【Side:太老】
この艦長席に座るのも随分と久し振りな気がする。
よく覚えていないのだが、ドールの目の前で突然意識を失った俺は一週間以上も眠っていたそうだ。
夢のことを覚えていないのか、とドールやベスにも尋ねられたのだが、そちらも余り記憶にない。
薄らとは覚えている気がしなくもないのだが、靄が掛かっているように記憶が曖昧で、はっきりとしないのだ。
ただ一つだけ言えることは、どうも俺は夢の中でドールやベアトリスに助けられたと言うことだった。
「お父様! 私のことも忘れないでください!」
と、自己主張をする零式を見て、溜め息が溢れる。
零式に尻尾があれば、激しく尻尾が左右に揺れていることだろう。
とはいえ、俺を目覚めさせるために零式も、いろいろと手を尽くしてくれたらしい。
あのドールが言うのだから、零式が活躍したのは確かなのだろうが――
「調子に乗るな」
「あうッ!」
零式の額にデコピンを食らわせる。
感謝はしているが、こいつはすぐに調子に乗るからな。
それに打算抜きで零式がドールに手を貸したとは思えない。
何かしら裏がある可能性が高いと俺は考えていた。
とはいえ、
(まさか、聖機神の素体を作るために培養した万素が、こんな風に役立つなんてな……)
ベス――正式な名前はベアトリス・ランバート。どうも彼女、俺の中に封印されていたそうだ。
正確には本人ではなくベアトリスの残留思念とも言えるもので、本来は役目を終えると消える運命にあったらしい。
ベス自身も覚悟を決めていたそうだが、どう言う訳か俺の工房に保管されている万素の培養槽で目が覚めたとの話だった。
しかも、新たな肉体を得て――
仮説は立てられる。
俺の覚醒と共に解放されたベスの残留思念に万素が反応して、ベス自身がブレーンの役割を果たしたのだとすれば――
詳しく検査をしてみないとはっきりとしたことは言えないが、いまのベスは魎呼や魎皇鬼のような存在になっているはずだ。
恐らくは吸血鬼の力が良い方向に働いたのだと推察できるが、偶然に偶然を重ねた稀なケースと言ってよかった。
しかし、
(助かってよかったと、素直に喜べる話で終わってくれれば良いんだが……)
それだけに面倒なことになったと、俺は眉間にしわを寄せる。
というのも、マッドがこのことを知れば、モルモットに欲しがりそうな案件だからだ。
結果的には万素のお陰でベスは助かったとはいえ、俺に責任がないとは言えない。
自分の発明品には愛情と責任を持つ。それが、哲学士が守るべき最低限のルールだと教え込まれたしな。
なら、俺の取るべき行動は一つしかない。斜め向かいの席に座るベスに、俺は覚悟を決めて声を掛ける。
「ベス」
「え? はい?」
「お前のことは俺が守ってやるから」
ベスの身を守るためにも、彼女の秘密は守り通す必要がある。
それが、ベスをこんな身体にしてしまった俺の責任だと考えるのだった。
【Side out】
異世界の伝道師 第349話『ベスの願い』
作者 193
【Side:ベアトリス】
――お前のことは俺が守ってやるから。
凛々しい顔でそう話す太老様の姿は、前世の頃と何一つ変わりが無かった。
歴史上、数多くの権力者たちが一度は夢を見たことがある願望。それが、不老不死だ。
しかし、死なない。歳を食わないと言うことは、周りだけが年齢を重ねていくと言うことだ。
数年程度なら、まだ誤魔化しは利く。しかし、それが十年、二十年と時が経てば、どうだろうか?
人は自分たちと違うものを恐れ、遠ざけようとする。それなら、まだ良い方だ。
不老不死の秘密を探ろうと、邪な考えで私たちに近付てくる者もいるだろう。それは争いを生むと言うことだ。
だから、不老不死の力を得た者は一つの場所に長く留まることが出来ない。
人の目を避けるように各地を転々とし、ひっそりと隠れるように生きていくしか私たちには選択肢がなかった。
でも、そんな私たちの前に現れたのが、太老様だった。
正直なところ、太老様が傷だらけのお嬢様を背負って私たちの前に現れた時は警戒をした。
しかし、そんな私たちに怒るどころか、太老様はお嬢様のことを「助けて欲しい」と頭を下げられたのだ。
お嬢様の秘密を知った後も、太老様が態度を変えることはなかった。
化け物と蔑むことも、不老不死の力を羨むこともなく、私たちを一人の人間として扱ってくれたのだ。
お嬢様がそんな太老様に惹かれるのは極当たり前のことだった。
夢のように幸せな時間だった。
何気ない日常が、あんなにも楽しく感じられたことはなかった。
こんな毎日ずっと続けば良いのにと誰もが思い始めていた、そんな時だった。
太老様と出会って三年目の春。あの忌まわしき事件が起きたのは――
お嬢様に傷を負わせた連中が、再び襲ってきたのだ。
どこかで私たちのことを知った権力者に頼まれたのだろう。彼等の狙いは不老不死≠フ秘密を探ることだった。
そのために私たちのなかで一番幼く非力なお嬢様を狙っていたのだ。
敵の狙いに気付き、現場に駆けつけた時には既に遅かった。
お嬢様を庇って深手を負った太老様が、背中から大量の血を流して倒れていたからだ。
不老不死だと知っていたはずなのに、太老様はそれでもお嬢様を命に代えても守ろうとしてくださったのだ。
怒りに任せて、その場に残っていた男たちを八つ裂きにしたところまでは覚えている。でも、その後の記憶はない。
私に出来ることは意識が闇に沈んでいく中――残された力を太老様に託すことだけだった。
あの時と何一つ変わらない顔を、太老様はされていた。
他者を労る優しさを持ちながら、言葉だけではなく行動に移せる勇気を太老様はお持ちだ。
お嬢様も、きっとこんな気持ちだったのだろう。
ずっと人間の悪意に脅えて生きてきたのだ。
俺が守ってやる、などと言われて心が動かないはずがない。
でも、私は――
(もう二度と、あんな想いをお嬢様にはして欲しくない。だから……)
太老様に守られるのではなく、太老様を守れる存在になりたい。
それが、私――古き吸血鬼、ベアトリス・ランバートが望むことだった。
【Side out】
「……え?」
誰かに名前を呼ばれたような気がして桜花は周囲を見渡すも、当然そこに人の姿はなかった。
マリアたちはよくやっているが、天守閣に辿り着くにはまだ一時間ほどは掛かるだろう。
ここに桜花以外の人がいるはずもない。
「うーん。やっぱり気の所為?」
首を傾げながらも、すぐに桜花は思考を切り替え、モニターに視線を向ける。
試練の難易度はゴールに近付くにつれて段階的に難しくなっていく。
ここまでは順調に駒を進めているようだが、この先一人も欠けることなくゴールに辿り着くのは難しいだろうと桜花は考えていた。
その証拠に――
「頑張ったみたいだけど、一人目。脱落みたいね」
ラシャラを庇って谷底に落ちていくアンジェラの姿が、モニターには映し出されていた。
猛スピードで鉄球が飛び交う中、手すりのない吊り橋を渡りきったらゴールという単純なゲームだが、これは全員参加≠フルールが課されていた。
残る二つの試練もそうだ。仲間の犠牲なくして、先へと進むことは出来ない。
如何にして、最後の試練に挑むための戦力を残すか? その判断力と決断力が試されると言うことだ。
そう言う意味では、ラシャラを庇って脱落したアンジェラの行動は従者として正しいのかもしれないが、大きな判断ミスをしたと桜花は考える。
「ほらね。二人目、続けて三人、脱落っと」
今度はグレースとシンシアを乗せたタチコマが、マリアを庇って谷底に落ちていくシーンが映し出される。
足手纏いは置いて行くと言った決断が出来なければ、この先もじわじわと戦力を削られるだけだ。
さすがは太老の作ったゲームだと、桜花はその出来映えに感心する。
太老の性格が悪いと言うよりは、哲学士の性分と言ったところだろう。
このシリーズは幾つかあり、GPアカデミーでも訓練に採用されているくらい実戦向きのシミュレーターとなっていた。
「三人脱落で、残りは五人か。この試練はクリアされちゃったけど、もう三人くらいは減らせるかな?」
ミツキとユキネは見込みはあるが、他の三人――
マリアとラシャラ、それにヴァネッサはここまでくることは叶わないだろうと桜花は予測する。
残る試練は二つだが、最後の一つはゲームマスターが務めることが決まっているので、実質的な最終試練と言える。
テーマは総力戦=B互いの陣にある旗を奪い合うと言うゲームだ。
旗を倒されると負け。大将を倒されても負け。ゲームはそこで終了となる。
このゲーム。普通であれば、プレイヤー側に勝ち目などない。相当に無理のある内容となっていた。
プレイヤーの百倍の数の敵が出現する設定となっているからだ。
マリアたちの数は全員で五人。となると、五百人の敵を相手にしなくてはならないと言うことになる。
圧倒的な戦力差だ。個々の力ではミツキやユキネは群を抜いているが、足手纏いがいてどこまで頑張れるだろうかと桜花は考える。
「普通にやっても勝ち目は薄い。なら陣地を守りつつ、こっそりと旗狙いってところかな?」
お手並み拝見、と桜花が飲み物に手を伸ばした、その時だった。
ジリリリリ、と古い目覚まし時計のような音が天守閣に響いたのは――
「え? なんで?」
慌てて懐中時計のようなものを懐から取り出す桜花。
パカリと蓋を開けると、そこには六桁の漢数字が並んでいた。
すべての数字が『零』と表示されていることに気付き、桜花は驚きの声を上げる。
「もう、時間!? え? だって――」
そこには、揺り戻しが起きる時間。
太老の帰還を予測した時間が、本来は表示されていたのだ。
少なくとも桜花の体内時計では、まだ二時間以上は余裕があるはずだった。
しかし、既にタイムリミットが来ていることを、その時計は報せていた。
「まさか、外と内で時間の進み方が違う?」
桜花たちの世界には『加速空間』と呼ばれる技術がある。
結界内の時間を加速させることで、一時間を一日にでも一年にでも延ばすことが可能な夢のような装置だ。
桜花も過去にこの装置を使って、武神の二つ名を持つ母から直接武術の指導を受けたことがあった。
「時間を加速できるってことは、遅くも出来るってこと……」
桜花の持つ時計は太老が作った特別製だ。
こうした加速空間の影響を受けず、正確な時間が刻まれるように設計されている。
だとすれば、この空間の中では外の世界よりもゆったりと時間が流れるように設定されていると考えるのが自然だった。
しかし逆なら理解できるが、普通は外より内の時間を遅くする意味は薄い。
「嵌められた? もしかして、ここからでることが出来ないのも……」
ようやく自身の置かれている状況に桜花は気付く。
太老がやったとも考え難いし、桜花も設定を弄った記憶はない。
なら、第三者が外から介入したと考えるのが自然だった。
どうやったのかはわからない。しかし――
「よくも!」
桜花は怒りの声を上げる。
ずっと、この日を待っていた。太老との再会を心待ちにしていたのだ。
感動の再会を――それを邪魔する者を許せるはずがなかった。
「もう、ゲームの勝敗なんてどうでもいいわ。――船穂、龍皇!」
桜花が名前を呼ぶと、どこからともなく現れる二体のマシュマロ。
そして、
「アンタたちもお兄ちゃん≠ノ会いたいでしょ? なら、やっちゃって!」
桜花の声に応えるように、二匹は全身から眩い光を発するのだった。
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m