「こいつは……」
目の前に広がる光景に圧倒され、リィンは思わず感嘆の声を漏らす。
一面に広がる青い花畑の先には、虹色に輝く巨大な地底湖が広がっていた。
ミシュラムの湿地帯の地下に、こんな空間が広がっているとは想像もしなかったリィンは驚きを隠せない。
「そうか。ここは地脈の力が集う場所――龍穴か」
しかし、すぐにここがどういう場所かを理解する。そもそもプレロマ草と呼ばれる花は、特殊な環境下でしか生息しない植物だ。地脈から溢れ出るマナを栄養とすることで青い花を咲かせる。そういう特殊な花だった。
故に地脈の力が強い――七耀脈の上でしか、生息することが出来ない。煌魔城の一件からも分かることだが、帝都はここクロスベルと同様に地脈の力が集まる場所に建造された街だ。ギリアスが辺境でなく、敢えて人の目が集まる帝都でプレロマ草を栽培していたのも、それが理由の一つと言っていいだろう。
そして地脈の力は、地上から地底へと近づくほどに強くなる。
この地底湖が、その地脈の力が一番強く集中する場所――龍穴なのだとリィンは推察した。
「ギリアス・オズボーンだな」
そして地底湖の畔に佇む一人の男を見つけ、リィンは声を掛ける。
帝国の正装に身を包み、あご髭を生やした長身の男。
――ギリアス・オズボーン。嘗て〈鉄血宰相〉の名で恐れられた男の姿がそこにあった。
「きたか。ルーファスは敗れたようだな」
「俺の身内に手を出した報いだ。骨も残さず火葬してやったよ」
そうか、と腹心が殺されたというのに、まったく動揺を見せないギリアスにリィンは眉をひそめる。
帝国の宰相を務めていただけあって、その存在感は本物と言っていい。しかし元軍人という話ではあるが〈光の剣匠〉のように卓越した剣術を会得しているわけでも、マクバーンのように特別な力を持っているわけでもなく、ただの人間だ。アリアンロードと互角に渡り合ったリィンなら、一瞬で殺せるほどの力の差が二人の間には存在する。
そして、そのことをギリアスが理解してないとも思えなかった。
既に観念していると言うことか? それとも、まだ何か勝算があると言うことか?
追い詰められているというのに、まったく死を恐れず、余裕の態度さえ見せるギリアスにリィンは警戒を募らせる。
(仕掛けてみるべきか?)
まだ三十アージュ以上離れてはいるが、リィンなら一足で間合いを詰められる距離だ。
殺そうと思えば、すぐに殺せる。しかしリィンの猟兵としての勘が、その一歩を踏み込ませずにいた。
「誰だ。そこに隠れてる奴、姿を見せろ!」
岩陰に何者かが隠れていることに気付き、リィンは声を発する。
やはり手下を潜ませていたか、とリィンは周囲を警戒しながら岩陰へと注意を払い――
目を瞠った。
「まさか……」
「随分と驚いた顔をしている。そんなに私が生きていることが不思議かい?」
――ルーファス・アルバレア。先程、自分の手で殺したはずの人物が姿を見せたからだ。
しかも、火傷一つ負っている様子は見られない。そんなことは、ありえないとリィンは考える。
「幻覚じゃないな。お前は俺が殺したはずだ。なんで、生きている?」
以前、エマが魔術でルトガーや先代〈銀〉の影を使役したことがある。そのことから魔術を用いた可能性をリィンは考えたが、すぐに幻術の可能性を否定した。
アーティファクトで姿を消したエマの術を見破り、教会の張った結界すら解除してみせた自分の能力にリィンは疑いを持っていなかった。
少なくとも、これが魔術や法術を用いた幻覚であれば、まったく何も感じないのは妙だ。
だとするなら目の前のルーファスは本物と言うことになる。殺したはずの人間が生きている。そのおかしな現象にリィンは心当たりがあった。
(あの時と同じだ)
クロウによって狙撃されたはずのギリアスが、どう言う訳か生きていた理由。それは未だに謎に包まれている。
胸を一撃で撃ち抜かれ、棺に入れられたことはクレアも確認をしているのにだ。
殺されたのが影武者であったならクレアが気付かなかったのは、やはりおかしい。
幻術の類を見せられたとも考えられるが、そう上手く関わった人間すべてを騙せるものだろうか?
そのことにリィンはずっと疑問を持ち続けていた。
「ここが、どういう場所か。わかっているね?」
「龍穴だろ? 地脈――七耀脈の力が集中する場所だ。まさか……ッ!?」
ルーファスの話を聞き、リィンの頭に一つの可能性が過ぎる。
もし、目の前にいるルーファスやギリアスが一度≠ヘ本当に死んでいたとしたら?
死者蘇生。そんな、ありえない可能性がリィンの頭を過ぎる。そう、それは神にすら不可能なことだ。
キーアでさえ、因果に干渉し過去を改変することでしか、ロイドたちを救うことが出来なかった。
だとするなら――
「生き返った訳ではない。ホムンクルスの身体に大地の記憶を転写した虚なる存在――それが、ここにいる私≠セ」
やはりそういうことかと、リィンはカラクリを理解する。
ルーファスの記憶と人格を持った人造人間。それが死者蘇生の秘密と言うことだ。
「記憶の転写、魂の複製。そういうことか。クロウに狙撃されたはずのギリアスがどうして生きていたのか、ずっと疑問を持っていた。だが、ようやく合点が行ったよ」
地脈には、大地の記憶と呼べるものが宿っている。世界の誕生からの記憶が蓄積された情報の塊だ。
普通は干渉の出来るようなものではないが、結社には〈アストラルコード〉と呼ばれる特殊な技術があるとも聞く。
クロイス家の秘術と十三工房の持つ技術が合わされば、特別な条件下での擬似的な死者蘇生――転生の秘術の開発に成功していたとしても不思議な話ではない。
「ルーファスのことは分かった。なら、ギリアス。俺の目の前にいるアンタは本物≠ネのか?」
どちらのギリアスがオリジナルなのか? そのことがリィンは気になった。
もし本物のギリアスが死んでいるのだとすれば、クロウたちの復讐は果たされていたと言うことになる。
「撃ち殺された男が本物だったかもしれないし、ここにいる私はギリアス・オズボーン≠ニいう男の記憶を持つだけの偽物かもしれない。しかし、そんなことは些細な問題だ。重要なのは本物か偽物かではなく結果だ」
確かにそうだ。
オリジナルの記憶と人格を持っているのなら、それは本物と呼んでも差違はないだろう。
しかし他人から見れば、ほとんど見分けは付かないとは言っても、自分の死を客観的に受け入れられる者は少ない。
狂っている。そう、リィンは思った。そんな男が何をしようとしているのか、リィンは気になって尋ねる。
「世界を欺き、自分の命すら駒に変えて、お前は何を為す気だ?」
◆
「異界の門を開く。それが〈鉄血宰相〉の目的だと?」
「ええ、彼がやろうとしていることは過去に女神が行ったことと同じ。この世界と異世界を繋ぐつもりでいるのですわ。恐らく〈煌魔城〉の一件も、貴族連合の動きを見過ごしたのは実験の一環だったのでしょうね」
アルティナたちを外へ避難させた後、リーシャはマリアベルと共にリィンの後を追って地底湖へと向かっていた。
その道中でギリアス・オズボーンの目的を聞き、リーシャは困惑に満ちた声で疑問を口にする。
「どうして、そんなことを……」
「詳しい理由まではわかりませんわ。わたくしも彼の狙いに気付いたのは、最近のことですもの」
その言葉が真実かどうかを知る術はリーシャにはない。しかし嘘は言っていないように思えた。
すべてを語っていないことは確かだが、マリアベルの表情を見るに想定外の出来事であることは確かなのだろう。
実際いつもの余裕はなく、注意を払わなければ気付かないほどだが、ほんの少し焦っている様子が見て取れた。
「ただ、その理由に彼≠ェ関係していることは確かでしょうね」
マリアベルの話す『彼』と言うのが、リィンのことだと言うことはリーシャにも察することが出来た。
ギリアスとリィンが血の繋がった親子であるというのは、いまや誰もが知る事実だ。
ハーメルの悲劇。十数年前に起きたその事件が、その後のギリアスの行動に深く関係していると言うことは疑うべくもない。
そのことから、まだ自分の知らない何かが、リィンとギリアスの間にはあるのだとリーシャは受け取った。
恐らくそのことをマリアベルは知っているのだろう。だとすると、一つ疑問が浮かぶ。
「事情はわかりました。でも、それならどうして私たちに協力を? このまま放って置く方が、何かと都合が良いと思うのですが……」
アルティナと、その〈姉妹〉たちを外へ転位させてくれたことには感謝していた。
しかし話を聞けば聞くほどに、マリアベルがどうして力を貸してくれるのか、リーシャは分からなくなる。
マリアベルの目的は〈碧の大樹〉の力を用い、大崩壊を引き起こすことにあるとリーシャは思っていた。リィンがその場凌ぎの嘘で、そんなことを言うとは思えない。実際グノーシスの件にせよ、その兆候があったのは事実だ。ギリアスが異界の門を開くと言うのなら、それは世界に混乱をもたらすと言う意味でマリアベルの目的とも合致するはず。出し抜かれたのは事実かも知れないが、放置したところでマリアベルに損があるとは思えなかった。
しかし、そんなリーシャの考えをマリアベルは否定する。
「誤解があるようですが、わたくしの目的はあくまで〈空の女神〉の呪縛から世界を解き放つこと。キーアさんがその可能性を示し、リィンさんが証明して見せてくれたことで、その道筋は立った。世界がどうなろうと知ったことではありませんが、いま彼を失うのは避けたいのです」
マリアベルの話に驚きながらも、そういうことならとリーシャは一定の理解を示す。
自身の目的を達するのにリィンが必要だから協力する。それはある意味で、これ以上ないくらい分かり易い答えだった。
しかし、
「……教会がその話を聞けば、黙っていませんよ?」
「ロイドさんにも同じことを言われましたわ。でも、この世界は教会の敷いた〈理〉に支配されている。そう言う意味では、わたくしたちは似たような立場にあると言えるのではありませんか?」
マリアベルの言葉は、七耀教会の教えや〈空の女神〉を否定するものだ。教会からすれば見過ごせない話だろう。
教会は土着信仰を禁じているわけではないが、それでも〈空の女神〉はこの世界に住む人々の大半が信仰する神だ。
多くの人々が心の拠り所とする女神を否定すると言うことは、世界を敵に回すことと同義と言える。
マリアベルの言うように、リィンの存在もまた教会にとって都合の悪いものであることはリーシャも否定できなかった。
「……わかりました。いまは、そういうことで納得しておきます」
信用も信頼も出来ないが、少なくともこの件に関しては協力できるとリーシャは判断する。
それにマリアベルをどうするかを決めるのはリィンだ。下手な取り引きや同情を誘うような行為はリィンには通用しない。
殺される可能性が高いと言うことは、ルーファスの死骸を見て理解しているはず。そうとわかっていても協力すると言うことだ。
マリアベルがそこまでの覚悟を決めているのなら、これ以上リーシャはあれこれと言うつもりはなかった。
◆
その光景を空の眼≠通して、一匹の猫が観察していた。
「はじまったみたいね」
不吉をにおわせる黒い猫の視線の先には、帝国中に張り巡らされた鉄道網の姿があった。
クロスベルから放たれた光は線路を伝い、翡翠の公都バリアハートを抜け、黒銀の鋼都ルーレ、紺碧の海都オルディス、白亜の旧都セントアーク。そして、緋の帝都ヘイムダルへと到達する。
人の業によって大地に刻まれた印が、まるで怪物の顎のように口を開き、帝国の領土を侵食していく。
「歴史は繰り返される……か。エマ、あなたの眼にはこの未来≠煬ゥえていたのかしら?」
嘗て、この地では二柱の巨神による戦いがあった。
一つは猛き力の担い手にて、一つは靱き力の担い手であった。
しかし千日にも渡る戦いの末、二柱の巨神は終わりの日に相討ちとなる。
「異界へと続く軌跡≠ェ開く」
いまや、ほとんど知る者のいない伝承。一部の魔女の間でだけで語り継がれてきた戒めの記憶。
自ら引き起こした結末に嘆き、苦しんだ女神によって封じられたはずのパンドラの匣。
――空の軌跡。
空の女神が至宝を人々に託し、この世界を去ることを決めた悲劇。
その歴史がエレボニアの地で、再び繰り返されようとしていた。
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