「キ、キス!?」
口元を左手の甲で隠し、顔を真っ赤にして動揺を隠せない素振りを見せるドール。
「分かり易く言えば、いまのお父様の状態は銀河結界炉の試練で意識を失った時と同じです。肉体から精神が切り離され、アストラルの状態で別の次元を彷徨っているものと思われます」
そんなドールに零式は分かり易く、太老の状態を説明する。
銀河結界炉の試練の時と同じと聞いて、ドールはベッドの上で死んだように眠る太老に目を向ける。
あの時も、いつ目を覚ますかわからない太老を前に胸が張り裂けそうな想いを抱かされたのだ。
不安と焦りで心臓が激しく脈打つのを感じて、ドールはキュッと祈るように唇を噛む。
「ですが、霊的なパスは肉体と繋がったままですから、そのパスを通じてお父様の精神を引き戻すことが出来れば……」
「太老くんの意識は戻ると言うことね」
なるほど、と零式の話に納得した様子で頷くメザイア。
しかし、それでもドールはまだ納得の行かない表情を見せる。
太老のことは確かに心配だが、これまでの零式の行いを見ていると何か裏があるのでは?
と、考えてしまうからだ。
「で、でも、それでなんでキスが必要なのよ!?」
「他人のアストラルに干渉するには、まずは精神的な繋がりを強化して波長を合わせる必要があります。それには粘液接触が一番ですから」
肉体とは、アストラルを宿す端末のようなものだ。
謂わばコンピューターに例えるなら、肉体がハード。精神がソフトに例えられる。
そのため、肉体を通して精神に干渉することは理論上可能なのだが、それは言ってみれば他人の端末に不正アクセスするようなものだ。
アクセス権限を得るには、まずシステムに干渉するためのパスを作る必要がある。
粘液接触とは、そのパスを構築するために必要な行為だった。
人間の体液には、様々な情報が詰まっている。
そこから必要な情報を読み取り、互いの体液を交換することで新たなパスを構築、精神的な波長を合わせると言うのが零式の考えたプロセスだ。
しかし実のところ体液であればなんでも、それこそ血でも良いのだが、零式は敢えてそれを口にするつもりはなかった。
というのも――
(彼女たちの身体は、お父様が造りだしたもの。謂わば、お父様の作品≠燗ッじと言うことです)
作品が太老のために身体を差し出すのは当然のことだと、零式は考えていた。
異世界の伝道師 第337話『ファーストキス』
作者 193
ドール、メザイア、ネイザイ。そしてユライト。現在の彼等の身体は、太老が造りだしたものだ。
メザイアとユライトの身体に関しては元々の肉体をベースにしてはいるが、コアクリスタルによって変質した細胞を正常な状態に戻すために幾つかの調整が施されている。その過程でメザイアには第一段階の生体強化に相当するレベルの調整を、赤ん坊ということでリミッターをかけられているがユライトにも同様の調整が施されていた。
そして、完全にゼロの状態から造りだされた新たな肉体に、コアクリスタルに記憶された情報を移し替える処置を受けたのがドールとネイザイだ。
人造人間のポテンシャルを最大限に発揮するために、二人にはミツキと同等レベルの肉体改造≠ェ施されていた。
基本的に零式は、太老以外の人間には厳しい。だが、太老が大切にするものは別だ。
太老が家族を大切にしていることや、自分の作品に深い愛情を抱いていることを零式は知っている。
だからこそ、ドールたちにも敬意を払い、それなりの対応を取ってきたのだ。
しかし忘れてはいけないのが、零式が愛と忠誠を捧げるのは太老だけだと言う点だ。
この世に存在するすべてのものは、偉大なお父様のために尽くすのが当然だと零式は本気で考えている。
ましてや、太老が生み出した作品であるのなら太老の役に立つのは当然のことだと、零式は疑いを持っていなかった。
それに、
(お父様の作品として、お父様に尽くす喜びを知って頂かないと)
この程度のことで太老がどうこうなると思っていないが、彼女たちが太老のもの≠セと自覚を促すには良い機会だと零式は考えていた。
特にドールは太老への敬意が足りないと、以前から零式は危惧していたのだ。
太老が変に敬われたり、畏まられるのを苦手としていることは零式も知っている。
しかし、それでもドールの太老に対する態度は、些か気安すぎると感じていた。
「ドールが嫌なら代わってあげてもいいわよ?」
「な――ッ!?」
ドールを挑発するかのように艶やかな笑みを浮かべるメザイア。
危険を感じ、太老を庇うようメザイアの前に立つドール。
一触即発と言った様子で、火花を散らせる二人だったが、
「あ、無理です」
「……え?」
「私を除くと、このなかで一番お父様と相性が良いのは彼女なので。あなたは必要な適性を満たしてないと私は判断します」
零式に無理だと一刀両断され、メザイアはショックを隠しきれない様子で膝を折る。
そんなメザイアを見下ろし、勝ち誇った笑みを浮かべるドール。
だが、その余裕も長くは続かなかった。
「ようするに、私たちの中で太老様≠ニ一番相性の良いのがドールと言うことね」
「はい。二番目はあなたですね」
「あら? じゃあ、私でも良いってこと?」
「必要な適性は満たしています」
「ふーん。じゃあ、私は?」
「いたんですか?」
「酷い!?」
まさかの伏兵の登場に、ドールは焦りを隠せない様子で目を瞠る。
アウンはともかくとして、ここでネイザイが参戦してくるとは思っていなかったのだ。
「くッ、アンタにはユライトがいるでしょ! それに太老様……って、どういうつもり?」
以前は『正木卿』と呼んでいたのに『太老様』と呼び方を変えたネイザイに詰め寄りながら、ドールは理由を尋ねる。
ユライトの件で太老に恩を感じているのは知っていたが、まさかこんな風に態度を変えてくるとは思っていなかったからだ。
「ずっと一緒に育ってきたのだもの。ユライトに対して抱いている感情は家族に近いわね」
「……じゃあ、太老のことはどう思ってるのよ?」
「敬愛しているわ。私たちに新たな命を与えてくれたマスターに感謝し、敬称を付けるのは当然のことでしょ?」
そんなネイザイの言葉に感銘を受けた様子で、零式は同意するかのようにしきりにウンウンと頷く。
太老の理解者もとい崇拝者が増えるのは、零式にとって喜ばしいことだったからだ。
それにドールとネイザイは純粋な人間ではない。どちらかと言えば、魎呼や魎皇鬼に近い人工生命体だ。
そのため、本人も自覚していないことだが、零式は二人に対して同族意識のようなものを抱いた。
そうでなければ、あの零式が太老のためとはいえ、このようなお節介を焼くはずもない。
「それで、どうするの? ドールが嫌なら、私が代わりにやってもいいけど?」
「ぐ……」
ネイザイに覚悟を迫られ、ドールは苦悶に満ちた表情で唸る。
しかし、ネイザイの言うことにも一理あると、内心ではドールも認めていた。
太老がこれまで与えてくれたものを考えれば、その恩は一生を掛けても返せないほどのものだと理解しているからだ。
「……せめて太老と二人きりにして」
覚悟を決めたのか?
そう言って、赤く染まった頬を隠すように顔を伏せるドール。
乙女のような恥じらいを見せるドールに苦笑すると、ネイザイは放心状態のメザイアを引き摺って部屋の外へと出て行く。
そんなネイザイの後を追い掛ける零式とアウン。全員が部屋を出て行ったのを確認すると、
「太老……」
ベッドで眠る太老の顔を覗き込むように、ドールは自分の顔を近付ける。
激しく胸が脈打つを感じながら、ドールは覚悟を決めると――
「ん……」
太老の唇に、そっと自分の唇を重ねるのだった。
◆
「マリア様? それにラシャラ様も……どうかされたのですか?」
ソワソワと落ち着きのない様子を見せるマリアとラシャラに、アンジェラが従者を代表して尋ねる。
「なんだか、思わぬ伏兵に出し抜かれたかのような……」
「こう、ザワザワと嫌な胸騒ぎがしたのじゃ……」
意味の分からない例えを口にする二人を訝しむアンジェラ。
ユキネやヴァネッサも同じように首を傾げる。
「とにかく! お兄様ですわ! お兄様さえ、帰還なされば!」
「そうじゃ! 太老が帰ってくれば、この胸騒ぎの正体もきっと分かるはずじゃ!」
乙女の勘とでも言うべきだろうか?
太老の身に何かあったに違いないと、マリアとラシャラは確信した様子で叫ぶ。
そして、ヴァネッサ特製のケーキに舌鼓を打つマリーに視線をやり、マリアとラシャラは同じタイミングでテーブルに身を乗り出した。
一斉に左右から顔を近付けられ、その迫力にたじろぐマリー。
「……お姉ちゃんたちも欲しいの?」
「ヴァネッサの作ったケーキは美味いからの。一口頂こうか――って、それよりも太老のことじゃ!」
「話の続きを聞かせてください。お兄様が帰ってくる場所≠ニ日時≠ェ分かるというのは、本当なのですか?」
今更冗談だったでは済まされないと言った表情で、幼いマリーを問い詰めるラシャラとマリア。
絵柄的には、幼い妹に絡む大人気ない姉とその友人と言った構図だ。
これには従者の三人も呆れた様子で溜め息を吐き、止めに入る。
「……少し落ち着いてください。マリア様」
「そうです。こんな小さい子に大人気ないですよ。ラシャラ様」
「余りお痛が過ぎるようなら、マーヤ様に叱って頂かなくてはいけませんね」
ユキネ、アンジェラ、ヴァネッサに注意され、さすがに分が悪いと悟ったのだろう。
渋々と言った様子ではあるがマリーを問い詰めるのを止め、マリアとラシャラは自分たちの席に戻る。
しかし、それでも諦めきれない様子で二人は丁寧に頭を下げ、先程と同じことをマリーに尋ねる。
「お兄様が帰還される日時と場所が分かるのであれば、それを教えてください。お願いします」
「対価が必要なら幾らでも払う! この通りじゃ!」
その様子に真っ先に驚いたのはラシャラの従者の二人、ヴァネッサとアンジェラだった。
あの守銭奴のラシャラが、まさか自分から対価を言い値で払うなどと口にするとは思ってもいなかったためだ。
しかし、それだけ二人は真剣なのだと、従者たちは理解する。
皆の視線が集まるのを感じ、さすがに今度は自分の方が分が悪いと悟ったのか?
マリーはケーキを食べる手を止め、二人の問いに答える。
「正確には、知ってそうな人に心当たりがあるって話なんだけどね」
「それは一体、誰なのですか?」
「そうじゃ、我等の知っておる人物なのか?」
「ううん、たぶん二人は知らないんじゃないかな。でも――」
マリアとラシャラの質問に答えながら、チラリと扉の方へ視線を向けるマリー。
そして、
「グレースは知ってるよね?」
マリーが声を掛けた直後、「げ!」という声と共に扉が押し開かれ、二人の少女が部屋の中へ転がり込んできた。
グレースとシンシアだ。
「隠れてたことに気付いてたのかよ……」
「そりゃ、お姉ちゃんだもん」
「その姿で言われてもなあ……」
マリエルならともかく、マリーの姿で言われても説得力が薄いとグレースは溜め息を吐く。
しかし、マリーの言葉や態度には、マリエルの面影を思わせる時があるのは確かだった。
マリエルと記憶を共有しているというのは、本当のことなのだろうとグレースは思う。
「うおっ!?」
そんな風に考えごとをしていると、いつ間合いを詰めたのか?
マリアとラシャラの顔が目の前に迫っていて、グレースは驚いた様子で後ろに身を引く。
「グレース! 知っているなら教えてくださ――あうッ!」
「そうじゃ、何を隠してお――ぬあッ!」
グレースに詰め寄るマリアとラシャラの後頭部に一撃を見舞う従者三人。
そして、ぐったりと項垂れる二人を元の場所に引き摺っていく。
主君の暴走を諫めるのも臣下の務めだ。さすがに二度目は見過ごす訳にはいかなかった。
そんなマリアとラシャラの姿を見て冷や汗を流しながらも、グレースはふと頭に過ぎったことを口にする。
「それって、まさか太老の妹≠フことか?」
なんで知ってるんだ?
と言った顔で、マリーに訝しげな視線を向けるグレース。
だが、そんなグレースの言葉に一早く反応したのは、マリーではなくマリアだった。
「お兄様の妹?」
太老の妹という言葉に反応して、顔を上げるマリア。
自分という妹がいながら、それはどういうことなのかと問い詰めるような鋭い視線をグレースに向ける。
「皇家の樹の反応を追っていて偶然知り合ったんだよ。名前は、平田桜花……水穂と同じ、あっちの世界の太老の知り合いらしい」
いまのマリアに逆らうのは危険だと悟ったグレースは、あっさりと観念するのだった。
……TO BE CONTINUED
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