先のルーレでの宣戦布告について、実のところソーニャはリィンの行動に疑問を持っていた。
猟兵とはミラで動くものと言われるように、彼等は利に聡く無駄なことをしない。ましてや帝国をも手玉に取ったほど頭の切れる青年が、喧嘩を売られたから喧嘩を買うと言った直情的な感情だけで、あんな真似をするとはソーニャには思えなかったからだ。
そして、それは今回の件で証明されたと言っていい。ギリアス・オズボーンとの決着を付けたいだけなら時期など待たず、すぐにクロスベルを攻めればいい。嘗て〈赤い星座〉がやったように、彼等にはそれを強硬するだけの力がある。なのにヘンリー・マクダエルに目を付けたということは他に狙いがあると言うことだ。
(ガルシア・ロッソの話が確かなら、やはり彼等の狙いは……)
ヘンリーを確保した理由は恐らく大義名分を得ると同時に、クロスベルを二つに割る狙いがあるのだとリィンの考えをソーニャは察していた。
以前、オルキスタワーを攻めた時とでは状況が大きく異なる。宗主国の一つであるエレボニアがヘンリーの後ろ盾となり、その主張を認めるのだ。ディーターの正当性は大きく揺らぐことになるだろう。
ディーター・クロイスの強引なやり方に反感を持つ者は大勢いる。ソーニャもその一人と言っていい。そんななかでそのような状況に陥れば、間違いなくクロスベルは二つに割れる。政府がその有様では軍も機能しなくなるだろう。
そうなったら〈暁の旅団〉を止める手段はない。恐らくは、それこそリィンの狙いなのだとソーニャは推察する。戦いは既に始まっていると言うことだ。
「……恐ろしい青年ね。クロスベルの内情をよく掴んでいる」
ただ強いだけの荒くれ者ではない。情報の価値と使い道をよく知っていると言うことだ。
しかしそういう前提で考えるなら、この先の展開についても想像が付く。
「次に仕掛けてくるとしたら恐らく……」
――通商会議。そこで事態は大きく動くとソーニャは読んでいた。
◆
――エレボニア帝国の首都、緋の帝都ヘイムダル。
「はあ……」
アリシア二世との会談を終え、帝都へと帰還したアルフィンはバルフレイム宮殿のバルコニーから嘗ての活気を取り戻しつつある帝都の街並みを眺め、小さな溜め息を漏らす。一週間前、彼女の帰国を祝う席で魔人へと姿を変えた貴族のことを思いだしてのことだった。
アルフィンを襲った貴族が、嘗てカイエン公の派閥に所属していた帝国西部の貴族の嫡子であったことから計画的な犯行が疑われたが、それを裏付ける証拠は何一つ出て来ていなかった。しかし確たる証拠が出ずとも、貴族派の筆頭でもあったカイエン公派に所属していた貴族が凶行に及んだことが問題で、ギリアス・オズボーンの失脚によって落ち着いていた貴族派と革新派による対立を煽る結果へと事は発展し始めていた。
いまはセドリックの力でどうにか抑えられているが、このまま放置すれば再び内戦を引き起こす切っ掛けともなりかねない。実際、先の戦いが残した爪痕は大きく混乱は未だに収まっておらず、現在も火種は燻ったままだ。クロスベルと同様に帝国の占領下にある国や州で、反乱の兆しがあるという報告が上がっていた。
もし、クロスベルの独立が認められるようなことになれば、ここぞとばかりに帝国からの独立を掲げ、反乱を企てる勢力が出て来ないとも限らない。最悪、貴族連合に加担し立場を危ぶまれている貴族たちが、それに同調する恐れすらあると情報局は警告を発していた。
そうした事態を避けるために、帝国政府はリィンの思惑に乗らざるを得なかったという事情がある。それにもう一つ放置できない問題が残っていた。そう、貴族の嫡子を魔人へと変えたグノーシスの件だ。
調査の結果、何者かがグノーシスを市井に広めていることまでは分かったが、背後にいる組織や人物の特定までには現在のところ至っていなかった。しかし離宮で密かに実験されていた薬の件もあることから、この件にギリアスが関与している可能性をクレアは疑っていた。これに関してはアルフィンもクレアと同様の考えで、先程の溜め息に繋がると言う訳だ。
共和国軍の侵攻によるノルド高原の膠着状態は現在も続いており、そこに加えて貴族たちの動きを警戒しなくてはいけない状況では、グノーシスの調査に避ける人員にも限りがある。これ以上、薬が広がらないように引き続き警戒を促すくらいしか出来ることがなかった。
完全に動きを封じられたと言っていい。クロスベルの問題に力を割く余裕など、いまの帝国にはない。
元より共和国との全面戦争を避けるため、クロスベルへの軍の派遣は難しかったとは言っても、こうなってしまえば〈暁の旅団〉の働きに期待するしかなかった。
「また、リィンさんに甘えることになりそうですね」
「リィンなら気にしないと思うよ? 貸しが一つ増えたって逆に嬉々としそう」
納得していない様子のアルフィンの呟きに、フィーはバルコニーの手すりに腰掛けながら答える。リィンは敵には容赦がないが身内には甘い。アルフィンが困っているのなら手を差し伸べることを迷ったりはしないだろう。
それに最初からリィンは帝国に多くの期待をしてはいなかった。あくまで利用できるコマの一つとしか考えておらず、クロスベルのために帝国政府と交渉をしたのも、それが団の利益に繋がるからだ。今回の件も帝国への貸しが一つ増えたと言って喜びこそすれ、不満に思うことはないだろうとフィーは思っていた。
それを言われるとアルフィンもリィンの性格をよく知るだけに、ありそうなことだと納得せざるを得ない。帝国の抱える問題についても、混乱が大きくなるほどに猟兵の需要が増すわけで、リィンからすれば帝国が自分たちだけで国内の問題を解決できないのであれば、それはそれで構わないという対応に変わりはなかった。
「それだと、いつまでもリィンさんに頭が上がりそうにないのですけど……」
「……むしろ、それがリィンの狙いかも?」
返しきれないほどに貸しを積み重ねることが、リィンの狙いなのでは?
とフィーに言われると、アルフィンもそれを否定できなかった。
しかし帝国のためと言うのもあるが、アルフィン自身、余りリィンに借りを作るようなことはしたくなかった。
出来るだけリィンとは対等でいたい。そんな想いを胸に抱いていたからだ。
「なら、ギルドに依頼してみたら?」
「……ギルドですか?」
「ん……調査なら、猟兵よりも遊撃士の方が向いてる。それに民間人にも関わることなら、きっとギルドは断らない」
確かに、とアルフィンはフィーの話に一考の余地があると考える。
ギリアスが政府を牛耳っていた以前であれば難しい話だったかもしれないが、ギルドとの関係が改善された今であれば、協力を結ぶことは不可能ではないだろう。特にグノーシスが市井に出回ることは、民間人の安全と保護を第一に掲げるギルドからしても見過ごせない問題のはずだ。
人手が足りないのなら、外部に協力を求めるしかない。その相手としてギルドは打って付けの相手だった。
実際リベールでは、軍だけで手が回らない問題をギルドが解決すると言った理想的な協力関係が構築されている。すぐには上手く行かないかもしれないが、今後のことを思えば必要なことだと言うことはアルフィンもわかっていた。だから帝国内におけるギルドの再建に力を貸したのだ。
しかし――
「……もしかして、それもリィンさんの入れ知恵ですか?」
普段は余り自分の意見を主張しないフィーが、このような提案をしてくることは珍しい。
だからリィンが裏で糸を引いているのではと思ったのだが、何も答えないフィーを見て「やっぱり」とアルフィンは確信する。
帝国で何かが起きることをリィンは予想していたはずだ。ならば、その対策をリィンが練っていないはずがない。
フィーがこんな風に話を持ち掛けてくると言うことは、既にトヴァルにも話を通しているのだろう。
「ギルドを頼る案には賛成です。ですが、また借りが増えた気がするのですが……」
「……もう諦めた方がいいかも? たぶんリィンはわかっててやってる」
フィーの言うように親切心ということはないだろう。アルフィンが困ることを理解した上で、先手を打っていると言うことだ。
過保護とも取れるが性格が悪い。意地でも借りを返させてくれないつもりなのだと、アルフィンはリィンの考えを察した。
(……そういうことなら、わたくしにも考えがあります)
団のためにリィンが布石を打っていることはわかっている。それでも――
このままリィンに借りを作りっぱなしで終わるつもりは、アルフィンにはなかった。
◆
「……姉を助けて欲しいか」
フランから頼みがあると言われ話を聞いてみれば、それは案の定、彼女の姉――ノエル・シーカーのことだった。
元よりフランに何らかの思惑があって、ヘンリーについてきたことはリィンも察していた。
だから彼女から話を切り出すまで泳がせていたのだ。話の内容も大凡予想していたものだった。
「まずは知っていることを話せ。話はそれからだ」
まずは話を聞いてからだとするリィンに、フランは覚悟を決めた様子でポツリポツリと、ここ最近のことを話し始める。
オルキスタワー攻略戦の際に行方不明になっていた姉と再会したのは、一ヶ月ほど前とのことだった。
接触をしてきたのはノエルの方から。そして彼女はフランにレジスタンスを抜け、クロスベルを去るように告げると姿を消したらしい。
他にこのことを知っているのは、ヘンリーとセルゲイの二人だけという話だった。
仲間の無事を祈り、帰りを待つロイドやティオには、どうしても言えなかったとフランは話す。というのも、その時にノエルが纏っていた制服。それは国防軍のものだったからだ。
ノエルの様子がおかしかったことなどからも推察するに、姉が国防軍にいることは間違いないとフランは考えていた。
しかしロイドたちを裏切るような真似を姉がするとは思えない。何か事情があるに違いない。そう信じていた。
それでも〈暁の旅団〉と国防軍の戦闘を見て、このままでは姉の身が危ういと考えたフランは居ても立っても居られなくなり、セルゲイに相談し、ヘンリーに同行するために一芝居打ってもらったという話だった。
「事情は分かった。だが、お前の姉が敵として立ち塞がるなら、こちらも容赦をするつもりはない」
リィンなら、そう言うであろうことはフランもわかっていた。
ノエルを助ける理由はリィンにはない。彼等は猟兵だ。戦闘になれば、敵を殺すことに一切の躊躇をしないだろう。それがわかっているからこそ、フランは無理を言ってヘンリーに同行したのだ。
このことをロイドたちに相談すれば、きっと反対されただろう。しかし、無謀な賭けだとは思っていない。リーシャが信頼を置く相手なら、誠意さえ示せば問答無用で殺されるようなことはないと思っていたからだ。それはこの一週間、カレイジャスで生活をしてみて感じたことでもある。猟兵と聞くと、もっと恐ろしいものをイメージするが、この船を取り巻く雰囲気は違っていた。
変な言い方をすれば居心地が良い。どことなく特務支援課の分室を思わせる温かさを、フランは感じ取っていた。
「どうしたら、お姉ちゃんを助けてもらえますか?」
だから尋ねる。猟兵に頼みごとをするなら、本来であれば報酬を提示するのが先だ。しかし武器を持った相手を殺さずに捕らえると言うのは、言葉にするほど容易い話ではない。猟兵が敵を無力化するのに手っ取り早く殺害を選択するのは、それがもっともリスクの低い方法だからだ。
なのに敵を殺すのではなく捕らえるとなったら、それだけ大きな負担を団員に強いることになる。当然、任務の難易度も増し、リスクに応じて依頼料も高くなる。自分一人で用立てられる金額でないことはフランもわかっていた。だから見栄を張らず、どのような条件なら頼みを聞いてもらえるのか、フランは正面からリィンに尋ねたのだ。
実際、どんな条件を突きつけられたとしても、自分に出来ることなら何でもする覚悟は決めていた。
リィンもそんなフランの意図を察し、どうしたものかと逡巡する。
(予想していたとはいえ、面倒な問題を持ち込んでくれたな……)
ここでフランの頼みをはね除けたとしても、リーシャが裏切る可能性は低い。ノエルが敵として立ち塞がるなら、リーシャはロイドたちに言ったように〈暁の旅団〉に所属する猟兵として対処するだろう。
しかし同じ覚悟がエリィにあるとは思えない。彼女は協力者ではあるが、猟兵と言う訳ではない。クロスベルを想う気持ちは本物だろうが、同時に仲間の命を見捨てることは彼女には出来ないとリィンは感じ取っていた。
ヘンリー・マクダエルを味方に引き入れたのも、それが一つの理由と言っていい。孫に甘いところはあるが、彼は生粋の政治家だ。クロスベルにとって何が最善かを理解している。エリィに不足している覚悟や経験を補うという意味でも、ヘンリーの存在は有用だとリィンは考えていた。
そのヘンリーがノエルのことがあるとはいえ、フランの同行を許したと言うことは、他にも理由があるとリィンは考える。
ヘンリーやセルゲイの狙い。それは恐らく――
(試されていると考えるのが自然か)
ここでフランの頼みを断ったとしても、ヘンリーはクロスベルのために表向き協力はしてくれるだろうが、恐らく彼の信用を得ることは出来ない。そうなればクロスベルを解放したとしても、その後のリィンの計画は上手く行かない可能性が高い。フランやノエルだけではない。クロスベルに住む人々の命を預けるに足る人物がどうか、試されているのだとリィンは感じた。
その上でリィンは答えをだす。顔も知らない人間の命を気に掛けるほど献身的な心を持っているわけではないが、それが団の利益に繋がるのであれば話は別だった。
「俺のモノ≠ノなれ」
「……え?」
一瞬、何を言われているのか分からず、フランは呆けた声を上げる。しかし、
「フラン。お前が俺の家族になるなら、姉のことも助けてやる」
再度リィンから告げられ、フランは頬を紅く染める。リィンがだした答えがそれだった。
猟兵は報酬もなく動くことはないが、団員の頼みなら話は別だ。猟兵団とは、家族のようなものだとリィンは思っている。団員の頼みに耳を貸すのは、団長として当たり前のことだ。それにヘンリーやエリィには表舞台に立ってもらわないといけない以上、クロスベルの内情をよく知る人間を手元に置いておきたいという思惑がリィンにはあった。
帝国にはアルフィンやオリヴァルトの他に、クレアやトヴァルと言った交渉相手がいるが、クロスベルにはそうした協力者がまだ少ない。そういう意味では今後クロスベルと関係を続けていく上で、フランの存在は〈暁の旅団〉の助けとなる可能性が高い。そうした打算を含んでの提案だったのだが――
「……はい。末永くよろしくお願いします」
俯きながら消え入りそうな声で、フランは答える。
覚悟を決めていたことだ。そんなことで姉が助かるのなら、リィンの告白を断る理由などない。
(お姉ちゃんが助かるのなら……それに……)
その日、フランは眠れない夜を過ごすことになる。
集められた団員に紹介され、自分が勘違いをしていたことに気付くのは翌朝のことだった。
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