「――と言う訳だ。納得したか?」
ほとんど質問をしていたのはヨシュア一人だったが、リィンはそのすべてに嘘偽りなく答えた。
もっとも嘘を言っていないだけで、前世の記憶のことなど話していないことは多々ある。ほとんどはトヴァルも知っているような情報ばかりだ。実際のところヨシュアも確認の意味合いが強く、質問した内容のほとんどは答えを知っていたのだろう。それだけに目新しい情報を得られなくて歯痒い思いをしていることが、その表情から窺い知れた。
とはいえ、本来であれば質問に答える義理はリィンにないことを考えれば、かなりの譲歩をしていると言えた。
「最後に一つだけいいですか?」
「なんだ?」
「あなたはハーメルの遺児を名乗った。あれは……」
「事実だ」
嘘だとはヨシュアも思ってはいなかった。当時のことを知る関係者の多くが所在を掴めなかったり、死亡していることから明確な証拠は出て来なかったが、ギリアスが百日戦役で家族を亡くしていることまでは突き止めることが出来ていたからだ。
隠蔽された事実。不自然に改竄された情報を見るに、ギリアスの家族が死亡した時期と照らし合わせても、リィンの言っていることが真実である可能性は高い。それでもやはり本人の口から聞いておきたかった。これまでは自分とレーヴェの二人しか、ハーメルの生き残りはいないとヨシュアは思っていたからだ。
そして、レーヴェ――結社に所属する執行者にして剣帝レオンハルトの名で呼ばれる彼も、リベールで起きた二年前の戦いで命を落とし、ハーメルの生存者はヨシュアしかいなくなってしまった。そんななかで自分以外にハーメルの生き残りがいることを知ったヨシュアの驚きは、言葉では言い表せないほど大きなものだった。
「だが、それがどうした? 俺がハーメルの出身であろうとなかろうと、お前には関係のない話だ」
確かにリィンの言う通りだ。同じ故郷を持つと言うだけで、リィンとヨシュアに大きな接点はない。実際ヨシュアも当時の記憶は曖昧で、もしかしたら出会っていたのかもしれないがリィンの顔すら覚えていなかった。
そのことを考えれば、リィンのことを調べたのも自己満足に過ぎないことはヨシュアも理解していた。
真実を知ったところで何一つ出来ることはない。それでも――
「関係ないですって!? 同じ故郷出身なんでしょ!? ヨシュアの気持ちを知りもしないで――」
「エステルいいんだ」
「よくない! 本当は嬉しかったんだよね? 自分やレーヴェ以外に無事だった人がいるってわかって。だから会いたかった。いろいろと話をしたかった。違う?」
違わない。エステルの言うとおりだった。真実や理屈なんてどうでもいい。リィンと会って話をしてみたかった。
ただ、自分たち以外にも生きていた人がいるとわかって、ヨシュアは嬉しかっただけだ。
「エステル・ブライト。お前には関係のない話だ。なのに、どうしてそこまで拘る?」
「関係なくない! 私はヨシュアの家族よ。家族のことを心配するのは当然じゃない!」
激昂するエステルを見て、リィンはやれやれと言った様子で頭を掻く。彼女が怒っている理由について理解は出来るが、だからと言って考えを変えるつもりはなかった。
ハーメルの遺児を名乗りはしたが、そもそも幼い頃の記憶がリィンにはない。話せるようなことは何もなければ、ヨシュアとは故郷の話を肴に酒を交わすような仲でもないとリィンは思っていた。
それにリィンは猟兵で、エステルとヨシュアは遊撃士だ。猟兵と遊撃士が協力し合えないとは言わないが、不必要に馴れ合うつもりはリィンにはなかった。いや、この二人だから必要以上に馴れ合うべきではないと考えていた。ヨシュアはともかくエステルとは、致命的に考えが合わないことをリィンは察していたからだ。
エステルの性格は人としては好ましいと思っているが、致命的に猟兵たちとは相容れない性格であることをリィンは見抜いていた。
リィンは目的のためであれば、障害となるものを排除することに何の躊躇いもない。結果的に命を奪うことになったとしても、禍根を残すくらいなら確実性を重視する。だがエステルの場合、相手がどれほどの悪人であっても、殺さずに更正させる道を選ぶはずだ。そんな彼女だからヨシュアやレンを救うことが出来たと言えるのかもしれないが、それが通用するのはまだ引き返せる位置にいる相手だけだ。
自らの意志で戦場に立ち、命を奪い、糧を得ることに納得している猟兵を説得することは難しい。いや、不可能と言ってもいいだろう。
リィンは命を奪うことを躊躇ったりはしない。それが必要なことであれば、迷いなく実行に移す決断力と覚悟を持っている。戦場では少しの迷いが命取りに繋がることを知っているからだ。
どちらが正しいと言う訳でもないが、敵であっても赦し、救おうとするエステルの考えは、自分とは対極の位置にあるとリィンは考えていた。
そして、そのことにヨシュアが気付いていないはずがない。
「質問は終わりだな。じゃあ、次は俺の番だ」
「待って! まだ話は――」
最後まで言い終えることなく、リィンに睨まれてエステルは膝を落とす。
たくさんの事件に関わり、数多の強敵と対峙し、幾度の危機を乗り越えてきた。そのなかには死と隣り合わせの戦いもあった。しかし、これほど明確な死のイメージがエステルの頭を過ぎったのは初めてのことだった。
今更ながらに目の前の人物が、ただの親切な若者ではないことをエステルは自覚する。
「これで理解しただろ? 猟兵たちと遊撃士の間には致命的な溝がある」
普段はそんな素振りを見せないが、リィンにも譲れない一線がある。エステルは持ち前の性格でそれを軽々と踏み越えて来ようとするが、リィンは自分の領域に彼女を入れるつもりはなかった。
いまのは警告だ。これ以上、踏み込んでくるようなら容赦はしないという意思表示だった。それをヨシュアも感じ取った様子で落ち込むエステルの手を握り、リィンを静かに睨み付ける。だが、それでいいとリィンは笑みを浮かべた。
ようやく話の出来る状態になったところで、リィンは本題を切り出す。
「お前等、クロスベルの問題に首を突っ込む気でいるな。いや、現在進行系でちょろちょろと嗅ぎ回っていると言ったところか。それはギルドの依頼か? それとも個人的な事情のどっちだ?」
「……どちらかと言えば、個人的な事情です。それはクロスベルに関わるなという警告ですか?」
「早合点するな。それにそう言ったところで、素直に聞く性格じゃないだろ?」
早合点するヨシュアをリィンは嗜める。
言って聞くようなら苦労はしない。それは先程のやり取りからも明らかだった。
だからリィンは二人に自分の目的を告げる。
「最初に言っておく。ギリアス・オズボーンとマリアベル・クロイス。この二人の始末を譲るつもりはない。その邪魔をするのなら、例え誰であっても敵と見なす」
他にも思惑はあるが、最大の目的はギリアスとの決着を付けることだ。マリアベルに関しても、シーカーの一件に関わっていると分かった以上、手を抜くつもりはなかった。
だが、エステルとヨシュアの二人は複雑な表情を見せる。当然だろう。ギリアスとマリアベルの二人を殺すと宣言されたのだ。
エステルの性格を考えれば、納得の行く話ではないことくらいリィンも承知の上だった。
「だが逆に言えば、他のことなら何をしようと自由だ。一般市民を守るのが遊撃士の役目だというのなら、それも良いだろう。お前等のやりたいように動くといい」
これには二人も驚く。てっきり邪魔をするなと釘を刺される思っていたのだ。
リィンの提案を要約するなら、民間人の保護というギルドの理念に則った活動であれば、〈暁の旅団〉は関与しないということだった。
リィンが最初に自身の目的を告げた理由を考え、そういうことかとヨシュアは察する。
「……相互不干渉。僕たちにギルドを抑えろってことですか」
「察しがいいな。だが、悪い話ではないはずだ。シャーリィはやる気をだしているが、正直なところギルドとやり合うなんて余計な手間は掛けたくない。お前等も街に必要以上の被害がでるのは困るはずだ。だから事前に線引きをしようっていう提案だ」
クロスベルの攻略に際して、ギルドの存在が一番厄介だとリィンは感じていた。
特にクロスベルの遊撃士は、最低でもBランク以上の凄腕が集まっているという噂だ。脅威というほどの相手ではないが、数で抵抗されればそれなりに面倒な相手だ。そのなかでも既にギルドを脱退したという話ではあるが、〈風の剣聖〉の異名を持つアリオス・マクレインに関しては、特に注意を払わなくてはいけない相手だとリィンは警戒していた。
アリオス・マクレイン。元A級遊撃士にしてカシウス・ブライトと同じ八葉一刀流の使い手で、〈剣聖〉の二つ名で呼ばれていることからも察しが付くように〈理〉に至った最強クラスの達人だ。ギルドを脱退後は、クロスベル独立国の国防長官に就任。そして先のオルキスタワー攻略戦の後に、大統領の相談役を務めていたイアン・グリムウッドと共に消息を絶っていることまでリィンは情報を掴んでいた。
だが、行方を眩ませたまま終わるような男でないことは明らかだ。一番厄介なのは、アリオスが遊撃士に復帰すること。そうでなくともギルドと手を組まれれば、これほど厄介な相手はいない。そのことを考えれば余計な手間を省くという意味でも、ギルドとは最低でも不干渉を約束しておきたかった。
そして、ギルドの干渉を防ぐ上で最大の障害となり得るのが、エステルだとリィンは考えていた。
エステル自身の実力はたいしたことはないが、彼女の持つ人脈は侮れないものがある。エステルがクロスベルの問題に関われば、望む望まないに拘わらず彼女に手を貸そうとする人間が大勢出て来るはずだ。
最悪、ギルドだけでなく立場の異なる人間が手を取り合い、敵となる可能性も否定は出来ない。エステルには、それを為すだけの力と人脈があるとリィンは読んでいた。
「あなたは、クロスベルをどうするつもりなんですか?」
「何もしない。俺たちの目的はあくまでギリアスとマリアベルの命だ。クロスベル自体に興味があるわけじゃないからな」
「それは帝国にクロスベルが併合されることになったとしてもですか?」
「わかってるじゃないか。結果的にそうなったとしても、それは連中の自業自得だろ?」
ヨシュアがクロスベルの問題で最も懸念を抱いていたのが、帝国の動きだった。
そしてリィンがそれを否定しなかったことで、ヨシュアのなかの推測は確信に変わる。
恐らく〈暁の旅団〉と帝国の間では、戦後のクロスベルの扱いについて既に話が付いているのだろうと――
「エステル。この話を受けよう」
その上でヨシュアは、リィンの提案を受けるべきだと考えた。裏に帝国がいる以上、ここで踏み込まなければ介入の機会を失うと考えたためだ。
それにこの提案を蹴れば、リィンはそれこそ手段を選ばなくなるだろう。〈赤い星座〉がクロスベルを襲撃した時のように街は焼かれ、市民にも多くの犠牲者がでる可能性が高い。目的のためであれば、そのくらいのことは平然とやる冷酷さをリィンは持っているとヨシュアは感じていた。
「ヨシュア……いいの?」
「彼等まで敵に回したら、それこそ打つ手がなくなる。話を鵜呑みには出来ないけど、この件に関して言えば信用はして良いと思う。勿論、目の前の犠牲に目を瞑ることが出来ればだけど……」
ヨシュアたちにとっても、警戒すべき相手はリィンたちだけではない。クロスベルの問題をどうにかしようとした場合、ギリアス・オズボーンやクロイス家をどうにかすべきという点については思惑が一致していた。
敵の敵は味方と言ったように猟兵と遊撃士では相容れないと理解しつつも、この点に限って言えば信用はしていいとヨシュアは考える。一つ問題があるとすれば、エステルの気持ちだった。
リィンはギリアスとマリアベル。この二人の始末が目的だと言った。それは彼等を殺すと言うことだ。
「……殺さないわけにはいかないのよね?」
「俺はお前と違って、そこまで人を信用してないからな。アイツ等が罪を悔い改めると思ってるなら甘い考えは捨てろ。息をするように周りを不幸にする連中もいる。――ゲオルグ・ワイスマンのようにな」
リィンの口から思いもしなかった名前がでたことで、エステルだけでなくヨシュアも息を呑む。
ゲオルグ・ワイスマン。〈白面〉の異名を持つ〈結社〉の使徒だ。自身の研究のためなら他者を利用し貶めることも躊躇わない性格で、ヨシュアもその被害者の一人だった。そもそもの話、ハーメルの悲劇もワイスマンの仕組んだことだ。主戦派の貴族たちを唆し、ハーメルを襲うように入れ知恵をしたのが、ワイスマンだからだ。しかし彼はリベールの異変の際、教会の放った刺客の手によって命を奪われた。
死んだ人間のことを悪く言うつもりはないが、ワイスマンに限って言えば改心など求めるだけ無駄と言っていい人格破綻者だ。
そしてギリアスやマリアベルも、目的のためなら平然と他者を利用し、友人や仲間さえも切り捨てる連中だ。同じ外道であることに変わりはない。
エステルも思い当たる節があるのか、俯いたまま何も言い返せずにいた。だが――
「一つ……条件があるわ」
「条件を付けられる立場だと思っているのか?」
「それでも聞いてもらう。でなきゃ、協力は出来ない。例え、敵わないとわかっていても抵抗くらいはするわ」
リィンの目を見ながら、はっきりとエステルは自分の考えを口にする。
現実を分からせるためにリィンは敢えてワイスマンの名を口にしたのだが、それが逆にエステルの覚悟に火を点けてしまった。
リィンにとって予想外だったのは、想像以上にエステルの意志が固かったことだろう。
お人好しもここまで貫けば大したものだと、リィンは半ば感心しながら尋ねる。
「……話くらいは聞いてやる。条件は?」
「特務支援課の皆に一度でいい。マリアベルさんと話をする機会をあげて」
何を言い出すのかと思えば、予想もしなかった条件を提示され、リィンは目を丸くした。
「……知り合いなら説得に応じるとでも思っているのか? そんな甘い相手じゃ……」
「でも、可能性はゼロじゃない。それに彼等にはあたしやヨシュアと違って、この件に関わる資格があるはずよ。あなたと鉄血宰相の間に切っても切れない因縁があるようにね」
リィンもまさかエステルの口から特務支援課の名前がでるとは思っていなかった。当初の予定と大きく違う展開に、リィンはどうしたものかと逡巡する。
相手がヨシュアだけなら、さっきの話で交渉は終わっていたはずだ。しかし、エステルは損得勘定だけで動くような人間ではなかった。
リィンが読み違えた点は、まさにエステルのこうした性格にあった。
(厄介だな。エリィのことに気付いているわけじゃないだろうに……)
一番厄介なのは、エステルと特務支援課の面々に結託されることだとリィンは考えていた。
エステルがマリアベルを救うために行動をすれば、ロイドたちも彼女の動きに呼応する可能性が高い。いや、特務支援課の話を持ち出した時点で、既にエステルと特務支援課は繋がっていると考えて間違いないだろう。そうなれば、いまでこそ計画に協力的なエリィも心変わりをする可能性がある。エステルの厄介なところはそこだ。周りの人間に『もしかしたら』と言った希望を抱かせることに長けている。
こうなることを避けるために交渉を持ち掛けたというのに、わかっていてやっているのであればギリアス以上の策士と言ってもよかった。
「……良いだろう。だがマリアベルが説得に応じなければ、それまでだ。当初の予定通り、俺は俺のやり方で決着を付けさせてもらう」
悩んだ末、リィンはエステルの条件を受け入れることを決めた。
特務支援課の扱いについてはリィンも迷っていたところだ。エリィを仲間に引き入れたまではいいが、正直なところロイドたちの動きは読めないでいた。
だが、はっきりとしていることもある。エリィやランディの一件からも明らかな通り、このまま黙って見ているような顔ぶれではないということだ。
そのことを考えれば、目の届かないところで余計な動きをされるよりはマシと考えることも出来る。問題があるとすれば、ロイドたちがこの話に乗ってくるかどうかだが、そのことは別にどちらでもいいとリィンは考えていた。
危惧しているのは、あくまでギルドの介入だ。エステルと約束したのは、ロイドたちとマリアベルの話が終わるまで手を出さないということだけだ。説得に失敗してロイドたちが邪魔になるようなら排除すればいい。
出来ることならエリィには納得の上で協力して欲しいが、彼女に言うことを聞かせる方法など他に幾らでもある。
(エステル・ブライトか……)
やはり一番厄介なのは彼女だと、自分の勘が正しかったことをリィンは再確認するのだった。
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