「青い海、白い砂浜、黄金に輝く太陽！」
砂浜に立ち、大空に向かって元気よく叫ぶ未央。
「海、海だよ！ 二人もバカンスを楽しもうよ！」
「未央ちゃん、テンション高いですね……」
「やっと、あの地獄のようなレッスンから解放されたわけだしね……」
そのテンションについていけず、少し離れた場所から見守る二人がいた。島村卯月と渋谷凛だ。
昨日は食事を取って風呂に入った後は、すぐにベッドに横になり、目が覚めたのは昼前だった。
不思議なことに、ほとんど身体に疲れは残っていないが、精神的な疲労は大きい。
ここ数日のことを思い出すと、無意識に身体が反応を示すくらいだ。
そんな過酷なレッスンを耐えた後だけに、未央のテンションがおかしくなるのもわからなくはないのだが、
「でも、よく出来てるね」
「はい。本当に海にいるみたいです！」
いま三人がいるのは、リラクゼーションを目的としたＡＲの体験施設だ。
半径十メートルほどのドーム状の空間に、様々な場所の景色を反映させることが出来る。
本物のように見える海も、空を飛ぶ鳥も、すべて仮想現実だと言うのだから驚きの言葉しかでなかった。
実際、燦々と輝く太陽の熱気や潮の香りを錯覚するほど、それはリアルなものだった。
「確か、ここを操作すると他の景色もだせるんだっけ？」
卯月と話をしながら部屋の入り口に用意された端末を、凛は興味津々と言った様子で操作する。
未央ほどではないにしても、凛もまだ遊びたい盛りの年頃の少女だ。
アイドルの仕事やレッスンが嫌と言う訳ではないが、たまにはこうして気心の知れた友人と遊んでストレスを解消したくもなる。
特にここ実験都市には、子供から大人まで楽しめる珍しい施設が多く、童心に返った気持ちで好奇心を刺激されるのも当然だった。
「さむっ！ 南国の海から雪山って、天国から地獄へ真っ逆さまの気分なんだけど！？」
「寒いって、そんなわけ……」
凛が端末を操作すると、南国の景色から一転して真っ白な雪山の景色へと変わる。
実際に寒さを感じるはずはないのだが、身体に吹き付ける風と雪に未央は肩を震わせる。
「凛ちゃん、あれ……」
「……え？」
そんな未央の反応を楽しみながら、次はどんな景色にしようかと凛が悩んでいた、その時だった。
卯月がプルプルと身体を震わせながら指さす方向から、ゴゴゴゴと大きな音が聞こえてくる。
嫌な予感がして振り返る凛。すると、そこには――
「雪崩れだああああっ！」
未央の絶叫が響く。
すぐに景色を切り替えようと、凛は端末に手を伸ばすが間に合わず――
三人は為す術なく雪崩れに呑まれるのだった。
◆
「お土産物なら、ここが一番品揃えが良いと思いますわ」
そう言って桃華がありすたちを案内したのは、櫻井グループが経営するショッピングモールだった。
誇らしげに胸を張る桃華を見て、ありすは「なるほど」と察した様子で言葉を返す。
「桃華さん、この街に詳しいんですね」
「昔からよく連れてきてもらっていましたから。お父様が街の経営に携わる理事の一人なんですのよ」
櫻井は実験都市の開発初期から関わっている西園寺や水瀬と並ぶ、日本を代表する企業の一つだ。
そのことを考えれば、櫻井の令嬢である桃華がここへ幼い頃からよく来ているというのも頷ける話だった。
恐らく太老とも、その流れで知り合ったのだろうと、ありすは推察する。
「いろんな店があるんですね」
「あそこの店なんて、おすすめですわね。いつもお土産を買う時に利用している店ですの」
「おお、なんか面白いのが一杯あるよ！ ニンニン！」
「かおるちゃん。そんなことしたら、お店の人に迷惑だから……」
ありすは桃華の案内で、龍崎薫と佐々木千枝の二人と一緒に実験都市の観光をしていた。
発光する玩具の刀を手にして忍者のモノマネをする薫を注意する千枝を見て、ありすは苦笑する。
交流会も残すところ二日。明日の昼には事務所へ帰る予定となっているので、ゆっくりと見て回る時間も今日を逃すとない。
そのため、限られた時間を有効活用しようと、家族や世話になっている人たちへのお土産をありすが真剣に選んでいると、
「ペナントに饅頭に木刀……ここ、どこの温泉地ですか？」
余りに余りなラインナップに思わず苦言が漏れる。
「『お土産物の定番と言えば、これだ！』と以前、お兄さ……正木会長が仰っていましたわよ？ 違うのですか？」
桃華の話を否定はしないが共感も出来ない。
こんな物を『実験都市』のお土産として渡されても、相手も困惑するだけだろう。
「あ、これは意外とまとも……」
と、ありすが手に取ったのは、ぴにゃこら太のキーホルダーだった。
目つきが悪くブサイクながら愛嬌のある仕草が人気のゆるキャラなのだが、やはりこれも実験都市の土産と言うには何か違う気がする。
まだ、隣に並んでいるタチコマのキーホールダーの方が、それらしいと言えるだろう。
結局、悩んだ末にありすが選んだのは、正木商会のロゴが入ったタチコマの実験都市限定グッズだった。
無難と言えば無難と言える選択だが、他に選択肢がなかったとも言える。
実験都市らしいハイテク機械や玩具も売ってはいるが、さすがに子供の小遣いで買えるようなものではなかったからだ。
桃華と薫は特に疑問を感じることなくペナントと饅頭を買っていたが……ありすは見なかったことにする。
「千枝さんは何を買われたんですか？」
「あ、私は学校の友達のお土産に携帯のストラップと、カルティアさんのブロマイドを……お母さんが大ファンでね」
千枝の回答に自分だけではないとわかって、ありすはほっと安堵の息を吐く。
そして、ふと頭に過ぎったのは、両親の姿だった。
両親は共働きで仕事が忙しく、朝が早く夜は遅くに帰ってくるため、ありすは一人で家にいることが多い。
運動会や授業参観など、本当は両親に見に来て欲しくても、迷惑を掛けてはいけないと我慢をする。
そんな寂しくとも強がる癖が、ありすにはあった。
――このお土産を渡したら、両親は喜んでくれるだろうか？
――次もステージを成功させたら、頑張ったねと褒めてくれるだろうか？
ありすも本当は、両親が自分のことを気に掛けてくれていることはわかっている。
だから大丈夫だからと大人ぶって、強がって見せるのだ。
でも、時々……こうして不安になる時がある。寂しさで胸がギュッと締め付けられる時がある。
アイドルをするようになって一人でいる時間が減って、その寂しさも少しは薄れたけど、それでも――
「ありすちゃん？」
「……お腹が空きましたね。どこか入りませんか？」
ありすは心配を掛けまいと千枝の言葉を遮り、近くの店に皆を誘う。
人数分のケーキと紅茶を頼み、仕事のことや学校の話題など、他愛のない話で盛り上がる少女たち。
そして、
「皆さん、元気ですね。疲れてないんですか？」
「フフッ、普段からお稽古事で鍛えてますもの。体力には自信がありますのよ」
「うんうん。それに若さが違うよねー」
「薫ちゃん、そういうことは言わない方が……」
「え？ でも莉嘉ちゃんが……」
美嘉たちを除けばホテルで休んでいる大人が多い中、桃華たちの元気な姿が気になってありすが尋ねると、そんな答えが返ってきた。
考えてみれば、桃華は以前から太老との交流があることを考えれば、あの飲み物を口にしていても不思議ではない。
それに薫と千枝も５ＳＧに参加するようになって、８９１プロのレッスンにも参加しているとの話だ。
莉嘉のことはよくわからないが、美嘉の妹であることからも不思議ではないかと、ありすは納得することにした。
「その話、詳しく聞かせてくれる？」
だが、後ろから掛けられた声で、一瞬にした場が凍り付く。
楽しいお茶会から一転して、ありすが振り返るとそこには――
「か、川島さん？」
修羅がいた。
◆
「……なんか、莉嘉の悲鳴が聞こえたような」
妹の悲鳴が聞こえた気がしたが、また何か悪戯でもして叱られているのだろうと美嘉は考える。
それよりも――
「くんくん、甘い匂いがする。この匂いは……」
「あれじゃない？ タルトの専門店だって！ イチゴが宝石みたいにキラキラしてる！」
あっちの店、こっちの店と行ったりきたりする志希とフレデリカに目を光らせる方が重要だった。
美嘉はユニットのメンバーと一緒に、西園寺デパートの地下にきていた。所謂、デパ地下だ。
何か良い土産物でも見つかればと思ってきたのだが、
「これとこれ、それとこれもください！ あっ、そこのお肉も焼いてもらえます？」
意気揚々と試食コーナーを回る周子の姿を見て、美嘉は溜め息を漏らす。
志希とフレデリカの二人は今に始まったことではないが、周子までこんな風になるとは思ってもいなかったためだ。
「周子……なんか人が変わってない？」
「皆、夜まで自由行動でしょ？ だから今日は目一杯楽しむんだって……」
なるほど、と奏の話に納得する美嘉。
プロデューサーの補佐をしながら、期間中は皆の引率をしていたこともあって、ストレスも溜まっていたのだろう。
交流会も今日を含めて、あと二日で終わりだ。明日の昼にはバスで帰路につくので、主立った予定は今日で終わりと言っていい。
周子が解放感に満たされ、いつも以上に元気なのも、それを考えればわからない話ではなかった。
「食った食った。さすが西園寺のデパート、品揃えが豊富だよね」
「……そんなに食べて大丈夫？」
「大丈夫、大丈夫。もうレッスンはないって話だし、今日くらいはね」
あれから一時間余り、散々試食コーナーを巡って満足げな笑みを浮かべる周子の身体を心配して、美嘉は尋ねる。
ケロッとした様子でそう答える周子を見て、「言った通りでしょ？」と美嘉に視線を送る奏。
そして購入した土産物の配達を手配して、丁度頃合いの時間を見計らって全員でホテルへと帰る途中、
「そう言えば、夜の予定は何か聞いてる？」
奏がそんなことを周子に尋ねた。
夕方まで自由行動でホテルのロビーに集合とは聞いていたが、それ以上のことは何も聞かされていなかったからだ。
配布された旅のしおりにも、そのことは何も書かれていなかった。それだけに太老の言っていた言葉が気に掛かる。
「宴会を予定してるって話だけど、それ以上のことは何も……。なんかプロデューサーも詳細を知らないみたいでね」
「プロデューサーさんが知らない？」
「うん。こっちでの予定は、全部８９１プロが決めてるらしくてね」
確かにそれなら詳細を知らないのはわかるが、プロデューサーにも秘密にしてるというのが奏は気になった。
サプライズのつもりなのかもしれないが、一体なにを企んでいるのか？
「そう言えば、周子。会長さんに『楽しみにしてろ』って言われてたわね。本当に心当たりはないの？」
「思い出させないでくれる？ こっちがどういうことか聞きたいくらい。正直、嫌な予感しかしないんだけど……」
奏の話に忘れていたかったと、心底嫌な顔をする周子。
太老のことだ。悪いことや危険なことを企んでいると言ったことはないだろうが――不安は大きい。
「果たし状とか？」
「愛の告白だったりするかもよ」
「こ、告白！？」
フレデリカと奏の話に、過剰に反応する美嘉。
しかし何の確証もなく慌てているわけではなく、以前から少し二人の関係を怪しいとは疑っていたのだ。
なんとなく通じ合っているというか、他の人とは違う微妙な距離感が太老と周子の間にはある気がしていたからだ。
乙女の勘と言っていい。同じような疑問を抱いているからこそ、奏も周子に太老との関係を尋ねたのだろう。
（なんか、面白いことになってきたかも）
そんな美嘉を見て、敢えて話題には入らず、興味深そうに志希は少し離れて歩きながら観察していた。
だが身に覚えのないことで、美嘉に睨まれている周子からすれば他人事ではない。
「美嘉ちゃん、怖いから睨むのはやめて……奏も冗談きついよ」
「あら？ 会長さんのこと嫌いなの？」
好きか嫌いかで問われると、太老のことは嫌いではない。むしろ、好感を持っていると言ってよかった。
自然と素の自分をだせるというか、太老と一緒に過ごす時間は周子にとって昔からの親友や家族と同じくらい気楽なものだったからだ。
だから、そんな風に太老を見たことはないし、恋愛については正直なところよくわからない。
敢えて言うなら――
「気心の知れた親戚のお兄さん？」
「なに？ その具体的な例えは……」
周子の例えに、奏は少し呆れた反応を見せる。だが、嘘は言っていない。
アイドルになるため、家族と離れて寮生活を送る周子にとって、太老は親戚のお兄さんのような気楽さがあるのは確かだった。
◆
「酷い目に遭った……」
そう言って、テーブルに顔を伏せる凛。
卯月と未央――他の二人も同じように丸いテーブルを囲み、疲れきった表情で顔を伏せていた。
「リアルすぎるのも問題だよね……」
「死ぬかと思いました……」
未央の言葉に、テーブルに頬をつけたまま暗い表情で答える卯月。
怪我はなかったとは言っても、雪崩れに呑み込まれる体験をした三人の精神は大きく疲弊していた。
というのも、パニックになった卯月が転んで凛を押し倒し、視界の悪い中で端末を操作しようとした未央が誤って扉の開閉ボタンを押したことで、外にいたスタッフの女性に一部始終を見られてしまったのだ。
幸い、順番待ちの客がいなかったことは助かったが、変な誤解を受けたことは間違いなく、なんの慰めにもなっていなかった。
「まあ、元気だしてよ。不幸な事故ってことで！」
「……未央は当事者じゃないから、そんなこと言えるんだよ」
「ううっ……すみません。私がドジなばっかりに……」
やさぐれる凛に、申し訳なさから滝のような涙を流す卯月。
ただでさえ三人はプライベートでも仲が良く、そうした噂が一部で囁かれているくらいなのだ。
特に凛の場合、クールな印象と口数の少なさもあって、未央や卯月と比べて交友関係が余り広い方ではない。
ユニットの仲間以外にも友達はいるにはいるが、親友と呼べるほど仲の良いクラスメイトがいると言う訳でもなく、男友達に至っては皆無と言ってよかった。
男の知り合いと言えばプロデューサーと父親くらいで、バレンタインには彼氏や男友達にではなく家で飼っているペットのために〝犬でも食べられる〟チョコを態々用意するほどの男っ気のなさだ。
この手のことに免疫がないのは仕方がない。それだけに心の整理が付かないと言った様子が見て取れた。
しかし、そんな凛の戸惑いが未央には今一つ理解できず、不思議そうに首を傾げながら尋ねる。
「でも、そんなに落ち込むってことは、しぶりん。好きな人でもいるの？」
「……いるわけないでしょ？ なんで、そんなこと聞くの？」
「だって、しまむーとの関係を誤解されたくないってことでしょ？ それって――」
「違うから」
「いや、でも……」
「違うから」
「あ、うん。はい」
凛の有無を言わせぬ迫力に気圧され、未央を口を噤む。
ユニット崩壊の危機かと思えるくらい微妙な空気が漂う中、ふと三人は何かに気付いた様子で一斉に顔を上げる。
「これって……」
「青い……」
「ほたる？」
凛、未央、卯月の三人が周囲を見渡すと、どこからともなく現れた無数の光が宙を漂っていた。
そして近代的な街の景色が一瞬にして、赤いレンガと石造りの中世の街並みへと変化する。
――鳴り響く鐘の音。
時計の針は『十八時』丁度を指し示していた。
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