応接室に通された北斎と少女はソファーに腰掛け、テーブル越しにゴールドと向かい合っていた。
ゴールドの傍らにはセバスチャンが控え、人払いも済ませてある。
そんななか、
「平田桜花と言います。祖父がお世話になっています」
北斎が連れてきた少女は『平田桜花』と名乗り、ぺこりと丁寧にお辞儀をする。
そんな彼女の膝の上には、二匹の丸いプヨプヨとした生き物(?)の姿があった。
(あれって、ラシャラちゃんが連れてるのと同じ生き物よね?)
ラシャラが連れているものは薄いオレンジ色をしているが、目の前の二匹は黒と白の二色だ。
色は違うが、同じ種類の生き物で間違いないだろうとゴールドは推察する。
だがそんなことよりも、桜花がセバスチャンを『お祖父ちゃん』と呼んだことの方がゴールドにとっては大きな驚きだった。
最初はなんの冗談かと思ったが、セバスチャンが否定しないところを見るに間違いではなさそうだとゴールドは溜め息を吐く。
「まさか、セバスにこんなに大きな孫娘がいたなんて……」
驚きを隠せない様子で溜め息を吐くゴールドを見て、桜花は複雑な表情を見せる。驚かされたという意味では、彼女も同じ心境だったからだ。
セバスチャンを名乗るゴールドの執事。彼の本当の名は、平田兼秋。神木家第七聖衛艦隊司令官にして『瀬戸の剣』の二つ名で知られる平田兼光の父親にして、桜花の祖父。嘗て、樹雷四皇家の一つ『天木』の皇眷属『雨木』家の執事を務めていたこともある人物だった。
しかし十三年前、ダ・ルマーを護送中のGPの船が消息不明に陥るという事件があり、樹雷からのオブザーバーとして同船に乗り合わせていた兼秋も行方知れずとなっていたのだ。
それがまさか、異世界で執事をしているなどと桜花も夢にも思ってはいなかった。
だが驚かされたのは、桜花とゴールドだけではない。北斎も同じだった。
直接の面識はなかったが、兼秋の名は北斎の耳にも届くほど有名なものだったからだ。
「ふむ、あれからもうそんなに月日が経つのか。孫よ、大きくなったな」
「いつと比べての話よ……私がお祖父ちゃんに最後に会ったのって、二つか三つの時よね?」
桜花が兼秋と最後に顔を合わせたのは、十五年ほど前のことだ。
あの頃と比べれば育っていて当然だと、不満げな表情を桜花は見せる。
「……失礼だけど、桜花ちゃん。あなた、幾つなの?」
桜花の見た目は、どう見ても十歳前後と言ったところだ。
最後に会ったのが二つか三つだとすれば、七〜八年前の出来事と言うことになる。
しかしセバスがカレンと共にゴールドの下で働き初めてから、既に十年以上の歳月が経過している。
桜花の年齢にゴールドが疑問を持つのは当然だった。
「十歳だよ」
「え?」
「だから、永遠の十歳だって言ってるの」
有無を言わせない桜花の迫力に、何も話す気はないと悟ってゴールドは追求を止める。
それに――
(過去のデータから考えても、この世界と彼等の世界では時間の進み方が違うのかもしれないわね)
桜花の年齢が実は太老や剣士と変わらないと言われるよりは、そちらの方がしっくりと来るとゴールドは考える。
桜花の実年齢が加速空間で過していた時間を合わせれば、三十を超えると知れば、きっと驚くだろう。
だが、時間の流れが違うという推測も間違いとは言えなかった。
現在は訪希深によって時空間の乱れが調整され、地球との時間軸のリンクの問題も解消されてはいるが――
地球に送られたレイアが十七年の月日を過している間に、こちらの世界では数千年の時が経過していたと言うことが過去にあったからだ。
時間軸のリンクが確立される前は時間の流れも一定ではなく、地球での一日がこちらでは十日となったり一年となったりと不安定だった。
こちらの世界に召喚された地球人が、ここ半世紀ほどの世代に集中しているのも、それが理由だ。
「桜花ちゃんがセバスの……いえ、兼秋と呼んだ方が良いかしら?」
「これまで通り、セバスで構いません」
「そう、あなたがそういうのなら……」
セバスチャンがそれでいいなら、と納得するゴールド。
そうして改めて、ゴールドは話の続きに入る。
「桜花ちゃんがセバスの孫だというのは納得したわ。でも、祖父を訪ねてきたと言う訳ではないのでしょう?」
セバスチャンの正体が兼秋だと知っていて、商会を訪ねてきたようには見えなかった。
それに北斎はゴールドに面会を求めてやってきたのだ。
だとすれば、何か別の用事があったのではないかとゴールドは考える。
「そうね。お祖父ちゃんがいるのは予想外だったけど、先に用事を済ませちゃいましょうか」
そう言って、桜花は姿勢を正すと、
「ゴールドお姉ちゃん、私と手を組まない?」
ゴールドに取り引きを持ち掛けるのだった。
異世界の伝道師 第319話『太老の妹』
作者 193
「……それは、どういう意味かしら?」
「私が説明するより、お姉ちゃんの方がよくわかってるんじゃない? お兄ちゃんを利用するつもりで正木商会の傘下に入ったんでしょ?」
ゴールド商会が正木商会の傘下に入ったことは、少し調べれば誰にでもわかることだ。
だが、ゴールドが正木商会の傘下に入ることを決めた本当の狙いについてまで察している者は少ない。
太老の正体を知らなければ、ゴールドの目的にまでは辿り着けないからだ。
しかし、桜花はゴールドの狙いを察しているかのような含みを言葉に持たせた。
それだけではない。桜花は正木商会の名をだし『お兄ちゃん』と口にしたのだ。それは即ち――
「お兄ちゃんというのは、もしかして……」
「うん。正木太老は、私のお兄ちゃん≠セよ。もっとも血は繋がっていないけどね」
セバスチャンの正体を知った時よりも、大きな驚きを見せるゴールド。
太老が自分のことを兄と呼ばせているのは、ゴールドの知る限りではハヴォニワのマリア姫だけだ。
だとすれば少なくともマリアと同じか、それ以上に太老と桜花は親しい関係にあることが考えられる。
交渉を有利に進めるため、嘘を吐いているという可能性もないとは言いきれないが、
(恐らくブラフではないわね……)
ゴールドの女の勘が、桜花と太老は親しい関係にあると告げていた。
少なくとも桜花が太老を慕っていることは、その表情や言葉の節々から感じ取れる。
しかも話を聞く限り、彼女は樹雷≠フ関係者と見ていい。それも隣に座っている北斎が気を遣うほどの人物ということだ。
それに、あちらの世界でもセバスチャンは執事をしていたという話だった。
基本的に王侯貴族の使用人は同じ貴族の出身か、大商会の子女など教養があり身元のしっかりとした者でなければ務まらない。
だとすれば、桜花も良家の生まれである可能性が高い。太老と顔見知りであっても不思議な話ではないとゴールドは考えた。
「お姉ちゃんの目的は異世界との貿易かな? 技術供与は難しいけど食糧品や資源などの交易は過去に実例もあるし、樹雷と取り引きをしたいのなら私が口をきいてあげてもいいよ? お祖父ちゃんがお世話になった恩もあるし、あっちでも商売をするつもりなら平田家が後ろ盾となって仲介してあげてもいいしね」
桜花の話を聞き、自分の推測が正しかったことをゴールドは確認する。
そのような取り引きを持ち掛けられるということは、少なくとも国の中枢に顔が利く名家の生まれだと言うことだ。
桜花自身にそれほどの力があるのかは、まだはっきりとわからないが、少なくとも顔を繋いでおく相手としては申し分ない。
それに悪い提案ではない。いや、それどころか出来過ぎなくらい美味い話のように思えた。
しかし、美味い話には裏がある。最初に桜花は、手を組まないかと誘ったのだ。だとすれば当然、桜花にも望みがあると言うことだ。
「それが実現可能≠ネら、確かに悪くない取り引きね」
「あ、もしかして私が子供だから疑ってる? じゃあ――」
これなら信じられるでしょ、と桜花は懐から取り出した筒から一枚の紙を広げてテーブルの上に置く。
そこに書かれた文字とサインを見て、目を瞠るセバスチャンと北斎。
特に北斎などは顔を青白くして、明らかに大きな動揺を見せていた。
「セバス……?」
「孫の言っていることは、すべて真実かと。そこに記されているのは樹雷第一皇妃、柾木船穂樹雷様のサインです」
それは樹雷を出立する前に、桜花が密かに船穂から預かった全権委任状だった。
セバスの話を呑み込みきれず、ゴールドはポカンと口を開けたまま固まる。
樹雷がどれほど大きな国か、ゴールドはカレンから聞かされている。
想像を遙かに超えた人物が桜花の後ろに控えていると知って、驚かされたのだ。
「ちょ、ちょっと待って頂戴。どうして、そんなものをあなたが……」
「お兄ちゃん、船穂お姉ちゃんのお気に入りだからね。次期、樹雷皇の筆頭候補とも言われてるし」
この委任状は太老の身を案じて、船穂が桜花に持たせたものだ。
樹雷皇家としても、この案件に介入するための口実を確保しておきたいという思惑もあるのだろう。
瀬戸や鷲羽の好き勝手にはさせない、という意思表示もそこには隠されていた。
だが、ゴールドは内心それどころではなかった。
(樹雷の皇位継承者!? 只者じゃないとは思っていたけど、まさか彼がそんな重要人物だったなんて――)
太老が元いた世界でも貴族か、それに準じる立場にあることは察していた。
しかし、まさか皇位継承権を持つとまでは想像していなかったのだ。
それも第一皇妃お気に入りの筆頭候補などと、想像の遥か上を行く話だった。
まったくそんな素振りを太老は見せていなかったからだ。
いや、それさえも演技だったのかもしれないとゴールドは懸念する。
計算を見誤ったかと考えるが――
(いえ、逆に考えれば、これはチャンスよ)
確かに驚かされたが、悪い話ではない。
いまやゴールド商会は正木商会の庇護下にある。敵対しているわけではないのだ。
その立場を上手く利用することが出来れば、より多くの利益を上げることが可能だとゴールドは前向きに考えるが、
「それじゃあ、さっきの返事を聞かせてくれる?」
桜花の言葉で現実に引き戻される。
確かにメリットは大きい。だが同時に、太老を利用するということが想定以上のリスクを生むことを理解させられた。水穂や林檎が太老に関するすべてのことを取り仕切っているのかと思っていたが、実際には桜花がこうして船穂の委任状を持って現れたことで複数の思惑が動いていることが立証されてしまったからだ。
となれば、太老にその気がなくとも邪魔になると判断されれば、周りが排除に動く可能性が高い。
太老に取り入れば良いと言うだけの話ではない。それは即ち、周りにも気を配る必要があると言うことだ。
「その前に一つだけ聞かせて頂戴。それほどの条件を提示して、私に何をさせるつもりなの?」
これまで以上に慎重な対応が求められると判断したゴールドは、桜花に確認を取るように尋ねる。
少なくとも太老の不利益になるような計画に手を貸すことは出来ない。
報酬に目が眩んで、身の破滅を招くような真似だけは決してするつもりはなかった。
そんなゴールドの考えを察してか、にこやかな笑みを浮かべて桜花は疑問に答える。
「心配しなくても、お兄ちゃんの不利益になるようなことはしないよ。ただ、まだ水穂お姉ちゃんや林檎お姉ちゃんには、こっちの動きを知られたくないんだよね」
桜花が何をさせようとしているのか、求めているのかを察してゴールドは動揺する。
水穂だけでなく林檎ともゴールドが繋がっていることを最初から知っていて、こんな取り引きを持ち掛けてきたと悟ったからだ。
それは即ち二人を裏切り、自分に付けと言っているようなものだった。
確かにそれならあれほどの対価を提示するのも、わからなくはなかったからだ。
まずい。安易に桜花の話に乗るのは危険だと、ゴールドは息を呑む。
自分から売り込んでおいて、水穂と林檎を裏切るような真似をすれば、どんな報復が待っているかわからないと考えたからだ。
「断るのは別にいいけど、北斎おじさんが訪ねてきたことが水穂お姉ちゃんに伝わるのは時間の問題だと思うよ」
「まさか、最初からそのつもりで……」
「フフッ、北斎おじさん、指名手配中なんだよね?」
最初から断るという選択肢が用意されていなかったことをゴールドは悟る。
話を受けようと断ろうと、どちらにせよ、ここで二人を逃がせば水穂に北斎との関係は疑われる。
セバスチャンに二人を捕らえるように命じるのも、いまとなっては悪手だ。
異世界での商売を考えているゴールドからすれば、船穂の委任状を持つ桜花を敵に回すことは絶対に避けたい。
いや、桜花が本当に太老の妹なら今後の関係を考えれば、絶対に取れない選択だった。
そして――
「これから、よろしくね。ゴールドお姉ちゃん」
そう言って笑顔で握手を求めてくる桜花を見ながら、間違いなく太老の妹だとゴールドは確信するのだった。
……TO BE CONTINUED
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