酷い光景だった。
「ぬめぬめするっ! ひゃあ! いや、ん……そこは……」
フィーに夢を見させた何者かの反応を追ってベルの魔術で〈転位〉してみれば――
ノルンとそう歳の変わらない赤い髪の少女が、全身をスライムに舐め回されて身悶える姿がそこにはあった。
念のため、完全武装でやってきたシャーリィも「うわあ……」となんとも言えない気の抜けた声を漏らす。
「いつまで見てるのよ! はやく助けなさ――ひっ! ああっ! 嘘っ、理力が吸われて……吸っちゃダメぇぇぇぇ!」
どうしたものかと、リィンは他の三人に視線で尋ねる。
フルフルと首を左右に振るフィー。目を輝かせて何かを訴えるシャーリィ。
ベルはと言うと一つ溜め息を吐いて、少女へと近付いていく。
そして、
「わたくしに服従するか 死ぬまでここで悶えるか、選ばせてあげますわ」
とんでもないことを言い放つのだった。
◆
「ううっ……もう、お嫁にいけない」
ようやくスライムから解放された少女は、しくしくと涙を流す。
肩口で切り揃えられた毛先からはポタポタと雫がこぼれ落ち、羽根飾りのついた南国風の民族衣装も体液でベタベタになっていた。
水も滴るいい女――と言うどころの話ではない。どう見てもフィーより年下、ノルンやレンと同じくらいの歳の少女だ。
いけないことをしているかのような背徳感に苛まれるリィン。こんなところを他の誰かに見られたら確実にアウトな光景だった。
しかし、
「お嫁に行くも何も……あなた、もう死んでいますわよね?」
ベルの放った一言で、リィンはピタリと固まる。
幽霊のように足がないと言う訳でも、身体が透けているわけでもない。
どこからどう見ても生きている人間にしか見えないが、確かにベルの言うように普通とは違う気配を感じる。
この気配にリィンは覚えがあった。そう、ノルンやツァイトの纏っている雰囲気に似ているのだ。
「……どういうことだ?」
「恐らくは思念体の一種ですわね。ほとんど力は失っているみたいですが、なかなかに興味深いサンプルですわ」
「ひぃッ!?」
舐めるような視線をベルに向けられ、悲鳴を上げる少女。
幼女に脅されて震える少女の図と言うのは、一部のマニアが喜びそうな酷い光景だった。
ベルに任せていては話が進まないと、リィンは少女に名前を尋ねる。
「俺はリィン・クラウゼル。お前の名前は?」
「名前? アタシはイオだよ」
リィンに名前を尋ねられ、キョトンとした顔で少女は答える。
その反応だけを見れば、見た目相応の子供にしか見えない。
だが、
「イオね……お前、何者だ?」
リィンが鋭い視線で威圧しながら尋ねると、イオの表情から笑みが消えた。
思念体ということは、身体をマナで構成された幻獣のような存在と考えていい。
そんな少女が見た目相応の年齢であるはずがないと考えての質問だった。
「この地下聖堂の番人≠している――初代〈大樹の巫女〉さ」
そんなリィンの疑問に対して、イオはニヤリと笑いながらそう答えるのだった。
◆
「……大樹の巫女?」
「惚けなくてもいいよ。夢の内容については聞いてるんでしょ?」
「それを知ってるってことは、やはりお前がフィーに夢を見せた犯人か」
予想は付いていたとはいえ、あっさりと自分の仕業だと認めたイオをリィンは訝しむ。
何らかの企みがあってのことだと考えたからだ。
「あんな夢をフィーに見せて、何がしたかったんだ?」
「正直に言うと、誰でもよかったんだよね。この時代にこうして目覚めたこと自体、奇跡のようなものだったから……」
誰でもよかったという言葉に嘘はないのだろう。
フィーが夢を見たのは、偶々波長があった可能性が高いとベルも見立てていた。
「エタニアの最期を見届けた後、眠りについたアタシは消えるはずだった。実際、もう意識はほとんどなくて消滅しかけていたんだ」
エタニアの最期を見届けた後、イオは自ら眠りに付いた。
残された力が尽きるのを待ちながら、夢の中で消えていくはずだったとイオは話す。
「なのに、深い眠りからアタシを目覚めさせるほどの強い想念が流れ込んできた」
「……想念?」
「誰もが持つ『生きたい』と願う意志。それが想念≠セよ」
リィンとイオの会話を横で聞いていたベルは、何か思うところがあったのか考え込む仕草を見せる。
ずっとフィーが夢を見た理由について、幾つかの考察を巡らせていたからだ。
「だとすれば、それは夢で繋がったことが要因かもしれませんわね」
「夢を通して、フィーの力がイオに流れ込んだってことか?」
「ええ、感応力はそうした人の想いや意志に強く影響されますから」
常に死と隣り合わせの戦場で生きてきたフィーは、命というものに対する考え方や捉え方が一般人と違う。
フィーと夢で繋がったことで、そうした意志が想念≠ニなってイオに流れ込み、消滅の危機から救ったのだとベルは推論を口にする。
実体を持たない思念体が存在を維持するには強い意志の力が必要だ。
長い歳月と共に薄れていったイオのなかの生に対する執着を、フィーの想念が呼び起こしたのだろう。
それに――
「この聖堂は龍穴≠フ上に建っているみたいですし」
それだけが理由ではないだろうが、イオが完全に消えずにいたのは聖堂を満たす高濃度のマナ――
その源泉となっている地脈の助けが大きいとベルは見立てていた。
「結局、お前は何がしたいんだ?」
イオが消滅の危機を免れ、目を覚ました理由については納得した。
だが役割を果たして消えることを望んでいたなら、彼女が目覚めることはなかったはずだ。
なのにこうして彼女が目覚めたのは、この世界に未練≠ェあるからだと推察できる。
そうまでして、この世界に留まり続けた理由をリィンは聞きたかった。
そんなリィンの問いに対してイオは、
「とっくに運命を受け入れたつもりでいて、最後の最後までアタシは希望≠捨てきれなかったんだと思う」
あの子――ダーナ≠ニ出会ってしまったから、と苦笑しながら答えるのだった。
◆
「最後の巫女、ダーナ・イクルシアね……」
運命を受け入れていたイオに、最後の最後で希望を抱かせた大樹の巫女。
それが最後の一人になるまで、運命に抗い続けたエタニア人。
はじまりの大樹を奉る最後の巫女。ダーナ・イクルシアだった。
「さっき、そこの悪魔みたいな幼女……じゃない。美少女が言っていたように、アタシは人間じゃない。後世の巫女たちに正しい歴史を伝えていくために初代が遺した思念体だ。そして、この地下聖堂には〈はじまりの大樹〉の真実が記されている」
ベルに睨まれ、慌てて言葉を訂正するイオ。
一方でリィンはイオの話の中にでてきた〈はじまりの大樹〉に興味を持つ。
「はじまりの大樹というのは、フィーの夢にでてきた奴だな。具体的に、どういうものなんだ?」
「夢で見たとおりさ。それ以上のことは、何も分からない」
「は? お前、大樹の巫女なんだろ?」
「巫女はあくまで大樹を奉り、鎮めるための存在だ。なんでも知っていると言う訳ではないからね」
そう言って偉そうに無い胸を張るイオを見て、リィンは目尻を押さえる。
最初から期待していたわけではなかったが、島の秘密に迫るヒントくらいは得られるだろうと思っていたのだ。
「うわ、こいつ使えねーという顔をしないでくれるかな? そういう反応をされると傷つくんだけど……」
「なら、勿体振った言い回しをしないで、さっさと知っていることを話せ。貴重な証人だから生かしてやってるんだ」
もう一度スライムをけしかけるぞ、とリィンに脅されてイオは顔を青ざめる。
そしてリィンの眼を見て、本気で言ってると慌てたイオは素直に話し始める。
「夢の内容を知っているならわかってると思うけど、はじまりの大樹は恵みをもたらす繁栄の象徴であると同時に、世界に災厄をもたらす存在でもある。ここにあった国、エタニアが滅びたのも大樹が原因だ」
「……なんで、そんなことを?」
「簡単に言うと進化≠フためだよ」
「……進化?」
進化と聞くと真っ先に頭を過ぎるのは、生物が長い年月を掛けて成長すると言ったような進化論だ。
だがイオの話す進化は、リィンたちが考えるものとはまったく別の意味を持っていた。
「はじまりの大樹は一定周期で天変地異を起こす。そうして生き残った者だけに加護を与えているんだ」
大樹のもたらす進化とは種の成長を促すことではなく、外的環境の変化に適応できる者を選択≠オ、不適合者を陶太≠キることにあるとイオは話す。
無茶苦茶な原理だと思う一方で、強い種だけを選別するというやり方は、ある意味で理に適った方法だとベルは考えた。
クロイス家の錬金術師も適性のある人間を選別することで、千年もの歳月を掛けて〈零の巫女〉を完成させたのだ。
手段に違いはあれど、やっていることに大きな差はない。
どちらかと言えば、誰がなんのために〈はじまりの大樹〉を造り、そんなことを始めたのか?
気になるのは目的の方だった。
「わたくしからも質問がありますわ。大樹はいつから存在するのか? 誰が大樹を創造したのか? そのあたりのことはわかっていますの?」
「残念だけど、そこまでは知らない。だけど、そのことを知っていそうな相手には心当たりがあるよ」
「それは?」
ベルの問いに対して、イオはスッと息を吸って言葉を溜めると、
「〈はじまりの大樹〉がもたらす選択≠ニ陶太=\―〈涙の日〉を見届ける役目を負った者たち」
――進化の護り人。彼等以上に〈はじまりの大樹〉について詳しい者はいない、と話すのだった。
◆
イオから〈はじまりの大樹〉の真相を聞かされ、リィンは逡巡する。
フィーに夢の話を聞いた時にも思ったことだが、それほどの力を持った存在が幾つもあるとは思えない。
イオの話と夢の内容が事実だとするなら――
「どう思う?」
「夢の話を聞いた時から思っていましたが、その〈はじまりの大樹〉というのが怪しいですわね」
「ん……たぶん当たりだと思う。夢で見ただけだけど、ちょっと〈碧の大樹〉に雰囲気が似てたかも?」
「じゃあ、サクッと片付けちゃう? この島にあるんだよね?」
島に眠る秘密。一連の不思議な出来事はすべて、はじまりの大樹が関係しているとリィンたちは断定する。
ふとリィンの頭に過ぎったのは、リトル・パロのことだ。
あれが使い魔的な何かだとすれば、裏で操っている何者かが黒幕である可能性が高い。
イオの話にでてきた〈進化の護り人〉のなかに、黒幕が潜んでいるかもしれない。
いずれにせよ、ここで悩んでいたところで問題は解決しない。
なら原因はわかっているのだから、直接仕掛けて反応を窺うという手も分からないではなかった。
「いやいや、アタシの話を聞いてた? 夢を見たんだよね? 大樹に手をだしたら災厄が――」
しかし、イオはありえないと言った顔でツッコミを入れる。
はじまりの大樹に手を出して、エタニアがどうなったかはリィンたちも知っているはずだ。
なのに、どうしてそういう結論に達するのか、理解できなかったからだ。
「何も問題はありませんわね。歩く災厄みたいな存在なら、既にここにいますもの」
「おい……」
はじまりの大樹と同じ災厄に認定されて、リィンはベルを半目で睨む。
だが、余り強く言い返せないのは、これまでに何をやったかの自覚はあるからだった。
先日も古代種を倒すためとはいえ、島の地形を変えるほどの攻撃を放ったことは間違いない。
傍から見れば、あれも災厄の一種だ。明らかにやり過ぎと言ってよかった。
「でも、イオの話は一理あるかも。大樹に攻撃した人たちが雷に撃たれて、大きな街が嵐や津波に呑まれるところを夢で見たから……」
「俺たちはともかく、そんな状況に陥ったら他の連中はやばいか。となると、やはり避難を優先するべきか」
フィーから夢の話を聞き、避難が完了していない状況で仕掛けるのはリスクが大きいことをリィンも認める。
どちらにせよ、アロンダイトへのマナの充填が完了しないことには満足に動けない。
なら優先すべきは情報収集の方かとリィンは考え、口にする。
「〈進化の護り人〉だったか?」
「殺るの?」
「……言って置くが、情報を吐かせるのが目的だからな」
「でも、味見くらいはいいよね」
本当にわかっているのか怪しい発言をするシャーリィをリィンは訝しむ。
とはいえ、以前から感じていた複数の視線。一つはリトル・パロのもので間違いはなさそうだが、他の視線に関しては正体が未だに掴めていない。イオの話を信じるなら、その〈進化の護り人〉が怪しいとリィンは思っていた。
状況から言って戦闘になる可能性は低くない。なら殺しさえしなければ問題はないか、とリィンは妥協する。
一度火がついてしまえば、シャーリィを止めるのは難しいと理解しているが故だった。
「もしかしなくても頼る相手を間違えたんじゃ……」
そう言って頭を抱えるイオを見て、リィンはふと気になったことを尋ねる。
「お前、身体が少し薄くなってるが、大丈夫なのか?」
「え!?」
リィンに指摘されて、慌てて自分の手足を確認するイオ。
燐光が放たれ、景色が透けて見えるほどにイオの身体は薄くなっていた。
消えかけていたことは確かだが、フィーと夢で繋がったお陰で力は多少回復していたのだ。
すぐに消えるような切羽詰った状態ではなかったはずとイオは考えるが、すぐにその原因に思い至る。
「さっきの魔物に残っていた理力をほとんど吸収されてしまったから、このままだと……」
もうすぐ消えてしまう、とイオは話す。
このまま放って置けば、本人も言っているように半刻もしない内に彼女は消滅するだろう。
「ん……それって……」
僅かに逡巡すると、フィーは何かを訴えるようにベルを見る。
じーっとフィーに見詰められ、居心地の悪そうな顔を見せるベル。
「わ、わたくしが悪いわけでは……」
「でも、あのスライムってベルのだした使い魔だよね?」
余計なことを、とシャーリィを睨み付けるベル。
原因はイオにあるとはいえ、スライムをけしかけたのはベルだ。
そういう意味では、フィーやシャーリィが言うようにイオが消えかけている責任がベルにないとは言えない。
しばらくフィーとの睨み合いのような沈黙が続くが、
「消えずに済む方法ならありますわよ」
「え……」
先に折れたのはベルの方だった。
もう半ば諦めかけていたと言うのに、思わぬところから助けが現れてイオは驚きの声を漏らす。
スライムをけしかけた悪魔≠フような少女が、自分を助けてくれるなどと信じられなかったからだ。
だが、その点はリィンもイオと同じ気持ちだった。
「珍しいな。お前が人助けを自分からするなんて」
「貴重な情報源ですし、このまま消えられるのは困りますもの。それに助けるのは、わたくしではなくあなた≠ナすわよ?」
「……何?」
ベルが人助けなんて珍しいと感心していると、丸投げとも取れる発言をされてリィンは戸惑いを見せる。
そもそもリィンはベルのように魔術など使えない。導力魔法すら満足に発動することが出来ないのだ。
一応、魔術に関しては適性があるそうだが、すぐに覚えられるようなものだとは思っていなかった。
実際、簡単な魔術を使えるようになるのにも二年から三年の修行が必要だと、エマから言われていたからだ。
「ノルンさんにしたことと同じですわ。この子――イオと盟約を交わし、眷属になさいな」
そういうことかと、ベルの話を聞いて納得するリィン。
確かにそれなら魔術が使えずともどうにかなる。盟約とは魂の契約だ。
提示された条件を、眷属となる者が受け入れることで盟約は為される。
ノルンはリィンから『クラウゼル』の名を貰い、運命を共にする盟約――家族となることで繋がりを得たのだ。
リィンの眷属となれば、イオは存在が固定される。力が尽きて消えることもないだろう。
「……でも、何を条件にするつもりだ?」
「下僕にすれば、よいのでは? 丁度良い小間使いになりそうですし」
「やっぱり悪魔だった!?」
非難の声を上げるイオに、まったく否定できないとリィンは口にださずに頷くのだった。
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