【Side:太老】
「……桜花ちゃん?」
見上げると、宙に浮かぶように立っていたのは白い外套を纏った幼い少女――桜花だった。
平田桜花。兼光と夕咲の一人娘。
少しマセたところはあるが家族思いの良い子で、俺自身も妹≠フように可愛がっていた少女だ。
しかし彼女は首を横に振ると、
「我の名は皇歌。寄るべき世界を失い、次元を渡り歩く者――」
そんな俺の言葉を否定する。
確かにそう言われてみると、どこか桜花と身に纏っている雰囲気が違う。
髪の色も俺が知る桜花は父親譲りの明るい茶髪をしているが、皇歌と名乗った少女は炎のように赤い髪をしていた。
でも、赤の他人でここまで似ているものだろうか?
桜花には血の繋がっていない妹がいるが、他に姉や妹がいるという話は聞いた覚えがない。
何より――
「ピンクか……」
「お兄ちゃん!?」
白い外套の下には下着しか身に付けていないようで、ここから見上げるとパンツがチラチラと覗き見える。
そこから見えるパンツの色はピンク。
それもお子様パンツではなく、大人でも躊躇する紐パンという奴だ。
幼い見た目とアンバランスな、背伸びをした下着の趣味は桜花とよく似て――
「痛い……」
「お兄ちゃんのエッチ……」
一瞬で間合いを詰めた皇歌に往復ビンタを浴びせられ、俺は真っ赤になった両頬を手で押さえながら痛みに耐える。
とはいえ、パンツを見たのは確かだが、あんな位置に立っていたら見てくれと言っているようなものだ。
顔を真っ赤にして涙目で睨まれている以上、そんなことは口が裂けても言えないが……。
「直接会うのは久し振りだから、威厳のあるところを見せようと思ったのに……」
「いや、なんかごめん……って久し振り?」
久し振りという言葉に引っ掛かりを覚える。
彼女が桜花なら確かにその通りだが、生憎と俺は『皇歌』という名前に覚えがない。
会っていたら絶対に覚えているはずだ。でも、彼女は俺のことを知っている様子。
一体どこで彼女と知り合った? 俺が覚えていないとなると――
「気付いたみたいだね。そうだよ、私とお兄ちゃんは出会っているの」
――前世でね。
そう言って、皇歌はあどけない笑顔を浮かべるのだった。
異世界の伝道師 第304話『二人の桜花』
作者 193
「なるほど、前世の俺と会っていたのか。ごめんな……覚えてなくて」
「うん。覚えてないことは別にいいんだけど……信じるの?」
「当然だろ?」
大人は平然とした顔で嘘を吐くが、そういう意味では子供の方が素直だ。
ましてや、こんな分かり易い嘘を目の前の少女が吐くとは思えなかった。
いや、しかし前世ね。まさか、こんなところで俺の前世を知っている知り合いと会うとは……。
とはいえ、俺が転生者だと言うことは鷲羽にバレてるし、今更と言えば今更だ。
驚きはしたが、だからどうしたという感想の方が大きかった。
「そういうところ、変わってないね」
そう言って、はにかむ皇歌。
実際のところ前世の記憶があると言っても、覚えていることはそう多くない。
だが、俺は俺だ。生まれ変わろうとも根本的なところは、そう変わっていないのだろう。
「本当は、もっと早くに会いたかったんだけどね。私は下位次元≠ノ直接干渉することは出来ないから……」
だから、このタイミングを待っていたと皇歌は話す。
実際、鷲羽や津名魅は本来の力を封印して、訪希深は仮初めの身体を用意することで下位次元に留まっているからな。
そうしなければ、彼女たちの力に耐えきれず、世界など簡単に壊れてしまうからだ。
なら、皇歌の話も理解できる。次元の狭間は、物理法則がまったく通用しない場所だ。
ここでなら高位の次元に身を置く生命体も、下位次元に与える影響を心配することなく力を行使することが出来る。
さすがに頂神クラスの力になると、それでも時空間に与える影響は少なくないが――
しかし、そんな心配をすると言うことは――
「下位次元? もしかして……」
「……うん、私は高位次元生命体。分かり易く言うと天地お兄ちゃん≠ニ同じような存在と言ったところかな?」
天地と同じと言うことは光鷹翼に目覚め、人の身で高位の次元に至ったと言うことだ。
天地の他にも過去にはZ≠ニ言う前例がある。ありえない話ではないと思うが――
ふと頭に過ぎったのは、やはり桜花のことだ。
皇歌は違うと答えたが、どうしても俺には彼女が桜花と無関係には思えなかった。
ある可能性が頭を過ぎり、その考えを確かめるように俺は皇歌に尋ねる。
「やっぱり、桜花ちゃんと関係が?」
「私は彼女の未来……。平田桜花は歳≠取らない。それは寿命で死ぬことがないと言うこと――」
「それは桜花ちゃんの未来の姿が、皇歌ちゃんだってことか?」
「まだ確定していない遠い未来の話だけどね。彼女は私≠ノ至る可能性を秘めている」
欠けていたパズルのピースが噛み合った気がした。
正確には、彼女は俺の知る桜花ではない。しかし彼女もまた桜花だと言うことだ。
反作用体として覚醒した美砂樹を連れ戻すために、力に覚醒した未来の天地が過去の世界に干渉したことがあった。
それと同じように、彼女も遠い未来の世界からやってきたと言う解釈でいいのだろう。
あれ? 待てよ? 彼女は俺と前世で知り合ったと言っていた。
ということは――
「俺は未来で死んで、過去の世界へ転生したのか?」
「正確には、並行世界だけどね。この世界が、お兄ちゃんの記憶にある未来へ行き着くとは限らないから……」
俺が創作物とよく似た世界だと思っていた世界が、実は過去の並行世界だと聞かされて驚く。
そうした話に理解がないと言う訳ではない。実際、俺は前世の記憶を持ったまま転生≠キるというありえない体験をしているのだから――
それに、この世界では普通に生まれ変わり≠ニいうものが科学的に証明され、実際に認識されているのだ。
アストラルを解析すれば、どの程度、前世との繋がりがあるかを調べることも出来る。
鷲羽が俺を見て、一目で前世の記憶があると見抜いたのも、それが理由だ。
さすがに並行世界云々は気付いてなかったようだけど……。
なら、俺の知識にある原作知識はどういうことなんだろうという考えが、頭を過ぎる。
――作者が無意識に並行世界の情報を受信して、自分の作品として発表したのか?
――それとも、あの作品が生まれたから、この世界が存在するのか?
――俺がこの世界へ転生したことも、もしかして何か関わりがあるのだろうか?
……わからない。
皇歌の話が事実だとしても、結論をだすには余りに情報が少なすぎる。
ただの偶然とは考え難いが、必然性を示す根拠はないからだ。
「どうしても、お兄ちゃんに会って謝りたかった……」
俺の戸惑う姿を見て、皇歌は悲しげな顔を浮かべながら、そう話す。
俺と彼女の間に前世で何があったのか? 残念ながら俺は何も覚えていない。
どういうことか、と問い質すのは簡単だ。
恐らく彼女は俺の前世について、何か事情を知っているのだろう。
でも、
「私がお兄ちゃんを殺したんだから――」
そんな風に悲しげな表情を浮かべる皇歌を見て、過去のことをあれこれと尋ねるような真似は俺には出来なかった。
【Side out】
【Side:皇歌】
「……お兄ちゃん?」
お兄ちゃんの匂いがする。お兄ちゃんの温もりが伝わってくる。
気付けば、私はお兄ちゃんに抱きしめられていた。
もう二度と手に入らないと思っていた温もり。
でも、それが今、腕の中にある。
――どうして?
そんな疑問が頭を過ぎる。
私は『お兄ちゃんを殺した』と告白したのだ。
自分がどうして死んだのか? どうして、この世界に転生したのか?
お兄ちゃんは何もわかっていないはずだ。でも、その理由を知りたいと思ったことはあるはず――
自分を殺した犯人が目の前にいて、それでどうしてこんな風に抱きしめることが出来るのか?
私にはわからなかった。
「わ、私がお兄ちゃんを殺したんだよ? ううん、お兄ちゃんだけじゃない。お兄ちゃんの友達や家族がいる世界を私が壊したの――」
お兄ちゃんが命を落とした、その日。
私は心の底から湧き上がる黒い感情に呑まれ、眠っていた力を覚醒させた。
しかし目覚めたばかりの力を制御することが出来ず、自分以外のすべて≠消し去ってしまったのだ。
お兄ちゃんの魂がアストラル海に還ることなく、曖昧な記憶を持ったまま転生するに至ったのも――
因果で結ばれた彼女たち≠フ魂が、あの時代へ引き寄せられたのも――
すべては、私の責任。だから私はずっとお兄ちゃんを捜していた。
謝りたかった。例え、お兄ちゃんに嫌われることになっても、罪を償いたかった。
なのに――
「後悔していることが、なんとなくわかるからかな。望んでやったわけじゃないんだろ?」
「でも……」
「それに記憶が曖昧で、前世はどうだったかわからないけど、いまはそれなりに楽しく生きてるから」
――気に病むことはない。むしろ、感謝してる。
そんなお兄ちゃんの言葉が胸に染み渡る。
本当はわかっていたのだ。こんなのは自己満足だって。
お兄ちゃんが、私の知るお兄ちゃんなら、絶対に怒ったり責めたりなんてしない。
老いることも死ぬこともない。こんな化け物の私に、優しくしてくれた人。
荒んだ私の心に一時の安らぎを与え、家族の温もりを教えてくれた人。
世界を敵に回しても、最後まで私の味方でいてくれたただ一人のお兄ちゃん≠ネのだから――
「さっきの話だけど、可能性だとか、未来だとか、前世だとか、そんなの関係ない。やっぱり俺にとって皇歌ちゃんは桜花ちゃんだよ」
「……いいの?」
「良いも悪いもない。ちゃんと謝っただろ? なら泣いている妹を慰めるのは、お兄ちゃんの特権だからな」
止めどなく涙が溢れてくる。
そう、私はずっとお兄ちゃんに甘えたかった。
本当はお兄ちゃんに嫌われるのが嫌で、許して欲しかっただけなのだと気付かされる。
「――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
何度も何度も同じ言葉を繰り返しながら、私はお兄ちゃんの胸の中で嗚咽を漏らすのだった。
【Side out】
【Side:太老】
「落ち着いた?」
「……うん」
まさか、あんな風に泣き出すとは思っていなかっただけに焦った。
悔やまれるのは、俺が彼女のことを覚えていないと言うことだが、悪い気はしなかった。
彼女の家族を大切に想う気持ちは、十分に伝わってきたからだ。
「ここを脱出したら、うちに来ないか?」
だからだろう。俺は一緒に暮らさないかと皇歌を誘う。
前世のことは覚えていないが、思い出ならこれから作ればいい。
折角やり直す機会を得たのだ。もう一度、家族になればいい、と話す。
しかし、皇歌は首を横に振る。
「ダメ……私は下位次元に……ううん、正確には直接この世界に干渉することが出来ないから……」
「世界を壊したとか言ってたな? もしかして、そのことを気にしてるのか?」
天地も訪希深たちが力を押さえ込まなければ、三次元を破壊していた可能性が高い。
恐らく皇歌の時には、そうした助けがなかったのだろう。
彼女は自分が世界を壊したと罪悪感を覚えているようだが、俺から言わせれば不可抗力のようなものだ。
とはいえ、無責任なことは言えない。消えた世界は戻らない。死んでしまった人たちは蘇らないからだ。
気にするなと俺が言ったところで、彼女が罪悪感から解放されることはないだろう。
「俺に任せてみないか? 訪希深たちに相談すれば、どうにかなるかもしれない」
でも、一緒にいてやることは出来る。
だから出来る範囲で、彼女の力になってやりたいと俺は考えた。
マリアのことも気掛かりだしな。この際、利用できるものはなんでも利用する。
正直、余り借りを作りたくない相手ではあるが、泣いている子供を放って置くよりはマシだ。
「……ダメ。それだけが理由じゃないの」
「……どういうことだ?」
「私が一緒にいると、お兄ちゃんを傷つけてしまうから……」
悲しげな声でそう話すと皇歌は首を横に振り、俺から距離を取るように宙へ浮かび上がる。
「もう、見つかったみたい。さすがは頂神≠セね。余り時間は残ってないみたい……」
空間が軋むような振動が伝わってくる。
この圧倒的な気配には、覚えがあった。
訪希深たちがきたのか、と考えていると――
「最後の鍵≠見つけて。銀河結界炉のマスターとなったお兄ちゃんなら、きっと使いこなせるはずだから」
現れた時と同じように、皇歌の身体を光が包み込んでいく。
俺は皇歌の名を呼び、引き留めようとするが、
――もう一人の私に、よろしくね。
そう言い残し、皇歌は光の中に姿を消すのだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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