特殊国立高等学校――IS学園。そこは、世界唯一のIS操縦者育成機関。
ISは女にしか動かせない。そうした理由から、教員を含め生徒全員が女。まさに女の園。
そんな学園で唯一の男子生徒だった織斑一夏は、フランスより訪れた転校生の登場により学園に二人しかいない男子生徒になり、そして先週また学園唯一の男子生徒に戻った。
シャルルもといシャルロットが正体を明かし、学園に通うようになったからだ。
当初は皆かなり驚いた様子だったが、美少年が実は美少女だったと言う話は思いの外すんなりと生徒達に受け入れられた。
学園の校風と学園生の気質も関係しているのだろうが、ノリがいいと言うか、この学園の生徒は頭が柔軟だった。
――シャアアアアッ。
毎朝続けている剣の鍛錬を終えた篠ノ之箒は、部活棟のシャワールームで汗を流していた。
シャワーから噴き出た湯が、太股まで届く艶やかな黒髪を伝い床に流れ落ちる。日々の鍛錬から生まれた無駄のない引き締まった筋肉。白人のセシリアと比べても大きな胸。同じ女性の目からみても、羨ましいと思える均整のとれた身体を箒はしていた。
ただ、姉譲りのこの大きな胸だけは箒にとって、ほんの少しコンプレックスの対象だ。部活棟のシャワーを人の少ない早朝にしか使わないのも、そのためだ。
貧乳の代名詞となりつつある中国の代表候補生『凰鈴音』が耳にしたら、頭に血をのぼらさせて地の果てまでも追いかけてきそうな話ではあるが、箒にとっては大きな悩みの一つでもあった。
胸が大きければ男女問わず注目を集める。『まず最初に目がいくのがどこ?』と尋ねられれば、全員が胸を見ることは確実だ。そして大きな胸は肩がこる。動くたびに揺れるため、運動の邪魔になる。巨乳を持つ者にとって、胸とは一つの悩みの対象でもあった。
ただ、箒も女。恋する年頃の乙女だ。
――一夏は大きな胸が好きなのだろうか?
気になる幼馴染みと再会を果たし、最近はほんの少しだが、その胸にも自信を持てるようになった。
恋敵は多い。ならば、頼れる武器は一つでも多い方がいい。
「ふう……」
何度目かわからないため息を漏らす。さっきからずっと一人、箒は考え事をしていた。
箒が今悩んでいるのは、学年別トーナメントが中止になったことだ。
――私が優勝したら付き合ってもらう!
その一言からはじまった一夏との約束。
一回戦は一学期の評価試験を理由に執り行われたが、約束は結局果たせないままに終わってしまった。
だが、どちらにせよ試合は負けていた。そのため噂にあった『一夏の本妻』と『本人公認ハーレム』の話が流れてしまったことは、箒にとって不幸中の幸いでもあった。
とはいえ、シャルロットに敗北し、試合にも負けてしまった以上、結局は約束を果たせたことにはならない。
相手は代表候補生。そして専用機持ち。更には第三世代機。
一方、学園の訓練機の打鉄は第二世代機。そんな絶望的とも言える差があるなかで、シャルロットに一太刀を浴びせたのだ。
――よく健闘した。そう言えるだけの結果を箒は残した。
だが一夏の横に並び立ちたいと考える箒にしてみれば、それでも納得の行く結果とは言えなかった。
(私にも専用機があれば……)
勿論それだけで、あのシャルロットや一夏に勝てるとは箒も思ってはいない。だが、同じ舞台にすら立てていないのが現状だ。専用機があるのとないのとでは、それほどに大きな開きがある。
それに一夏を始め、一夏に好意を抱く女性のなかには、シャルロットを始め専用機持ちが多い。
箒は自分だけが取り残されて行くような気がして怖かった。
事実、シャルロットが暴走した時、箒はラウラのように一夏の助けに入ることが出来なかった。
自分一人が一夏の力になれないという疎外感。
一夏の隣に並び立つという目標を持つ箒にとっては、なんともしがたい悩みとなっていた。
(そのための手段、可能性はある。だが、しかし……)
望む力へと通じる道、その手段を箒は持っていた。
しかしそれは、簡単に使っていいものではない。いや、使えなかったと言っていい。
この六年ずっと箒が避けてきた現実がそこにある。
彼女にとって最後の手段。ずっと隠してきた秘密であり、あの人≠ニを繋ぐ唯一の物。
「こんな時だけ、あの人を頼るのか、私は……」
それは自身に向けた侮蔑の言葉。箒には、ずっと忌み嫌ってきたものが二つあった。
家族を捨てた姉。その原因となったIS。箒から家族を、一夏との繋がりを――奪い続けてきた呪い。
だが、その嫌っていたものが、今は箒と一夏との間に開いた六年の距離を繋ぐ、たった一つの架け橋となっていた。
ずっと抱き続けてきた葛藤を胸に、箒は答えのでない回答を探し思考の海へと沈んでいく。
何年もの間、溜め込んできた想い。それは、こんなシャワーで洗い流せるほど、簡単なものではなかった。
異世界の伝道師外伝/一夏無用 第26話『一夏は嫁』
作者 193
シャルロットが女だとバレて一週間が経った。
彼女は今、シャルルあらためシャルロット・デュノアとしてIS学園に通っている。
最初はポカンとした様子で山田先生をはじめ皆驚いた様子だったが、美少年が美少女だったというだけで大きな騒ぎにはならなかった。
その理由は、疑問や視線がシャルロットと同室だった俺へと向けられたからで、現在使用不能となっている大浴場の一件を含め、女子達の質問攻めにあったことは言うまでも無い。
ただまあ、相変わらずここの生徒はノリがいい、頭が柔軟だ。今回の件は、そこに救われたと言ってもいいだろう。
シャルロットが皆と一緒に笑っている姿を見ると、『別にいいか』と思ってしまえる自分の単純さにも正直呆れたが、後悔は特にしていない。
色々とあったけど、シャルロットは救われた。元気になった。その事実だけで十分だからだ。
ただ、大浴場の騒ぎだけは思い出したくない。
本当にやばかったんだ。こうして生きているのが正直不思議なくらい。結果、大浴場は半壊もとい辛うじて全壊を免れたと言った惨状に。危うく浴場ではなく、俺の身体が全壊するところだったが。
今は正木グループが間に入って、全面改装中ということになっているそうだ。
元通りに大浴場が使えるようになるのは一ヶ月先という話で、今は使用禁止の立て札がかかっている。
関係の無い他の生徒達には、本当に申し訳ないことをした。
「朝だ。おはよう」
「えっと……おはよう?」
そして現在――目を覚ますと何故か、目の前にラウラの顔があった。
ここは俺の部屋。部屋を間違えてなんかいないし、間違い無く俺のベッドだ。
シャルロットは正体がバレた日から別の部屋に移ったため、ここにはいない。
そう、ここにラウラが居るはずがない。ましてや――
「なんで、服を着てない!?」
「おかしなことを言う。夫婦とは包み隠さぬものだと聞いたぞ?」
「それもそうか……ってそうじゃない、誰の入れ知恵だ!? と、とにかく服を着ろ。それにここは俺の部屋だぞ!」
「知っている。そして私の部屋でもある」
「は?」
「夫婦は寝起きを共にするものだと聞いた。それに朝はこうして裸で起こすのが、日本の定番なのだろう?」
「どこの日本だ!?」
「ふむ。腹が減っているから怒りっぽいのだな。しかし朝食までまだ時間があるか……よし、私が何か用意してやろう」
「……って、それはなんだ?」
「エプロンだが? 日本の伝統に裸エプロンというものがあると私は聞いたぞ」
頭が痛くなった。凄く痛くなった。物凄く痛くなった。
ラウラに余計なことを吹き込んだ人物には一言文句を言いたい。言わないと気が済まない。このノリからして、なんとなく知り合いが関与しているような気もしなくはないんだが、今のところ確証が無い。いや、問題はそこではなかった。
(俺の安息の時間が……)
ここ最近ラウラとは、どこに行くのも一緒だ。朝・昼・夜の三食、アリーナでの着替えやシャワー。どんな場所にでもラウラは現れる。それが当たり前と言った様子で、彼女は半ば高度に訓練されたストーカーと化していた。
別にラウラのことを嫌っているわけじゃない。銀髪のさらさらヘアーに、抱き心地のよさそうな小さな体。赤と金のオッドアイも綺麗だし、時々垣間見る世間知らずなところも素直に可愛いと思う。
好意を寄せられて嫌な気はしない。あからさまな敵意を向けられているよりはずっといい。
ただ、四六時中こうして張り付かれていたのでは、気の休まる時間が全くない。今がまさにそうだ。
寮の部屋は俺にとって最後の砦。女だらけの学園に唯一残された安息の地と言ってもいい。
学園でのやり取りはこの際目を瞑るとしても、ここだけは断固として死守しなくてはいけない。そう、俺は心に誓った。
「ラウラ。残念だが、この部屋には調理器具がない」
寮の部屋にはキッチンがない。代わりにと言ってはなんだが、昼の弁当くらいは自分で用意したい生徒のために、早朝のキッチンが開放されている。
だが、それもこの時間からでは遅い。
朝食を食べに食堂にやってくる生徒のために、朝の準備が始まる時間だからだ。
「心配無い。このナイフ一本あれば十分だ」
どこからともなくサバイバルナイフを取り出すラウラ。嫌に似合っているから怖い。
でも、サバイバルナイフで料理って……いや、出来なくはないんだろうが。
「ちなみに聞くが……ラウラは料理をしたことがあるのか?」
「当然だ。料理くらい出来なくては、森では生きていけない」
ここは日本だ。日本の学園だ。IS学園の寮だ。
と、色々とツッコミどころ満載の話がラウラの口から飛び出す。
どこの世の中に朝早くから寮の部屋で、サバイバルを実践する奴がいるっていうんだ?
ああ、目の前にいたか……。
取り敢えずエプロンじゃなくて、ちゃんとした服を着てくれないかな?
「そんなに熱い視線を向けられると、さすがに少し恥ずかしいな……」
ポッと頬を紅潮させるラウラ。
もう、何を言っても無駄な気がしてきた。
「ラウラ、朝飯はもういい」
「そうか、なら……」
目を瞑って、顔を突き出してくるラウラ。一体、何がしたいんだ?
「えっと……何?」
「朝はこうして嫁≠ノキスをねだるものなのだろう?」
「えっと、それって逆では? 俺が嫁なのか?」
「む、そうなのか? 日本では気に入った相手を嫁にする風習があると聞いたぞ」
それって風習なのか? しかし俺が嫁なのか……って問題はそこではない!
こんなところを誰かに見られるわけにはいかない。ということで、ラウラの勘違いを解いている時間もない。
今すぐにこの状況をなんとかしないと、まずいことが起こる。主に俺の命に関わる何かが起こる。
これは予感ではなく確信だ。そう、俺の第六感が告げていた。
「鍵がかかっていないではないか、入るぞ一夏。少し不用心……」
やはり、神様は悪戯が好きなようだ。
現在時刻は七時を少し回ったところ、今日は随分と早いお出迎えだった。
「やあ、おはよう。箒……さん!?」
「おはよう、一夏……!」
裸エプロンでおはようのキスを迫るラウラに、Tシャツにトランクスとラフな格好の俺。
ピタッと目が合う箒。その手には何故か日本刀が。ああ、しかもなんか抜いてるし……。
「落ち着け、とにかく落ち着いて話し合おう! なっ?」
これが定着しつつあるこの寮の名物。
寮の皆も慣れた様子で、この騒ぎを目覚まし代わりにしている強者まで居るそうだ。
この騒ぎはほとんど毎朝のことだが、違いは朝訪ねてくる人物が毎回違うところだ。それが賭の対象にもなっているらしい。
そして今日は箒の番だった。大穴で複数があったりするわけだが……。
「毎朝毎朝毎朝毎朝……」
「お、俺が悪い訳じゃ……」
「全部、すべて、何もかも、お前の節操の無さが悪いに決まっている!」
そんな無茶苦茶な。
「おとなしく死ね! 一夏」
「無茶言うな!?」
そして今日も朝早くから、寮に悲鳴と轟音が響き渡った。
◆
――お前達は学習という言葉をしらんのか?
という、ありがたい寮長もとい千冬姉の言葉と拳骨をもらい、今日は朝飯抜きとなった。
しかし、まだ二限目が終わったところ。昼休みには結構な時間があった。
こうした時ほど時間の流れが緩やかに感じて困る。お陰で現在の状態は腹ペコだ。
「軍の携帯食だが、食べるか?」
「……ありがとう。ラウラ」
「嫁の健康管理も、私の務めだ」
もう、何も突っ込まないぞ。でも、携帯食は素直にありがたい。
ポリポリとスティック状の携帯食をかじる。味はともかく腹もちは良さそうだ。
携帯食と言えば、訓練の時によく飲まされてた栄養ドリンクを思い出すな。翌日に疲れを残さず、消耗した体力を回復してくれる画期的なドリンク。数が余り作れないらしくて一般販売はされていない正木工房のなかだけで出回っている特別製だ。
あれは、これと違って味もよかった。
香りが芳醇で上質なジュースというか、何本でも飲みたくなる美味しさだった。
さすがに栄養ドリンクと言うだけに、何本も飲むのは問題かもしれないが……。
余談ではあるが、その栄養ドリンクの原料となっている果物で作った果実酒が無茶苦茶美味しいらしく、前に千冬姉が太老さんから譲ってもらって感動してたのを覚えている。
瓶一本で星が買えるくらいの価格だと合法幼女に教えてもらったことがあるが、多分そのくらい美味しいという比喩だと思う。
あの千冬姉が秘蔵の酒として誰にも触らせないくらいだ。俺は未成年ということで味見もさせてもらえなかったが、相当に美味いのだろう。
「嫁よ。少し頼みがあるのだが、いいか?」
「ん? まあ、俺に出来る範囲ならな」
携帯食の礼もある。今日も朝から振り回されはしたが、それとこれは話が別だ。
ラウラのことは別に嫌いなわけではないし、これでも礼には礼でちゃんと尽くす方だ。
マッサージから家事全般、果てには無人島や密林で自給自足すら可能なサバイバル技術まで、基本的なことなら一通りなんでもこなせるのが俺の自慢出来る点だ。
千冬姉からも、いつ嫁にだしても問題ないと太鼓判をもらっているくらいだった。
あれ? やっぱり嫁なのか?
「付き合って欲しい」
「いいぞ」
――ガタン!
教室のそこかしこで、椅子や机の倒れる音がした。
一斉に転ぶって……なんのコントだ? 学園祭で披露するネタの練習とか?
女子の流行や考えることは、よくわからん。この学園は俺にとって不思議の宝庫だ。
「一夏、どういうことだ!?」
「一夏さん、どういうことですの!?」
「そうよ、ちゃんと答えなさい! 事と次第によっちゃ……」
箒、セシリア、鈴の順に凄い勢いで迫ってきた。
いや、なんでお前達が怒ってるんだ?
それに鈴、お前は隣のクラスだろう。なんで、ここに居る?
「ああ、そうか。もしかして、お前達も一緒に買い物に行きたいのか?」
「か、買い物? ああ……そういうことか。一夏だしな」
「一夏さん、ですものね……」
「一夏だもんね……」
なんだ? 俺だからなんだって言うんだ?
ラウラはドイツから転校してきたばかりで、まだ日本には不慣れだろうしな。買い物くらいは付き合ってやってもいいだろう。
その割にシャルロットは俺より街のこととか詳しかったけど、まあ女の子だったわけだしな。
ラウラも女子だが浮世離れしているし、なんとなく心配になる。
「一夏、僕も一緒に行ってもいいかな?」
「え? あ、うん。別にいいけど……」
噂をするとなんとやら。
後から会話に割って入ってきたシャルロットの笑顔が一番――有無を言わせぬ迫力があった。
……TO BE CONTINUED
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