【Side:マリア】
「やっと終わりましたわ。全く、お母様の所為で散々です」
お兄様との婚約発表も連合の同盟調印式に主役を取って代わられてしまい、想像していた物とは随分と違ってしまった。
元々、ハヴォニワとシトレイユの同盟のために用意した口実だ。それも当然の成り行きといえばそれまでではあるが、それにしたって納得が行かない。挙げ句には、お母様の策略で生じた書類仕事で聖地に向かうまでの残った時間を全て費やす結果となり、こんなところに来てでまで書類に囲まれる生活だ。愚痴の一つも言いたくなる。とはいえ――
「まあ確かに、それなりのメリットもありましたが……」
結局、お兄様が引き起こしたあの騒ぎがトドメとなって、予定よりも更に多い、凡そ半数の国が連合に参加の意思を表明してくれた。
これには、元々中立の姿勢を貫いていた幾つかの国がこちらに傾いてきた事が大きい。
表向き、あの現象に関してはハヴォニワは関知していない事になっているが、タチコマやお兄様の船だけが全く影響を受けていなかった事や、全裸にされた男性聖機師が許しを請うように何度も何度もお兄様の名前を呟いていた事もあって、殆どの諸侯はあれがお兄様の仕業だと勘付いている。
最強の聖機師にして、黄金の聖機人のパイロット。そして大商会『正木商会』の代表にして、ハヴォニワ女王の信頼が厚い大貴族。
更にはこの世界の常識を根本から覆しかねない亜法結界炉の無効化≠ニいう技術まで保有している事が教会や各国にバレた。
教会のように商会やお兄様の事を危険視する者もいれば、先を見通して『長いものには巻かれろ』とばかりに賛同してくる諸侯もいた。
「でも、これでお兄様の理想にまた一歩近付きました」
今回の件で、大陸は事実上の三勢力に分かれたと思っていい。
ハヴォニワとシトレイユ率いる連合。教会とその傘下に付く保守派の国々。そして今も中立の姿勢を貫いているシュリフォン。
ただ、シュリフォンはどちらかといえば教会よりの国だ。いつ、私達の敵になるか分からない。
シュリフォンがこちらに付いてくれれば一気に形勢が傾く可能性はあるが、今のところは五分と五分と言ったところだった。
「色々と言ってはきても、今の教会には何も出来ないでしょうし……」
今回の件で教会は、ハヴォニワやシトレイユに対して強く出る事が難しくなった。
言ってみれば、あくまで中立のシュリフォンを除き、連合と教会で大陸の覇権を二分する微妙な情勢下だ。
この状況で下手な真似をすれば、全面戦争になりかねない。
そして調停者を気取っている教会が、自分達から戦争を引き起こすような真似が出来るはずも無かった。
「問題は……」
微妙な状況ではあるが、一先ず平和の均衡は保たれていると考えて良い。ただ一つ気掛かりなのは、先日の山賊やババルン卿の動きだ。
今回の一件で数多くの宰相派と呼ばれていた貴族達が粛正の対象とされた。ババルン卿が背後で糸を引いていたと言う証拠だけはどうしても出て来ず、結局のところはシトレイユが体面を気にして内乱の実行犯とされた聖機師や貴族達の処罰だけで済まされたが、それでも宰相派が今回の件で一気に勢力を弱めた事は間違いない。
逆にラシャラさんはシトレイユ皇としての立場をより盤石なものとし、皇族派は今回の一件でより活気づく結果となった。
周囲の見方も、ラシャラさんが圧倒的に有利とする見解が多い。この内乱があったからババルン卿に見切りをつけ、連合に参加したという打算的な考えの諸侯も少なく無いはずだ。だと言うのに、ババルン卿が動く気配は無かった。
不気味なほど静かに、まるで全てを諦め、事の成り行きを見守っているかのように見える。
しかし話に聞いている通りの人物なら、この程度で野心を捨てるような人物には思えない。何か裏がある事だけは間違いなかった。
「注意だけは必要ですわね。でも、さすがはお兄様ですわ」
今のシトレイユの内情を考えれば、直ぐに何かを仕掛けてくると言った事はないはず。それにお兄様が何も対策を考えていないとは思えない。
今回の件でもお兄様は貴族の内乱やお母様の策略を読み、それを利用する事で各国の諸侯を味方に付け、教会や教会に付く国に警告を発した。
多少強引なやり方ではあったが、あの状況下ではこれ以上無いくらい有効的な手段だったと言える。
これに気付いた諸侯も戦慄を覚えたはずだ。あのお母様すら手玉にとっての見事な作戦。グウィンデルの花の片方を上回る手際を披露したお兄様の名前は更に高まった。聖機師として、そして為政者としても優れた資質を持っている事を、お兄様は自らの実力を持って示されたのだ。
黄金機師の名を高める逸話の一つとする事で――
「フフッ、お兄様も疲れていらっしゃるでしょうし、今日は私が……」
ご褒美と言う訳ではないが仕事で疲れているであろうお兄様に、リラックス効果のある滅多に口に出来ない特別な御茶を淹れて差し上げようと部屋に向かうと、キャイアとユキネ、それにコノヱやワウまでも従者達が集まって扉の前で聞き耳を立てている姿を見つけた。
「何をしているのですか? あなた達は?」
「マ、マリア様!? あ、あのこれは……」
「うっ……こ、これには深い事情が……」
「お二人とも、太老様の邪魔になりますから余り大声は……」
「お兄様の邪魔?」
ユキネとコノヱ、それにキャイアの言葉に訝しい物を感じながら、私も扉の前に近付く。
「おおっ! なんか、凄い事になってますよ!」
ワウが聴診器のような物を扉にあてて、目を輝かせて興奮した様子でそう叫んだ。
覗き見、いや聞き耳を立てるなど、やってはいけない事だと思いつつも部屋の中の様子が気になる。
「ちょっと貸りますわよ」
「あっ、マリア様! それは――」
ワウから奪い取った聴診器をそっと耳に当てる。するとそこから、部屋の中の声が鮮明に聞こえてきた。
お兄様ともう一人、女性の声が聞こえる。この声は――
『た、太老様。私はもう……』
『遠慮はいらないよ。気持ち良いんだろ? ほら、こことか』
『あっ、ああっ! ダメです。そ、そこは、うん……ああんっ!』
艶めかしい声を上げるマリエルの喘ぎ声だった。
【Side out】
異世界の伝道師 第198話『黄金の指』
作者 193
【Side:太老】
「マリエル、マリエル? 寝ちゃったか」
マッサージが余程気持ちよかったのか、スヤスヤと寝息を立てて眠っていた。俺も頑張った甲斐があったと言う物だ。
よくテレビなんかで見る痛いだけのマッサージと言うのは、ただの拷問でしかない。
こうして心身共にリラックスして眠くなるような、気持ちの良いマッサージが一番の理想だと俺は考えていた。
俺も少しずつではあるが腕をあげてきているようだ。ちなみに、これが行き過ぎると水穂のマッサージのようになる。
快楽も過ぎれば毒となる。水穂のマッサージはまさしくそれだ。何事も程々が一番と言うが、まさにその通りだと俺は思う。
「このままだと風邪引くし、毛布を掛けてやらないと……あっ」
マリエルに毛布を掛けているところで、ふと重大な事に気がついた。俺の寝るところがない。
まさか、マリエルと同じベッドで寝る訳にもいかず、どうした物かと考えた。
「……仕方ない。今日のところはソファーで休むか」
部屋に備え付けられたソファーで今日は眠る事にした。
特別製の大きなソファーなので、大人一人がベッド代わりに使ったところで問題の無い大きさだ。
「あっ、先に風呂入って寝た方がいいかな?」
マリエルのためにと真剣にマッサージをしたので、俺の方も少し汗を掻いていた。
臭うと言うほどではないが、さっぱりした方が気持ちよく眠れるのは確かだ。
「大浴場まで行くのは面倒だな……。部屋のシャワーで済ませるか」
この黄金の船『カリバーン』には百人が同時に入れる大浴場の他に、俺の部屋を含め船室の幾つかにはシャワー室が設けられていた。
大浴場の方がゆっくり湯に浸かれるし疲れが取れるのは確かだ。しかし侍従達も利用するし、鉢合わせするのも気まずい。
それに俺一人のために、彼女達が不自由な思いをすると言うのも正直気が引けるので、こうしてシャワーを利用する事の方が実は多かった。
大浴場に入る時と言えば、事前に侍従達が入っていないかを確認して、シンシアと一緒に風呂に入る時くらいだ。
「ふう、気持ちいいな。一汗掻いた後のシャワーは」
衣服を脱ぎ捨て、シャワー室で湯を頭から被る。一汗掻いた後のシャワーはやはり格別だった。
本音を言えば湯船にゆっくり浸かりたい気もするが、先の理由の他に今日は大浴場まで行くのも億劫だ。
俺が不精な性格をしているだけとも言えるが、ここ数日続いていた書類仕事に疲れていたと言うのもあった。
「さっぱりした。えっと、コーヒー牛乳は?」
軽く汗を流し、部屋に備え付けられている小型の冷蔵庫を漁る。風呂上がりと言えば、やっぱりこれだ。
瓶のラベルに『正木商会シトレイユ支店』の印が入ったコーヒー牛乳。ここシトレイユに伝わる文化の一つだ。
ちなみにこれも異世界から伝わった物の一つなのだとか。風呂上がりには腰に手を当ててコレを飲むのが正式なマナーなのだそうだ。
最初この話をラシャラに聞いた時はポカンとしたが、こればかりは間違っていないので否定が出来なかった。実際、俺もよくやっているしな。
「ぷはーっ! やっぱり風呂上がりのコーヒー牛乳は最高だな」
ちなみに俺はフルーツ牛乳ではなくコーヒー牛乳派だ。
「お兄様……。その格好は……」
「ん? マリア? っていうか、いつの間にユキネさんやコノヱ、それにキャイアまで?」
部屋の入り口にマリア、ユキネ、コノヱ、それにキャイアの四人の姿があった。
俺がシャワー浴びている間に部屋を尋ねてきたのだろうか?
シャワーを浴びていたので、ドアをノックする音にも気がつかなかった。
「ああ、悪い。一汗掻いたんでシャワー浴びてたんだよ」
「一汗?」
「うん、ちょっとした運動をしてね」
マッサージは運動と言っても差し支えない重労働だ。あれって結構、神経と体力を使うしな。
すると、何故か顔を真っ赤にして身体をプルプルと小刻みに震わせるマリア。
「ふ、不潔です!」
「いや、シャワーを浴びたばかりなんだけど……」
不潔とは失礼な。これでも汗を掻いたまま寝るのは拙いと思って、シャワーを浴びたところだ。
ちゃんと石鹸で身体を洗ったし、シャンプーで頭も洗った。勿論、トリートメント済みだ。
これでも、周りに女性が多い生活をしている事もあって、そうしたところには気を配っているつもりだ。
「どうして、私にはしてくださらないのですか!?」
「へ? マリアもやって欲しいの?」
「そ、それは……は、はい。その……私の身体では、お兄様に満足して頂けるとは思えませんが……」
「なんだ、それならそうと言ってくれればいいのに。まあ、確かに少し小さいかもしれないけど、これでも結構慣れてるからね」
「慣れて……」
マリアもマッサージをして欲しかったのなら、最初から言ってくれれば良いのに紛らわしい。
まあ、確かにマリエルに比べて小さな身体をしているが、その辺りの力配分は心得ているつもりだ。
「大丈夫、痛くしないから」
「うっ……では、よろしくお願いします」
「あっ、皆もやっていく?」
『ええっ!?』
何やら顔を真っ赤にして狼狽える他の三人。驚くほど嫌がらなくてもいいのに……。
いや、遠慮しているだけかもしれないが、これでもマッサージにはそこそこ自信があるのだ。
「遠慮なんていらないよ。順番に気持ちよくしてやるから」
そう言って、マリエルが眠っている反対側の空いたベッドスペースを、ポンポンと叩いてマリアに横になるように促す。
特注の大きなベッドなので成人男性が三、四人川の字になって寝ても、まだ全然余裕があるくらいだ。
順番にマッサージをしても、問題無いくらいのスペースがあった。
「さあ、俺のテクニックを存分に味わうが良い!」
まあ、これはお約束と言う奴だ。こうして、俺の黄金の指≠ェ火を噴いた。
◆
「皆、寝ちゃったか。ソファーも占領されちゃったな……」
全員、マッサージが終わったら余程疲れが溜まっていたのか、スヤスヤと寝息を立て気持ちよさそうに眠ってしまった。
それはそれでマッサージをした方としては嬉しい限りだが、俺の寝るところが無くなってしまった。
さすがに床に寝る訳にもいかないし、ここはやっぱり――
「仕方が無い。執務室に戻って寝るか……。あそこなら仮眠用のソファーもあるしな」
気持ちよさそうに眠っている皆を起こしては悪いと、そっと部屋を出る。
普段頑張ってくれているし、今日くらいはゆっくりと疲れを癒して欲しかった。
「パパ!」
「ん? シンシア? まだ、寝てなかったのか?」
「うん……恐い夢をみたの。パパと一緒に寝てもいい?」
「甘えん坊だな。まあ、いいか。それじゃあ、一緒に寝るか?」
「うん!」
部屋を出たところでバッタリとシンシアと出会し、そのまま手を繋いでシンシアの部屋に向かった。
寝るところが無くて執務室で寝ようかと思っていたところだったので、シンシアの誘いは渡りに船だった。
翌朝、いびきを掻いて眠っていたグレースが隣に寝ている俺に気付き、悲鳴を上げたのは別の話だ。
シンシアとグレースが一緒の部屋だと言うのを、すっかり忘れていたのは言うまでも無かった。
【Side out】
【Side:アンジェラ】
「ん?」
「どうかされたのですか? ラシャラ様」
「いや、何やら重要なイベント逃してしまったような気がしての……」
「重要なイベントですか?」
「うむ。自分で言っていてよく分からんのじゃが……」
また、マリア辺りが抜け駆けでもしておるのではないじゃろうな、と不機嫌そうに口にするラシャラ様。
先日のクーデター騒ぎの後始末や各国への対応で追われていて、ずっと城に籠もりっきりの生活が続いていたので疲れも溜まっているご様子だった。
とはいえ、『シトレイユ皇』を襲名された限りは、以前にも増して政務に身を入れて貰わなければ困る。
「ダメですよ。これを早く終わらせないと、聖地に向かえないのですから」
「しかしじゃな……」
「しかしもありません。マーヤ様に言い付けますよ?」
「うっ……」
さすがにマーヤ様は恐いのか、『仕方が無い』と言って大人しく政務に戻るラシャラ様。
私達の仕事が終わったのは、これから一週間後の事。太老様達が聖地に向けて旅立たれた後の事だった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m