美嘉たちが今日うちの事務所にきたのは、武内プロデューサーから先日話のあったARの体験レッスンを受けるためだ。
このビルには所属アイドルのために、最先端のAR機材が揃ったレッスンルームが複数完備されている。
その内の一つを武内プロデューサーからの要請に応えるため、346のアイドルに解放することにしたと言う訳だ。
先日、菜々に手伝ってもらって機材の点検と調整をしていたのは、このためだった。
「ありすちゃん。これ、食べる?」
「……橘です。下の名前で呼ばないでください」
微妙なお年頃なのだろう。ツンと顔を背けながらも、しっかりと差し出されたお菓子は受け取っていた。
俺の隣に座り、先にレッスンを受けている美嘉たちの様子を眺めている彼女の名は橘ありす。
美嘉が連れてきたアイドルの一人。所謂、キッズアイドルと言う奴だ。
まあ、891にも何人か小中学生のアイドルはいるしな。この業界では特に珍しい話ではない。
子供と言えど、お金を貰って仕事をしている以上はプロのアイドルだ。美嘉たちのレッスンを眺めるその表情は真剣そのものだった。
とはいえ――
「うわあ……」
いま俺たちの目の前では、美嘉たち〈Lipps〉のメンバーが持ち歌を披露していた。
ARで再現された煌めく水に青い蝶が舞うステージのなかで、漆黒のドレスを纏った五人の歌姫が幻想的な世界を創り出す。
そんな本番さながらのステージに魅せられ、感動の声を漏らすありすを見て、俺は苦笑する。
(そうか、昔のマリアに似てるんだな)
なんとなく彼女を見ていると、異世界に飛ばされた当時のことを思い出す。
無理に背伸びをして、自分を大きく見せようとするところとか、あの頃のマリアを見ているようだ。
ああ、マリアと言うのは俺が妹のように可愛がっている少女のことだ。
あれから成長して現在はもう立派な大人なのだが、甘えん坊なところとか、昔と余り変わってないんだよな。
まあ、最近ちょっと母親に似てきたと言うか、彼女が甘えてくる度に物理的に食われないか心配になることがあるのだが、その度にラシャラ――親友にしてライバルの少女と喧嘩になっているところをよく目にする。もう少し仲良くしてくれると良いんだが、喧嘩するほど仲が良いとも言うしな。にこにこと見守る俺を見て、二人揃って溜め息を漏らしてるところなんて通じ合ってる気がしなくもない。
そうこう考えごとをしていると音楽が止み、周囲の景色が元に戻る。
息を切らせ、タオルで汗を吹く美嘉たちの姿を見て、俺は未だに興奮冷めやらぬ様子のありすに感想を求めた。
「どうだった?」
「凄かったです!」
先程までの素っ気ない態度と違い、目をキラキラと輝かせて迫ってくる彼女を見ると、なんとなく俺も嬉しくなる。
美嘉たちの歌やダンスが凄かったこともあるが、このくらいの歳の少女からすれば、何もないところから物や景色が現れるのは〝魔法〟のように感じるのだろう。
実際うちの事務所はそれを売りにしている。世間では『魔法のステージ』とか、恥ずかしい名前で呼ばれているらしい。
だが、言い得て妙だと俺は思っていた。進んだ科学は魔法と見分けがつかないとはよく言ったものだ。
「とても綺麗でした。あ、あの……他には、どんなものがあるんですか?」
期待の籠もった目でそう尋ねてくるありすに、俺は何が良いかと考える。
実際、様々なパターンを想定して、数千を超えるシーンと特殊効果が装置には登録済みだ。
現代風のリアルなものからファンタジーなものまで、そのなかで彼女が喜びそうなものと言えば――
そう言えば、昼食でも大きなイチゴの乗ったショートケーキを喜んで食べてたっけ?
「いろいろとあるけど……お菓子の家とか?」
「――ッ!?」
興味ありそうだと思って言ってみたのだが、ありすの反応を見る限りでは大当たりだったようだ。
美嘉たちが休憩に入ったのを確認して、ありすの希望通りにお菓子の家を呼び出す。
すると「大きなイチゴです!」と叫び、目を輝かせて走っていくありすを見て、微笑ましくなった。
大人びてはいても、やっぱり子供だな。まあ、息抜きは必要だ。それにこれも立派なARの体験と言えるだろう。
本物ではないので触れないし、食べることも出来ないのだが、ありすはそれでも満足そうだった。
――って、志希とフレデリカまで混ざって何やってるんだ!? あ、ありすに叱られてる。子供か、あいつら……。
「太老さん、ありがとうございました」
「まあ、気にするな。346からは見返りも貰ってるしな。それより、どうだった?」
美嘉が頭を下げて御礼を言ってくるので、気にするなと俺は左右に手を振り、感想を求める。
本来であれば、こうしたことはトレーナーの役目なのだが、生憎と手の空いている人間が俺の他にいなかった。
年末に合同コンサートを控えていると言うだけでなく、現在891に所属するアイドルの大半は全国を忙しく飛び回っている。カルティアなどの一部アイドルは、それに加えて銀河連盟で放送されている番組にも出演しているので、休む暇もないほどスケジュールがビッシリと詰まっていた。そのためトレーナーを含め、ステージを裏で支えるスタッフの大半が忙しく働いている。
夏が過ぎる頃には現在行っている全国公演も終わるため、手の空く者も出て来るだろうが……現状は厳しかった。
そこで菜々を引き抜くためとはいえ、自分が受けた仕事と言うこともあり、当面は俺が彼女たちの面倒を看ることにしたと言う訳だ。
それに美嘉たちも面識のある人間が一緒の方が、余計な気を遣わなくていいだろうと配慮してのことでもあった。
「良い体験になりました。でも歌ってる時は、そう気にならなかったですけど、少し恥ずかしいですね。これ……」
「特殊素材で作られた専用の衣装だから、慣れてもらうしかないな。まあ、本番にはその姿でステージに立つことはないし」
美嘉たちが身に付けている服は、前に菜々に着せたレオタード衣装だ。そのためか、ボディラインがくっきりと確認できる。
このレオタードはマーカーの役目も担っているので、着てもらわないことには特殊効果などの演出が上手く機能しなくなる。ステージ上では次々と曲や場面に応じて衣装を変化させることになるので、この姿で客前にでることはないのだが、確かに慣れてないと少し恥ずかしいかもしれないな。
とはいえ、海賊やGPの着ている戦闘服など、もっと際どいスーツも存在する。普段は引っ込み思案なカルティアとかも特に気にする様子もなく身に付けていることから、この辺りも地球と宇宙の文化や習慣の差が大きくでているのだろう。
あれ? もしかして、前にこのレオタードを見せた時、水穂が頭を抱えてたのって美嘉と同じような理由なのか?
まあ、確かに水穂は考え方が古風なところがあるし、年齢的にも抵抗があるのかもしれない。悪いことしたかな……。
そんな風に衣装について考えをまとめていると、美嘉の後ろで何やら怪しげな笑みを浮かべる二人の少女が目に入った。
美嘉や志希。フレデリカと一緒に〈Lipps〉というユニットで活躍中の二人だ。
確か名前は――
「速水奏さんと塩見周子さんだっけ? 二人のことは、よく他の三人から聞いてるよ」
「あら? 私も会長さんのことは、よく知っているんですよ」
そう声を掛けると、最初に反応が返ってきたのは奏という少女だった。
年齢は志希やフレデリカよりも下のはずだが、メンバーの中でも一番落ち着いた雰囲気を持つ少女だ。
「そうなのか?」
「ええ、よく美嘉が二人を迎えに行っているでしょ? その度に美嘉ったら、会長さんの話ばかりして――」
「ちょ、ま、かな、かなッ!?」
美嘉が言葉にならない声を上げ、奏の口を止めに入る。一体、俺の何を話してるんだ?
そういう反応をされると凄く気になるんだが……まあ、どうせ碌でもない話だとは思うけど。
志希や菜々。それにフレデリカとよく一緒にいることから、美嘉のなかでは俺も一括りにされている印象がある。
類は友を呼ぶの要領で、346のアイドルたちに変な人とか思われてないよな? 少し不安になってきた。
「邪魔しちゃ悪いもんね。だから、いつもあたしたちは遠慮してるんだ」
「しゅ、しゅ、周子まで! ちっ、違うから! ほんと、違うんです! 別に楽しみにしてるってわけじゃなくて!」
なるほど……この三人の関係がわかった気がする。
志希とフレデリカに振り回され、この二人にからかわれ、美嘉は本当に苦労してるんだな……。
「大丈夫だ。俺は気にしてないから」
「え? あの……え?」
美嘉の肩に手を置き、俺のことは気にするなと言ってやる。
話の内容は気になるが、本心から二人に愚痴を溢してるんじゃないとわかっている。ストレスが溜まってるんだよな……。
なんとなく美嘉には親近感が湧く気がしていたんだが、こういうことだったのかと納得させられた。
俺も苦手とする人たちがいる。特にマッドと鬼姫。俺がこうして地球で商売をやっているのも、あの二人が無関係とは言えないからな。
苦労している仲間だ。困っていることがあったら、美嘉の力になってやりたいと心の底から思った。
「あれ? そう言えば、文香さんは?」
周子がきょろきょろと周囲を見渡しながら、そんなことを聞いてくるので俺も彼女の姿を捜す。
鷺沢文香。ありすたちと一緒に、美嘉が連れてきた346のアイドルの一人だ。
物静かな少女で顔色が悪そうだったので、菜々に世話を任せて休んでいたはずなのだが、その菜々の姿も見当たらなかった。
あれ? これ、もしかしなくても、まずいんじゃないか?
「あの……どうかしたんですか?」
「いや、このビルって構造が複雑だから、迷子になってるのかもしれないなと思ってな」
俺の様子がおかしいことに気付き、訝しげな表情で尋ねてきた美嘉の質問に誤魔化すように答える。
現在891の事務所が入っているこのビルは三年前まで、地球における商会の拠点として使われていたのだ。
そのため、一時は俺たちのことを快く思わない国や組織の標的によくなっていた。
某国の特殊部隊なんかも誘い寄せられるようにやってきて、メイドたちに捕まってハチ公前に吊されてたっけ……。
そうしたことから最近は忍び込んでくる輩も減ったと言う話ではあるが、いまも侵入者用のトラップは生きている。
まあ、トラップに引っ掛かったところで死ぬような罠ではないし、大丈夫だとは思うのだが――
(あれほど勝手にウロウロするなと言ってあったのに……菜々の奴め)
詳しい経緯はわからないが、状況から考えて文香が一人でいなくなったとは思えない。
だとしたら菜々が関わっていると考えるのが自然だ。
「取り敢えず、二人を捜してくる。悪いが練習でもしながら、ここで待っててくれるか? 咽が渇いたらそこの冷蔵庫に飲み物が入ってるし、機材も好きに使ってくれていいから」
「あ、はい」
そう言って美嘉たちをレッスンルームに残し、俺は廊下にでると、
「零式、聞こえてるな」
零式の名を呼ぶ。すると、何処からともなく「はーい」と少女の声が聞こえてきた。
「お父様、お呼びですか?」
すぐ目の前に転送の光が点り、そこからありすとそう変わらない歳の少女が現れる。
青い髪に青い瞳。スカートの裾にフリルをあしらったゴシック風のドレスを纏った長髪の少女。
目の前の少女こそ、俺の船〈守蛇怪・零式〉の生体コンピューターだ。
性格に難があるため、余りこいつに頼りたくはないのだが緊急事態だ。贅沢も言ってられん。
「ゲストの位置は把握してるな」
「えっと、はい。映像にだします?」
俺は零式の言葉に頷く。
すると右手の人差し指をスライドさせるように宙で動かし、周囲に無数の空間モニターを展開する零式。
闇雲に捜すよりは、こちらの方が早い。早く菜々を回収して、美嘉たちのところへ戻らないと、
「げっ!?」
――と思っていたのだが、まずいことになった。
菜々たちの姿を捉えたようで、映像を俺の前へ表示する零式。
森の中心にそびえ立つ、天を突くような巨大な大樹。
その枝の上で、助けを求める菜々の姿。当然、文香もその場にいた。
状況を呑み込めていないようで、困惑している様子が見て取れる。
どうしてこうなった?
そこは俺の仕事場。守蛇怪・零式の亜空間に固定された人工惑星だった。
◆
「あら? そう言えば、志希たちは?」
「フレちゃんと、ありすちゃんもいないね」
奏と周子に言われて周囲を確認すると、確かに先程までワイワイと騒いでいた三人の姿も消えていた。
あの二人はまた……目を離すとこれだ。ありすちゃんが一人で勝手に何処かへ行くとは思えない。
大方、二人が連れ出したのだろう。連れ戻しに行った方がいいかと考えたところで、太老さんの言葉が頭を過ぎった。
「志希ちゃんの悪い癖がでちゃった感じかな? 連れ戻した方がいいんじゃない?」
「そうね。あの二人なら心配は要らないと思うけど、ありすちゃんも一緒みたいだし……美嘉? どうかしたの?」
「いや、うん。でも、太老さんはここで待ってろって言ってたし、入れ違いにならないかなーって……」
周子と奏の言葉に、アタシは動揺を抑えながら答える。
別に間違ったことは言っていないはずなのに、心臓がバクバクと脈打って顔を熱くなるのを感じる。
そんなアタシの動揺を察した様子で、ニンマリとした悪い笑みを浮かべる周子。
「なるほど、なるほど。憧れの会長さんの言葉なら、そりゃ迷うよね」
「な、なに言って……!?」
「照れない照れない。まあ、そういうことなら誰か残った方がいいかもね。シューコちゃんが捜してこよっか?」
ううっ……からかわれるのがわかってるのにアタシのバカ。
しかし周子の言うように三人のことは、迷子になっていないかと気になる。
志希とフレデリカはいつものことなので気にしてはいないが、ありすちゃんのことは心配だった。
周子は気を利かせてくれたのだろうけど、ここはやっぱりアタシが行くべきだろうと思い、声を上げる。
「ううん。アタシが行くわ。あの二人の扱いなら、この三人の中で一番慣れてるしね……」
それに周子と奏は、ここへ来るのは初めてだ。捜しに行って、同じように道に迷わないとも限らない。そうするとアタシが行った方がいいだろうと思った。
まあ、アタシも普段は案内の人が一緒で、一人でウロウロしたことはないんだけど……。
奏や周子と別れたアタシは三人の姿を捜して廊下を探索する。346ほどではないが、やっぱりここの事務所も広い。正木商会と言えば、アタシでも知ってる新進気鋭の大きな会社だ。世界でも有数の技術力を持ち、常に新しいことにチャレンジし、最先端の技術を取り入れた商品を扱う複合企業だと何かの雑誌で見たことがある。太老さんを見てると、そんなに凄い企業の代表には見えないんだけど、あの人……下手したらアタシたち以上に有名人なんだよね。
本人にその自覚は余りなさそうだけど、そうした飾らないところが格好良いって言うか……ちがっ、アタシ何を言ってるの!?
「ほんと、あの二人は……でも、何処に行ったんだろ?」
あの二人が勝手にいなくなるのは今に始まったことではないので諦めも付くけど、ありすちゃんを巻き込んだ件は叱っておかないと。
三人の姿が見つからず、何処か別のフロアに行ったのかも知れないと考え、捜索範囲を広げるべきか、一旦戻るべきか迷っていた時だった。
(あれって太老さん? 一緒にいる女の子は誰だろ?)
廊下の曲がり角で太老さんの姿を見つける。その隣には親しげな様子で話す小さな女の子が一緒にいた。
891プロダクションに所属するアイドルの子だろうか? それともまさか太老さんの娘……って、それはないよね。
結婚してるなんて話は聞かないし、あんなに大きな娘さんがいるような歳にも見えない。
実際に太老さんの年齢を尋ねたことはないけど、学生でも通用するくらいだ。どう見ても三十は行っていないだろう。
声を掛けるべきか迷っていると、二人して廊下の突き当たりにある部屋に入っていった。アタシは慌てて二人の後を追い掛ける。
「確か、ここに……」
悪いことをしているわけじゃないのに、なんとなく後ろめたい気持ちに駆られながら、太老さんの入っていった部屋の扉をそーっと開ける。
そして部屋の中を覗き込むと……誰もいなかった。確かにさっきここへ入っていったはずなのに二人の姿はない。
アタシは気になって部屋の中へと足を踏み入れる。そして――
「え?」
足下で何かが光ったかと思うと、視界が暗転した。
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