番外『暁の東亰編』
「頼む! 俺も一緒に連れて行ってくれ!」
生徒会室でミツキと話をすることになっていたリィンは、そこで思わぬ人物と遭遇した。
時坂洸。エマやシャーリィからも話を聞いた件の少年だ。
「どういうことだ? 聞いていた話と違うみたいだが?」
「……すみません」
申し訳なさそうに頭を下げるミツキ。彼女はシーカーの脅威度を十年前に東亰冥災を引き越した元凶――〈夕闇ノ使徒〉と同格かそれ以上と考え、その討伐をリィンたちに依頼するつもりでいた。
正直なところ、今回は相手が悪すぎる。ゾディアックやネメシスに所属するトップクラスの実力者でさえ手に余る事態だろう。素人のコウたちを、これ以上今回の件に関わらせるべきではないと判断したが故の決断だった。
素性が明らかではないとはいえ、シャーリィがシーカーを撃退したことは確かだ。そしてシャーリィが信頼を置くリィンの強さは数多くの実力者を見てきたミツキでも推し量れない。いまは少しでも戦力が欲しい。聞けば、彼等は傭兵のようなことをやっているという話だった。だから彼女は自分の権限において、リィンたちを雇うことを決めたのだ。そして今日ここには、仕事の話をするために来てもらう予定だった。
なのに部外者――それも一般人と言って差し支えない少年がいることに、リィンが不信感を抱くのは無理のない話だとミツキは考える。
だがコウの性格を考えれば、こうなることはわかっていた。だから出来ることなら、彼に知られる前に話を付けておきたかったのだ。
「子守りはごめんだ。そういう話なら、こっちはこっちで勝手にやらせてもらう」
ミツキは焦る。ここで交渉が決裂すれば、シーカーに対するカードを失ってしまう。
数で攻めれば倒せないことはないかもしれないが、そうなってしまったら多くの犠牲をだすことになるだろう。
それに敵はシーカーだけではない。異変の起点ともなっているアクロスタワーの周辺には、グリムグリードクラスの怪異が多数目撃されていた。
それらの対処に割く戦力のことを考えると、とてもではないが戦力が足りない。ミツキがどうすべきかと思考する中、コウの声が部屋に響いた。
「待ってくれ!」
部屋から立ち去ろうとするリィンを呼び止めるコウ。
まあ、そう来るだろうなとコウの次の行動を予想していたリィンは溜め息を吐く。
「事情は聞いているが、シーカーに手も足もでない程度の実力でついてきてどうなる? 大体お前が先走らなければ、もう少しマシに立ち回れたかもしれない。仲間を危険に晒したお前が、どの面を下げて突入部隊に加えてくれなんて言うつもりだ?」
「リィンさん、それは!?」
ミツキは言葉が過ぎると言いたいのだろう。しかし、こういう奴には現実を教えてやるのが手っ取り早いことをリィンは知っていた。
周りが甘やかしたところで、いつかは現実と向き合う時が来る。結局は早いか遅いかの違いでしかない。
この程度で心が折れてしまうようなら、そこまでだったというだけのことだ。
「ミツキ先輩、いいんだ。確かに皆が怪我を負ったのは俺の所為だ」
だが、恐らく大丈夫だろうという確信がリィンにはあった。
眼だ。同じような眼をした少年少女たちをリィンは知っていた。
幾度となく厳しい現実を見せられつつも、最後まで諦めなかった彼等の眼とコウは同じ眼をしていた。
「それでも、俺は引くわけにはいかない。ここで他人に委ねて引いてしまったら、俺は皆に顔向けが出来ねえ。それにあいつ≠フことだって……」
「あいつ……それが例の幼馴染みか。だが、その彼女は『逃げて』と言ったんだろう?」
コウの話す『あいつ』と言うのが、エマの話していた〈紅き終焉の魔王〉に取り込まれた少女のことだと、すぐにリィンは察する。
目の前の少年にとって、シオリという少女がどれだけ大切な存在か分からないわけではない。だが、彼が助けにくることを少女が望んでいるかどうかは別の問題だ。
助けを求めるのではなく『逃げて』と言った少女の気持ちを考えると、生半可な気持ちでコウを行かせるべきではないとリィンは考えていた。
「確かに俺は情けねえよ。柊に迷惑をかけて、玖我山やミツキ先輩に心配をかけて、シオ先輩やゴロウ先生に尻拭いをさせて、ソラやユウキ……後輩すら守ってやれないヘタレだ。挙げ句、シオリにまで気を遣わせる始末だ」
だが、それがわかっていて尚、コウは諦めようとしない。
「経験や力が足りてないことなんて百も承知だ。柊やアンタに比べれば、所詮は素人の付け焼き刃だ。頼りにされてないこともわかってる。無理に付いていったところで、シオリを傷つけるかもしれない。それでも俺は――シオリを助けたいんだ!」
それがコウの本心だった。
子供じみた理由。そこまで理解していながら、我が儘を通すというのだから青臭いという他ない。
「素人じゃなければ、いいのよね? 私も作戦に参加させてもらうわ。ネメシスの執行者として任務を途中で投げ出すわけにもいかないしね」
そんなコウに同調する声が、扉の方から聞こえる。アスカだ。
「それなら私も同じことが言えますね。ゾディアックの一員として今回の件、見届ける義務があります」
ミツキもここぞとばかりにアスカの話に乗っかる。
どうあってもリィンに協力してもらわなくては作戦の成功はない。なら、いっそのこと断り切れない雰囲気を作ってしまおうと考えた。
それに一見すると言っていることは無茶苦茶だが、そんなコウがミツキは嫌いではなかった。
少なくとも彼の行動に助けられた人々は大勢いる。アスカがコウに協力しているのも同じ理由だろう。
「お前等な……」
「勝手にやると言うのなら、どうぞ御自由に。その場合、私たちも好きにやらせて頂きますから」
ミツキのそれは、勝手についていくと公言しているようなものだ。だが、悪い手ではなかった。もっとも、ついて来られればという条件付きだが――
その気になれば、素人を撒くくらい難しいことではない。仕事ではないのなら彼等を助ける義理や理由もリィンにはないのだから、放って置けばいいだけの話だ。
シーカーの相手を押しつけるつもりなのだろうが、そう上手くは行かないだろう。しかし、その程度のことをミツキがわかっていないとリィンは思っていなかった。
戦力が欲しいとは言っても、素性の知れない相手と取り引きをしようというお嬢様だ。情に脆く甘いところはあるが、アルフィンによく似た強かさを彼女から感じる。
(このまま言い争っても話は平行線か……)
やれやれと言った様子でリィンは頭を掻きながら、ここで断ったら土下座でも始めそうな少年に尋ねた。
「時坂とか言ったな。覚悟はあるのか?」
「当然だ。危険なことくらい――」
「違う。戦いに赴けば、死ぬかもしれないなんて当たり前だ。そういうのは覚悟とは言わない。俺が聞きたいのは、殺す覚悟があるのかってことだ」
「何を……」
殺す覚悟と一言に言っても、いろいろとある。
コウの場合、我が儘を通すということは、ミツキやアスカのように彼についていこうとする者が大勢いるだろう。それは彼の力であり人徳の成せる業だと思うが、同時に彼の行動一つがそれだけ多くの人間を危険に晒すということだ。
シーカーの一件でも事情が事情とはいえ、その身勝手な行動が仲間の命を奪いかけた。
このままだと彼はいつか自分だけでなく仲間を殺すことになる。
「いまのままだと、お前はきっと後悔することになる。それでもいいなら好きにしろ」
らしくないと思いつつも周りに看過されたのか、コウに助言めいた忠告をするリィン。
何か思うことがあったのだろう。俯いたまま何も話さないコウを背に、リィンは部屋を後にした。
◆
「こちらが契約内容と報酬の目録になります。ご確認を――」
ミツキの秘書から手渡しされた契約書類に目を通すリィン。彼は今、学園の屋上にいた。
紺のスーツに眼鏡をかけた厳しい印象を受ける女性の名は雪村京香。北都グループの後継者候補にしてゾディアックの一員として活動する多忙なミツキを、公私に渡ってサポートしている敏腕の秘書だ。実は彼女、猟犬と揶揄されるゾディアックの実行部隊に所属していたことがあった。
実際、リィンは彼女から同類の臭いを感じ取っていた。恐らくは、かなりの実力者だ。ミツキの経験が足りない部分を陰でサポートするのが彼女の役割なのだろう。例えば、今回の件のように――
「てっきり断られると思いましたが……」
「どうせ、あのお嬢さんは巻き込む気満々だろ? なら、貰える物は貰っておく主義だ」
なるほど、とリィンの考えにキョウカは理解の色を示す。タダ働きはしないというのは、プロであれば当然だ。依頼というカタチをリィンが取っているのも、きっちりと公私を分けるためだ。それが曖昧になってしまえば、人は甘えに走る。片方に寄った関係など脆く崩れやすい。だからこそ互いに利があるように依頼と仕事というカタチでバランスを取る。
金がすべてだとは言わないが、互いの関係を表すものとして、これほど分かり易い絆はない。
何より元凶を排除して元の世界に帰るつもりではいるが、確実に帰れるという保証がない以上は、この世界に生活の基盤を築いておくことも大切だった。
「しかし、少し意外だった」
「……意外ですか?」
「アンタたちは、俺たちを警戒していると思っていたからな」
リィンがSPiKAを連れて学園を訪れた際に、真っ先に探るような視線を向けてきたのが彼女だった。
それからも度々、監視するような視線をリィンは感じていた。恐らくは彼女の手配したゾディアックの猟犬という奴だろう。
だからこそミツキが決めたこととはいえ、リィンたちに重要な仕事を任せることを彼女が了承したというのが意外だった。
「正直に言えば、まだ警戒はしています。ですが、実力は疑いようがない。私たちの監視にも気付かれていたようですから……」
プロとしてのプライドが彼女にもあるのだろう。少し悔しそうな表情を浮かべながら、そう答える。
「それに、裏の世界は結果がすべてです」
その一言がすべてだった。
裏の世界には後ろ暗い過去を持つ者、身元の知れない者など大勢いる。そんななかで依頼者の信用を勝ち取るために必要なものは実力しかない。極端な話、性格に多少の難があっても仕事を確実にこなしてくれる実力さえあれば問題にはしないということだ。ましてや、グリムグリードを瞬殺できるほどの実力者ともなれば、どこの組織も喉から手が出るほど欲しい人材だ。素性が知れないというだけで逃すには惜しい相手だった。
ならば、互いに利用し利用される関係を維持するように努める方が賢い選択だ。警戒しすぎるのも良い選択とは言えなかった。
そんなキョウカの言葉に、取り引き相手としては信用の置ける相手とリィンも彼女を認める。
一通り書類に目を通すと問題ないことを確認して、リィンはキョウカに本題を尋ねる。
「それで? いつ決行するんだ?」
「明日の正午を予定しています。時間も余り残されていないようなので……」
キョウカの視線の先には、怪しげな光を放つアクロスタワーがあった。
こうしている今も、異界化の影響は広がり続けていた。このままでは杜宮市だけでなく東亰全域、下手をすれば日本が異界に呑み込まれる可能性すらある。
これ以上、被害が広がる前に問題を解決したいというのが、ゾディアックやこの件に関わる組織の総意なのだとリィンは解釈した。
「後で作戦について相談したいことがあります」
「了解。あの二人にも伝えておいた方がいいか?」
「はい。出来れば、ご同席頂ければと……」
少し歯切れの悪い物言いで答えるキョウカに、リィンは何かあると察する。
そして彼女との接点と言えば一つしかない。溜め息交じりに、リィンはキョウカに尋ねる。
「その様子だと、あのお嬢さんから何か頼まれたか?」
「出来れば作戦開始までに、時坂様との関係を修復して欲しいと……」
「喧嘩をしているつもりはないさ。アンタたちも裏の不文律は理解しているはずだ。その上で俺は譲歩した。なら、あとはアイツ次第だ」
リィンからすれば、最大限の譲歩をしたつもりだった。元々彼女たちと協力関係を結ぶことにした理由は、情報を得ることの他に邪魔をされたくなかったからだ。
この世界に地盤もない状態で、現地の組織と敵対するのは面倒事しか生まない。だからこそ彼女たちと協力関係を結び、仕事というカタチを取ることで堂々と事件に介入するつもりでいた。
リィンからすれば、彼女たちとの関係も目的を達成するための手段に過ぎなかった。
(まあ、あの程度で諦める性格じゃないだろうしな)
諦めの悪さだけなら誰にも負けなかった少年少女を思い出し、リィンは口元を緩めた。
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