「ここは……」
目を覚ましたアランは真っ白な天井を見上げながら身体を起こし、ゆっくりと周囲を見渡す。
鼻を刺激する消毒液の臭い。白いカーテンの隙間からは、オレンジ色の太陽の光が部屋に差し込んでいた。
そして――
「目が覚めたみたいだな。どうだ? 身体の調子は?」
カーテンの陰から姿を見せたニールの姿にアランは一瞬驚くも、ようやく自分の身に何があったかを思い出し始める。
「少し頭がぼんやりするが問題ない。それより、あれからどうなった?」
ラシャラを誘拐しようとして逆に罠に掛かり、得たいの知れない光に呑まれたところまでは覚えている。
だが、それからの記憶があやふやで、アランはニールに事情を尋ねた。
「ダグマイアは上手く逃げたみたいだが、他の皆は捕まったよ。ただ、ラシャラ皇と正木卿が口を利いてくれたみたいで、林道の修復作業などのボランティアに従事すれば、恩赦を与えてもらえるそうだ」
ダグマイアが逃げたと言う話以上に、アランは自分たちの処分に驚かされる。
男性聖機師である以上、重い罪に問われることはないとわかっていても、本国に呼び戻されるくらいの覚悟はしていたのだ。
特権階級とは言っても、男の聖機師に自由はない。国に呼び戻された後は男性聖機師としての義務を全うするために、種馬としての人生を送ることになるだろう。
何もしないのではなく、何もさせてもらえない。
そんな人生に価値を見出すことが出来ず、アランとニールはダグマイアの語る理想に共感するようになっていった。それは他の男性聖機師も同じだ。
「最初から、すべてお見通しだったと言うことか。そんなこととは知らずに俺たちは……滑稽だな」
「……正直に言って相手が悪すぎた。やり方を間違えたと、いまは後悔しているよ」
そんな彼等への罰として仕事を与えると言うのは、これまでの男性聖機師への対応からは考えられないことだ。
教会がよく了承したものだと思うが、セレスの一件もある。あの時から布石を打っていたと考えるのが自然だろう。
アランはニールの話を聞き、自分の行いを恥じる。
太老がハヴォニワの改革を成し遂げた立役者だと噂で知ってはいても、どこか現実味のない話だと受け止めていたのだ。
いや、自分たちの手で革命を為すことに意味があると、理想に酔っていただけなのかもしれないとアランは考える。
結局、貶めようとした相手に救われ、自分たちが望んでいた切っ掛け≠与えてもらった。そのことが悔しく、情けなかった。
敵対する道など選ばず、最初から歩み寄っていれば――と、ニールが後悔するのも頷ける話だった。
「ダグマイアはどうなると思う?」
「……わからない。確かな証拠もなく罰することは出来ないと思うが、あの正木卿がこのままダグマイアを逃すとは思えない」
稀少な男性聖機師と言うこともあるが、ダグマイアはあのメスト家の後継者だ。
男子生徒の証言だけでは、ダグマイアの責任を追及することは難しいだろうとニールは話す。それはアランも同じ意見だった。
だが、そんなことで太老がダグマイアを見逃すとは、二人には思えなかった。
確かに太老は思慮深く、敵対した者であっても更生の機会を与えようとする寛大なところがあるが、ダグマイアはこれが一度目ではない。
既に更生の機会を与えた相手に、またチャンスをくれるほど甘い相手には思えない。事実、話に聞くハヴォニワの改革では、公爵を始めとした有力な貴族が数多く粛清の憂き目に遭っているのだ。シトレイユでもラシャラの暗殺を企てた貴族や聖機師が処分され、そんな彼等と繋がっていた商会が幾つも潰されと言う話を二人は聞いていた。
クリフ・クリーズの一件もそうだ。太老の逆鱗に触れると言うことが、どういうことか? その結果が物語っている。
「アラン? そんな身体で何処へ行く気だ?」
「正木卿のところだ。ダグマイアを止められなかった責任は俺にもある」
フラフラとした足取りでベッドから立ち上がり、医務室を抜け出そうとするアランをニールは心配して呼び止める。
だが、彼の真剣味を帯びた表情を見て、ニールは仕方がないと言った顔で溜め息を吐くと、
「ニール?」
「それを言ったら俺も同じだ。最後まで付き合うよ」
そう言って笑い、自分の肩をアランに貸すのだった。
異世界の伝道師 第264話『失敗から学ぶもの』
作者 193
【Side:太老】
男性聖機師の件はどうにか片が付いたが、問題がまだ一つ残っていた。逃亡中のダグマイアの件だ。
シュリフォンの警備に確認を取ったところ、森で不審な人影は目撃されていないと言うことなので、恐らくは聖地の何処かに潜伏しているか匿われているのだろう。
しかし仲間を見捨てて逃げるとはな……。往生際が悪いと言うか、とことん性根が腐っているようだ。
とはいえ、尻尾付きの稀少な男性聖機師と言うこともあって、確かな証拠がなければ責任を追及することは難しいと言う話だ。
他の男性聖機師の証言だけでは、メスト家の嫡子を貶めるために嘘の証言をしていると逆に抗議されれば、そこで話は終わるからだ。
「でもなあ……」
商会の執務室で決裁の必要な書類に目を通しながら、俺は溜め息を吐く。
やっぱり、この世界はどこか歪んでいると思う。
よくある話と言ってしまえばそうだが、聖機師の問題は社会的な構造の欠陥と呼ぶべきものだ。
この世界の人々にとっては常識でも、異世界人の俺から見れば奇妙に見えて仕方がなかった。
問題の根幹にあるのは、やはり聖機人の存在だ。
聖機神を模倣して作られたという人型機動兵器。それは既存の兵器を遥かに凌ぐ性能を有する反面、人並み外れた亜法耐性のある人間にしか乗りこなすことが出来ない欠陥品≠セ。俺の乗る聖機人が金ピカだから気に入らないと言う話ではなく、そもそも適性のあるなしで乗り手を選び、操縦者に大きな負担を強いるという時点で兵器としては問題がある。
だから聖機師は特別視され、なかでも数の少ない男性聖機師は優遇される。
理屈はわからなくないが、この世界のそれは少し度が過ぎるように俺は感じていた。
それはやはり、この世界が先史文明≠フ遺産に頼り過ぎている点に理由があるのだろう。
一足飛びで得られる知識などない。よくわからないものを解析して利用しようとしたところで、大元となる知識がなければ完璧に再現することは難しい。
ましてや教会は、それらの技術を管理≠フ名目で独占し、秘匿している。
そうしたことから各国ともに教会≠ノ依存しているのが現状で、独自の技術が発達しないのも当然と言えた。
俺が正木商会を造ったのも、微妙に便利だったり不便だったりする生活環境を整えるためだ。
正直な話、この世界の現状は、地球の暮らしを知る異世界人にとって過ごしやすい環境とは言えない。
これまでにやってきた異世界人が故郷の文化を広めようとしたのも、少しでも暮らしやすくするために生活環境を改善しようと努めた結果だと俺は考えていた。
まあ、個人の趣味趣向が色濃く反映しているところは否めないが、やろうとしたことは理解できる。いまの俺が直面している問題のように、知識はあっても技術が足りない。加工するための機材が足りない。資材となる素材が足りない。この世界では再現の難しいものもたくさんあって、妥協せざるを得なかったと言う点が大きいだろう。
そう言う意味では、ダグマイアや他の男性聖機師たちも社会の構造が生んだ被害者と言えるのかもしれない。
だが、それを言い訳に逃げるのは、もっとダメだ。
このままダグマイアを逃がし、お咎めなしとすることは彼のためにもならないと俺は考えていた。
「太老様、少しよろしいですか?」
最後の決済書類にサインを終えたところで、マリエルが遠慮気味に確認を取りながら執務室に入ってきた。
壁に掛けられた時計を見ると、夕方の五時を少し回ったくらいだ。夕食には、まだ少し早い。
だから他に緊急の案件でも入ったのかと思い、俺は尋ね返す。すると――
「一段落ついたところだから構わないけど、何かあったのか?」
「ダグマイア様の友人を名乗る学院の生徒が二名、面会を求めております。どうなさいますか?」
思いもしなかったことをマリエルに尋ねられ、俺は目を丸くした。
【Side out】
「ここは一体……」
見知らぬ部屋のベッドに寝かされていたダグマイアは、ゆっくりと身体を起こし、周囲を確認する。
必要最低限の調度品は備えられているものの、カーテンが閉ざされた薄暗い部屋は、まるで牢獄のように物静かだった。
床や壁を伝って微かに聞こえてくる動力音。そこから、ここが船の中だとダグマイアは推察する。
その時だった。
「誰だ!?」
「ご挨拶ね。助けてあげたと言うのに」
音もなく物陰から姿を見せた仮面の女に、ダグマイアは警戒した様子で燭台を手に取り、名を尋ねる。
だが、すぐに相手の正体に気付く。ダグマイアも何度か顔を合わせたことがある人物だったからだ。
「お前は叔父上の……」
ネイザイ・ワン。
ババルンの指示を受けたユライトからの命令を、聖地に潜伏する部下に伝える役目を負ったメッセンジャー。
神出鬼没な女で、素性がまったく知れないことからダグマイアがユライトの次に警戒する人物だった。
だが、そんな彼女に助けられたのだとダグマイアは察する。
「そうか、俺は……また失敗したのか」
そして自分の身に何があったかを思い出し、ダグマイアは苦々しい表情で視線を落とす。
(なら、ここは……)
恐らくは聖地の地下にある飛行船の停泊所。メスト家が所有する船の中だとダグマイアは推察した。
船の中は治外法権となっているため、教会と言えど簡単に踏み込むことはできない。
匿うには打って付けの場所と言う訳だ。
「すべてが終わるまで、ここで大人しくしていなさい」
「……それは命令か?」
「そうよ。あなたのお父上からのね」
ネイザイの言葉に目を瞠るダグマイア。
ユライトの指示かと思えば、まさかババルンの命令だとは思ってもいなかったのだろう。
ということは、既にこの件はババルンの耳に入っていると言うことだ。
ダグマイアにとって絶対に知られたくなかった汚点。最も恐れていた事態。
真っ青な顔を浮かべるダグマイアに、ネイザイは遠慮の無い言葉を浴びせる。
「――勝手に動く駒は必要ない。言葉の意味はわかるでしょ?」
それが最後の警告だと言うことは、ダグマイアにも理解できた。
既にババルンはダグマイアを駒としても見ていないと言うことだ。
それどころか計画の邪魔になると判断して、彼を捕らえる指示をだしたのだろう。
絶望した様子で俯くダグマイアを一瞥すると、ネイザイは興味を失ったかのように言葉を掛けることなく部屋を後にした。
「くそおおおおおおッ!」
そして誰もいなくなった部屋で、ダグマイアは行き場のない感情を吐き出すように慟哭を上げる。
叔父に見限られ、仲間を失い、父親に切り捨てられた今の彼には、何も残されていなかった。
◆
ダグマイアを軟禁している部屋を後にしたネイザイはユライトに身体の主導権を渡し、
『あれで本当によかったの?』
「ええ、彼にとっては兄上の名前をだされるのが一番堪えるでしょうから」
そう尋ねる。
ババルンの命令と言うのは、ユライトの考えた嘘だった。実際には、まだ今回の件を報告すらしていない。
だが、そうでも言わない限り、ダグマイアを大人しくさせるのは難しいだろうと考えてのことだった。
「それよりも問題は正木卿の動きです。警告されていたと言うのに間に合いませんでしたからね……」
太老が屋敷を訪ねてきたのは、このことを予見していたからでもあるとユライトは考えていた。
どちらにつくかを選ばせるための試金石の意味もあったのだろう。
だが警告を受けておきながら、ダグマイアの暴走を止めることが出来なかった。
となれば、太老には敵≠ニ認識された恐れすらある。
「まいりましたね……」
『私は忠告したわよ。彼を敵に回すべきではないと』
ユライトがダグマイアの好きにさせていたのは、何も事情を知らない彼を利用していることへの負い目もあったのだろう。
しかし今回はそれが裏目にでた。ダグマイアがまさか、あれほど無謀な行動にでるとは予想していなかったからだ。
考えが甘かった。逆に言えば、それほどに彼を追い詰めてしまった責任をユライトは感じていた。
もっと早くに気付くべきだった。そうすれば――
「いえ、過ぎたことです。結果は変わらなかったでしょうし……」
ダグマイアに自分がどう思われているかを知っているユライトは首を左右に振る。
どう諭したところで、ダグマイアは止まらなかっただろう。
それほどにダグマイアは父親に依存してしまっている。
そうなるように意図的≠ノ、育てられたのだから当然だ。
『それで、どうするの?』
「今更、計画を変更など出来ませんし予定通りにいきます。ですが――」
もし本当に太老がアレ≠どうにか出来るのであれば?
贖罪はしよう。どのような罪も背負う覚悟はある。
『そう……』
そんなユライトの意志を感じ取ってか?
ネイザイは、それ以上なにも尋ねようとはしなかった。
……TO BE CONTINUED
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