「……逃げられましたか」
直径十アージュはあろうかという地面に打ち立てられた巨大な槍が、淡い光を放ちながらマナへ還っていく光景を前に、アリアンロードは溜め息交じりに呟く。二つの巨大な力の衝突によって倉庫は跡形もなく吹き飛び、港は完全な廃墟と化していた。
本気で放った一撃に違いはないだろうが、最初から逃走の隙を作るために、あのような真っ向勝負を挑んだとアリアンロードはシャーリィの思惑を察していた。
それに引き際の見事さを見るに、やはり彼女は猟兵なのだと実感させられる。
「油断をしたつもりはありませんでしたが、私もまだまだ未熟ですね」
アリアンロードほどの使い手になると、正面から全力を受け止めてくれる相手など、そういるものではない。
それに戦いの中で成長するシャーリィを見て、つい嬉しくなってしまったのが失敗の原因だった。
とはいえ、元よりシャーリィを殺すつもりもなければ、捕らえるつもりも彼女にはなかった。
姿を見せた最大の理由は〈暁の旅団〉の力を見極めるためだ。そういう意味では既に目的を達していた。
「フフッ、凄いね。まさか〈鋼の聖女〉を相手に、ここまでやるなんて。やっぱり〈暁の旅団〉は面白いな」
アリアンロードの背後の空間が揺らぎ、そこから紫色のタキシードに身を包んだ緑髪の少年が姿を見せる。
道化師カンパネルラ。0のナンバーが与えられた執行者の中でも特に謎の多い人物だ。
「でも本気≠ナ戦ってたわけじゃないんだよね?」
「本気でしたよ。少なくとも人≠ニして、彼女の想いに私は本気で応えました」
含みを持たせた意味ありげな言葉で、カンパネルラの問いに答えるアリアンロード。
少なくとも手を抜いたつもりはない。宣言通りに武人≠ニして本気で戦ったことは確かだ。
ただ全力≠だしたかというと話は変わる。そのことに気付いているが故の質問だった。
「ずっと様子を窺っていたようですが彼等に用でも? それとも私の監視が目的ですか?」
「まさか。僕じゃ彼等に敵うはずもないしね。ましてや、監視なんてするはずがないじゃないか」
アリアンロードの問いを否定するカンパネルラだったが、彼がここにいる時点で答えを言っているようなものだった。
道化師などと呼ばれてはいるが、彼の役割は一言で説明するなら『観察者』だ。
計画の遂行を見届けるのが主な仕事で、それ以外でも盟主の目となり耳となる役割を与えられているのが彼だった。
「では、なんの用ですか? 覗き見とは余り良い趣味とは言えませんね」
「ボクはおまけさ。博士の付き添いでね。それに教授の後釜も、そろそろ見つけないといけないしね」
「まさか彼女≠勧誘するつもりですか?」
「クロスベルの問題も含めて、それも見極めるつもりさ」
博士のことはともかく、使徒の勧誘など盟主の許可がなければ出来ないことだ。
だとするなら、やはり今回のことには盟主が裏で糸を引いているのだろうとアリアンロードは察した。
ならば、これ以上の詮索は不要とばかりに、アリアンロードはカンパネルラから視線を逸らす。
「反対しないんだね?」
「それがあの方の意志なら、異存などあるはずもありません」
カンパネルラの行動について気にならないかと言えば嘘になる。
しかし、そう尋ねられれば答えはわかりきっていた。
◆
「どうなってやがる……」
困惑を隠せない様子で、呆然とした声を漏らすヴァルカン。少し離れた場所で様子を窺うヴァルカンの目には、白服に身を包んだ国防軍の兵士が味方同士で向かい合い、緊迫した空気を放つ光景が映っていた。
片方はタングラム門から出発したという増援の部隊で間違いない。
そしてもう一方の兵はシャーリィの部隊の奇襲を受け、あっさりと撤退したというベルガード門の兵士たちだ。
(仲間割れか? だが……)
理由は分からない。しかし、これは好機だとヴァルカンは考えた。
団員の練度では〈暁の旅団〉の方が上だが、数では圧倒的に国防軍の方が有利だ。勝てないと言わないまでも、今回の件に〈暁の旅団〉が関わった証拠となるものは出来るだけ残したくないと考えていた。
そのためにも可能な限り交戦は避けたい。でなければ、アリバイを用意した意味がないからだ。
リィンがリベールに残ったのは敵の油断を誘うためというのもあるが、本来の目的はヘンリー・マクダエルをさらった後にある。
ここでクロスベルとの関係を更に悪化させ、夏に予定されている通商会議の開催が中止になってしまえば意味はなかった。
「撤退するぞ」
そこまで考えたヴァルカンは部下に指示を出し、部隊の撤収を開始した。
◆
ヴァルカンたちが部隊の撤収を開始した頃、リィンはリベールの首都グランセルにある共和国の大使館を訪れていた。応接室でリィンと向かい合う鋭い視線の女性。彼女の名はエルザ・コクラン。ここリベールに派遣されたカルバート共和国の駐在大使だ。ロックスミス大統領とは旧知の仲で、その優れた知性と交渉力は本国でも一目を置かれているほどの才女だった。
彼女がリベールに派遣されるに至ったのも、その能力を高く評価されてのことだ。共和国がリベールを重視する理由として、リベールの持つ導力技術を帝国に独占させないためというのがあるが、この国がクロスベルと同様に帝国と共和国に挟まれた緩衝地帯であることが最大の理由に挙げられる。リベールがどちらか一方の国に取り込まれれば、仮想敵国と国境を交えることになる。そうなれば、ノルド高原のように緊迫した状況に陥ることは目に見えていた。そうなることを帝国は勿論のこと共和国も望んではいないからこそ、主戦派ではない彼女が大使として派遣されたと言う訳だ。
というのも、帝国が身分制度による問題を抱えているように、共和国も他民族の移民を数多く受け入れてきた弊害として〈反移民政策主義〉によるテロや、犯罪組織による暗躍が社会問題にもなっていた。だからこそ、国内の問題が片付くまでは帝国との戦争は可能な限り避けたい。それが共和国の大統領――ロックスミスの考えでもあった。そして彼女、エルザ・コクランもそんな大統領の意志に同調する一人だった。
「まさか、あなたの方から私を訪ねてきてくれるとは思っていなかったわ。リィン・クラウゼルさん」
そんななかで現れたのが〈暁の旅団〉だ。彼等の存在は、これまで保ってきた各国の関係を崩しかねないほどに厄介なものだとエルザは感じていた。
一つの猟兵団が国家を脅かしかねない戦力を保持しているということもそうだが、先のZCFとラインフォルトの技術提携の件に関しても、リベールの導力技術が帝国に独占されることを警戒している共和国からすれば到底受け入れられないような話だった。そのことが原因で現在、王国と共和国は微妙な関係にあると言っていい。エルザがどうにか本国のロックスミスを通じて主戦派の議員たちを抑えているが、リベールに対する制裁を求める声が上がっているのが現状だった。
その状況を抑えるために、共和国を代表する企業〈ヴェルヌ社〉を加えた三社共同の兵器開発をエルザは帝国と王国の双方に打診しているが、それも上手くは行っていなかった。
王国に対しては制裁をちらつかせ、中立性を欠く許可をZCFに与えたことを追及すれば、譲歩を引き出すことはそう難しくない。しかし機甲兵の技術が共和国に渡ることに、帝国が難色を示すことはわかっていた。だからと言って手をこまねいて見ているわけにもいかなかった。このままリベールに対する制裁が採決されれば、帝国はここぞとばかりに王国との関係を強化しに動くだろう。そうなれば、リベール国内における共和国の影響力が大きく損なわれることは確実だ。最悪それが戦端を開く切っ掛けにもなりかねない。
「いえ、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。エルザ大使」
一見すると気のよさそうな青年にしか見えない。しかしエルザは油断をしていなかった。
エルザが〈暁の旅団〉が厄介だと感じているのは、彼――リィン・クラウゼルの存在が大きい。
ただ強いだけなら、ここまで警戒はしなかっただろう。しかし彼は、あのアリシア二世やカシウス・ブライトを相手に交渉を有利に進め、ZCFの協力を取り付けた人物だ。それどころか帝国を相手に取り引きを持ち掛け、弱みにつけ込んだとはいえ、騎神の所有権を認めさせたばかりか、皇家の所有する船と多額の金銭を対価に引き出した交渉手腕は侮れないとエルザは感じていた。
「それで本日の用向きは?」
「お困りじゃないかと思いまして。帝国との交渉、上手く行ってないんでしょ?」
痛いところを突かれて、眉が釣り上がるエルザ。ぬけぬけとよく言うというのが本音だった。
そうなるように仕組んだのが、目の前の青年だとわかっていたからだ。
「……では、あなたが責任≠取って交渉をまとめてくれるとでも?」
遠回しに『あなたの所為でしょ!』という皮肉を込めて、エルザはリィンに尋ねる。
しかし皮肉の一つや二つ言われることは予想していたのか、苦笑しながらリィンは答えた。
「条件次第ですけど、ヴェルヌ社を今回の話に噛ませる準備があります」
「それは……既に帝国との交渉を終えているということ?」
「まあ、ちょっとしたコネ≠ェあるんで」
リィンの話すコネというのが、アルフィンのことだというのはエルザにも分かった。
それでも自国の軍事技術が敵国に渡るリスクを考えれば、その話を帝国に呑ませることがどれほど困難なことか分からないエルザではなかった。
それだけに、どんな条件を求められるのかとエルザは警戒する。余り譲歩しすぎれば、本国の議員たちが騒ぐことは目に見えていた。
そうなれば、大統領にも迷惑を掛けることになる。
「その条件と言うのは? 言っておくけど、私には余り多くの裁量は与えられていないわよ」
過剰な要求を牽制する意味で、エルザは言葉に含みを持たせてリィンに尋ねる。
しかしリィンもエルザの立場や共和国の内情について、まったく知らないわけではなかった。
そうしたことを調べた上で、こうして交渉を持ち掛けにきたのだ。
「すぐに分かることですけど、ヘンリー・マクダエル氏の亡命を帝国が受け入れました」
「ヘンリー・マクダエル……それってクロスベルの……まさか、あなたたちッ!?」
ヘンリーの情報は帝国と同様に共和国も掴んでいた。だからこそ、すぐにリィンが何を企み、何をしたのかをエルザは察することが出来た。
しかし、それを追及したところで既に手後れだと気付くと、キュッと唇を噛む。
リィンがこの場にいるということが、何を言ったところで無駄であることを意味していた。
その上でリィンが何故そのような話を、このタイミングでしたのかをエルザは考え尋ねる。
「……マクダエル氏の帝国への亡命を黙認しろということ?」
「正確には少し違います。帝国はマクダエル氏の亡命政府を支持する考えです」
「亡命政府? まさか……」
「共和国もそれを追認、もしくは最低でも黙認してもらいたい。あの男とクロイス家を叩き潰す前に、共和国に出張られると面倒なんでね」
最後に口調を改め、リィンは脅すようにエルザに条件を突きつける。そこまで言われてリィンが何をしにここにきたのか、分からないエルザではなかった。
ようはギリアス・オズボーンがクロスベルで亡命政府を興したように、ヘンリー・マクダエルを帝国に亡命させることで同じように亡命政府を樹立させるつもりなのだろうと察することが出来たからだ。しかし問題は、その後のことだ。恐らく要求を呑ませる上でリィンが帝国に提示したのは、ギリアス・オズボーンに関することとクロスベルの併合に関する問題だと察しが付く。これを黙認するということは帝国の支配を認め、クロスベルを諦めると言うことだ。共和国として、それは受け入れ難い。だが――
「亡命政府の背後には〈暁の旅団〉がいると、そういうことね……」
交渉などではない。共和国に対してクロスベルの問題に口をだすな、と釘を刺すためにやってきたのだと、エルザはリィンの話を受け取った。
先のクロスベルへの侵攻作戦で敗退を喫し、未だに騎神への対抗策を見つけられずにいる共和国からすれば、亡命政府の背後に〈暁の旅団〉がいると臭わせるだけで十分な抑止力となる。そして、そんな共和国が現在一番欲しているのは騎神≠ノ関する情報と言ってもいい。ヴェルヌ社の共同開発への参加は、そうした共和国の思惑を満たす意味で、これ以上ない交渉材料と言えた。
「一つだけ聞かせてくれるかしら? それは帝国の思惑? それとも……」
しかし脅されようと、どれだけ魅力的な条件を提示されようと、帝国の思惑に乗ることは共和国の大使として出来ない。だがリィンの話を聞いて、それだけではないとエルザは感じていた。
今回の件で一番得をするのは帝国だ。他にもヘンリー・マクダエルやクロスベルの現状を快く思っていない人々からすれば、それなりに意義のある話かもしれないが、〈暁の旅団〉のメリットが見えてこない。猟兵が何の見返りもなしに帝国に協力しているとは思えなかった。そのことから金銭以外にも何か目的があるのではないかとエルザは疑っていた。
「勘違いがあるみたいだが、俺たちの雇い主は帝国≠カゃない。アルフィン≠セ」
確かな目的までは分からないが、その答えが帝国とは別の思惑で彼等が動いていることを物語っていた。
しかし、それと同時に「やられた」というのがエルザの本音だった。
「そうでどうする?」
「……本国と相談してみます」
そう言葉を絞り出すように、エルザはリィンの問いに答える。しかし本国に相談すると言ったものの答えはわかりきっていた。
あの大統領のことだ。黙認するカタチでリィンの提案を呑むだろうと推察することが出来たからだ。〈暁の旅団〉が帝国と別の思惑で動いているのなら、より良い条件で彼等を取り込もうと働きかけるか、アルフィンに交渉を持ち掛けて帝国との離反を誘うくらいのことはするだろう。
表向きは物分かりの良い人物を装いながら、その裏では犯罪組織とも繋がりがあり、最大限上手く立ち回るためにあらゆる手を惜しまない。
サミュエル・ロックスミスとは、そういう油断のならない男だということをエルザはよく知っていた。
しかし油断がならないのは彼≠烽サうだ。
(本当に油断のならない子。やはり危険≠ヒ。彼は……)
先の条件で『黙認』ではなく『追認』することを求められれば、幾らロックスミスでも断っていただろう。
そのあたりの匙加減の上手さはさすがだと、リィンの交渉力の高さをエルザは認め、その厄介さを再確認するのだった。
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