クロスベル郊外の森にあるノックス拘置所。逃亡の恐れがある容疑者を一時的に拘束しておく施設に彼女――ソーニャ・ベルツの姿があった。
国賊であるヘンリー・マクダエルの国外逃亡を幇助した罪で、軍に拘束されたためだ。
他にも先のオルキスタワー襲撃や他国の諜報員と内通していた件など様々な嫌疑を掛けられ、ここノックス拘置所へと移送されてきたと言う訳だ。
静かな廊下にカツカツと靴音が響く。両腕を手錠で拘束され、後ろから兵士に銃を突きつけられながら、ソーニャは施設の奥へと歩みを進める。
そこは殺人やテロを犯した特に罪が重く、危険な犯罪者を隔離している区画だった。
「……司令、すみません」
「軍人にとって上からの命令は絶対。あなたが気に病むことはないわ」
国を守る立場にある軍人が規律を重んじるのは当然だ。上からの命令は絶対。それを破れば、ただの無法者に成り下がってしまう。
政府に逆らった自分がこうして捕らえられるのは、当たり前のことだとソーニャは現状を受け入れていた。
ただ一つ気掛かりなことがあった。
(ノエル……)
ソーニャは数日前のことを思い起こす。当初の予定では、〈暁の旅団〉の相手はベルガード門の部隊だけで対応するつもりだったのだ。どちらにせよクロスベルの兵士の練度では、〈暁の旅団〉の相手は難しく被害を大きくするだけだと考えてのことだった。
だから攻撃を一度受け止めたら、損害が大きくなる前に撤退するように指示をだしていたのだ。しかし、政府の介入によって大きく予定が狂ってしまった。新設されたばかりの政府直属の特殊部隊が投入されたからだ。そして、その部隊の隊長としてソーニャの前に姿を見せたのがノエル・シーカーだった。
ノエルの状態が普通でないことは一目で理解できたし、それに〈暁の旅団〉と彼女の部隊がぶつかれば多くの死傷者がでることになる。最悪、ノエルも命を落とすかもしれない。そう考えたソーニャは軍法裁判に掛けられるのを覚悟した上で、ノエルの部隊の邪魔をしたのだ。それがヴァルカンの見た光景の顛末だった。
「ククッ、随分と珍しい新入りがやってきたみたいだな」
ソーニャの耳に聞き覚えのある声が届く。声のする方を振り返ると頑強な鉄の扉が目に入った。
そこから声が聞こえてきたのだとソーニャは察し、記憶から声の主を探り当てる。
「……まさか、ガルシア・ロッソ」
「やはりその声、警備隊の副司令殿か。いや、いまは国防軍の司令官だったか?」
ガルシア・ロッソ。ルバーチェ商会というマフィアの若頭をしていた男だ。
現在は所属していたマフィアのボスが捕まったことで、彼もここノックス拘置所に勾留されていた。
「お前さんまで捕まっちまうとはな。どうやら坊主は失敗したみたいだな」
ロイドも一時ここに捕らえられていたが、その脱獄に協力したのがガルシアだった。
ここからでは外の情報が思うように入ってこない。国防軍が未だに幅を利かせている状況から、ロイドの作戦は失敗したのだろうという予想は付いていたが、ソーニャがこうして移送されてきた時点でガルシアは自分の想像が正しかったことを確信する。
「その口を閉じろ! 司令の気持ちを知りもしないで!」
「おお、怖い怖い」
扉越しに兵士に怒鳴られ、ガルシアは降参と言った様子で両手を挙げる。
心まで屈したつもりはないが、逆らったところで得することは何一つない。ここに連れて来られて一年が経つが、脱獄を企てたのはロイドを逃がすために協力した一度きりで、それ以降は警戒する兵士の予想を裏切るかのように彼は大人しく虜囚の身に甘んじていた。
同じく捕らえられている手下たちや、ルバーチェ商会の会長を置いて一人で逃げるわけにはいかないと言った義理を感じてのことでもあるが、ソーニャのように現状を受け入れているからでもあった。裏社会に身を置き、悪事に手を染めてきた時点で、捕まった後の覚悟などとっくに出来ている。強い方が勝ち、弱い方が負ける。そして自分たちは弱かったから負け、こうして捕まっている。その現実をガルシアは黙って受け入れていた。
クロスベルの現状もそうだ。ただディーターやマリアベルの方が狡猾で上手くやったと言うだけの話で、捕まった議員たちや騙されたロイドたちは間抜けだっただけだ。
ロイドには借りを返すために一度は助けたが、クロスベルがどうなろうとガルシアにとっては、どうでもいいことだった。
「少しだけ、彼と話をさせてもらえないかしら。無理を言っているのは分かる。でも、どうしても彼に尋ねておきたいことがあるの」
無理を言っているのは理解していたが、ソーニャにはどうしてもガルシアに尋ねておきたいことがあった。
このチャンスを逃せば、もう彼に話を聞く機会はないかもしれない。
そんな風に悩むソーニャを見て、兵士は僅かに逡巡すると静かに頷いた。
「……巡回の兵が来るまで、まだ少し時間があります。それまで私は何も見ていませんし聞いていません。どうか手早く」
「……ありがとう」
兵士に礼を言い、ガルシアの捕らえられている牢屋の扉に近づくソーニャ。そして――
「ガルシア。あなたは嘗て〈西風の旅団〉に所属していたと聞いているわ。リィン・クラウゼルについて知っていることがあれば、教えてくれないかしら?」
「懐かしい名前を聞かせてくれる。今更、古巣のことを聞かれるとはな……何があった?」
思いもしなかった名前をソーニャの口から耳にして、ガルシアは驚いた様子を見せる。
ガルシアは九年前まで〈西風の旅団〉に所属し、部隊長を任されていた。
その大きな身体から繰り出される豪快な格闘術から〈キリングベア〉という異名で呼ばれていたほどだ。
フィーはまだ幼かったために彼のことを余り覚えていないかもしれないが、ガルシアはリィンとフィーのことをよく覚えていた。
「そうか。あの時の坊主が〈西風〉を抜け、自分の団をな」
ソーニャから〈暁の旅団〉の話を聞き、ガルシアは笑みを浮かべる。リィンとフィーの活躍は風の噂で耳にしていたが、そこまで成長をしているとは彼も思っていなかった。しかし、あれから九年も経つのだから当然かとガルシアは考える。
猟兵というものに嫌気がさして団を抜けたガルシアだが、古巣のことを嫌っているわけではなかった。むしろリィンとフィーのことは、彼なりに気に掛けていたのだ。当時アーツやクラフトを満足に使えず半人前扱いされていたリィンの才能を見抜いていたのも、ルトガーを除けばガルシアただ一人だった。
誰に認められずとも努力を怠らず、貪欲なまでに強さを追い求めていたリィンの姿をガルシアはよく覚えている。
だからこそ、ソーニャの話を素直に聞くことが出来た。そして話の礼とばかりにガルシアは先程のソーニャの質問に答える。
「猟兵にとって契約は絶対だ。〈西風〉は受けた依頼を必ず達成してきた。そして奴は猟兵王が認め、息子とした男だ。これ以上は言わなくても分かるだろ?」
猟兵は契約を重んじる。ましてやリィンは、あのルトガーが息子と称した男だ。
猟兵王の名を継ぐのはリィンしかいないというのは、嘗て〈西風の旅団〉に身を置いた猟兵たちの共通の認識だった。
だからこそ、一度口にした言葉をリィンが簡単に引っ込めるわけがない。クロスベルに宣戦布告をしたのなら、確実にリィンはそれを実行してみせるだろう。
最強の猟兵団を敵に回すということがどういうことか、それをガルシアはよく理解していた。
◆
「……何か気になることでも?」
艦長室でエマやヴァルカンのまとめた報告書に目を通しながら難しい顔で唸るリィンを見て、エマは不安げな表情で尋ねた。
出来るだけ詳細に内容をまとめたつもりだが、報告書に不備でもあったのかと考えたからだ。
しかしリィンは、そんなエマの心配に対して首を横に振って答える。
「報告書に問題はない。ただ……」
「ただ?」
「どう考えても国防軍の動きが変だと思ってな」
リィンの指摘。それはエマも感じていたことだった。
ウルスラ間道をエマたちが使うことを予測し、先回りして部隊を展開するような対応力の高さを見せたかと思えば、その後の奇襲を受けてからの動きはお粗末というか、余りに手応えのないものだった。そしてヴァルカンの報告にあった仲間割れをしていたという国防軍の部隊の話。余計な戦闘を避けられたことは〈暁の旅団〉にとって幸運なことだったが、どうにも腑に落ちない何かをリィンと同じようにエマも感じ取っていた。
「リィンさんはどうお考えなのですか?」
「一番ある可能性は、ディーター・クロイスが軍を掌握しきれていないという線だ」
クロスベルを独立させるために、あれほど強引な手にでたのだ。クロイス家の支配に反発する勢力は少なくない。当然そうした人々は政府や軍内部にもいると見ていいだろう。そうでなければヘンリー・マクダエルの危機を知らせる情報が、こんなにも都合良く帝国や共和国に漏れることはないとリィンは考えていた。
そこから導き出される答えは、クロイス家の支配は周りが思っているほどに盤石ではないと言うことだ。
砂上の楼閣とでも言っていい。だからこそ、そうした反発の声を抑えるためにヘンリーの身柄を欲していたのだろう。
しかし反発する者が出て来るのは当然だ。ならば邪魔となるものは捕らえ、障害となるものは排除するしかない。
いま以上に独裁者と謗りを受けることになるが、改革には痛みが伴うことは最初からわかっていたことだ。
マリアベルとギリアスの二人なら、こうした手ぬるい真似はしないだろう。
「では、国防軍は態と引いたと?」
「恐らくな。被害を最小限に食い止めるために引いたのだとしたら納得が行く」
エマたちの動きを読み、先回りをして部隊を展開したのは他の部隊の介入を避けるためだ。〈暁の旅団〉と正面からぶつかれば、軍に大きな被害がでる。それを回避するために一芝居打ったのだろう。
恐らくその部隊を指揮していた人物こそ、ヘンリー・マクダエルの情報を他国に流した人物だろうとリィンは察しを付けていた。
ヴァルカンが見たという仲間割れも、恐らくは予定よりも他の部隊の動きが早く、足止めするために動いていたのだと考えれば納得が行く。
(あちらにも思惑があっての行動だろうが、今回は助けられたな)
相手にも思惑があってのことだろうが、今回の件は借りが出来たとリィンは考えていた。
ヘンリーたちを守りながらの撤退ともなれば、団員にも少なからず死傷者が出ていただろう。
それも覚悟の上とはいえ、こうして全員が無事に帰って来られたのは、名も知れぬ指揮官のお陰だとリィンは感じていた。
「それだけですか?」
「……どういうことだ?」
「そこまでわかっていて判断に迷うリィンさんではないと思って。他に心配事があるのでは?」
鋭いエマの指摘にリィンは目を丸くし、降参と言った様子で肩をすくめる。
リィンのことをよくわかっていると言っていいだろう。実際その程度のことなら迷うほどのことでもなかった。
所詮はクロスベルの内情だ。どちらにせよ、やることに変わりはない。しかし――
「上手く行きすぎていると思わないか?」
「……どういうことですか?」
「ディーター・クロイスが軍を掌握しきれていないというのは分かる。だが、あっちにはマリアベルやギリアスがいるんだぞ?」
リィンの話を聞き、確かにとエマは納得する。マリアベルの動きを警戒していたエマだが、最後まで彼女が介入してくることはなかった。それに、ここまでギリアスの影がまったく見えないことも不思議に思っていた。
リィンも今回の作戦、エマたちなら確実にやり遂げてくれると信じてはいたが、ここまで上手く行くとは思っていなかったのだ。
ヘンリーを逃がせば、どうなるかが分からないマリアベルとギリアスではないはずだ。なのに――
まるで最初から邪魔をする気がなかったかのようにも思える。
「……罠でしょうか?」
「そう思わせるのが狙いという可能性もある。どちらにせよ、計画を途中で止めることなんて出来ないしな」
エマの言うように何か落とし穴がある可能性は否定できないが、今更計画を変更するわけにはいかなかった。
クロイス家の支配からクロスベルを解放するために、エリィを前面に押し出す計画だが、彼女の正当性を訴えるために後見人が必要となる。
そのためにクレアを通じて帝国に根回しをして、ヘンリーを浚ってきたのだ。
(或いは誘っているのかもしれないな)
ただの勘ではあるが、罠よりはそちらの可能性が高いとリィンは考えていた。
クロスベルの独立に拘っているのはあくまでディーター・クロイス一人で、最初からあの二人にとってクロスベルなど眼中にないのだろう。
興味があるのは、ただ一つだけ――
「はあ……」
「リィンさん?」
「面倒な連中ばっかりに目を付けられるなと思ってな。いっそ、全員ぶっ倒せばスッキリするか……」
溜め息を吐き、不穏なことを口にするリィンを見て、エマは苦笑する。
ゼムリア大陸の趨勢を決める運命の日――通商会議の開催まで二ヶ月を切っていた。
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