「レンを騙したのね!?」
「人聞き悪いことを言うな。約束はちゃんと守っただろ?」
レンとの約束は、彼女を船に招待するというものだ。
ちゃんと約束通りに船へと案内したというのに、非難される筋合いはリィンにはなかった。
しかしレンが騙されたと抗議するのには、ちゃんとした理由があった。
「なら、なんでここにエステルとヨシュアがいるのよ!?」
ビシッと指をさしながらリィンに尋ねるレン。
その指の先には「あはは」と乾いた笑みを浮かべるエステルとヨシュアの姿があった。
「この二人の方から訪ねてきたんだ。ぐだぐだ言ってないで大人しく叱られて来い」
リィンはバタバタと暴れるレンの襟首を掴み、エステルとヨシュアの前に突き出す。そんなレンを見て、複雑な表情を浮かべるエステルとヨシュア。レンが無事に帰ってきてくれたことは嬉しいのだが、素直に喜んでいいのか分からない状況だった。
だが、皆に心配と迷惑を掛けた以上、レンを叱らないわけにはいかなかった。昔よく母親に叱られていた時のことを思いだしながら、エステルはレンを叱り付ける。最初は話を聞かず顔を背けていたレンだが、エステルにそのような抵抗が通用するはずもなく、両手で顔を無理矢理固定されて段々と涙目になっていく。嘗て〈殲滅天使〉の名で恐れられた執行者の姿はそこにはなかった。
さすがに割って入る勇気はないらしく、ヨシュアは目で「助けて」と訴えるレンに「ごめん」と心の中で謝りながらリィンに話し掛ける。
「ヨシュア・ブライトです。レンがご迷惑をお掛けしたみたいで……」
「リィン・クラウゼルだ」
名前を名乗り丁寧に謝罪するヨシュアに対し、リィンは名乗り返す。
明らかに苦労をしていると言った雰囲気をヨシュアから感じ取り、リィンは他人事のように思えず哀れみの視線を向ける。
実際、後ろの二人を見ると、ヨシュアの苦労が窺い知れるようだった。
「事情はクローゼから聞いてるんだろ?」
「……はい」
最初、通信でクローディアからレンが保護されるに至った経緯を聞いた時は、さすがのヨシュアも頭の中が真っ白になった。まさかレンもそこまではしないだろうと高を括っていたからだ。
だがよくよく考えてれば、レンには『お茶会』と称したテロ未遂の前科がある。遊撃士だけでなく王国軍さえも振り回し、クーデターに参加した元情報部の人間をも手の平の上で操って見せた事件。その裏には結社が関与していたとはいえ、あれ自体はレンが自分の意志で行ったことだ。
あの時はヨシュアが結社を抜けることになった原因、エステルの人となりを知ることがレンの目的だった。今回の件も状況的によく似ている。レンが興味を持っているのは騎神だ。その起動者であるリィンについても気に掛けていることは間違いなかった。
だから、もっとも手っ取り早い方法を取ったのだろう。その行動の理由については分からないでもない。だが、今回ばかりは相手が悪すぎたヨシュアは考えていた。
「とはいえ、シャーリィの件ではこっちも迷惑を掛けたしな。今回に限っては、お互い様だ」
ほっと安堵の息を吐くヨシュア。最悪の事態まで想定していたヨシュアからすれば、不幸中の幸いとも言える話だった。
実際、リィンはエステルとヨシュアの二人に感謝していた。上手く二人がシャーリィの興味を惹いてくれたお陰で、大事に発展することがなかったためだ。一晩中シャーリィを捜していたらしく、船室で死んだように眠っているヴァルカンには悪いと思うが、何事もなくてよかったとリィンは心の底から思っていた。
結局のところシャーリィに交渉を持ち掛けたエステルの行動は、あの場では最善だったと言うことだ。それを狙ってやったわけではないだろうが、誰が相手でも物怖じしない性格が流れを引き寄せたと考えていいだろう。
「だが、今後も同じような幸運があるとは限らない。保護者なら手綱はちゃんと握っておけ」
しかし、リィンは釘を刺すことを忘れなかった。
今回のは偶然と言っていい。幸運を引き寄せるのも遊撃士に必要な能力かもしれないが、そんな偶然は何度も起きない。レンの行動にも問題はあるが、エステルを見ていると明らかに行き当たりばったりな性格が目に浮かんで、この調子ではいつか大きな失敗をすることになるとリィンは考えていた。
態々そのことを心配する義理はリィンにはないが、シャーリィが世話になったこともある。助言めいた忠告をしたのは、それが理由だった。
「まあ、あの様子を見る限りでは大丈夫そうだがな」
レンを叱り付けるエステルの姿を見て、リィンはそんな言葉を漏らす。
エステル・ブライト。前世の記憶のこともあり、リィンが気に掛けていた人物の一人だった。
原作では自然と周りを笑顔にする明るい性格や、誰に対しても分け隔て無く物怖じしない性格から、『太陽の娘』と称されていた少女だ。
実力的には、それほど気に掛けるものはない。遊撃士のランクもB。これまでの実績などを考慮すればAランクに限りなく近い実力を有してはいるのだろうが、戦闘力だけを見れば恐らくはサラの方が上だ。しかし――
「ほら、レン」
「……ごめんなさい。もう二度と襲い掛かったりしませんので許してください」
エステルに付き添われ、頭を下げて謝罪するレンを見て、リィンは若干驚いた様子を見せる。
こういうところが、他の遊撃士にはないエステルだけが持つ魅力なのだろうとリィンは察した。
そして、それは彼女の最大の武器でもある。
「さすがはカシウス・ブライトの娘と言ったところか」
「え……父さんのことを知ってるの?」
「昨日も会ったばかりだしな。それに英雄カシウスの名前は帝国でも有名だ。知らない奴はいないだろう」
父親のことを褒められ気をよくしたのか、エステルは分かり易い笑みを浮かべる。
リベールでは英雄かもしれないが、帝国からすれば最大の要注意人物だ。そうした皮肉を込めた言葉でもあったのだが、素直に喜ぶエステルを見て、ヨシュアの苦労をなんとなくリィンは察する。
エステルには皮肉や遠回しな言い方は通用しない。いや、直球で告げたとしても、どれほどの効果があるか分からない。ようするにバカが付くほどの『お人好し』なのだと、リィンは解釈した。
ジッと見詰めてくるエステルを見て、「どうかしたのか?」と尋ねるリィン。
「えっと……なんだか、思ってたのと違うって言うか……」
「猟兵らしくないってか? 遊撃士にだって、いろんな連中がいるだろ。それと一緒だ」
「……そうよね。猟兵だって人間だもの。悪い人もいれば、良い人だっているわよね」
言っていること自体は間違っていないのだが、どうにも腑に落ちないものを感じてリィンは溜め息を漏らす。
猟兵に良いも悪いもない。自分を悪人だと公言するつもりはないが、碌でなしだという自覚をリィンは持っている。戦争を生業とし、人の命を奪うことで生活の糧を得ているのだ。そんな人間が真っ当なはずがない。
(シャーリィが気に入るわけだ)
エステルは猟兵だからと言った偏見で相手を見ることをしない。いや、そうした考え自体が頭の中にないのだと察することが出来る。そんな肩書きで相手を見ない彼女の性格に、クローディアは惹かれ、ヨシュアやレンは救われたのだろう。
シャーリィも恐れられることには慣れているが、真っ直ぐに正面からぶつかってくる相手には弱いところがある。例として雇い主のアルフィンや、リィンに対しても物怖じせず意見を口にするエリゼには一定の敬意を払っていた。
「ついて来い。茶くらいはだしてやる」
リィンに誘われ、エステルとヨシュアは驚いた様子で呆ける。
「レンとの約束もあるしな。それに聞きたいことがあるんじゃないのか?」
どちらにせよレンが騎神に興味を持っている以上、エステルの性格を考えれば問題に首を突っ込んで来ることは目に見えている。そうなった場合、最大の不確定要素となる可能性を彼女は含んでいた。
そう考えたリィンは彼女を遠ざけるのではなく、利用することを考えた。勿論、簡単に利用されてくれる相手ではないとわかっている。エステルはともかくヨシュアはそういうことに鋭い人間だ。
だが、目的の方向性を誘導してやることは出来る。このタイミングでレンだけでなくエステルとヨシュアが王都にいる理由を考えれば、その目的は〈紅き翼〉にあると察しが付く。ならば彼等も情報を求めているはずだ。そこに付け入る隙はある。
(問題があるとすれば、エステルの行動が今一つ読めないことか……)
親子揃って面倒な連中だと、リィンは心の中で呟くのだった。
◆
結局アルフィンは、エリゼとフィーそれにアルティナとミリアムを連れ、予定通りクローディアと共にエルベ離宮を訪問していた。その理由はリィンの邪魔をしないためだ。
何かあればクローディアはエステルたちを庇うだろうし、アルフィンもリィンの味方をするだろう。そうなれば二人の立場から考えて、更に問題がややこしくなることが予想できる。だから自分たちがいない方が、まだ話も上手く纏まるだろうと考えてのことだった。
「心ここにあらずと言った様子ですね。ご友人のことが心配ですか?」
「すみません。本当は私がしっかりとしないといけないのに……」
クローディアもそうしたアルフィンの考えには納得していた。だから、この場にいる。しかし、それでも不安は尽きない。
リィンが猟兵だからという偏見は既にない。少なくとも真摯に向き合えば、話の通じる相手だということはクローディアもわかっていた。
それでも、あのユリアがカシウスと同格か、それ以上の怪物と称する人物だ。実際クローディアもリィンのことは底知れない人物だと評価していた。
そのことを考えれば、リィンが何もしないで二人を帰すとはとても思えなかった。最初はアルフィンの提案に頷きはしたが、それもリィンの邪魔をさせないために自分を引き離すためだったのではないかとクローディアは疑っていた。実際、アルフィンの案内を他の者に任せて、自分だけリィンに付いていくような真似が出来るはずもなかった。ましてや彼女たちが王都に滞在する間、案内と世話役を名乗りでたのはクローディア自身だ。
呑気に紅茶を啜るアルフィンを見て、半ば確信を得た様子でクローディアは溜め息を漏らす。
「余り溜め息を漏らすと幸せが逃げますよ」
「……この状況を愉しんでいませんか?」
クローディアに半目で睨まれても、アルフィンは涼しい顔で受け流す。その表情と態度を見れば、アルフィンが何を考えているかなど一目瞭然だった。
そんな二人のやり取りを隣の席で眺めていたエリゼは、溜め息交じりにアルフィンに苦言を漏らした。
「姫様。そういうことばかりしてると、またオリヴァルト殿下と比較されますよ?」
「……放蕩皇子ならぬ放蕩皇女ですか」
エリゼの忠告に的確な表現でツッコミを入れるアルティナ。まさかの味方からの攻撃にアルフィンは複雑な表情を浮かべる。
兄とはいえ、オリヴァルトと同列扱いされることに抵抗を感じてのことだった。
(ああ、だから……)
自称『旅の演奏家』を名乗る抜け目のない男のことを思いだし、やはり兄妹なのだと実感するクローディアだった。
◆
「凄い船ね。調度品も高そうなのばかりだし、猟兵ってそんなに儲かるの?」
船の中とは思えない豪華な部屋を見て、エステルは溜め息を漏らしながらリィンに尋ねる。とはいえ、船長室にある調度品のほとんどは、こういうことに無頓着なリィンに代わってアルフィンとエリゼが用意したものだ。客を招くこともあるのだから〈紅き翼〉の船長として恥ずかしくないよう日頃から準備をしておけということらしい。しかし一理あると、リィンも二人の話を認めていた。
いまはアルフィンと専属契約を結んではいるが、この先、他のクライアントから仕事を受けることもあるかもしれない。そう言う時に交渉で侮られないためにも、見栄えを調えておくというのは分からない話ではなかった。
「まあ、程々にな。遊撃士よりは金回りの良い仕事が多いしな」
エステルの疑問に、リィンは具体的な金額を口にはせず曖昧に答える。実際には程々と言ったレベルではなく〈暁の旅団〉ほど稼ぐ猟兵団は少ない。実入りが良い分、出費も多いが、それこそ対抗できるのは〈赤い星座〉や国家規模で活動している〈北の猟兵〉くらいのものだろう。
リィンが金額の明言を避けたことで、自ずと察したエステルは渇いた笑みを浮かべる。国や企業と言った組織からの依頼が主な活動の収入源となる猟兵と違い、遊撃士に依頼する人々の大半は民間人だ。そのため依頼料が低めに設定されており、報酬も少ないのが遊撃士という職業だった。
高ランクになれば、そこそこ実入りも良くなるが仕事の危険度は増す。だから生活のためや金欲しさに遊撃士になる者は少ない。どちらかと言えば、ある種の目的と志を持って活動している者が大半を占めていた。
「まあ、適当に座ってくれ。飲み物は何がいい? 一応、酒もあるが――」
「酒って……出来たら普通に紅茶の方が……ヨシュアもそれでいいわよね?」
「あ……うん」
もはや、どの辺りからツッコミを入れていいか分からず、エステル以上にヨシュアは戸惑いを隠せずにいた。むしろ、この状況で呑気にリィンに紅茶を要求しているエステルが特殊なだけと言えるだろう。
どれだけ気さくで人当たりの良い人物に見えても、相手は猟兵団を率いる最強クラスの猟兵だ。それこそ正面から戦えば、カシウスでも敵わないかもしれない怪物。リィンがその気になれば、エステルと二人掛かりでも敵わない相手であることをヨシュアは察していた。
謂わば、ここは招かれざる客にとって鉄の監獄に等しい。猟兵の領域だ。いまのところ友好的に接してくれてはいるが、この先どう転ぶかは分からない。ただでさえ、遊撃士と猟兵の関係が悪いことを考えれば、ヨシュアはエステルほど楽観的にはなれなかった。
エステルが余計なことを口走らないように注意を払いながら、レンも連れてくるべきだったと今更ながらにヨシュアは後悔する。そのレンはというと、当初の目的である騎神を見るためにスカーレットの案内で格納庫へ行っていた。レンがリィンの手の内にある以上、実際のところ逃げることも出来もない。そもそもの目的はレンを連れ戻すことにあるからだ。万が一の場合も、レンを置いて逃げることをエステルは了承しないだろう。
(わかっててやってるんだろうな……)
鼻歌交じりに紅茶を入れるリィンの後ろ姿を見ながら、ヨシュアは深い溜め息を漏らす。自身と同じハーメルの遺児という話もあって、クローディアと同様にヨシュアはリィンのことを気にしていた。
薄らとリィンの顔に見覚えがあるような気はするのだが、ほとんど昔の記憶はないため、はっきりとしたことは思い出せない。そのため、リィンのことはエステルにも内緒で念入りに調査を行ってきたのだ。その結果分かったことは、ハーメルの遺児の話など霞んで見えるくらい厄介な経歴を持つ人物ということだけだった。
リィン・クラウゼル。その名を聞くようになったのは四年ほど前からだ。西ゼムリア大陸最強の猟兵団〈西風の旅団〉で部隊長を任せられていた若手最強の猟兵で、相方の〈西風の妖精〉と共に戦場を駆けるその姿から〈妖精の騎士〉と呼ばれ、当時から戦場で恐れられていた。
先の帝国で起きた内戦では、貴族派の英雄と名高いオーレリア・ルグィンに勝利したばかりか、ノルド高原で集落を襲った百を超える猟兵の屍を築き、その圧倒的な力で山をも吹き飛ばしたという冗談のような話もある。他にも、こちらは真実が定かではないが、貴族派に協力していた〈結社〉の異能者を退けという話もあって、正直なところ真実を知りたいという考え以上に、ヨシュアはリィンのことを警戒していた。
そんなヨシュアの視線に気付き、フッと笑みを漏らすリィン。ヨシュアが何を考え、何を気にしているかはリィンもある程度察していた。当然、警戒されているであろうことも承知の上で誘ったのだ。だが、その用心深さはヨシュアの長所であり欠点とも言えた。
ヨシュアの考えているように、リィンは善人ではない。こうして二人を話に誘ったのも思惑があってのことだ。状況次第ではヨシュアの危惧しているように、二人の敵となることもありえる。それでもリィンは、この場で二人に危害を加えるつもりはなかった。ここでエステルとヨシュアを害しても、何一つ得をすることはないからだ。それどころか、カシウス・ブライトに口実を与え、敵に回すことはデメリットしかない。二人に手をだせば、リベールや遊撃士協会も黙ってはいないだろう。
猟兵とは目的のために平然と人を殺す碌でなしであることは確かだが、彼等が人を殺すのは生活のためだ。故に無駄なことはしない。組織の命令で言われるがまま敵を殺してきたヨシュアとの明確な差はそこにある。猟兵がどういう存在かを知っていれば普通に分かることだが、悪い方にばかり考えてしまうのはヨシュアの欠点と言えた。
自分から踏み出さなければ得られない答えもある。そう言う意味では、一見すると恐い物知らずに見えるエステルの行動にも意味はあるということだ。
(互いに上手く短所を補い合っていると言ったところか)
二人の能力と性格を分析しながら、どういう風に話を振るべきかとリィンは逡巡する。
この二人だけなら騙すのは難しくないが、二人の背後には厄介な人物が何人かいる。ましてやレンは子供ながらに頭が切れ、妙に勘の鋭いところがある。スカーレットに命じて彼女を引き離したのは、それが理由とも言える。
昨日のカード勝負からも明らかだが、レンにはったりや嘘は通用しない。すぐにこちらの思惑を読まれるだろうとリィンは考えていた。
となれば、下手な小細工は弄するだけ無駄だ。なら――
「じゃあ、情報交換といくか。まずはそっちからだ。何から聞きたい?」
それぞれの前に紅茶の入ったカップを置き、リィンはそう話を切り出した。
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