中庭でアルフィンたちが話に花を咲かせている頃、フィーはミリアムと手分けして周囲の警戒に当たっていた。クローディアにお茶に誘われたが「仕事があるから」と、それを断ったためだ。
離宮の周りは、王室親衛隊の兵士が固めている。そのことを考えれば、さすがに襲ってくるような敵がいるとは思えないが、万が一と言うこともある。リィンからアルフィンたちの護衛を任された以上、その信頼をフィーは裏切るつもりはなかった。そう言う意味ではミリアムも軍属の人間だ。普段の姿からは想像も付かないと思うが、これでもベテランの工作員。紅茶やケーキの誘惑に負けて、目的を見失うほど子供ではない。しかし――
「食べる?」
「うん……」
若干不満げな表情でミリアムは、フィーからスティック状の携帯食を受け取る。
リィンのところならクレアの下で働くよりは楽が出来ると踏んでいたのに、実際には思っていたほど楽な任務ではなかった。
甘いケーキと紅茶を思い浮かべながらミリアムが携帯食をかじっていると、何かに気付いた様子でフィーは立ち上がる。
「何か来る」
フィーの言葉を確かめるため、ミリアムはアガートラムの腕に捕まり空に飛び上がると、街道沿いへと目を向ける。
その視線の先には、土煙を上げながら猛スピードで宮殿へ迫る一台の車の姿があった。
「うわー。凄い飛ばしてるね」
「ん……敵の襲撃じゃなさそうだけど……。ミリアムは引き続き周囲の警戒をお願い」
「了解。で、フィーはどうするの?」
「アルフィンに報告して指示をもらってくる」
ミリアムにその場を任せると、フィーは屋根伝いにアルフィンのもとへ向かった。
◆
フィーが中庭に到着すると、アルフィンとクローディア、それにエリゼの三人はリィンの話で盛り上がっていた。
そんななかアルティナはと言うと、会話には参加せず、一人で静かに紅茶とケーキを楽しんでいた。
相変わらずマイペースなアルティナを見て、フィーも苦笑する。
ミリアムが見れば、「アルティナだけ狡い!」と憤慨することは間違いないだろう。
「アルフィン」
クローディアを一瞥して、アルフィンに声を掛けるフィー。
フィーの確認を取るような視線に気付き、アルフィンは頷いて返す。
「構いません。何かあったのですか?」
「おかしな車が一台近づいてくる。どうしたらいい?」
その報告に眉をひそめるアルフィン。クローディアも驚いた様子で目を瞠る。
今日はアルフィンが離宮を訪問する予定となっているため、エルベ離宮に通じる道は封鎖されていた。
ともすれば、その車は検問を突破してきたということになる。これがアルフィンを狙った襲撃者であった場合、大問題だ。
「ユリアさんに確認を取ってみます。ここでお待ちを……」
慌てた様子で席を立ち、ユリアと連絡を取るために建物の中へと姿を消すクローディア。
そんな彼女の背中を見送り、アルフィンはフィーに視線を向けると疑問を口にした。
「どう思いますか?」
「敵なら一台だけと言うのは変だし、行動が目立ち過ぎ」
フィーの説明に、確かにその通りだとアルフィンも頷く。
離宮の周りは、ユリアの手配した王室親衛隊が警備を固めている。仮にも王家を守るために集められた精鋭たちだ。生半可な戦力では、突破することは難しいだろう。
それに奇襲を仕掛けるにしては行動が目立ち過ぎる。そのことから敵襲と考えるには可能性が薄かった。
「姫様。一応、避難されますか?」
「必要はないでしょう。いざとなれば、彼女もいますし」
エリゼの問いにそう答え、アルフィンはフィーへ確認を取るように視線を向ける。
本当に命の危険があるような状況であれば、フィーはアルフィンの意思を確認することなく次の行動に移っているはずだ。そうしないということは、そこまで切迫した事態ではないとアルフィンは考えた。
ならば素人考えで下手に動くより、フィーの判断に任せた方が安全だ。
「ん……任せて。アルフィンたちは守るから」
守ると言ったなかにクローディアや離宮で働く人々が含まれていないことは確実だが、そこまでアルフィンも無理を言うつもりはなかった。
元より、こうした事態に対処するのはリベールの役割だ。フィーの役目はアルフィンの護衛であって、リベールの尻拭いをすることではない。
とはいえ、フィーの反応を見るに危険は少ないと考えていいだろう。どちらかと言えば、厄介ごとの類だとアルフィンは感じていた。
クローディアの慌てた様子を見るに、予定にない出来事であることは間違いない。そしてエルベ離宮は今日、一般客の立ち入りが制限されている。
だとするなら車に乗っている人物の目的は、恐らく自分たちだろうとアルフィンは考え、
「少し頼まれてくれますか?」
アルティナに声を掛けた。
◆
「だから! 少し挨拶するだけじゃない。通してって言ってるのが分からないの!?」
「し、しかし……誰も通すなと隊長から言いつかっていますので……」
「融通の利かない男ね……いいわ。なら、その隊長を呼びなさいッ! エリカ・ラッセルが話があるってね!」
門のところで兵士に詰め寄っている白衣を纏った金髪の女性がいた。
エリカ・ラッセル。オーブメントを発明したエプスタイン博士の三高弟の一人にして、『導力革命の父』の名で知られるアルバート・ラッセルの一人娘だ。そして自身もツァイト中央工房――通称ZCFに所属する技師で、応用工学の分野においては父親をも凌ぐ優秀な科学者として、その道では知られる有名人だった。それだけに兵士も自分だけの判断で追い返すわけにもいかず、対応に困っていた。
ZCFはリベールの導力技術を支える柱とも言える企業だ。ユリアから誰も通すなと厳命されているが、だからと言って相手はZCFに名を連ねる重要人物。対応を間違えれば、自分の首が飛ぶだけの話では済まない。そう考えた兵士が、エリカの言うようにユリアに連絡を取って判断を仰ごうと通信機に手を掛けた、その時だった。
「エリカ・ラッセル博士……」
「あら?」
同じくユリアに連絡を取るため、通信機を借りようとやってきたクローディアと、ばったりと入り口のところでエリカは出会す。
ユリアに確認を取るまでもなく騒ぎの原因を察したクローディアは、お騒がせなエリカを見て溜め息を漏らした。
兵士に「この場は任せて欲しい」と言い、エリカに突然の来訪の理由をクローディアは尋ねる。
「今日はどうしてこちらへ?」
「帝国からのお客さんが来てるんでしょ? 噂の皇女様と護衛の猟兵が――だから少し挨拶をさせてくれない?」
「えっと……今度は何を企んでおられるんですか?」
「企むなんて酷い!? カレイジャスの開発には私も関わっているのよ。気になって当然じゃない!」
確かにカレイジャスはZCFとRFグループが共同で開発した船だ。その開発にはエリカも設計段階から深く関わっていた。
オリヴァルトに拝み倒され、王国と帝国の友好の架け橋になればと開発に協力してみれば、いつの間にかその船が猟兵の持ち物になっていたのだ。そういう意味では、彼女がカレイジャスのことを気にするのは分からない話ではなかった。
しかしそれなら直接船に向かえばいいものの、何故こちらにきたのかとクローディアは不思議に思い、エリカに尋ねる。
「船に用があるのなら、空港へ直接向かえばよかったのでは?」
「もう行ったわよ。そしたら、そっちでも巡回の兵士に止められちゃってね。だから直談判にきたのよ」
「はあ……」
この性格と行動力だ。カレイジャスに突撃しようとしたところを、空港の警備に当たっていた兵士に止められたのだろうとクローディアは察した。
どうして今日の予定を把握しているのかとか、エルベ離宮にいることが分かったのかなど敢えて尋ねるまでもない。
検問を突破してきたことといい、エリカならその程度のことは簡単に調べがつくことは想像に難しくなかったからだ。
「でも、ここで姫様に会えてよかったわ。勿論、紹介してくれるわよね?」
「ええっと、それは……」
このままエリカを通して、アルフィンたちに会わせて良いものかとクローディアは悩む。ここで拒否したところで簡単に諦める性格とは思えないが、素直にエリカの望みを聞き入れるのは不安が大きかった。
稀有な才能を持った有能な人物であることは間違いないのだが、時々こうして周囲の迷惑を顧みず暴走するのが彼女の悪い癖だった。いや、同じことがアルバート・ラッセル博士にも言えるため、やはり親子と言うことなのだろう。
そんな風にクローディアが迷っていると、二人の間に一人の少女が割って入った。猫耳フードのパーカーを纏った少女、アルティナだ。
「どうして、ここに?」
「皇女殿下から伝言です。知り合いなら連れてきてもいいと」
突然現れたアルティナに驚きながらクローディアが用件を尋ねると、予想もしない答えが彼女の口から返ってきた。
どうしたものかと逡巡するが、仕方ないと言った様子でクローディアは諦める。エリカが面会を求め、アルフィンが通して良いと言っている以上、それを拒む理由はクローディアにはなかったからだ。
まだ自分の目が届くところで話をしてもらった方がマシだと考え、クローディアがエリカに声を掛けようとした、その時――
「か……可愛い!」
アルティナを目にしたエリカが突然、目を輝かせて大声を上げた。
そんなエリカから逃げるように、アルティナはクローディアの背中に隠れる。
「……邪な気配がします。不埒な人ですか?」
「え、えっと。大丈夫ですよ……たぶん」
エリカが可愛いものに目がないことを思いだし、渇いた笑みを浮かべながらクローディアは警戒するアルティナを宥める。
――出来ることなら何事もなく終わって欲しい。
エリカを追い返すわけにもいかず、そんな切実な願いをクローディアは女神に祈るのだった。
◆
「初めまして。エレボニア帝国皇女、アルフィン・ライゼ・アルノールです。博士のご高名は伺っています」
「エリカ・ラッセルです。こちらこそ、皇女殿下のご活躍は耳にしています。お会い出来て光栄ですわ」
笑顔で握手を交わすアルフィンとエリカ。
一見すると友好的な雰囲気に見えるが、ピリピリとした気配を感じてクローディアは頬を引き攣る。
「なんでも今日は、わたくしに面会を求めていらっしゃったとか。どのようなお話でしょうか?」
「では単刀直入に。カレイジャスを猟兵に下賜されたと聞いています。そのことについて事前に連絡がなかったのは、どうしてでしょうか?」
カレイジャスの建造には、RFグループだけでなくZCFも深く関わっている。特に飛翔機関を動かすのに必要な導力エンジンは、ZCFが開発したものがそのまま使われていた。不戦条約締結の際、王国から提供されたアルセイユと同型の物だ。
そのことを考えれば、当然ZCFからも何かを言ってくる可能性は十分にあるとアルフィンは予想していた。
「そのことですか。報告が事後になってしまったことはお詫びしますが、あの船はアルノール皇家が所有する船。皇家の船をどう扱おうと我が国の自由と考えますが?」
しかし、毅然とした態度でエリカの質問にアルフィンは答える。
建造されるに至った経緯はどうあれ、帝国に引き渡された時点でカレイジャスの所有権はアルノール皇家にある。
その船をどう扱い、誰に与えようと他国の企業に干渉される謂われはないとアルフィンは否定した。
「おかしなことを仰いますね。あの船は王国と帝国の友好の証に建造された船。私たちも両国の友好の架け橋になればと開発に協力させて頂きました。なのに内戦の功績があるとはいえ、戦争を生業とする猟兵に与えるというのは些か行き過ぎなのでは?」
「そうでしょうか? 彼等は帝国の平和のために命を懸けて尽力をしてくれました。その功績に報いるのは、国として当然のことだと思いますけど?」
正論に正論で返すアルフィン。エリカの言い分は一理ある。両国の友好の証、謂わば平和の象徴として建造された船を、戦争を生業とする猟兵に与える。カレイジャスの建造に関わった者たちからすれば、皮肉や挑発と受け取られても仕方のない行為だ。
しかし、平和のために命懸けで戦った英雄たちに報奨を与えるのは当然とするアルフィンの考えも分からない話ではなかった。
「……リベールでは猟兵の運用は禁止されています」
「それこそ、王国の問題なのでは? 猟兵に対する偏見がまったくないとは言いませんが、リベールのように不必要に彼等を恐れ、迫害するような者は我が国にはいません。外敵から自分たちの生命と財産を守るために、大きな企業や領地を持つ貴族が独自に猟兵団と契約を結ぶことは我が国では珍しい話ではありませんしね」
猟兵だからと差別するなと、アルフィンはエリカに釘を刺す。この国の人々が猟兵をどう思っているかは理解しているつもりだが、そのことと帝国の話は別だ。
猟兵に皇家が所有する船を下賜するというのは前例がないことだが、働きに応じた対価を支払うのは当然のこと。踏み倒すような真似をすれば悪しき前例を作ることになり、これまで築き上げてきた彼等との関係に大きな亀裂を入れる結果にも繋がりかねない。一度失った信用を取り戻すのは難しい。そのことを考えれば契約通りに船を一隻与えるだけで、今後も彼等と良好な関係を結べるのであれば、帝国にとって悪い話ではなかった。
王国は猟兵を排除する道を選んだが、帝国は彼等と共存する道を選んだ。どちらが良い悪いという話ではなく、王国と帝国では文化や経済など置かれている環境が大きく異なるということだ。
だからリベールの言い分も分からなくはないが、彼等の常識や都合を押しつけられるのはアルフィンにとって迷惑でしかなかった。
「そういう態度にでられるのであれば、今後一切ZCFは帝国に協力しないこともありえますが?」
「御自由にどうぞ。我が国にも優秀な技術者は大勢いらっしゃいますので。どちらかと言えば帝国との取り引きを止めてしまえば、困るのはあなた方の方だと思いますよ? ボースなどは帝国との貿易で栄えている街でしたよね」
「……脅しでしょうか?」
「わたくしは客観的な事実を口にしただけですわ。むしろ、そちらこそ言葉には気を付けてください。彼等は猟兵ですが、内戦を終結に導いた英雄でもあります。たかが小国の一企業と、彼等のどちらが帝国にとって重要か、少し考えれば分かることだと思いますけど?」
アルフィンの言葉に何も言い返せない様子で、エリカは「うぐぐ」と唸り声を上げる。ZCFの導力技術は確かに目を瞠るものがあるが、組織としてみればZCFよりも大きな企業や団体は数多く存在する。実際、資本力や市場規模という観点から見れば、帝国のRFグループや共和国のヴェルヌ社に遠く及ばないのが実情だった。所詮は小国の一企業に過ぎないと言うことだ。
むしろ帝国との取り引きを止めれば、ダメージが大きいのは彼等の方だ。それが引き金となって帝国との交易自体が破綻するようなことになれば、ことはZCFだけの問題に留まらずリベールの経済は立ち行かなくなるだろう。
エリカは確かに天才かもしれないが、それはあくまで技術者として優れているに過ぎない。経営者としては二流。政治家もこの性格では向いているとは思えない。交渉ごとに長け、国や政治というものをよく知るアルフィンに口で敵うはずもなかった。
「ラッセル博士。もうそのくらいで……」
「くッ……仕方ないわね。それと私のことを、あのジジイと同じ呼び方しないで」
クローディアが仲裁に割って入ったことで、エリカはどうにか矛を収める。
しかし、まだ納得していないことは、その不満げな表情を見れば明らかだった。
「もういいわよ。科学者である以上、作った物がどう扱われようと覚悟はしているしね」
「では、何故このようなことを……」
自分たちが開発した技術が人々の生活を豊かにするだけでなく、政治や戦争の道具として使われることはエリカも覚悟していた。
しかし、それならどうしてカレイジャスの問題を蒸し返すような真似をしたのかと、クローディアはエリカに尋ねる。
「交渉するために決まってるじゃない。こうなったら、間怠っこしい話は抜きよ。あの騎神とかいう兵器、あれを私に見せなさい。いえ、研究のために一つ寄越しなさい。それでカレイジャスの件は黙っててあげるし、技術協力でもなんでもしてあげるから」
それが目的かと納得が行くと同時に、クローディアはエリカの行動に呆れる。それは、どう考えても無理な要求だった。
アルフィンと〈暁の旅団〉の関係を考えれば、勘違いしても不思議ではないが交渉する相手を間違えている。そもそも、あの二体の騎神は帝国の所有物ではない。それに交渉を持ち掛けたところで、リィンが騎神をエリカに預けるとはクローディアには思えなかった。むしろ、そのことが原因でリィンの機嫌を損ねてしまうことの方が怖い。
やはりエリカを通すべきではなかったと考え、次から次へと訪れる厄介ごとにクローディアの口から自然と溜め息が漏れる。
とにかくエリカには監視を付けた上で、ツァイスに帰ってもらおうとクローディアが心を決めた、その時。アルフィンから思いもよらない提案がされた。
「騎神をお譲りすることは出来ませんが、持ち主と交渉する機会くらいは設けて差し上げられるかと」
「……よろしいのですか?」
「構いません。素直に引き下がるような性格ではなさそうですし……」
不安げな表情で確認を取るクローディアに、アルフィンは肩をすくめながら答える。エリカの性格から考えて、断ったところで素直に引き下がるとは思えない。それにカレイジャスの件であれば、アルフィンは王国と帝国の問題ということで自分が話を付けるつもりでいたが騎神のこととなると話は別だった。
騎神はただの兵器ではない。乗り手を選ぶ、意志を持った兵器だ。リィンの計略に嵌まったということもあるが、帝国が〈灰〉と〈緋〉の騎神の確保を諦めたのは、起動者の考えを無視した強引な勧誘はメリットよりもデメリットの方が大きいと判断したためだ。先程の話からも、エリカはそのことを知らないのだろうと察することが出来た。
そして恐らく〈暁の旅団〉をただの猟兵団と侮っている。アルフィンに交渉を持ち掛けたのも、彼等の裏に帝国がいると勘違いしているためだ。しかし実際には帝国と彼等の間に上下関係など存在しなかった。むしろ、帝国の方がリィンに弱味を握られていると言った方が正しい。そうした勘違いはアルフィンがどう説明したところで納得してもらえるものではない。ならば、直接リィンに会わせた方が説明の手間が省けていいとアルフィンは考えた。それに――
(リィンさんにも少しは苦労してもらわないと……)
まだ昨夜のことをアルフィンは根に持っていた。
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