ラウラ・ボーデヴィッヒ、彼女に与えられた最初の記号は『遺伝子強化試験体Cー〇〇三七』――人工合成された遺伝子によって生み出された試験管ベビー。
それが彼女の生い立ちだった。
最初に彼女が目にしたのは闇。深く、暗い、研究施設の地下。
次に彼女が目にしたのは、鉄と煙硝の臭いが充満する兵士養成所だった。
様々な人々の思惑によって戦いの道具として生み出され、軍のために貢献し、戦うことこそ自身の存在理由とされ、鍛えられ、教育され、育てられてきた。
――生まれながらにして兵士。それがラウラに与えられた使命であり役目。
その身と心は軍のためにあり、そのことに疑問を挟むことすら彼女には許されなかった。
そしてISの登場により世界は激変し、軍の主要兵器は戦闘機や戦車からISへと移り変わりをみせるなか、ラウラの役割も軍の再編と共に大きな変化を見せ始めた。
軍に従う忠実な兵士である彼女に与えられた次の任務は、IS部隊への転属と適合率向上のためのナノマシン移植手術を受けることだった。
脳への視覚信号伝達の爆発的な向上と、超高速戦闘状況下における動体反射の向上を目的に、試験的に行われた手術は見事に成功を果たし、疑似ハイパーセンサーとでも言うべき能力を備えた『越界の瞳』をラウラは手に入れた。
だが、理論上では危険性もなく不適合も起きないとされていた技術だったが、ここにきて予期せぬトラブルが起こる。
赤から金へと変色した瞳。常に稼働状態のままカットの出来ない制御不可能な力。ラウラはその力を持て余し、大きなハンデを背負うことになったのだ。
――その結果、ラウラはこれまで信じてきたすべてのモノに裏切られた。
常に最強であれと言われ、トップをひた走ってきた人生からの転落。
自身の存在理由の喪失。それは、彼女の心に深い傷跡を残し、これまで疑問を抱くことすらなかった心に初めての感情を芽生えさせた。
味方から『出来損ない』の烙印を押され、部隊でも孤立していくなか、ラウラは深い闇へと囚われていく。
そんなラウラに手を差し伸べたのが、ドイツ軍にISの操縦技術と知識を伝えるため、教官として招かれた人物――織斑千冬だった。
『一ヶ月で部隊最強の座に戻してやる』
千冬の言葉に嘘偽りはなく、ラウラは部隊トップの位置に返り咲いた。その時からだ。ラウラが千冬の在り方に惚れ、その強さに憧れるようになったのは――。
この人のようになりたい――そんな想いがラウラを強く突き動かした。
明確な目標は彼女を変えた。それが切っ掛けとなり、ラウラの生に意味が生まれた。
それは軍のためなどではなく、生まれて初めて自分の意思で決めた選択でもあった。
結果、ラウラは驚異的な速度で力を付け、IS配備特殊部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』――通称『黒ウサギ隊』の隊長にまで上り詰め、いつしかドイツが誇る第三世代機『シュヴァルツェア・レーゲン』の専属操縦者に選ばれるまでになっていた。
あの千冬との出会いがなければ、彼女は――ラウラ・ボーデヴィッヒ≠ヘここにはいなかった。
彼女の強さの原点、出発点とも言える部分がそこにはある。
そして今――ラウラはIS学園に居る。
憧れた教官『織斑千冬』の導きによって、彼女はここで一人の青年と出会った。
異世界の伝道師外伝/一夏無用 第27話『恋愛の才能』
作者 193
――織斑一夏。ラウラが憧れた千冬と同じ強さを持つ青年。
千冬に強く惹かれたラウラが、一夏に惹かれ生まれて初めての恋をしたのも、考えてみれば自然なことだったのかもしれない。
少なくともラウラはこの出会いを、偶然と思ってはいなかった。
そして今日もプライベート・チャネルをあるところに繋ぐ。それは一種の定時報告。幼い頃から軍に身を置き、戦場においては熟練者と言える実力を持つラウラであっても、何もかもが初めての経験、不慣れな恋に限ってはただの新兵に過ぎない。
当然、助言者が必要だ。
なんの情報も知識もなく戦場に赴くほど、ラウラは愚かな人間ではなかった。
「ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐だ」
『クラリッサ・ハルフォーフ大尉です』
互いの名前と階級を確認しあう二人。ラウラの通信の向こうにいるのは、クラリッサ・ハルフォーフ。『黒い雨』の姉妹機『黒い枝』の専属操縦者にして、『黒ウサギ隊』の副隊長を任せられている女性だ。
隊長のラウラをはじめ十代の若者が多い隊員達を厳しくも面倒見よく牽引し、隊員からは親しみを込めて『お姉様』と呼ばれている二十二歳。ラウラも他の隊員同様、クラリッサには絶大な信頼を寄せていた。
余談ではあるが、彼女は正木グループ総帥『正木太老』の趣味仲間でもある。
「い、一夏を誘うことに成功した」
『――おめでとうございます』
「だが、二人きりではない。クラスメイトも何人かついてくることになった……」
『それは報告にもあった織斑一夏に好意を寄せている例の女生徒達ですか?』
「そうだ」
ふむと頷き、少し思案するクラリッサ。こうしてラウラの相談を彼女が受けることは一度や二度ではない。ここ最近は毎日プライベート・チャネルを使い、こうしてラウラに恋の指南を行っていた。
実は部隊内において人間関係に多大な問題を抱えていたラウラだったが、この相談を切っ掛けにそれは一気に解決の方向へと進み、今では隊の皆が一致団結してラウラの初恋を応援する立場に回っていた。
ドイツ軍最強のIS部隊と言われてはいても、隊員のほとんどは十代の女子。噂話や特にこうした恋話に興味のある盛りだ。
それにあのラウラが男に恋をしたというのも、彼女達の興味を引く要因の一つとなっていた。
全員が全員、ラウラは千冬一筋だと予想していただけに、誰一人ラウラが男に夢中になっている姿を想像出来なかったからだ。
しかも、その相手があの千冬の弟であれば尚更。これほどの話題に食いつかない女子はいなかった。
『そのことですが、問題はありません。勿論アプローチは必要ですが』
「複数でも作戦に変更はないということか?」
『はい。織斑一夏は世界で唯一ISを操縦できる男。その価値や稀少性は今更言うまでもありません。そして織斑一夏は隊長を倒したほどの男。日本では有能な男が複数の女性と関係を持つのは、それほど珍しいことではないのです』
「そう……なのか?」
『ある筋から入手した情報を元に、日本から先日送っていただいた資料を分析した結果です。ですから今後の方針は、その複数の中で如何に目立つかが重要かと考えます』
「なるほど……では私は、一夏の一番を目指せばいいのだな」
『さすがは隊長。理解が早くて助かります』
こうして今日も『クラリッサの恋愛講座』は続き、夜は更けていく。
ラウラには聞こえないが、クラリッサの後ろで、
「「「さすがは、副隊長!」」」
と黒ウサギ達がクラリッサの話を聞き、感心した様子で耳を立てていた。
◆
榊原菜月――IS学園教師、二十九歳独身、彼氏なし。
最近の悩みは、実家がやたらとお見合いを勧めてくること。
今年で二十代も最後。人生において一つの節目を迎えようとしていた。
「気持ちはわかるが、何故それを私に相談する?」
「えっと、榊原先生。人選を誤ってませんか?」
「山田先生……それは、どういう意味かな?」
「い、いえ! 織斑先生がどうこうと言う問題ではなく――」
女三人集まればかしましい――そんな言葉がパッと頭に浮かんでくる三人が、休日の昼下がり、街のカフェテリアに集まっていた。
一人は先に述べた榊原菜月。生徒に優しく品行方正、容姿の方も悪く無い。美人と言っても差し支えないほど、均整のとれた体つきと端整な顔立ちをしている。
唯一の欠点といえば、男運が悪いこと。彼女は平穏を求めない、安定を求めない。その所為で変な男にばかり引っ掛かり、未だに結婚が出来ず独身の道を歩んでいた。
本人も自分の悪いところは理解しているが、幾ら良い人であっても燃えない相手では心が弾まない。
――くたびれるような結婚はしたくない。
そんな理想を抱き続け、強がりを言って、失敗を繰り返してきた。結果がこれだ。
後は言わずともわかると思うが、菜月と同じIS学園の教師にして一夏の姉、史上最強のIS操縦者『ブリュンヒルデ』こと織斑千冬と、社会人に見えない童顔と大きな胸が特徴の上から読んでも下から読んでも……以下略、山田真耶のふたりだ。
休日にこんなところに呼び出された千冬と真耶は、菜月からある相談を持ちかけられていた。
――正木太老さんを私に紹介してください!
二人が『正木太老』と面識があることを、どこで嗅ぎつけたのか?
恋する乙女の行動力は恐ろしい。そう、幾つになっても関係無い。恋する乙女は盲目にして最強だった。
実は彼女、先日行われた学年別トーナメントで、政府・企業のVIPが集まる来賓用施設のフロア担当をしていた。
そんななか起こったラファール・レーヌ暴走事件。逃げ遅れている来賓がいないかを確認するため、くまなくフロアを走り回っていたところ……偶然、太老とデュノアが対峙している場面に遭遇したのだ。
一目惚れだった。
自分の知らない世界。そんな世界で凛々しくも堂々とした太老の雄姿は、菜月の眼に輝いて見えた。
その場では彼が何者かわからなかった菜月だったが、その後すぐに来賓の名簿から太老のことを調べ上げ、その調べている課程で『正木』が大浴場の改修工事に関わっていることを知ったのがつい先日のこと。
そこから工事に関わっている関係者を調べあげ、辿り付いたのが『織斑千冬』の名前だった。
世界で唯一の男のIS操縦者を弟に持ち、過去モンド・グロッソで総合優勝の経験がある千冬のことは菜月も当然のことではあるが知っていた。
同じIS学園の教師。親しいと言うほどの間柄ではなかったが、面識はそれなりにあった。
そして織斑一夏は『正木』所属の専用機持ちだ。
それらのことから、千冬が『正木』との特別な繋がりを持っていることに辿り付くのは、さほど難しいことではなかった。
真耶がここにいるのは、言ってみればおまけ≠セ。
「私、真剣なんです! あの人のことを考えると胸が苦しくして」
もう一度言うが、榊原菜月は平穏を求めない。
そんな彼女が最も平穏を愛し、最も平穏からほど遠い男に惹かれるのは、ある意味で自然なことと言えるのかもしれない。
彼女は真剣だった。
何度も何度も繰り返し失敗してきたことだが、今回は直感的にいつもとは違うような気がしていたからだ。
ただ、これもいつもの病気で勘違いなのかもしれない。だが、この恋を逃せば彼氏もいないまま三十路に突入することは確実だ。
実家からもしつこく催促されていることもあり、三十までにせめて交際相手を見つけておかないことには両親を納得させることも難しい。最悪の場合、強引にお見合いの流れに持って行かれ、そのまま結婚ということも無いとは言えない。
故に真剣だった。
今年が二十代最後。そしてようやく訪れた出会いの機会。これを逃せば、次はいつそんな理想の相手に巡り会えるかわからない。
これは菜月にとって人生の節目とも言うべき選択であり、ようやく訪れたチャンスでもあった。
「榊原先生……そこまで思い詰めて……。織斑先生、なんとかしてあげられませんか?」
「いや、しかしだな……」
榊原菜月の男運の悪さは同僚の間でも有名な話だ。千冬も当然だが、そのことを知っていた。
そんな彼女が惹かれた正木太老。彼女は最後の最後で当たりを引いたようにみえて、実は一番引いてはいけないクジを掴んでしまったようにしか思えない。
太老と一緒に居れば退屈はしないだろう。世界有数の資産家で社会的立場もあり、包容力もある。変わり者だが悪い男ではない。ルックスも悪く無く、家族や仲間を大切にする客観的にみれば良い男だ。
しかし、そんなすべてを台無しにするくらい大きな問題点が彼にはあった。
――世界一の天才にして天災。世界で最も平穏と程遠い男。それが彼だからだ。
千冬は、それなりに太老との付き合いが長い。それだけに、菜月がアタリを引いたかハズレを引いたかと訊かれると、正直かなり答えにくかった。
「お願いします。会っていただけるかどうかだけ、それだけでも訊いていただけませんか? 会社に行っても門前払いを食らうだけですし……。プライベートの連絡先もしりませんし……。もう、私には織斑先生しか頼れる方が……」
太老と交流を持ちたいと考えている人達は大勢いる。そんな人達全員の相手をしていられるほど太老は暇を持て余してはいない。当然ではあるが、面識のない人間が『会わせてください』といったところで会わせてもらえないのが普通だ。
受付の段階で断られるか、有能な秘書達によって選別され、本人に直接会えることはほとんどない。
菜月には千冬に頼る以外に、太老と直接会う方法が思いつかなかった。
最悪、正木に身を置く一夏に相談をするという方法も考えられるが、教師が生徒に色恋沙汰を相談するというのは気が引ける。
一夏が了承したとしても生徒を利用した手前、千冬は勿論のこと正木の関係者も、その行為を快く思わないだろう。
そのくらいの常識は菜月にもあった。
「お願いします!」
千冬も鬼ではない。頭を下げて、ここまで真剣に頼まれれば情だってわく。
「織斑先生……」
真耶に泣きそうな目で嘆願され、千冬は観念した。
ここに真耶を連れてきたのは失敗だったと思うと同時に、そこまで菜月が考えいたかどうかを知る術は千冬にはなかったからだ。
それに――
「わかった。だが、訊いてみるだけだぞ?」
「あ、ありがとうございます!」
複雑な心境を抱きつつも、千冬は菜月の願いを聞き届けた。
何れにせよ、手段を選んではいられないほどに彼女が真剣だということは、千冬にも伝わった。
後は当事者達の問題だ。太老が悪い男とは言わないまでも、あれはそう簡単に落ちる男ではない。相応の覚悟がなければ、付き合えない男だ。
結局のところ菜月の頑張り次第。少なくとも、最低限必要な条件を菜月は満たしていると千冬は考えた。
(全く、本当に厄介事ばかりを持ってきてくれる)
千冬の頭に浮かんだのは、一夏と同じく周りの苦労もしらず、のんきに笑う太老の顔だった。
……TO BE CONTINUED
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