【Side:太老】
ちょっとしたハプニングはあったが、初の試みとなる競武大会はつつがなく終わりを迎えた。
職員や生徒の受けもよく、この様子なら学院の定例行事として採用されそうだ。
それに――
「セレス。お茶のお代わりはどう?」
「うん、もらうよ。ハヅキ、ほっぺたにご飯粒がついてるよ」
「あ……ありがとう」
甲斐甲斐しく傍に寄り添い、セレスのコップにお茶を注ぐハヅキ。
そんなハヅキの頬に付いたご飯粒をそっと指ですくい取り、そのまま口に運ぶセレス。
なんだ、このバカップル。昼休み――外で弁当にしようと中庭に足を運んで見れば、既にこの有様だった。
「何やら、声を掛け難い雰囲気ですわね」
「うむ。あそこだけピンクのオーラが見えるのじゃ」
物陰に隠れ、こっそりと離れたところから、そんな二人の様子をマリアとラシャラは観察していた。
何やら甘い物を食べすぎた後みたいな――気だるそうな表情を浮かべている。
まあ、確かにあれは声が掛け難そうだ。よく見れば、二人に遠慮して他の生徒も近付けないでいるようだった。
セレス達に気付かれないようにマリア達の背後に近付き、俺はそっとマリアとラシャラに声を掛けた。
「あの二人、何があったんだ?」
「それは我が聞きたいくらいじゃ。あの甘々な空間はなんなのじゃ?」
「昨晩、何かあったことだけは確かですわね」
昨日まで喧嘩をしていた二人とは思えない。
仲を進展させる何かがあったことは確かだが、そこまではマリアとラシャラも知らないようだった。
何にせよ、仲直り出来たのならよかった。
巻き込まれたようなものだが、原因の一端を俺も担っていただけに気にはなっていた。
決闘の件は曖昧なまま終わってしまったが、この様子なら問題はなさそうだな。
「ほら、二人とも行くぞ」
「待て、太老! 今後の参考に、もう少し観察しておきたいのじゃ!」
「そうですわ。せめて何があったか、理由を訊くだけでも!」
「異世界には『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ね』って言葉があるんだが……」
何の参考にする気だ。二人とも十二歳だろ。そういうのは、まだ早い。
ラシャラとマリアを両脇に抱え、文句を言う二人を無視して、その場を後にする。
あんなことがあった後だ。もう少し二人だけにしてやっても罰は当たるまい。
明らかに俺達はお邪魔虫だ。俺だって、そのくらいの空気は読める。
「なら、私もお兄様とお食事がしたいですわ!」
「そうじゃ! 我も太老と一緒に食事をしたいのじゃ!」
「毎日一緒に食ってるじゃないか……」
月替わりでマリアとラシャラの独立寮に俺はレンタルされているわけだが、食事は基本的に一緒だ。
昼食は学年が違うこともあって別々だが、朝と夜は皆で集まって食事を取ることが多かった。
昨晩も後夜祭で一緒に飲み食いした後だろうに……。
「わかった。今日は俺が奢ってやるから、コンビニで弁当でも買って外でメシを食おう」
「何だか、期待していた展開と違うのですが……」
「太老。最近、我等の扱いが雑ではないか?」
そんなことはない――と思う。
【Side out】
異世界の伝道師 第255話『善意の裏側』
作者 193
「え……転属ですか?」
「そう、夏休みまでの間だけどね。こっちで働いてもらうことになったから」
支部に呼び出されたハヅキは、ランに転属辞令を言い渡された。
手渡された辞令書の配属先には、確かに『聖地学院支部』と書かれていた。
今日の夕方にはハヴォニワに帰る予定となっていたので、ハヅキからすれば寝耳に水の出来事だった。
どうして、そんなことになったのか? 当然、ハヅキの脳裏にはセレスとのことが過ぎる。
「もしかして、セレスとのことで気を遣って頂いたのでしょうか?」
「ああ、それはないない。プライベートと仕事は別だしね」
ないないと手を左右に振るラン。
決闘騒ぎはランの耳にも入っていたが、そもそもこの配属を決めたのは彼女ではなかった。
競武大会の開催以前――ハヅキが学院を訪れるよりも前に決まっていたことだ。
「それに言ったろ? 夏休みまでの一時配属だって」
夏休みまで、あと一ヶ月半ほどしかない。確かにそう考えれば短期の出張と言えるだろう。
「元々、水穂はそのつもりだったらしい。研修は終わってるから、後は現場で経験を積ませて欲しいってさ」
屋敷での研修が終われば、得意な仕事や能力に応じて配属される部署が振り分けられ、商会に勤務することもあるという話はハヅキも先輩の侍従から聞かされていた。
しかし最初に受けた適性試験は良くも悪くも平凡なものだったために、水穂の身の回りの世話係として採用された経緯がある。
それに教養のない自分に商会の仕事が務まるとは、ハヅキには思えなかった。
ランはこう言っているが、やはりセレスとのことが気になるのか?
素直に喜べず、複雑な表情を浮かべるハヅキ。
「滞在期間が延びたのに、嬉しくないのかい?」
「そんなことは……。でも、こんなに幸せでいいのかなって」
望んでいた幸福。夢にまでみた毎日。でも、今は逆に幸せすぎて怖かった。
周りの心遣いに触れる度に、こんなに幸せでいいのかとハヅキの心は不安に駆られる。
セレスの成長を見て、自分だけが置いて行かれたような気持ちになり、その思いは更に強くなっていた。
「わからないんです。皆さんが、どうしてそんなによくしてくれるのか。太老様が私を助けてくださったのは、セレスとのことがあったからだと理解できます。ですが、私はそうして助けて頂いても何一つお返しが出来ない」
ハヅキには一生を掛けても返せないほどの恩が太老にあった。しかし、太老は見返りなど一切求めてはいなかった。
ならせめて、太老のくれたチャンスに報いるためにセレスの支えになろうとハヅキは努力をした。でも、セレスは助けを必要としないくらいに立派に成長していた。
与えられた幸せを享受し、今の自分は誰の役にも立てず、周りの優しさに甘えているだけだ。
それだけにハヅキは不安を感じていた。本当にこのままでいいのだろうか、と。
「なら、本人に聞いてみるといいさ」
「え……」
「あたしも最初は色々と疑って掛かってたけどね」
そう言って、苦笑を漏らすラン。太老との出会いは最悪だったと、ランは当時のことをハヅキに話す。
最初は太老のことを変な奴だと思って、何をするのにも疑って掛かっていた。
でも、段々とそんな太老を見ている内に影響されていく自分に気付き、疑うこともアホらしくなるほどバカがつくお人好しなのだと理解させられた。
それは、あの言葉があったからだ。
「より住みよい世界に――」
それは太老の理想。商会のスローガン。
「それが太老の理想であり、あたし達の夢だ。その言葉を実現するために、あたし等は今ここにいる」
「太老様の理想……」
「あたしは、そんな太老の理想と言葉に救われた。ハヅキ、あんたはどうだ?」
山賊の娘として生まれ、この世の底辺を這いつくばって生きてきたランにとって、周りは敵と呼べる人間ばかりだった。
利用するか、利用されるか。そんな関係でしかない。本当の意味で、家族や仲間と呼べる相手がランにはいなかった。
だからこそ、ランにはハヅキの戸惑いがよく理解できた。
幼馴染みのセレスが聖機師に選ばれたことで僻みや妬みと言った感情を向けられ、ハヅキは村の人達から酷い中傷や差別を受けてきた。実の両親でさえ、あわよくばセレスと一緒になってくれればと考えていたくらいだ。そんな環境に育って、他人を心から信じられるはずがない。優しくされることに、人の善意に触れることにハヅキは慣れていなかった。
だから、どうやって恩を返せばいいか、感謝を口にすればいいかわからない。
ハヅキが与えられた幸せに不安を抱くのは、そうした過去に原因があった。
◆
「どうして助けたかって?」
突然、ランに連れられてやってきたハヅキに『どうして助けて下さったのですか?』と質問をされ、困った様子で頭を掻く太老。
そんなことを今更質問されても、特に考えていなかった。
「手配したのはマリエルだしな」
自分の手柄じゃないと話す太老。だからと言って、そんな言葉を鵜呑みにするハヅキではなかった。
そもそもマリエルが気を利かせたのも、すべては太老の行動を予測してのことだ。
「というか、助けることに理由なんて必要か?」
そんな当たり前のように話す太老に、ポカンと言葉を失うハヅキ。
やっぱり――とわかっていた様子で、ランは苦笑を漏らす。
「それに何か勘違いしているみたいだけど、俺はメイドを一人採用しただけだ」
仕事を斡旋しただけで、特に助けたつもりはないと話す太老。
しかし、そんな太老の言葉に納得の行かない様子でハヅキは首を横に振る。
「ですが、救われたことに変わりはありません。なのに、私は何一つ太老様から受けた恩を返せていません。それどころか、ご迷惑をお掛けしてばかりで……」
そんなハヅキの言葉に困った様子で、ため息を漏らす太老。
ランもわかっていて連れてきたのか、これは考えている以上に重症に思えた。
真面目な分、余計に思い詰めてしまうのだろう。太老はどうにかしろと言った様子で、恨めしそうな目をランへと向ける。
(こういうのを似た者同士っていうのか?)
実はハヅキが訪ねて来る前に、セレスも太老のもとを訪れていた。
ハヅキと仲直りが出来た件の報告と、決闘のことを謝罪しにきたのだ。
ハヅキほどではないがセレスも真面目な分、律儀というか……思い詰める性格をしていた。
「ようするに恩を返したいと?」
「……はい。やはり、ご迷惑でしょうか?」
迷惑ということはないが、太老は返答に困った。
恩を売ったつもりがないだけに、ハヅキに何かをしてもらうつもりなどなかったからだ。
そもそも仕事を斡旋したくらいで、こんなに感謝されるようなことをした覚えはなかった。
しかし――
「ラン。ハヅキちゃんの仕事の割り当てって、もう決まってる?」
「いや、先に適性を見るつもりだったから、特には決めてないけど……」
「それじゃあ、これなんてどうだ?」
恩返しがしたいと言うのであれば、やらせてみるのも手かと太老は考え、書類の山から一枚の紙を引き抜いた。
それをランとハヅキの前に差し出す。そこには――
【Side:太老】
「ハヅキさんがコンビニの常駐店員ですか?」
以前に見せてもらったハヅキの適性は見事に平均的だった。平凡ではなく平均だ。
さすがに修繕や解体などの力仕事はさせられないが、何をやらせるにしても仕事を選ばない万能型。
特出した能力がないのは痛いが、苦手なことがないというのは大きなメリットだ。タイプ的には、マリエルに近い。
「今まではアルバイトと商会の侍従達で回してたけど、専属の従業員っていなかったろ?」
「ええ、確かに……」
「俺やランもそっちに構ってばかりもいられないし、良い機会だから誰かに任せてみようってことになってね。だけど、まさかアルバイトの学生にそんな役目を任せる訳にもいかず、かといって侍従達は決まった仕事を持ってるしな。配置転換をするにしても今はどこも人手不足で、すぐには難しい」
「それでハヅキさんに白羽の矢が立ったと……」
「そういうこと。まあ、夏休みまでの暫定的な処置だけど」
それに彼女は貴族ではなく平民の出だ。俺がそうだから言えることだが、庶民の感覚はバカに出来ない。
コンビニは学生だけでなく職員も利用する場所だけに、どちらかというと庶民の感覚が必要不可欠だ。
金持ち感覚で高い商品ばかりを置けばいいと言う訳ではない。手軽に買える価格と利便性が人気の秘密だ。
これまでは俺やランがやっていた発注業務なんかも、ハヅキに任せてみようと考えていた。
勿論、最初の内はサポートするが、後々はハヅキ一人でやってもらうつもりだ。現場の経験を養うのにも打って付けだろう。
「随分と期待されているのですね」
「なんか、思い詰めている感じだったしな。自信が付けばと思って」
「ああ、なるほど……」
納得した様子で頷くマリア。ハヅキにこの話を振ったのは適任だったということもあるが、自信を付けさせてやりたいという狙いもあった。
なんというか、セレスと一緒で真面目過ぎるんだよな。カップル揃って不器用というか、もう少し適当に生きれば楽だろうに損な性格をしていると思う。俺は別に感謝して欲しいとか、恩を返して欲しいなんて思ったことはない。しかし言われてみれば、何の見返りも求めないというのは、かえって相手を不安にさせることもあるのだと今回のことで気付かされた。
なら、互いに納得の行く条件を提示してやればいい。なんでもビジネスライクに考えるのはどうかと思うが、時にはそういう気配りも必要だ。この点、やはり水穂やマリエルには敵わないと痛感した。マリエルがただの保護ではなくハヅキを侍従として採用する案を提示したのも、こうしたハヅキの気持ちを汲んでのことだったのだろう。
水穂がハヅキを聖地へ寄越した理由も、それなら納得が行く。ハヅキが思い悩む結果を作ったのは、俺の思慮不足が原因だ。
「やっぱり、お兄様は優しいですわ」
「そんなことないだろう? こっちにもメリットはあるわけだし」
どちらかというと、俺は損をしていない。いや、逆に得をしているくらいだ。
ハヅキとセレスがどんな風に感謝しようと、それは労働に対する正当な対価だと思っているし、何より信頼の出来る仲間を得られたことは大きい。こんな仕事をしていると敵も多いからな。特に男性聖機師からは嫌われているので、セレスのような人材は貴重だ。
まあ、俺からするとセレスは弟の友達だしな。助けてやりたいと思ったのは、そこが一番の理由だ。ハヅキのことも、そのついでのようなものだし、改まって感謝をされると何とも言えない気持ちになる。だから、お互いのためにも、この辺りが妥協点だと思っただけの話だ。
「と言う訳で、私にも優しくして下さい。具体的には一緒にお風呂に入って同じベッドで寝て下さい!」
「それって、どう言う訳だ? 倫理的に、どっちもまずいだろう……」
「いえ、私達は兄と妹。寧ろ、婚約者なのですから、そのくらい当然ですわ!」
「妹と言っても、そう言っているだけで実際には血の繋がりはないだろう!?」
「ううっ……私のことを家族だと仰ってくれたあの言葉は嘘だったのですか?」
「いや、嘘じゃないけど……」
「では――!」
「悪い、マリア。急用を思い出した」
「あ、お兄様っ!」
やはりセレスとハヅキの話に影響されていたようだ。最近のマリアは暴走しがちで困る。
こういう時は、三十六計逃げるに如かず。戦略的撤退も止む無しだ。
マリアが後ろで何か叫んでいるが、俺は振り返らず部屋を飛び出した。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m