「ここが船の中だなんて……」

 呆然と夢でも見ているかのような表情で、青く澄んだ空を見上げるネイザイ。
 以前からネイザイは太老の持つ知識と力を警戒し、ユライトに注意を促してきたが、それさえも見通しが甘かったと認めざる得ない景色が彼女の目の前には広がっていた。
 太老から一通りの説明を受けた後とはいえ、未だに〝ここ〟が宇宙船の中だという話は俄に信じがたい。
 これまでの常識を覆す光景。まだ夢を見ているかのような感覚をネイザイは味わっていた。

「まさか、ここまでの差があるなんて……」

 椅子に腰を下ろすと、ネイザイは焦燥した表情を右手で覆い隠す。
 信じがたい話ではあるが、少なくとも自分の目で見たものを否定することは出来ない。
 これは夢ではなく現実だと、本当のところはネイザイも理解していた。
 だからこそ、まだ予想が甘かったこと、太老の力を見誤っていたことにネイザイは驚きを隠せずにいた。

 高度な文明からやってきた異世界人。
 太老が教会を凌ぐ知識と高い技術力を持っていることはわかっていた。
 しかし、まさか先史文明に比肩するどころか、遥かに凌駕する技術力を有しているとまでは思ってもいなかったのだ。
 教会の技術力でも――いや、先史文明の技術を持ってしても、世界を一つ創るなんて真似は出来ない。
 それは神の御業だ。

「相変わらず、頭が固いわね。さっさと現実を受け入れた方が楽になれるわよ?」
「……そういう〝あなたたち〟は随分と馴染んでいるみたいね」

 ネイザイが呆れた口調で話すように、ドールは勿論のことメザイアも船での生活に馴染んでいた。
 デッキチェアに寝そべってドリンクを片手に寛ぐ姿は、緊張感の欠片一つ見当たらない。完全にリラックスしている証拠だ。
 余談ではあるが、守蛇怪・零式は単独で銀河間航行が可能な船だ。
 亜空間に固定された惑星は船のメインコンピューターによって生活環境をコントロールされており、星自体がプラントのような役割を担っている。
 船の運航に必要なエネルギーだけでなく、食糧に関しても補給を受けられない状況での長旅に対応可能なように完全な自給自足を可能としていた。
 ネイザイが驚くように、世界を創造したという例えは間違いではない。
 文字通り、ここは零式が〝太老のため〟に用意した箱庭だ。地球に近い環境で調整されているのは、そのためだった。

「考えるだけ無駄よ。太老だもの」
「太老くんだものね」

 空を見上げ、遠い目をしながら話すドールとメザイアを見て、ネイザイはなんとも言えない複雑な表情になる。

「私たちの悩みなんて、太老なら片手間で解決できるようなことばっかりだし……」
「太老くんがいたら教会の存在意義なんて、あってないようなものよね……」

 先史文明の技術でさえ、不可能だと諦めていたアストラルの分離を容易くやってのけたのだ。
 これほどの力を持つのであれば、ガイアを封印するどころか、破壊することも容易いのではないかと考えてしまう。
 ガイアを倒すために生み出されたドールからすれば、余りに理不尽な話だ。
 一方でメザイアは学院で教鞭を執っていたことから、このなかでもっとも教会に近い立場の人間と言える。
 そんな彼女の目から見ても太老の持つ力は、世界の在り方を変えるものだと感じていた。

 ガイアの悲劇を繰り返さないために教会は先史文明の技術を管理してきたわけだが――
 それはガイアが目覚めた時、再びガイアを止めることは難しいだろうという前提の予測があってのものだ。
 過去の技術と知識の多くが失われている今、破壊は勿論、封印することさえも叶わない可能性が高い。
 だから教会は同じ過ちを繰り返さないために、ガイアへと繋がる先史文明の技術を秘匿してきたのだ。

 ――だが、ガイアを破壊することが可能だとすれば?

 先史文明を超える技術を持ち、災厄を退けるだけの力を持つ者がいれば、教会の掲げる大義名分は揺らぐことになる。
 それに、

(こんなことは長くは続かないものね。教会の管理する世界も、いつかは終わりを迎える)

 人が豊かさを求める限り、文明は発展し、技術は発達するものだ。
 遠い未来、ガイアのような存在が生まれ、悲劇が繰り返されないという保証はどこにもない。
 教会のやっていることは、結局のところ問題の先送りに過ぎないというのがメザイアの導き出した答えだった。
 だからこそ、太老なら〝ガイアの悪夢〟を終わらせ、教会の支配から世界を解放してくれるかもしれないとメザイアは期待していた。
 これほどの〝チカラ〟を目の当たりにすれば尚更だ。

「警戒するだけ無駄よ。話が通じるだけ、ガイアやババルンを相手するより太老の方がマシでしょ? アンタも人造人間の義務とか使命感に縛られるんじゃなく、早めに心に整理をつけた方が楽になれるわよ? この世界を去った〝あの子〟みたいにね」

 ドールの話す〝あの子〟というのが、ガイアを倒すために生み出された三体の人造人間の一人であることはすぐに察しが付いた。
 ネイザイもドールと同様、ガイアを倒すために生み出された人造人間の一人だからだ。
 ガイアを封印するため、犠牲となった人造人間。それがネイザイだ。
 ネイザイ・ワンの〝1〟とは、三体の人造人間のなかで最初に作られたことを意味する符号だった。
 ドールは三番目に作られし人造人間。そして二番目は――ガイアに対抗する手段を探すため、異世界へと旅立った最後の一人だ。
 それが、ずっと教会によって秘されてきたガイアにまつわる災厄の顛末だった。





異世界の伝道師 第278話『育成計画』
作者 193






【Side:太老】

 事情を説明してネイザイには考える時間を与えたのだが、思ったよりも早く答えがでたようだ。
 最終的にネイザイはドールと同じ処置を望み、治療に掛かった時間は丸一日と言ったところだ。
 ネイザイが目を覚ましたと報告を受けてから、今日で三日が経つ。結論から言うと、ユライトとネイザイの意識を分離することには成功した。
 ドールとメザイアの時にも試したが、既に完成された前例のある技術だけに失敗するようなヘマはしない。
 ガラス越しに見える治療用カプセルには、一糸纏わぬ姿のネイザイが眠っている。
 そして隣のカプセルには――

「まさか、こんなことになるとは……」

 スヤスヤと寝息を立てる赤ん坊の姿があった。そう、この赤ん坊こそユライトだ。
 どうしてこんなことになってるのかって? 最初はそりゃ本来の年齢と同じ身体を用意するつもりだったさ。
 だけど、いざ詳しく検査をしてみたら、ユライトのアストラルの質量が赤ん坊くらいしかなかったんだ……。
 人造人間として最初から調整された肉体を持つドールと違い、ユライトはただの人間だ。
 コアクリスタルのような異物を体内に取り込んで無事で済むはずがない。ユライトが体調を崩しやすかったのは、それが原因だろう。
 随分と弱っていたみたいだし、コアクリスタルに意識を取り込まれ、いつネイザイと同化しても不思議ではない状態だった。自我が残っていたのは奇跡のようなものだ。
 そのため、ユライトを助けるには身体を赤ん坊にまで退行させる必要があった。それが、この状況だ。
 治療は成功した。とはいえ――

「記憶の方は、ほとんど残っていないだろうな」

 歳を重ねれば何かを切っ掛けに思い出すことはあるかもしれないが、いまのユライトは生まれたばかりの赤ん坊と同じだ。
 当然、俺のことは勿論、ババルンやダグマイアと言った家族のことも覚えてはいないだろう。
 どうにかしてやりたいが、俺は神でも悪魔でもなく、ただの人間だ。出来ることと出来ないことがある。
 人生やり直す機会を得たと言うことで、生きているだけマシと納得してもらうしかない。

「しかし、赤ん坊か……」

 当然、俺に子育ての経験はない。子供みたいな大人の相手はよくしてたけど……。
 まあ、おしめを替えるくらいは俺でも出来るが、赤ん坊の世話はネイザイやメザイアに見させればいいだろう。
 ドールと零式は……ダメだな。あの二人に赤ん坊の世話を任せるとか、不安しかない。
 俺も幼い頃、ミルクを粉のまま飲まされそうになった記憶があるしな。似たようなことを、あの二人ならやらかしそうだ。
 それより問題は――

「どう説明したものか……」

 この赤ん坊がユライトだと説明したところで信じてもらえるかどうか?
 そこが一番の難点だった。


  ◆


 ――と、心配していたのだが、

「あー! もう、可愛い! キャイアの小さい時を思い出すわね」

 意外なことに、あっさりと受け入れられていた。
 赤ん坊を抱き、優しげな笑みを浮かべるメザイア。さすがに歳の離れた妹がいるだけあって、このなかでは一番子供の扱いに慣れている。
 しかしドールといい、メザイアといい、適応力が高すぎるだろう。いやまあ、その方が俺としても楽だけど。
 一方で――

「はあ……」

 どんよりとした重い空気で、溜め息を漏らすネイザイ。
 この短期間にいろんなことが一度にあり過ぎて、心の整理がまだつかないそうだ。
 彼女だけが悪いわけではないが、ユライトがこうなった責任の一端も感じているのだろう。

「ダメよ、そんなに乱暴に扱っちゃ。それにミルクを与えるなら人肌に冷ましてからあげないと」
「なんだか面倒臭いわね……適当に餌をあげとけば育つんじゃないの?」
「餌って……ペットじゃないんだから」

 メザイアとドールのやり取りを見て、やっぱりこうなったかと俺は溜め息を吐く。
 ドールに赤ん坊の世話なんて出来ないことはわかっていたが、メザイアがいてくれて助かった。
 この件に関しては零式もあてには出来ないし、彼女がいなかったら俺が赤ん坊の面倒を見るしかなかったところだ。

「お父様」
「……なんだ?」
「子供が欲しかったのですか?」

 何をどう曲解したら、そういう答えがでる。
 確かに俺は子供が好きだが、赤ん坊が欲しいなんて一言も口にした覚えはない。
 ユライトが赤ん坊になったのは不可抗力だと言うことを説明すると、零式は「わかってますから」と返事をするのだった。

【Side out】





【Side:零式】

 考えてみれば、お父様は孤児の支援を行っている銀河有数の財団の創設者でもある。
 恐らくは子供の頃から英才教育を施すことで、手駒となる人材を育てる気でいらっしゃるのだろう。
 さすがはお父様だ。私が余計なことをするまでもなく、将来を見越して行動されているなんて……。
 そんなお父様の意図を汲み、陰ながらサポートするのが私の仕事だ。
 となれば、まずやることは決まっていた。

「ユライトくんの教育について相談したい?」
「はい」
「でも、まだ赤ん坊よ? そういうのは早いんじゃ……」

 メザイアさんはそう言うが、こういうことは最初が肝心だ。
 洗脳……もとい、お父様の偉大さを理解させるなら、早ければ早い方がいい。
 赤ん坊のうちから基本を叩き込んでおけば、本格的に教育を始めた時に学習速度も大きく変わると私は考える。
 実際、お父様は赤ん坊の頃からマイスターの教育を受け、いまのような実力を身に付けられたと言う話だ。

「勿論、本格的に教育を施すのは先の話です。ですが、いまから睡眠学習を使って基礎能力を向上させておけば、能力の伸びも違いますから」
「……なるほど。それが剣士くんや太老くんの実力の秘密と言うことね」

 メザイアさんも納得してくれたみたいで、赤ん坊の育て方について忌憚のない意見を交わす。
 お父様も通っておられた学院で教鞭を執っていたと言うだけあって、なかなか参考になる話が聞けた。

「……凄いわね。では、剣術はそのお祖父様に?」
「はい。お父様は他にも『伝説の哲学士』と名高いマイスターの英才教育を受けていて――」

 勿論、お父様の偉大さについても語って聞かせることを忘れない。
 そして――

「太老の小さい頃の話? 写真もある? ……そういうことなら話に付き合ってあげてもいいわよ」
「レイアが結婚? その子供が剣士くん? それじゃあ、やっぱり彼が……」

 お父様のアルバムを餌に、ドールさんの関心も惹くことに成功した。天女さんからデータを拝借しておいてよかった。
 ネイザイさんが気にしているのは、天地さんのお父さんと玲亜さんの結婚式の写真だ。
 彼女も何やら、いろいろと複雑な事情があるらしい。
 まあ、お父様に直接関係のない話なら、特に興味はありませんけど。

(彼女たちは期待が持てそうですね)

 お父様の偉大さを理解できる人に〝無能な人間〟はいない。
 彼女たちの反応を見ながら、確かな手応えを感じるのだった。

【Side out】



 ……TO BE CONTINUED



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