「アルフィンが襲われた?」
話を聞き、リィンは目を見開きながら少し驚いた様子を見せる。
朝早くに帝国大使館に呼び出されたリィンは、駐在大使のダヴィル・クライナッハと対面していた。
「そうだ。帝都から今朝早くに第一報が届いた。それよりも皇女殿下を呼び捨てなど……不敬だとは思わんのか?」
「時と場所は弁えてるつもりだ。大体それを貴族らが言えた義理か?」
ぐっと唸り、表情を歪ませるダヴィル大使。先の内戦で貴族連合がしたことを持ちだされれば、同じ帝国貴族として彼も何も言えなかった。
リィンもすべての貴族がカイエン公やアルバレア公と同じだとは思っていないが、彼等に責任がないとも思ってはいなかった。
事の発端はギリアスにあるのかもしれないが、彼に多くの権限を与え、諫めなかった皇帝の責任は重い。信じることと依存することは違う。ユーゲント三世のしたことは責任の放棄であり、言ってみれば丸投げだ。だが皇帝の信頼を裏切り、そうした行動を取らせた責任は貴族たちにもある。
伝統だ、国の威信だと体面に拘る余り、足下を疎かにしたツケが回ってきただけの話だ。リィンの目の前にいるダヴィル大使も、その例に漏れない典型的な帝国貴族と言っていいが、貴族連合に加担した貴族たちと違いがあるとすれば、皇家に対する忠誠心や愛国心をまだ持っていることだろう。
しかし中立を貫いていたからと言って許されると言った問題でもない。国のためを思うなら、皇家に忠誠を誓っているなら、他に出来ることはあったはずだ。どちらにも付かず日和見を決めた時点で、彼等も同罪だというのがリィンの認識だった。
「自覚があるだけ他の連中よりはマシか。都合が悪くなって黙り込むくらいなら、余計なことは言わずに行動で示せよ」
「貴様に言われずともわかっておる!」
苛立ちを見せながらも、ダヴィル大使にはリィンの言うことが正しいとわかっていた。帝国貴族としての誇りが猟兵に頭を下げることをよしとしないが、少なからずリィンたちの働きには感謝していたのだ。
帝国貴族として皇家に忠誠を誓っているのは、嘘偽りのない気持ちだ。しかし四大名門に名を連ねる大貴族ならまだしも、男爵という身分に過ぎない彼の立場では中立を貫くことで精一杯だった。
だがそれを今更言ったところで言い訳にしかならないことは彼も理解していた。リィンもまた、そうした彼の事情を察していて、こういう言い方しか出来ないのだから性格が悪い。とはいえ、互いに馴れ合うつもりもなければ、立場が異なることを理解していた。二人に共通していることがあるとすれば、アルフィンの味方という点だろう。
「で? 俺を呼び出したのは、そんなことを伝えるためか?」
「……皇女殿下が襲われたのだぞ。貴様は殿下に雇われている身だろう。心配ではないのか?」
「襲撃を受けることはわかっていたしな。だから腕利きの護衛も付けた。心配するだけ無駄だ」
どう受け取っていいのか分からず、困惑の表情を浮かべるダヴィル大使。
しかしリィンからすれば当然のことで、フィーの腕を信頼してるが故の言葉だった。
「……これは?」
「その時に撮られた襲撃者の写真だ」
ダヴィル大使から一枚の写真を受け取り、リィンは手にとって写真を眺める。
そして目を瞠るリィン。そこに写っていたのは一対の角と羽が生えた異形の怪物だった。
「皇女殿下の帰国を祝う席で、会場に招かれていた客の一人が魔物と化し、皇女殿下に襲い掛かったそうだ」
「アルフィンを襲った人物の素性は?」
「帝国西部の地方領主の嫡男だということは調べがついている。家族や関係者に事情を尋ねているが、まだ詳しいことはわかっていないらしい。そこで貴様にも報せ、見解を聞いておきたいそうだ」
ダヴィル大使の話を聞いて、クレアの差し金かと大凡の事情をリィンは察する。
しかし人間を魔物に変える方法など思い当たる限りでは一つしかない。恐らくはクレアもそこを疑っているのだろう。
「魔人化と呼ばれる現象だ。恐らくはグノーシスが使われたんだろう」
「グノーシス……クロスベルを騒がせたという教団の薬か」
「どうやら知っているみたいだな」
「世情に聡くなければ、大使など務まらぬからな」
リベールに籠もっているダヴィル大使がクロスベルの事件を知っていることに少し驚いた様子を見せるも、それもそうかとリィンは納得する。仮にも一国の大使が世情に疎いようでは、諸外国に侮られることになる。
彼は尊大な性格をした典型的な帝国貴族であることは確かだが、無能な男ではなかった。
「グノーシスは、ただ人を怪物に変える薬と言うわけじゃない。嫌なことを忘れ、夢を見させてくれる一種の麻薬だ。クロスベルの一件を知っているなら分かると思うが中毒性が高く、簡単に人の心を狂わせる」
「帝国西部の貴族はその大半が貴族連合に加担し、立場を危ぶまれている。薬に縋りたくもなるか……」
「それだけじゃない。オーレリアが州長官について混乱は収まってきているみたいだが、先の内戦の影響は未だに残っている。経済の悪化や物流の遅滞が原因で、その日食べるものにも困ってる人たちが大勢いるって話だ。特に中央の目が行き届きにくい地方では、暴動も起きつつあるという話を聞いてる」
リィンの情報網の広さに驚きつつも、その言葉の意味が分からないダヴィル大使ではなかった。
薬に縋るのは貴族だけではない。民の間にも広がる可能性を含んでいるということだ。
いや、既に市井に広がっている可能性を否定することは出来ない。その上でダヴィル大使は確認の意味を込めてリィンに尋ねた。
「……どの程度、薬が出回っていると思う?」
「さてな。だが話を聞いている限りだと、帝国西部を中心に広がりを見せつつあるのは予想が付く。クレアもそのことを危惧して、こっちに報せてきたんだろ」
「クレア……クレア・リーヴェルト……〈氷の乙女〉か」
クレアの名前を耳にして、複雑な表情を見せるダヴィル大使。彼は帝国貴族の中でも珍しく改革の必要性を理解している数少ない貴族の一人ではあったが、ギリアスのやり方に納得しているわけではなかった。
なかでも鉄血宰相の手足として働き、〈子供たち〉を纏め上げてきたのがクレアだ。先の内戦ではギリアスを裏切り、アルフィンの味方をしたと聞いても素直に信じられるような話ではない。彼が不審を抱くのは当然だった。
そのことはリィンも理解している様子で溜め息を漏らし、ダヴィル大使に釘を刺す。
「仲良くしろとは言わないが、目的を見失うなよ」
「そこまで目は曇っていないつもりだ。何を優先すべきかは理解している」
クレアを信用できないのは確かだが、私情に目を曇らせて目的を見失うほど彼は愚かではなかった。
そういう意味では目の前の男――リィンのことも完全に信用はしていない。猟兵というものが、どういう生き物かを大使はよく理解しているからだ。
先の内戦の件では感謝しているが、気を許せない相手だとリィンのことを警戒していた。
「リィン・クラウゼル。こんなことを私が言うのもおかしいと思うが、帝国を――殿下の信頼を裏切らないで欲しい」
故に話を終え、立ち去ろうとするリィンを、ダヴィル大使はそう言って引き留める。
本気でアルフィンを心配して、国のことを想っているのだろう。それは目を見れば分かる。
威張りくさった貴族は正直に言って好きになれない。しかし彼のような人間は嫌いではなかった。
だからこそリィンは真摯に向き合い、その問いに答える。
「俺たちは猟兵だ。契約は守るさ」
――自分たちから裏切るような真似はしない。
少なくとも、それがリィンの示せる矜持だった。
◆
「そこよ! ああ、惜しい! 赤毛モミアゲ男に遠慮なんていらないわよ! 全力で殺っちゃって!」
観戦席で腕をブンブン振りながら、エリカ・ラッセルは白熱した様子で声を上げる。そこはZCFが所有するツァイスの工房にある地下の実験場だった。
エリカの他にも実験の関係者と思しき人々の中にアリサとティータの姿が見える。
いま行っているのはオーバルギア計画の実験。完成したばかりの試作機の稼働テストだった。
「えっと……あれ大丈夫なの?」
「うちの母がすみません……」
頬を引き攣りながら実験場を眺めるアリサに、ペコペコと頭を下げるティータ。その視線の先では件の試作機を操るアルティナと、大剣を手にした赤毛の男の激しい戦闘が繰り広げられていた。
男の名はアガット・クロスナー。〈重剣〉の異名を持つBランクの遊撃士だ。エステルたちと共に数々の異変や難事件を解決に導いてきた実力は確かなもので、Aランクへの昇格も間近という噂もあり、リベールを中心に活動する遊撃士のなかではトップクラスの経験と実力の持ち主と言っていいだろう。
しかしティータが兄のように慕っていることから母親のエリカに目を付けられ、度々こうしたラッセル家の実験に付き合わされていた。
今回も試作機の正確なデータを拾いたいということで、実戦形式の相手を務めさせられていると言う訳だ。
しかし相手は兵器。それも結社の人形兵器に対抗すべく造られたものだ。帝国から供与された機甲兵の技術とリベールの最先端技術が合わさった代物だけに、アガットはジリジリと追い詰められていた。
「くそッ! なんだってんだ――」
「逃がしません」
一旦、距離を取って仕切り直そうとするアガット。しかしアルティナは追撃を仕掛ける。
甲冑を纏った少し無骨な印象を受ける白銀の機体。〈クラウ=ソラス〉と比べれば一回りほど大きな人型兵器は、アルティナの指示を受けると装甲の隙間から蒸気のようなものを噴きだし、勢いよく大地を蹴った。
「舐めるなああああッ!」
そのとてつもないスピードと突進力に驚くも、アガットは怯まず迎え撃つ。白銀の機体の左右の腕は、肘から先が鋭い剣のような形状をしている。それをアガットは振り下ろした剣で弾き、身体を捻りながら返す武器で胴体に直撃を放つ。
空気が振動し、アリサたちのいる観戦席にまで伝わってくる衝撃。
手応えがあったことを確認するも、アガットは勢いを殺しきれず地面を転がった。
「はあはあ……ざまあ見ろ」
息を切らせ土埃に塗れながらも油断なく大剣を構え、薄らと笑みを浮かべるアガット。
だが煙が晴れるにつれて、その表情は驚きに満ちたものへと変わっていく。
「驚きました。この子の一撃を力任せに弾くなんて……」
「それはこっちの台詞だ。かなり本気でやったんだが、無傷ってどういうことだよ……」
アガットの視線の先には、先程までと変わらない姿でアルティナを守るように立つ白銀の騎士の姿があった。
これにはアガットも驚愕する。〈重剣〉の二つ名が示すように、アガットは一撃の破壊力には自信を持っていたのだ。
渾身の一撃を叩き込んだはずだ。なのに、まったく傷を負っている様子が見られなかった。
「リアクティブアーマーよ。物理攻撃を弾く障壁が展開されているから、並の攻撃では傷一つ付かないわ。戦車の砲弾をも弾く障壁を力任せに突破するのは、普通≠フ人間には無理よ」
そんなアガットの疑問に答えながら、アリサは実験場に割って入る。
そしてパンパンと手を叩き、テストの終了を告げると、他のスタッフと一緒に機体のチェックを始めた。
一方エリカはアガットを一瞥して残念そうに肩を落とすと、アルティナに感想を尋ねる。
「むう……トドメを刺し損なったか……まあ、いいわ。それで動かしてみた感想はどう?」
「精神リンクに問題はありません。ただ、少し反応が鈍い気がします」
「それって例の人形兵器と比べればってことよね? 随分と近付けてるはずだけど、やっぱりまだまだか」
ラインフォルトの協力で騎神のデータも順調に揃い、以前に比べれば格段に機体性能は向上したと言っていい。最新の機体では、エイドロンギアの技術を更に発展させた人工知能と操縦者の精神リンクの実現にまで迫っていた。
しかし、それも当然の流れと言える。アルティナの許可を得て、回収された〈クラウ=ソラス〉のパーツの一部が機体に用いられていたからだ。しかし、現状ではアルティナにしか動かせないと言った問題を抱えていた。
一から人工知能を開発することは、ラインフォルトやZCFの技術を持ってしても現状では難しい。そのため、いまのままでは再現性が低く、使用者を選ぶことから兵器としては欠陥品としか言えない代物になっていた。
騎神のデータを基に修復された〈パテル=マテル〉のパーツを用い、もう一機の開発も並行して進められてはいるが、そちらも量産という話になると難しいと言わざるを得ない。やはり結社の技術に追いつくためには、分からないものを分からないままで終わらせるのではなく、アーティファクトの解析が重要だとエリカは感じていた。
実際、ラインフォルトは結社の協力があったとはいえ、上手く騎神の技術を取り込み、機甲兵の量産に成功している。一方でリベールは七耀教会との盟約が原因で、アーティファクトに関する研究が遅れていた。発掘されたアーティファクトのほとんどは盟約を盾に、教会に回収されてしまうためだ。
エリカが教会のことをよく思っていないのも、そうした事情を踏まえてのことだった。
「これで完成じゃないのかよ……。オーバルギアとか言ったか? 一体どんな兵器を作るつもりなんだ?」
「違うわ」
「……は?」
不機嫌そうな顔で、アガットの間違いを指摘するエリカ。
「オーバルギアはプロジェクトの総称。この子の正式名称は〈ガーディアン〉二号機――」
――フラガラッハ。それがアルティナの得た新たな相棒だった。
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