

「これ!?」

 と言ってボタンを押した瞬間、工房を眩い光が包み込んだ。


   ◆


「桜花ちゃん? そんなに(すす)だらけでどうしたんですか?」
「林檎お姉ちゃん……。ごめん、深くは聞かないで。後、これ一年分の栄養ドリンク」
「助かります。これで当分の間は大丈夫そうですね」

 住居としている神木家の別宅に辿り着くと、手の平サイズの箱に圧縮された先程のドリンクを林檎に手渡す桜花。
 暫く留守にするため、その間の事を考えて女官達のためにと工房のストックを全て持ってきていた。
 しかし、工房で何があったのか?
 まるで爆発の被害に遭ったかのように服は破れ、全身煤だらけの状態になっていた。

(確かに止まったけど、自爆スイッチだったなんて……)

 これからは不用意に変なボタンは押さない、と桜花は固く心に誓った。
 マッドの工房の恐ろしさを身を持って体験した一日だった。
 しかし、問題はそれだけではなかった。

(幾つかのアイテムが亜空間に流されちゃった……。ううっ……何事も無ければいいんだけど)

 そのまま亜空間を漂ってくれているだけなら問題は無い。
 ただ、亜空間に取り込まれた物は、極稀に空間を脱してどこか別の場所に流れ着く事がある。良く言われている神隠しなどがそれだ。
 亜空間自体、天文学的な数値ではあるが、自然に発生しないとは言い切れないものだからだ。

(ま、まあ、大丈夫だよね?)

 だが、亜空間に取り込まれた物が偶然現れる可能性は、亜空間が偶然発生する現象よりも更に可能性は低いと言って良い。
 天文学的な数値とは言ったが、そんな偶然が度々あるものではない。可能性としては限りなくゼロに近かった。
 桜花が大丈夫と自分を言い聞かせるのも、丸っきり根拠の無い話では無い。ただ、問題が一つあった。
 太老関連の問題で絶対と言えるような事は一つとしてない。それをよく知る桜花だからこそ、不安を拭いきれないでいた。

「林檎お姉ちゃんは準備できた?」
「はい。身の回りの物と言っても、それほど必要な物がある訳でもありませんし」

 そう言う林檎の手荷物は小さな鞄が一つだけ。ただこれも空間圧縮技術が使われている以上、見た目通りと言う訳ではない。
 尤も彼女の性格を考えると、本当に必要最低限の物しか用意してなさそうではあった。
 少なくとも桜花ほど荷物が多いと言う訳ではないはずだ。

「地球までは林檎お姉ちゃんの穂野火で行くんだよね?」
「はい。あと、その事で鷲羽様から連絡があって……」
「鷲羽お姉ちゃんから?」

 瀬戸や鷲羽との話し合いは既についているはずだ。その事もあって、『なんだろう?』と首を傾げる桜花。
 皇家の樹のストライキの可能性を示唆した半ば脅しのような感じではあったが、二人ともそろそろ限界だと言う事には気付いていたようで、桜花と林檎が太老のところに行く事を条件付きではあるが許可した。条件と言うのは簡単。極力、異世界の文化に干渉しない事だ。
 異世界であれば銀河法の適用外となるが、そのルールを特に冒すつもりは無かった二人は素直に了承した。だが、二人と鷲羽達の間には大きな認識の隔たりがあった。
 既に太老と水穂の手によって、異世界の文化への干渉は起こっている。瀬戸と鷲羽が気に掛けていたのは、二人が行く事で問題が加速化する事だ。そのための注意のつもりだったのだが、正しく理解していない二人は銀河の常識に則った感覚で鷲羽と瀬戸の話を聞いていた。
 この認識の差がどのように影響するかは、今のところ誰にも分からない。

「零式がラボから消えたそうです」
「零式? それって、お兄ちゃんの……」
「はい。数日前に天樹であった発光現象と関連性があるのでは無いかと瀬戸様も仰っています……」
「それって……」
「太老様関連の出来事で間違いないかと……」

 遂、先日も天樹が光を放つと言う、大規模な発光現象があったばかりだった。
 最近この手の異常現象が多発している事もあって樹雷の人達は慣れたものだが、それでもこれが異常な事に変わりはない。
 それと時を同じくして、守蛇怪零式があの伝説の哲学士の研究室から姿を消した。関連性を疑うのは無理のない話だ。
 盗み出されたと言う可能性は、白眉鷲羽の研究室と言う事を考えると万が一つにもない。
 それが可能なのは桜花が知る限りでは、美星か太老くらいのものだ。そして鷲羽の反応からも、美星が関係している可能性は低かった。

(ううん……。い、嫌な予感しかしない)

 この予感が、ただの思い過ごしてあって欲しい。心からそう願う、桜花だった。





 ……TO BE CONTINUED



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