「くそ! セレスの奴、どうやって取り入ったのかは知らないが上手くやりやがって!」

 怒りで表情を歪め、訓練で使う木剣を振るい近くの塀や物に当たって気を紛らわせる一人の男子生徒。
 木の葉が散り、散乱した折れた木の枝や男子生徒によって破壊された木製の塀が無残な姿を残す。
 それでも、彼の怒りが静まる事は無かった。

「だが、どうする? マサキ卿だけでなくハヴォニワのマリア姫の知り合いともなると……」
「ああ、迂闊に手は出せないな」

 校舎裏に集まっている四人組の男子生徒。彼等はセレスや剣士と教室を同じくするクラスメイトの男性聖機師だ。
 今朝から学院中の噂となり女生徒達の注目を集めているセレスが面白くない彼等は、こうして人気の無いところに集まり、これからの事を相談をしていた。と言うのも、彼等はダグマイアの作った思想集団に所属していた。
 しかし下級生の彼等は、グループの中でも下っ端同然。そんな中、先日リーダー格のクリフ・クリーズが大怪我をして休学する事になった。
 その結果、グループの中核を為す他の上級生達もダグマイアが失脚した後は静観を決め込んでおり、残された彼等は指導者となるリーダーを失っていた。

「何故、マサキ卿はあんな奴を……」

 そこで新たなリーダーを求めて正木太老に取り入ろうとしたのだがそれも上手くいかず、苛立ちを募らせていたところに今回のセレスの話が聞こえてきた訳だ。
 ハヴォニワで数々の革命を成し遂げてきた太老なら、思想集団のリーダーに相応しいと考えての行動だったというのに全く相手にもしてもらえず――
 どうして平民出身の冴えない聖機師のセレスが、太老やマリアと親しげにしているのか、彼等には全く理解できない。

「平民風情が! 良い気になりやがって! 悔しくないのか!?」
「確かに……。俺達を差し置いて、セレスなんかが……と言う気持ちはある」
「しかし、マサキ卿を敵に回すのは自殺行為だぞ?」
「ああ、ダグマイアさんの件もあるし、クリフさんだって噂では……」

 聖武会の一件は学院中の噂になっていて知らない生徒は居ない。
 ダグマイアの件は疑惑に過ぎないが、少なくともその一件で彼は学院の中で孤立を余儀なくされた。
 そしてクリフの大怪我も、正木太老の仕業では無いかという噂が学院の中で流れていたのだ。

 憶測の域をでない話ではあるが否定する証拠もなく、特に噂好きの生徒が多いこの学院では憶測が憶測を呼んで噂が広まるのも早かった。
 それに聖武会の一件で、太老が比肩する者が見つからないほどの強力な聖機師である事は周知の事実となっている。
 そこだけは誰も疑いを挟む余地が無い純然たる事実。黄金機師の名は、同じ聖機師である彼等には畏怖の象徴でもあった。
 その上、ハヴォニワの重鎮であり、世界有数の大商会の代表である太老を相手に本気で事を構えようと考える者は少ない。
 例え、祖国や学院で手厚く保護され、優遇されている聖機師であってもそれは同じだ。太老の実力とその価値は、男性聖機師の彼等でさえ分からないはずが無かった。

「しかし、このまま虚仮にされて黙っていられるものか。俺達にだって面子と言うものがある!」

 拳を握りしめて声高々に口にする四人のリーダー格と思しき長髪の青年。

 ――セレスがよくて何故、自分達がダメなのか?

 実力も家柄も、全てに置いて自分達の方がセレスより勝っていると確信して疑わない彼等は、この現実を許容する事が出来ない。
 認められて当たり前。優遇されて当然と言うのが、彼等の中では極当たり前の考えだった。
 少なくとも、遂先日まで自分達より遥かに下の存在と思っていたセレスが、突然女生徒達にチヤホヤされ始めた事が許せない。
 ましてや、立場が逆転するような事は、彼等の中では絶対にあってはならない最悪の事態だ。

「セレスがダメなら、あのカレン先生の従者とか言う奴はどうだ?」
「確かにアイツなら……。しかし『マサキ』とか名乗っていたな。アイツもマサキ卿の関係者じゃ……」
「だとしても聖機師じゃないんだ。従者風情が聖機師の俺達に逆らえるものか!」
「そうだな。上手くすれば、マサキ卿に俺達の力を示せる良いチャンスになる」

 力を示せば、セレスなどではなく自分達の方が太老に認められるはず。それが当然の事と彼等は信じていた。
 そして自分達が誰に手を出そうとしているのか、彼等は全く気付けていなかった。





異世界の伝道師 第216話『哲学科』
作者 193






【Side:太老】

 俺は今、学院の工房が建ち並ぶ、哲学科の授業を見学に来ていた。

「おおっ、思ったより本格的だな」

 実際に教会で使われている設備と言うだけあって、中々に充実している様子が見て取れる。
 ハヴォニワの軍工房や商会、屋敷の工房などで見慣れている風景がそこには広がっていた。
 教会ならではの設備や見た事の無い型の機械なんかもあって、これはこれで眺めているだけでも十分楽しめる。
 触ってみたい、弄ってみたい、という衝動を抑えながら、俺は工房の中を観察していた。

「おや、太老さん。こちらの授業を選択されたのですか?」
「ユライト先生。ええ、ちょっと見学させてもらおうと思って。ユライト先生はこの科目の担当なんですか?」
「ええ、これでも聖機工ですからね。他にも幾つか兼任しているのですが……」

 そんな中、広い工房の中を一人で歩いていたところ、出席簿を片手に仕事をしているユライトと出会(でくわ)した。
 ユライトが聖機工と言う話は知っていたつもりだが、担任の件といい何かと縁があるようだ。
 だが、ユライトがここの担当教師なら話が早い。
 このまま見学させてもらおうと思ったところで、ユライトから思わぬ誘いがあった。

「よかったら授業に参加していきますか?」
「本当ですか!」

 適当に見学させてもらえるだけでよかったのだが、実際に体験させてもらえるのであれば、それに越した事はない。
 哲学科と言うとパッと頭に思い浮かぶのは、あちらの世界での哲学士の事だ。
 銀河アカデミーにも、ここと同じ『哲学科』と呼ばれる哲学士の卵を育てる学科が存在しており、何を隠そうあの伝説の哲学士『白眉鷲羽』や『某タコ頭』もこの哲学科の卒業生だった。
 数々のマッドサイエンティストを生み出してきた曰く付きの学科が――俺のよく知る『哲学科』だ。
 俺も過去に哲学科の工房にお邪魔した事がある。あの時は本当にただの偶然だったのだが、噂通りの変人の巣窟だった。

「哲学科は名のある聖機工を数多く輩出してきた由緒正しき分野で、私もここで学んで聖機工になったのですよ」
「なるほど。聖機工になるための専門学校みたいなものか」

 ようは、こちらの『哲学科』は『哲学士』を育成するのではなく、『聖機工』の養成所と言ったところのようだ。
 聖機工と言うのは亜法技術に精通した知識を持つ、聖機人の修復や開発を行える技術者の総称だ。ようは聖機人に特化した亜法技術の専門家と言った方が分かり易い。
 だが、俺の知っている哲学科と、ここの指し示す哲学の意味とでは大きな隔たりがあるようだった。

 俺の知る哲学とは、こうだ。
 アカデミーで生み出されたり、集められた知識と技術はそれだけではただの部品に過ぎず、使用範囲は思ったよりもずっと狭く、そのままでは使い物にならない物が大半だ。
 しかし想像もしない分野の知識と技術が結び付き、新しい可能性と使い道を生み出す事も珍しくない。
 それらを意図的に作り出す科学の担い手こそ、『哲学士』と呼ばれる類い希な才能を持つ科学者達だった。

 ――俺達の世界で言われている哲学とは、技術の倫理的な事柄の基準を作り出す事に他ならない

 哲学科とは、あらゆる学問に精通した幅広い知識を持ち合わせ、様々な知識と技術を組み合わせる事で具体的な使用方法を作り出す分野の事だ。
 亜法技術が全てと言っても良いこの世界でそれを学ぶ事は、技術者として研究者としての観点でいえば間違ってはいない。
 しかし一つの技術と知識に特化した者を、俺達の世界では『哲学士』とは呼ばない。
 本来の哲学士とは学問の壁を大きく越え、膨大な知識と経験を持って未知の技術に挑み、新たな可能性を生み出す事にある。
 これが特定の分野に特化した学者や研究者との大きな違いだ。

 哲学士とは専門家ではない。技術者でもない。あくまで、知識と技術を結ぶ架け橋となる担い手≠セった。

「一つだけ質問してもいいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「なんで、哲学科≠ネんですか?」

 だから、これは俺の常識に則った些細な疑問だ。この世界の哲学の意味と、俺達の世界の哲学の意味では大きく違う可能性もある。
 しかし一つだけ不思議だったのは、それなら何故『哲学士』とは呼ばずに『聖機工』と呼んでいるのかと言う点だった。
 逆でもいい。哲学科とせずとも、他の名前でもいいはずだ。哲学ではダメと言う話ではないが、その名前の由来が気になる。

「ああ、それは簡単です。先史文明時代――こうした知識と技術を持つ人達の事を『哲学士』と呼んだそうです。この哲学科はそうした先人達の総称に習い、付けられた名前だと聞いています」

 先史文明時代に聖機神をはじめとする様々な物を造り出し、多くの知識と技術を現代に残した偉人。
 彼等の事を尊敬の念を込めて『哲学士』と人々は呼び、語り継いでいたそうだ。
 それが現代になって、この哲学科の名前の由来になったと言うユライトの話だった。

 確かにそれなら分からない話では無い。今では失われた数々の技術が存在したという先史文明。
 亜法技術に特化した技術者の総称として『聖機工』と名を変えてしまったが、その頃には他にも様々な技術が存在した可能性は十分にある。その名残が今も残っていると言う事なのだろう。一つ勉強になった。
 だとすれば、本物の哲学士を見たらここの人達はさぞ驚くに違いない。
 伝説の哲学士か……。少し嫌な事を思い出してしまった。やはり、カニ頭のマッドサイエンティストなんて知らない方が幸せだ。

「手の空いている方は、こちらに集まってください。新しい仲間を紹介します」

 案内された工房の一角でユライトがパンパンと二度手を叩くと、ゾロゾロと作業服に身を包んだ生徒達が集まって来た。
 そんな中、哲学科を専攻している生徒達の中に見慣れた顔もあった。ワウアンリーだ。

「太老様! どうしてここに!?」
「ん? 見学にきたんだけど? 俺が哲学科にきてはいけない理由でもあるのか?」
「いえ、そう言う訳でじゃないんですけど……」

 何だか歯切れの悪い様子で言葉を詰まらせるワウを見て、訝しげな表情を俺は浮かべる。
 また、よからぬ事でもやっているのでは無いか、と少し心配になった。
 自分の工房ならまだしも、ここでもマッドな事をやっていなければいいのだが……。
 マッドは伝染する――って格言もあるくらいだしな。本当に困ったものだ。

「お話はそのくらいに。それでは太老くん。自己紹介をお願いできますか?」
「あ、はい。正木太老です。機械弄りが好きで、こちらの科を選ばせて頂きました。体験学習と言う事でまだ本決まりと言う訳じゃないですが、皆さんの足を引っ張らないように頑張りたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします」

 挨拶を交わし頭を下げると、パラパラと拍手が溢れる。教室の時と同様、何事もなく受け入れてもらえたようだ。
 とはいえ、またも少し想像していたものと違って、肩すかしを食らった感じだ。ここの生徒は、どうも反応が薄くて困る。
 必要以上に騒ぎすぎないのは感心するが、もう少し何かあっても良さそうなものだが……。
 やはり普段騒がしいのに慣れていると、このあっさりとした感覚に違和感を覚えずにはいられなかった。

【Side out】





「あれが、アランの言っていた正木太老か」

 クイッとトレードマークの眼鏡を指で持ち上げながら、少し離れた場所から太老を観察している一人の青年。
 彼の名はニール。古くからダグマイアとアランの友人をしている男性聖機師だ。
 理知的なイメージとは対象的に体格の良い大きな身体をした青年で、成績は男性聖機師の中でも上位に位置する優秀な生徒だった。
 武芸ではダグマイアやアランに及ばないが、勉強の出来る秀才として学院内ではそれなりに名の通った聖機師の一人だ。
 ダグマイアとアランの友人二人が武芸科に在籍している中、ニール一人だけがこの哲学科を専攻していた。

「教会を凌駕する知識と技術、それに類い希な商才を持ち、聖機師としても圧倒的な力を持つ男性聖機師か……」

 聖武会の一件はニールも知っていたが、哲学科の生徒として裏方に徹していたため、直接の参加はしていないかった。
 だが資料映像とアランの話から、正木太老がどれほど非常識な力を持った聖機師かというのは彼も理解していた。
 他にも商会の保有する数々の技術を実際にその眼にし、太老が行った功績も彼なりに調べて大体のところは把握していた。
 そうしてニールが抱いた太老の感想は……非常識な男、それに尽きる。

 ダグマイアやアランが敗れたのも無理はない。
 そう思わせられるほどに、ニールが知った正木太老という人物は非常識なまでに反則じみた力を持った聖機師だった。

「しかし、こうしてみると噂ほどの人物には見えないな」

 時折、工房の設備を見回して驚いた様子で大袈裟に声を上げ、学院では色々と良くない噂のあるワウアンリーと仲良さげに話をしている太老を見て、どうしても噂の人物とはイメージが一致しないニール。あれが元々の性格なのか、演技なのか、彼には判断が付かなかった。
 軽薄なイメージが目立つアランとは対象的に、真面目なニールは物事を深く考え込む癖がある。
 そんなニールの性格が災いし、太老の行動がただの天然から来るものだとは気付かずに、思考の深みへと嵌っていく。
 想像していたイメージとのギャップ。これまでに収集した情報と噛み合わない太老の行動に疑問を抱くニール。

(そもそも彼は何故、哲学科を選んだのだ?)

 機械弄りが好きという理由だけで、将来を左右するかもしれない科目を選択する人物など聞いた事が無い。
 聖機師にとって一番重要視されるのは聖機師としての資質。武術の腕前であり、聖機人の操縦技術が全てだ。
 普通、聖機師としての資質が低いなど余程の理由が無い限りは、自分から進んで聖機工を目指そうという変わり者はいない。

(彼の実力なら武芸科でトップになれるはず……)

 蒸気動力炉や火薬と言った亜法以外の技術を研究しているワウは哲学科の中でもかなり特殊な人物と言えるが、それでなくても聖機工は資質と実力が全ての聖機師の社会に置いて、戦闘に特化した聖機師よりも評価が低く見られがちな傾向にある。
 上級生が選択するのは大半が武芸科の授業。正直な話、哲学科は全ての学科の中でも一番所属している生徒の数が少ない。
 ましてや、あれほどの資質と実力を持ちながら武芸科ではなく、日陰者の集まる哲学科を選ぶ理由がニールには理解できなかった。





 ……TO BE CONTINUED



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