【Side:太老】
突然ではあるが今、俺は聖地学院に居る。
シトレイユからここまで五日ほど。拍子抜けするくらいあっさりとした物で、心配していた襲撃も一切無く聖地に着いた。
何があってもいいようにと色々準備していたのに肩すかしを食った感じだ。
「お兄様。先に学院長室に向かいますわよ。マリエル、後の事はお願いしますわ」
「はい、マリア様」
マリエルと侍従達に荷物の運び出しを任せて、俺とマリア、それにシンシアとグレースに護衛のユキネとコノヱで学院長室に向かう事になった。
シトレイユで色々とあった所為で、予定よりも三日遅れての到着となってしまった。
太陽も西に傾いて、昼食にも少し遅い時間だ。実は今日、学院の入学式がある日だった。
入学式には間に合わせたかったが、それも時間的に難しく午前中に終わってしまったそうだ。
「残念だったな」
「そうでもありませんわ。形式だけの式典ですし」
「私は、もう式典はこりごりだ……」
マリアは特に気にしていないと言った様子で、あっさり否定した。
湖の底に取り残され、船に何時間も閉じ込められていた苦い思い出があるからか、グレースは心底嫌そうに言った。
散々、タチコマの件でグレースに愚痴を言われた後なので、まあ、その気持ちも分からないではない。
「シンシアは?」
「パパと一緒がいい」
と言う事で、三人とも特に気にしていないようなので、この話題には触れない事にした。
下級課程をすっ飛ばし上級クラスに編入する事になっている俺には、入学式なんて無関係の物だ。
俺としては寧ろ、そんな堅苦しい式典に参加しなくて済んでラッキーだったと思っているくらいだった。
「うわっ、広いな。うちの屋敷の敷地の何十倍あるんだ?」
「数百名の生徒と、数千人を超す職員がここで共に生活をしているのですから当然です。それにここは各国の重要な人物が通う、世界の雛型とでも言うべき場所ですから、お兄様もご自身の立場を自覚して行動を――」
「おおっ、魚も泳いでる! ほら、シンシア。お魚さんだぞ」
「お兄様! 言っている傍から!」
船を下り、学院へと続く長い階段を上がった先、そこには大きな庭園が広がっていた。
確かに数千人の職員が必要と言うのも頷ける話だ。この庭の手入れだけでも相当に大変そうだった。
そして、その手入れの行き届いた学院の敷地のあちらこちらに、聖機師や貴族の子息女と思しきこの学院の生徒達の姿が見受けられる。
見られていた。俺達が注目されているのは、その視線からも感じ取れる。
「幾らなんでも、目立ち過ぎじゃないか?」
「当然です。お兄様、ご自身の立場を自覚されていますか?」
「まあ、一応は……」
「いいえ、それでは不十分です。もう少し自覚なさってください。大体、お兄様は――」
マリアの小言が始まった。
(これでも自覚しているつもりなんだがな。自分がウーパールーパー的に珍しい存在だと言う事は……)
異世界人だからと言うのもあるのだろうが、こっちの人達と感覚に差があり、そこが珍しく映るというのは自覚しているつもりだ。
シトレイユの一件でも、少し目立ち過ぎてしまったしな。まあ、マリアの言いたい事も分からない訳ではない。
極力目立たないように慎ましやかにか。ちょっと難しいが、これも快適な学院生活を送るためだ。
また、書類仕事に時間を費やすような日々を送りたくは無いし、そこだけは素直にマリアの言うこと聞いて置こうとおもった。
「マリア様」
「なんですの? ユキネ」
「余計に目立っています」
クスクスと、こちらを見ていた女生徒達の笑い声が聞こえて来た。
まあ、こんな道の真ん中で、いつものようにそんな事をしていれば目立って当たり前だ。
すると小言をやめ、無言で後を向くマリア。
「マリア。おい、どうしたんだ?」
「学院長をお待たせする訳には行かないから急いでいるだけです! お兄様も急いでください!」
そう言ってマリアは、ツカツカと早足で校舎へと向かっていった。
【Side out】
異世界の伝道師 第199話『歓迎の宴』
作者 193
【Side:リチア】
「マリア様と太老様が聖地入りされたようです」
「知ってるわ。ここからでも聞こえるくらい、外が騒がしかったもの……」
ラピスの報告は、私が予想していた通りの物だった。
生徒会室にまで外の生徒達の声が聞こえて来るくらい騒がしければ、見に行かずとも何があったか予想が付く。
今日は太老さんが到着する予定の日だったからだ。
「ハヴォニワのマリア姫に、遅れてシトレイユのラシャラ皇もやってくる。騒がしくなりそうね。それに――」
彼女達が一番注目しているのは太老さんでしょうけど、と言うとラピスが困った様子で苦笑を漏らした。
「太老様は人気者ですから……」
「まあ、男性聖機師ですし危害を加えられるような事は無いでしょう」
「はい。皆さん、遠巻きにご覧になっているだけで、声も掛けられないご様子ですし」
ただ、それもいつまでもと言う訳にはいかないはずだ。
今は護衛の方や、マリア様が居るから遠慮をしていると言うのもあるが、このままで済むとは到底思えない。
私が仕入れた情報によると、連合に参加の意思を示した国の聖機師達にある通達が為されていた。
「例のフローラ様が提示された連合参加の特典ですか?」
「ええ、あれには幾つかの条件があってね。太老さんの意思を無視して結婚は出来ないのよ」
「それって……」
結婚権とは上手く言ったものだが、実際のところは『結婚する機会が与えられる』と言った程度の物でしかない。
この学院を卒業すれば、太老さんはハヴォニワ議会の承認とシトレイユ議会の公認を得て大公に任命され、そのままハヴォニワ西方の開拓地が彼の国となる予定だ。
高い技術力と影響力を持つ大商会の主にして最強の聖機師が王を担う強国が、新たに誕生する事になる。
下手をすれば、今のハヴォニワやシトレイユさえ凌ぐ力を持つかもしれない強く大きな国が――
公にされている情報では無いとはいえ、フローラ様は特に隠す様子も無く、寧ろその事を大陸中の人々に知って欲しい素振りさえ見せていた。
そして今回の一件。決して無関係とは言えないだろう。最初から、これを狙っていたと考えるのが自然だ。
二年後に結婚をしようとしても、その頃には彼はハヴォニワの聖機師では無くなっている。彼に対して結婚権の強制力も働かなくなっていると言う事だ。
ただ、それでも各国の諸侯がフローラ様のだした提案を呑んだのは、太老さんに堂々と近付く口実が欲しかったからとも言える。
少なく見積もっても学院の女生徒の凡そ半数が、太老さんに対してなんらかのアプローチを試みるはず。国の利益と言うだけでなく、ここで太老さんと良好な関係を築く事は彼女達にとっても悪い話ではない。上手く行けば、将来を約束されたも同然。聖機師であれば、この話に乗って来ない女生徒はまず居ないだろう。自然な流れだ。
「大丈夫でしょうか? 太老様」
「……まあ、太老さんなら大丈夫でしょ?」
少なくとも、酷い目に遭うような事は無い。私に出来るのは影ながら見守り、多少の事には目を瞑るくらいの事だった。
【Side out】
【Side:太老】
ここは、これから二年間生活する事になるハヴォニワの独立寮。マリアの屋敷だ。
領地の本邸や皇居ほどの大きさではないが、寮と言う割にそれなりに敷地も広く大きな屋敷だった。
百人ほどであれば、問題無く寝泊まりできるほどの広さと部屋の数だ。これで驚かないとは、俺も慣れた物だと思う。
聖地に着いたのが昼過ぎ。先に学院長室に顔を出していた事もあって、日は西に沈み、外はすっかり茜色に染め上がっていた。
『マサキ卿。色々と大変かとは思いますが、どうか頑張ってくださいね』
と、何故か、マリアだけでなく学院長にまで心配されてしまった。
多分、学院での生活についてだと思うのだが、そんなにここの授業のレベルは高いのだろうか?
もしくは陰湿なイジメがあるとか? 目立つから気をつけろって事かもしれない。
マリアの忠告を素直に聞いて、目立つ行動は控えようと考えていたところだ。そこは素直に忠告に従って置こうと思った。
「歓迎会?」
「はい。新入生の歓迎会を今晩、学院の中庭でやるそうです」
与えられた自分用の書斎で、あらかじめ運び込まれていた書物や書類の整理を行っていると、マリエルがそんな事を言ってきた。
新入生の歓迎会なら、俺には関係の無い話のように思えるのだが、何故か強制参加との話だった。
(まあ、マリア達も行くなら……顔くらい出した方がいいか)
マリアはそうした公の場に慣れているだろうが、シンシアは人見知りが激しいので誰か知り合いが一緒に居た方が安心できるだろう。
過保護と言われてしまうと反論できないが、シンシアの場合は事情が事情だ。
グレースが当然一緒に居るだろうが、それでもやはり心配な事に変わりは無かった。
「御馳走もでるかな? 色々と遭って昼飯をまともに食べてないから腹が減って……」
「歓迎会ですからね。野外バーベキューだそうですよ」
「そう言うところ、何気に庶民的だよな……。こっちの人って……」
「そうですか?」
異世界の文化や風習は、どちらかと言うと一般人より貴族や聖機師といった特権階級に深く浸透している物なので、バーベキューにせよ、一見して俺には馴染み深い庶民的な物も少なく無かった。
貴族が好んでやる野外の立食パーティーの定番みたいで、マリエルにしてみればバーベキューは庶民的な食べ方と言う訳ではないみたいだ。
「あっ、それなら、マリエル」
「はい?」
手ぶらで行くのも正直気が引ける。主役は新入生達だし、そこは筋を通して置くべきだろう。
バーベキューと言う事だし、食料倉庫からお土産に材料を持っていこうと思い、マリエルと相談した。
◆
会場にはバーベキューの良い匂いが漂っていた。
星の光の下、来る時に通った広大な学院の中庭では、学院の生徒達が集まって生徒会主催の立食パーティーが行われていた。
「お兄様、何をされているのですか?」
「え? 肉や野菜を焼いてるんだけど……」
「……マリエル。どう言う事ですの? 詳しく事情を聞かせて頂けますか?」
「申し訳ありません。お止めしたのですが……どうしても、と」
今日の主役は勿論、新入生達だ。だから、こうして俺が肉や野菜を焼いている訳だ。何もおかしいところは無い。
それにこれならシンシアも人見知りせずに、お腹一杯肉や野菜を食べられると考えての行動だった。
知り合いであれば、声を掛けやすいしな。我ながらナイスアイデアだと思う。
「シンシアは何が食べたい? 一杯食べないと大きくなれないぞ」
「うん」
「グレースは……もう食ってるな、ってそっちのは生焼けだ!」
「私は生焼けくらいが丁度いいんだよ!」
「って、言いながら戻すな! ほら、マリアはどうする?」
「もう、何も口にする気力がありませんわ……」
体重でも気にしているのだろうか?
重要なのは適度な運動と規則正しい食生活だ。無理なダイエットは身体に良くない。
「大丈夫だ。マリア」
「はい?」
「心配はいらないさ」
「お兄様……もしかして、分かっていて……」
「当然だろう? そりゃ、普通は気付くって。俺は気にしてないから、マリアもちゃんと食べな」
「……はい。お兄様がそう仰るのでしたら……」
マリアは太ってなんかいない。寧ろ、もう少し肉付きをよくした方が良いと思うくらいスリムだ。
そもそも身体の出来上がっていない子供の内から、そんな事を気にする方がおかしかった。
しかし、マリアに限らず最近はダイエットでも流行っているのだろうか?
なかなか肉と野菜を取りに来ない女生徒達を見ながら、俺はそんな事を考えていた。
【Side out】
【Side:マリア】
新入生の歓迎会と言う話で、会場に足を運んで唖然とした。
「お兄様、何をされているのですか?」
「え? 肉や野菜を焼いてるんだけど……」
「……マリエル。どう言う事ですの? 詳しく事情を聞かせて頂けますか?」
「申し訳ありません。お止めしたのですが……どうしても、と」
書斎にお兄様を誘いに行ってみれば姿はなく、先に会場の方に出向かれたのかと思いシンシアとグレースを連れてやってきてみれば、鉄板の前に立ち、肉や野菜を焼いているお兄様の姿を見つけた。
新入生達も畏縮してしまって、どうして良いか分からないと言った様子で困惑している。
(あの時と一緒ですわね……)
領地の屋敷でやったバーベキューを思い出す。マリエルの話を聞き、いつものお兄様の悪い癖がでたのだと直ぐに分かった。
上級生で、しかも男性聖機師。そこに加えて大貴族にして『黄金機師』の二つ名で呼ばれ、今や知らぬ者は居ないとさえ言われるハヴォニワの重要人物が給仕をしているのだ。新入生だけではない、このパーティーを企画した生徒会の役員達も困惑した表情を浮かべていた。
何故そのような事をしているのか、訊くに訊けないと言った様子さえ窺える。
「――ほら、マリアはどうする?」
「もう、何も口にする気力がありませんわ……」
お兄様に悪気は無い。まあ、この程度の事であれば、いつもの事だ。
とはいえ、ただでさえ注目されているこの状況で更に目立つような事をして、昼間の忠告も無駄だったかと思うとため息が溢れた。
「大丈夫だ。マリア」
「はい?」
突然、お兄様に『大丈夫』と言われて、なんの事か分からずに困惑する。
「心配はいらないさ」
「お兄様……もしかして、分かっていて……」
考えられる事は一つしかない。お兄様は全て分かっていて、承知の上でこのような真似をされている。
その上で『心配ない』と、私を安心させようとする優しい気持ちが伝わってきた。
と言う事は、お母様の所為で注目されている事を知りながらこのような真似をされていると言う事は、お兄様には何か深い考えが有る?
「当然だろう? そりゃ、普通は気付くって。俺は気にしてないから、マリアもちゃんと食べな」
「……はい。お兄様がそう仰るのでしたら……」
やはり、と私は思った。
このパーティーを利用して、お兄様に近付こうと考えていた女生徒も少なく無いはずだ。
しかし実際にパーティーが始まってみれば、終始お兄様のペースで女生徒達はその取っ掛かりすら掴めないでいる。
(さすがは、お兄様ですわ)
彼女達を試しているのだと、お兄様のこれまでの行動を振り返って私は気付いた。
お兄様は相手が誰であろうと、身分に関係無く平等に接するような御方だ。
少なくとも、お兄様は女性の色香に惑わされたり、金や権力で心を動かされるような方では無い。
貴族や聖機師の固定観念に囚われず、普通に話し掛けてくる人物がいないか、観察しておられるのだろう。
(私の心配は杞憂だったようですわね)
自分が恥ずかしかった。実際のところ、私はお兄様の事を心配していたのではない。お兄様が他の誰かに取られてしまうのではないか、と焦りを感じていたのだ。
でもお兄様は、そんな私の心すら見抜いていた。
「美味しい……」
「だろ? 沢山あるからな。腹一杯食べろよ」
あんな事があった後なのに、こんな時にさえ、全くいつもと変わらないお兄様の態度を見て安心した。
お兄様を信じよう。香ばしく焼けたキノコを口にして、私は心の中でそう呟いた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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