【Side:ユライト】
「では、お大事に」
「ご心配をおかけしました。失礼します」
そう言って頭を下げ、学院長室を後にする。思わず漏れるため息。それが私――ユライトの現在の心境を表していた。
学院に内緒で密かに用意した地下施設に閉じ込められ、地上へ生還したのは二日後のことだった。
後夜祭は勿論のこと、学院を無断で欠勤した件で学院長に呼び出されたと言う訳だ。
『よかったわね。上手く誤魔化せて』
「ええ、正直なところ複雑な心境ですけどね。いまは罪悪感で一杯です」
頭の中に響くネイザイの言葉に、私は溜め息を交えながら答える。
私の身体が弱いことを知る学院長は、競武大会の疲れがでて体調を崩したのではないかと心配されていたようで、申し訳ない気持ちになりつつも話を合わさせてもらった。身体に埋め込まれたコアクリスタルの浸食の影響で、幼い頃から体調をよく崩していたこの身体のことを疎ましく思っていたが、何が助けとなるか人生わからないものだ。
『でも、集めたデータは消えてしまったのでしょう?』
「それはそうですが、大凡の位置は記憶しているので探索にそう時間は掛からないでしょう」
後で知ったことだが、私たちが地下に閉じ込められることになったあの停電は正木卿が原因との話だった。
試合での事故と言う話だが、本当に偶然だったのかとタイミング的に疑いたくもなる。
ただ地下に閉じ込められるだけで被害は終わらず、本国に送信するはずだったデータも失われてしまったのだから――
幸いなことに反応があった大凡の位置は記憶しているので、その辺りを隈無く探索すれば結果はでるはずだ。
「しばらく徹夜での作業が続きそうですね」
『ユライト。わかっていると思うけど……』
「ええ、この身体がもう長く保ちそうにないことは理解しています。ですが……」
ネイザイの言いたいことは理解できる。もう余り時間は残されていないと言うことは――
それでも今は兄に疑われないため、私たちの目的を遂げるためにも、ここで足踏みをする訳にはいかなかった。
「大変です! ユライト様!」
「どうかしたのですか?」
メスト家の寮に戻るなり、聖地に潜入させている部下の一人が随分と慌てた様子で駆け寄ってきた。
「シトレイユ本国から連絡が……宰相閣下が聖地へお越しになると!」
目を瞠る。早い。余りに早すぎる。
兄が行動を起こすにしても夏休みが明けてから、まだ最低でも二ヶ月以上は時間があると思っていた。
「わかりました。それで兄上は、いつ頃こちらへ?」
「二週間後を予定しているとの話です。表向きはダグマイア様の件で迷惑を掛けた関係者へのお詫びや、視察が目的と伺っていますが……」
あの兄上がダグマイアのために?
ありえない。既に兄は自分の息子に見切りを付けている。恐らくは聖地へと赴く口実と考えるべきだろう。
この間の通信で話した時にも感じたことだが、兄上は焦っているのかもしれない。本来であれば、ただの傀儡に過ぎないはずだったラシャラ皇は、正木商会の支援を受けることでシトレイユ国内での発言力を高めている。その結果、皇族派と呼ばれる勢力が議会でも影響力を持つようになり、これまで兄上を支持していた貴族たちも少しずつ距離を置き始めているという話だ。
このまま皇族派の力が増し続ければ、そう遠くない未来に兄上は失脚を余儀なくされるだろう。そうなれば今よりも一層、身動きが取り辛くなる。
(だとすれば、兄上の目的はやはり……)
兄上に聖地への訪問を決断させたのは恐らく先日の――競武大会に理由があるのだと察しが付く。
データが失われたと言ってもアレ≠フ隠されている場所に大凡の見当が付いたことは、兄上にも伝わっているはずだ。
なら、私のやるべきことは一つしかなかった。
「あの……このことをダグマイア様には?」
「必要ありません。それよりも例の件、探索を急がせてください」
「は、はい! すぐに進めます!」
走り去っていく部下の背中を見送ると、私は寮の窓から聖地の景色を眺める。
セレス・タイトに負けたことが余程ショックだったのか? あれからダグマイアは屋敷に戻っていない。
恐らく私を避けているのだろう。あの試合はダグマイアにとって自分の価値を示す最後の機会だったに違いない。
それだけに父親に失望されること。その言葉を私の口から聞かされることを恐れているのだ。
いまの彼を兄上に会わせても良い結果に繋がるとは思えない。彼を更に追い詰めるだけだと私は考えていた。
「彼の心配ばかりもしていられませんね。私も覚悟を決める必要がありそうです」
ダグマイアだけではない。私も結果を残さなければ、あの兄は私すら簡単に切り捨てるだろう。
そうなれば、これまでの苦労が水泡に帰す。私たちの目的を遂げるためにも失敗は許されない。
心配事が一つあるとすれば――
「正木卿がどう動くか……」
兄上も警戒する最大のイレギュラー。
計画を早めたのもデータの消失から、恐らくは正木卿に気付かれた可能性を考慮してのことだろう。
彼の動き次第では、この先どうなるのか? まったく予想が付かない。
『意外と素直に協力を求めれば、あなたの悩みも解決するかもしれないわよ?』
「それが出来れば、苦労はないのですがね……」
ネイザイの言葉にも一理ある。しかし可能性の話だ。彼が私たちの計画に賛同し、協力してくれるとは限らない。
ここまで積み重ねてきた時間と手間を考えると、そんなリスクを冒せるはずもなかった。
【Side out】
異世界の伝道師 第256話『思わぬ提案』
作者 193
【Side:太老】
現在、俺は競武大会の準備にかまけて溜まった仕事を片付けていた。これでも一応は商会の代表だしな。やることはやっておかないと……。
しかし多い。片付けても片付けても積み重なった書類の山はなくならない。これで代表の決裁や確認の必要な書類だけだと言うのだから驚きだ。とはいえ、急速に手を広げすぎた弊害でもあるんだよな。この先のことを考えると、俺や水穂以外にも重要な決定を任せられる人物が必要になってくるかもしれない。いまはまだ良いが、いつか手に負えなくなりそうだ。
とはいえ、そんな組織の運用経験があり、商才に長けた有能な人物がそこらに転がっているわけもないしな。
能力的にはマリエルでもいいのだが、彼女はメイドであることにプライドを持っていて、立場を逸脱するような真似は出来ないと既に断られていた。
その点はミツキも同じだ。彼女はあくまで俺や水穂のサポート。副官的な立場を希望しているらしい。
まあ、気長にやるしかないか。少しずつ信頼の置ける人材を育成していく他ないだろう。
「剣士が? カレンさんと一緒に? 珍しいな。二人一緒に訪ねてくるなんて」
そうして商会の執務室で書類仕事に励んでいると、侍従から剣士とカレンが訪ねてきたと報告を受けた。
どうしましょうか? と聞いてくる侍従に、俺は取り敢えず応接室へ案内するように指示をだす。
こちらから足を運ぶことはあっても、あの二人が一緒に俺のもとを訪ねてくるなんて余りないことだ。
余り待たせるのも悪いので早々と仕事に区切りを付け、応接室に顔をだすと剣士が頭を下げてきた。
「太老兄。その……今日は突然、訪ねたりしてごめん」
「なに遠慮してるんだ? 俺たち家族だろ?」
「あ……うん」
いつもと違って元気がないと言うか、俺に遠慮している感じが見受けられる。
ある程度のことは自分でなんでもこなせるからか、剣士は昔から俺に余り頼ってくれないんだよな。
家族なのだから、もっと遠慮せずに頼りにして欲しいと思うのだが……ままならないものだ。
隣を見ると、いつもの動きやすいラフな格好と違い、礼装に身を包んだカレンの姿があった。
トリブル王宮機師が着ている機師服に少し似ている。恐らくは、これが彼女の聖機師の正装なのだろう。
以前、聞いた話だが、グウィンデルとかいう国の貴族と言う話だったしな。
(何か、こうして急に訪ねてくる重要な話があるってことか)
身なりを整えてきていると言うことは、そういう話なのだろうと俺は察する。
なら商会の代表として話を聞くべきか迷ったが、剣士がこうして頼ってくると言うのも珍しい話だ。
たまには義兄らしいところを見せておくべきだろうと考え、俺はカレンに用件を尋ねた。すると――
「ババルン卿が?」
カレンの口から近くババルンが聖地へ訪問すると聞いて、俺は驚かされる。
ババルン・メスト。ユライトの兄にして、ダグマイアの父親。ラシャラの国、シトレイユで宰相を務める人物だ。
先の戴冠式での襲撃にも関与している疑いがあると言う話で、ラシャラたちは警戒をしているようだが、結構な苦労人で憎めないんだよな。
最近少しマシになったようだがダグマイアはあの調子だし、シトレイユの貴族は自尊心が高く、頭の固い連中が多い。
息子の件だけでも頭が痛いのに、そんな貴族たちをまとめて国政を担っているのだ。その苦労は推して知るべしだろう。
「また、どうして?」
「表向きは視察と言うことになっています。ダグマイアくんの件で迷惑を掛けた関係者にお詫びをしたいと……」
ああ、なるほど……話を聞けば、やっぱりと言った感じだった。
「となると、ババルンの目的は教会……いや、俺か?」
「さすがですね。今の話から、すぐにそのことを察せられるなんて……」
「そりゃね。当事者ですから」
ダグマイアの件で一番迷惑を被っているのは俺だろうが、それほど気にしているわけじゃない。
あのくらいの歳なら、そう珍しくない思春期特有の反抗期のようなものだと考えているからだ。
優秀な人間ばかりに囲まれて育った俺としては、ダグマイアが劣等感を覚えて非行に走るのもわからなくはなかった。
まあ、だからと言って何をやっても許されると言う訳ではないが、そこは子供のすることだ。
間違ったことをすれば叱ってやることも大事だが、長い目で見守ってやるのも大人の役目だろう。
「態々そのことを伝えに?」
「いえ、こちらはついでです。余計なお世話かと思いましたが、お耳に入れておいた方が良いと思いまして」
本題はこちらに――と言って、机の上に布に包まれた水晶球のような物を置くカレン。
それは記録した映像を投影する装置だった。特権階級の人間が利用するビデオレターのようなものだ。
一体、誰から? と、首を傾げていると、水晶から金髪の美女が浮かび上がる。
『はじめまして、正木太老様。ゴールド商会の代表、ゴールドと申します』
◆
剣士とカレンを見送った後、侍従から話を聞いてやってきたマリアに先程の件で俺は相談を持ち掛けた。
「お話は理解しました。グウィンデルの貴族という時点で怪しいとは思っていましたが、まさか剣士さんの背後に叔母様がいるなんて……」
そして、ぐぬぬと唸り声を上げるマリアを見て、俺も溜め息を漏らす。
フローラの双子の妹。しかもラシャラの母親が剣士の後見人だったなんて俺も驚かされた。
世間の狭さを実感させられた気分だ。マリアも驚いているってことは、ラシャラも気付いていないのかな?
「このこと、ラシャラちゃんにも伝えた方がいいのかな?」
「やめておいた方が良いと思いますが……いえ、その件は私に任せて頂けますか?」
「まあ、そう言うのなら……」
確かに俺から伝えるよりは、事情をよく知っているマリアの方が適任だろう。
大国の元皇妃が、どうしてグウィンデルで商会の代表なんかやっているのか?
いろいろと気になることはあるが、家庭の問題に突っ込むのもな。
ラシャラから話してくれるのならともかく、マリアに探りを入れるのは気が引ける。
「それで、どうされるおつもりですか?」
マリアが何のことを言っているのか俺は察し、返事を考える。
ゴールドから提案された内容についてだ。彼女が俺に提案してきたのは、ゴールド商会を買ってくれないかと言った話だった。
ようは買収の話だ。ゴールド商会というのはグウィンデルに拠点を置く大商会で、うちほどではないが大きな商会という話だ。
マリアに確認したところ買収は可能との話だが、そうすると今年度の予算が不足するため、現在進めている計画を幾つか見直す必要があるのとの話だった。
だがメリットがないわけではない。ゴールド商会が持つ商材と販路を確保することは市場の拡大に繋がるだけでなく、ハヴォニワやシトレイユ以外の国、辺境の小国郡への商会の影響力を高めることに繋がり、少なからずハヴォニワが進めている連合設立の後押しにもなるだろうとマリアは複雑な表情で語った。
ハヴォニワの姫という立場からすれば、検討の価値がある話だとマリアも考えてはいるのだろう。恐らくフローラに話を持っていったとしても、彼女も同じことを言うに違いない。
しかしメリットを理解できても感情が納得しない。あの『色物女王』の妹にして、ラシャラの母親だ。何か企んでいるのではないかとマリアは疑っていた。
「取り敢えず、水穂さんに相談して決めようと思う」
「……ということは?」
「前向きに検討したいと思ってるよ」
納得の行かない様子で、困った顔を浮かべるマリア。
俺も上手い話の裏には何かあると思っている。だがゴールドは今回の話を『未来への投資』だと語った。
ただの直感ではあるが、その言葉に嘘はないと感じたのだ。
(もしかしたら、俺の悩みも解決するかもしれないしな)
商会の規模はうちの方が上かもしれないが、ゴールドは一代で大商会を築き上げた傑物だ。商人としては、あちらの方が先輩と言うことになる。
ましてや水穂たちの助けがあって、どうにか商会の代表をやれている俺と違い、彼女は文字通り一から一人で今の地位を築いたと言う。
そんな彼女との関係を築くことは、俺にとってもプラスとなるだろうと考えた。それにラシャラの件もある。
(余計なお世話かもしれないが、このままが良いとは思えないしな)
家族の絆は簡単に切れるようなものではない。ましてや、それが血の繋がった親子であれば尚更だ。
マリアとフローラの関係を見ているとよくわかる。いろいろと言ってはいてもマリアがフローラを大切に想い、尊敬していることは知っているからだ。
どうするかはラシャラ次第だが、この話が出来ることなら良い結果に繋がって欲しいと俺は考えるのだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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