リィンのことは資料で見て知っていたとはいえ、年齢を詐称しているのではないかと思える若さに驚き、ケビンは警戒を顕にする。
才能があるとは言っても二十に満たない青年が、最強の一角に数えられるほどの実力を有しているなど俄には信じ難い話だ。
しかし守護騎士として危険な任務を数多く潜り抜けてきたケビンの直感が、確かな警笛を鳴らしていた。
(こりゃ、想像以上やな。化け物なんて生温いもんやないで……)
トマスの話も誇張ではないかもしれないとケビンは考える。あの後、案内された部屋でケビンとリースは、リィンと向かい合っていた。
リィンの放つ雰囲気に呑まれながらも、弱味を見せまいとケビンは強がって見せる。
「随分と手の込んだ出迎えをしてくれるやないか。俺等は客として招かれたはずやけど?」
「説明の手間を省くためだ。それに何も知らない少女に余計なことを吹き込んでくれたみたいじゃないか。これでお相子だろ?」
ティータのことを言われているのだと察し、ケビンは「ぐっ」と言葉を詰まらせ反論の言葉を失う。
あることないことを吹き込んだつもりはないが、ティータには〈暁の旅団〉には関わらないように念入りに釘を刺したつもりだった。
少し脅かしたことは確かだが、それはティータの身を心配してのことだ。しかしリィンが知っているところを見るに、その効果はなかったようだとケビンは溜め息を吐き、リィンを睨み付ける。
「あの子になんもしとらんやろな?」
「安心しろ。今頃はレンやエステルと一緒にツァイス行きの船に乗っているはずだ」
「……は? どういうことや?」
状況が呑み込めず、リィンに尋ね返すケビン。ティータが無事なのはよかったが、どうしてエステルやレンと一緒にツァイスに向かっているのか、その辺りの事情がさっぱりケビンには呑み込めなかった。
しかしリィンは質問に答える気はないらしく、さっさと本題に入る。
「ロジーヌがアルティナを連れて来るまで、もう少し時間がある。その間、腹を割った話をしようじゃないか」
予想していたとはいえ、リィンの話に身構えるケビン。隣に座るリースに視線をやり、少し困った顔を浮かべる。
そんなケビンを見て、何を気にしているのかリィンは察する。
「外の監視していた連中のことなら気にするな。そろそろ片付いている頃だ」
「――ッ!? まさか……殺したんか?」
「出来るだけ捕らえるように言ってあるから安心しろ。トマスへの貸しにもなるしな」
リィンがそのことに気付いていたことにも驚いたが、監視者は封聖省の人間だ。〈暁の旅団〉の関係者が教会の人間を殺めれば、それを口実に騎士団を動かしかねない。それだけにケビンは心配したのだが、リィンもそのことは考慮していた。
もっとも捕らえるのが無理そうなら身の安全を優先しろ、とはヴァルカンたちに言ってある。
団員の命と、教会の騎士の命。〈暁の旅団〉にとって、どちらが大切かなどわかりきっている。
だが、ケビンの危惧しているようなことにはならないだろうという確信がリィンにはあった。その根拠はトマスだ。
「まあ、先に答え合わせといくか、どこまで今回の件、理解している?」
「ライサンダー卿が筋書きを立てたってことくらいまでは理解しとる。アンタや〈暁の旅団〉についてまとめたレポートが、メルカバ経由で送られてきとったからな」
これにはリィンも少し驚いた様子を見せる。何か手を打っているとは思っていたが、そんな根回しまでしているとは思っていなかったからだ。
しかし、それだけにリィンはトマスの狙いに確信を持つ。
「大筋、お前の予想通りだ。まあ、俺も利用された口だがな。俺たちを餌に教会内部の大掃除をするのが、トマスの狙いだったんだろ。外の連中を見るに、お前のところにも接触があったんじゃないか?」
「ああ、封聖省の印章付で上から指示がきとった。アンタを殺せってな」
「ケビン、そんな話は聞いてないんだけど……」
「いや、それはな……」
しまったと言った顔で、ジト目で睨み付けてくるリースに言い訳をするケビン。
リースのためを思って黙っていたのだが、そのことがリースは気に入らなかったらしい。
「お互い利用された被害者ってわけだ。そこでだ。一つ話に乗らないか?」
リースを宥めていると、横からリィンにそんな話を持ち掛けられ、ケビンは目を丸くする。
そしてリィンの狙いに気付き、この場にロジーヌがいない理由をケビンは察した。
「まさか、彼女を退席させたんは……」
「ロジーヌには、この件に手をだすなと言ってある。何も伝えられずトマスに利用されたのは彼女も同じだからな。ああ見えて、内心では怒ってるんじゃないか? いや、呆れてると言った方が正確か」
リィンの話を聞き、トマスに内緒で何か自分にさせたいことがあるのだとケビンは察した。
ロジーヌが席を外しているのは立場上、話を聞けばトマスに報告をしないわけにはいかなくなるからだろう。
となれば、これ以上の不毛な探り合いをしたところで意味はないと悟ったケビンは、単刀直入にリィンに尋ねる。
「……何をさせる気や? 言っとくが、これでも神父や。教会を裏切るような真似は出来んし、リースにもそんな真似はさせるつもりはないで?」
「無茶を言うつもりはないさ。ただ、アイン・セルナートに手紙を届けて欲しいだけだ」
「……は?」
「……え?」
何をさせられるのかと思えば、まさかアインに手紙を届け欲しいと頼まれるとは思わず、ケビンとリースは同時に疑問の声を上げる。
「どういうことや? 総長と知り合いなんか?」
「いや、会ったことはないな。だが彼女のことは知っている≠ニだけ言っておく」
「話が見えんのやけど……」
アインからリィンの話など一度も聞いたことがない。それだけにケビンは不思議に思ったのだが、リィンも彼女には会ったことはないと言うし、さっぱり二人の関係が分からなかった。
「まあ、いい。それで、こっちの見返りは?」
「捕らえた連中の身に付けていた装備の返却でどうだ? 珍しいアーティファクトを欲しがる好事家は多いし、いっそ闇ルートで売り捌いてもいいんだが、そうされると教会としては困るだろ?」
「ぐっ……なら、捕らえた連中の身柄はどうするつもりや?」
「手紙一つ届けるだけで、そこまでは欲張りすぎだろ。それに、まだ連中には使い道があるからな」
捕虜の使い道というのが気になるが、このまま交渉を続けても自分たちの方が不利だと悟り、渋々と言った様子でケビンはリィンの提案を受け入れる。ひょっとしたら、その手紙からリィンの情報を何か得られるかもしれないと考えたからでもあった。
リィンにしても教会の騎士から奪ったアーティファクトなんて所持していれば、また教会に狙われる理由が増えるだけだ。そんな面倒な物は、さっさと手放しておきたいというのが本音だった。そして――
リィンから受け取った手紙を、ケビンが懐に仕舞おうとした時。
「ああ、そうだ。一つ言っておくことがある。絶対に手紙の中身を見るなよ」
内心を見透かされ激しく心臓が脈打つも、リィンに動揺を悟られまいとケビンは平静を装いながら返事をする。
「盗み見るような真似する気はあらへんけど、見たらどうなるんや?」
「アイン・セルナートの怒りを買う。それでも構わないなら好きにしろ」
ギョッとした顔でリィンを見て、思わず手紙を床に落としそうになるケビン。
ただの手紙かと思いきや、想像以上の危険物を手渡されたことに、今更になってケビンは気付く。
手紙の内容は気になる。しかしリィンの話が事実だった場合、この手紙にはアインの怒りに触れる何かが記されていると言うことだ。
興味本位で手紙を見たことがアインにバレたらどうなるか、その後のことが分からないケビンではなかった。
「リース……手紙を預かってくれへんか?」
「ケビンが持ってて。そんな危険物を総長に渡す役目とか、絶対に嫌」
リースに拒絶され、ガクリと肩を落とすケビン。
この手紙がどれほどの危険物か、リースも理解していると言うことだ。
今更ながらにリィンの頼みを安易に引き受けたことを後悔するケビンだった。
◆
「ふむ……」
難しい表情でアルティナの額に手をかざすケビンを見て、リィンは容態を尋ねる。
「どうだ?」
「確かに暗示のようなものが埋め込まれとる。この感じ……恐らくは以前に見たものと同じ、疑似聖痕って奴やな。こんなものをどこで……」
疑似聖痕。その呼称にリィンは覚えがあった。教会から盗み出した資料を元にワイスマンが研究の果てに完成させたものだ。
人類の進化――それがワイスマンの目的であり、教会に背いてまで貫いた研究テーマだった。人は弱い。その弱さ故に、人は多くの欺瞞を抱え生きている。しかしそうした弱さを抱えたままでは、これからも多くの悲劇を繰り返し、人は生きていくことになる。人間に絶望した彼が導き出した答え――それが人を超えた存在『超人』を生み出すことだった。無力な人の殻を破り『超人』となれば、そうした欺瞞を克服できると考えたからだ。
しかし疑似聖痕の生みの親、ワイスマンは既にこの世にいない。だとすれば他に犯人がいると言うことだ。
ワイスマンの残した研究を受け継ぎ、アルティナに疑似聖痕を埋め込めるほどの知識を有した人物。リィンの知る限り、そんな人間は一人しかいなかった。
(クロイス家――マリアベル・クロイスか)
ひょっとしたら人造人間と超人計画は、どこかで繋がっていたのかもしれないとリィンは考える。
実際、ゴルディアス級の開発も感応力の研究が元となっていることを考えれば、ありえない話ではなかった。
恐らくはアルティナが所属していたという〈黒の工房〉が、今回の件にも深く関与しているのだろう。
「それで暗示は解けそうなのか?」
「不可能やない。ただ、俺に出来るのはあくまで切っ掛けを与え、ほんの少し手助けをすることだけや。自力で克服せんことには、この暗示は解けん。問題はこの子の精神が耐えられるかどうかってところやけど……」
「最悪の場合、どうなる?」
「……暴走する。そのまま自我が崩壊して廃人になることもあるやろな」
想像以上に重い話だった。しかしリスクがあることは最初から予想の出来ていたことだ。
エマが匙を投げるほどとなると、普通の方法では暗示を解くことは難しい。だからこそ教会の秘術に頼ったのだ。
「アルティナ。治療を受けるかどうかはお前が決めろ」
「……私がですか?」
「人間らしく生きたいと選択したのはお前だ。ならこの先、お前は誰かの命令で生きるのではなく、自ら運命を選択して生きていかなくてはいけない」
リィンは治療を受けるか否か、アルティナの意志に委ねることにした。
出来る限りのお膳立てはしたが、アルティナの人生だ。それを決める権利は彼女にしかない。
「安心しろ。暴走した時は俺が止めてやる」
最悪の場合、リィンはアルティナを殺すつもりでいるのだろう。
アルティナとリィンの関係まではケビンとリースには分からない。しかしリィンが本気で彼女のことを心配し、その意思を尊重していることは二人にも察することが出来た。故に無言で成り行きを見守る。
ケビンとリースも大切な人を亡くしている。故にリィンがどんな想いで先の言葉を口にしたのか、それが分からないほど二人は鈍感ではなかった。
「……お願いします」
しばらく逡巡するも、そう口にしてアルティナはケビンに頭を下げた。
◆
アルティナの治療は後日、グランセル大聖堂で行われることになった。その理由は少しでもリスクを抑えるため、聖域を使いたいとケビンが言いだしたからだった。
聖域とは、グランセル大聖堂の地下にあるという〈始まりの地〉のレプリカのことだ。普段はアーティファクトの封印に用いられる場所だが、七耀の力で満たされていることから、その力を上手く利用すれば秘術の効果を高めることも出来ると考えたのだろう。それにアルティナが暴走した時、外に被害をださないためでもあるのだと、リィンはケビンの考えを察していた。
「これ、全部食べていいの?」
「ああ、別に構わないが……」
「ケビン、前言を撤回する。彼は良い人」
団員ではないが仕事の打ち上げと言うことで、ケビンとリースも宴会の席に呼ばれていた。
酒や料理が並ぶテーブルを見て、目を輝かせながらリィンに尋ねるリースに、ケビンは呆れた様子で溜め息を漏らす。
「あんなこと言うて、どうなっても知らんで? リースならここの料理ひとりで平らげてしまいかねんからな……」
「まあ、その点はどうにかするだろ。うちには優秀なメイドがいるからな」
「メイドのおる猟兵団の船って……」
メイドがいると聞いて驚くケビンだったが、テーブルに並ぶ料理はすべて、そのメイド――シャロンが用意したものだった。
幸せそうなリースの表情を見れば分かるようにシャロンの料理は絶品だ。帝都の三ツ星レストランにも引けを取らない、プロ顔負けの腕前と言っても過言ではない。事実、団員の胃袋は完全にシャロンに握られていると言ってもよかった。
恐らくはケビンやリースと顔を合わせないため、厨房に引き籠もっているのだろうが、そのメイドが結社の執行者――あの〈死線〉だと知ったらケビンは驚くだろう。
「とはいえ、まさかほんまに全員殺さずに捕まえるとは驚いたで。どうやったんや?」
姿を隠すアーティファクトのことを恐らくケビンは知っているのだろう。
だからこそ、どうやって教会の騎士を捕まえたのかと、探りを入れられているのだとリィンは察した。
「企業秘密だ。まあ、無傷とは行かなかったみたいだがな」
「騎士団の中でも結構な手練れやったみたいやしな。そこは仕方ないやろ」
シャーリィがはりきり過ぎて手加減を誤っただけで、ケビンが思っているような理由ではないのだが、リィンは敢えて何も言わなかった。折角、相手が都合良く解釈してくれているのに、誤解を解く必要はないと考えたからだ。
しかしケビンの言うように教会の騎士に任命されるほどの相手だ。そこそこの手練れであったことは間違いない。リィンも異能抜きなら少しは手間取っただろう相手を一撃で倒したシャーリィの実力は明らかに以前のものと違っていた。恐らく異能抜きならリィンでもシャーリィには勝てない。〈鬼の力〉込みでも五分と言ったところかと、リィンは現在のシャーリィの力を推察し、再戦を申し込まれた時のことを考えて憂鬱な気持ちになる。
「でも、そんな騒ぎを起こして王国軍がよう黙ってたな……」
「いや、普通に軍から抗議がきてるし、捕らえた連中の身柄の引き渡しも要求してきてる。今頃、城にいるアルフィンやクローゼは大忙しだろうな。ユリアとか、そろそろ胃に穴が空くんじゃないか?」
対応に追われているであろうアルフィンやクローゼ。更にはユリアのことを考え、リィンはこの状況を楽しんでいるかのように笑いを堪えながら話す。
後でアルフィンは文句の一つでも言ってくるだろうが、だからと言って今回の件、リィンは一切の手を抜くつもりはなかった。
「まあ、だからこそ、関係者の特定も容易い」
「教会が軍を動かして、アイツ等の釈放を求めていると?」
「十中八九な。政府や軍の中にも、女神を信仰する敬虔な信者は大勢いるだろうしな」
「俺も教会の神父なんやけど……」
軍や政府に教会の息が掛かった人間がいることを示唆されて、ケビンは困った顔で溜め息を吐く。
今回はケビンも利用された被害者だ。最悪、リースにまで危険が及んでいた可能性を考えると、思うところがまったくないわけではない。
しかしケビンの立場では、リィンの話を肯定も否定も出来なかった。
「最初から手の平の上やったと言う訳か……いつから、こんな計画を?」
「ロジーヌの口から、お前の名前を聞いた時だ。それにカシウスなら、こっちの狙いに気付いて上手く立ち回ってくれるだろうと確信していたからな。教会の大掃除のついでと言ってはなんだが、これでリベールも少しは風通しがよくなるだろ」
リィンの話を聞き、ケビンは複雑な表情を浮かべる。それはようするに、リベールから教会の影響力を排除すると言うことに他ならなかったからだ。
勿論、完全に教会の影響力を排除することは無理だろうが、これまでのように強引な手は取り辛くなることは間違いない。実際、教会は情報の開示を拒みながらも、盟約を盾にリベールへ様々な譲歩を要求してきた。
盟約で決められていることとはいえ、アーティファクトの所有権を教会が主張するのは、その最たる例と言える。相手が帝国であった場合、教会と言えど無理強いは出来なかったはずだ。実際、帝国が管理する〈蒼の騎神〉に関しては、教会は一切の権利を主張していなかった。
リベールに対し、それが可能だったのは盟約の件もあるが人々の信仰心を利用した結果だ。どんな国にも信心深い人間はいる。そうした人々を協力者に仕立て上げ、教会の影響力を強めていったのだろう。
ましてや七耀教会は国家を形成するほどの宗教組織だ。星杯騎士団と言ったアーティファクトの回収などを目的とした実働部隊を抱えていることからも、後ろめたいことの一つや二つやっていたとしても不思議な話ではない。リィンが教会のことを信用していないのは、そういうところだ。
前世の常識を持ちだすつもりはリィンもないが、それでも宗教が政治に絡むと碌なことがないと言うのは歴史が証明している。帝国が教会に対して一定の距離を置いているのは、そういうところも理由にあるのだろうとリィンは考えていた。
何より――
(俺たちを利用すればどうなるか、徹底的に分からせてやる)
教会の事情に〈暁の旅団〉が利用されたことが、リィンは気に入らなかった。
だから、こんな真似をしたのだ。どちらかと言えばリベールのためと言うよりは団を守るため――
トマスや教会に対する私怨と言った方が正しかった。
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