「もっと、もっともっともっともっと――」

 能力を使い生み出した無数の武器を、周囲に展開する〈緋の騎神〉テスタ・ロッサ。
 空を縦横無尽に駆けながら〈テオス・ド・エンドログラム〉目掛けて、雨のように武器を投擲する。
 だが〈テオス・ド・エンドログラム〉は〈結社〉の神機が使っていた空間障壁のようなもので、テスタ・ロッサの攻撃を防いでいた。
 それでも――

「シャーリィを愉しませてよッ!」

 攻撃の手を緩めることなく、攻め続けるテスタ・ロッサ。
 騎神の攻撃が〈テオス・ド・エンドログラム〉の障壁に衝突する度に、小さな爆発が起きる。
 見た目は普通の武器だが、テスタ・ロッサによって生み出された武器はマナの塊のようなものだ。
 まったく通じていないように見えて、確実に〈テオス・ド・エンドログラム〉の力を削っていた。

「どうしますの? あのままだと殺して≠オまいかねませんわよ?」

 竜化したイオの背から眼下で行われている戦いを眺めながら、リィンに尋ねるベル。
 テスタ・ロッサと〈テオス・ド・エンドログラム〉の戦いの余波で、先程までリィンたちが立っていた大地は完全に崩落し、姿を消していた。
 テオス・ド・エンドログラムは、大地神マイアによって〈ラクリモサ〉の管理を委ねられた〈進化の理〉そのものと言える存在だ。
 テオス・ド・エンドログラムを殺すということは、進化の摂理そのものを破壊することと同じ。
 仮にそれで〈ラクリモサ〉を止めることが出来たとしても、世界に与える影響は小さくない。
 最悪、クイナとダーナが見たという〈緋色の予知〉が現実化する恐れすらあった。

「仕方ない。ちょっと止めて――」

 ――くる、と言おうとしたところで、リィンは何かに気付いた様子でハッと空を見上げる。
 世界が浸食され、歪められるかのような感覚。
 これと同じ異質な気配をリィンは前に感じたことがあった。
 そう、あれは――

「緋色の空だと?」

 空を見上げると、そこには嘗て帝都の空を覆った〈緋色の空〉が広がっていた。
 帝都を死の都へと変え、バルフレイム宮殿を魔王の居城――〈煌魔城〉へと変貌させた異界化現象だ。
 だとすれば――

「まさか、女神が?」

 大地神マイアが目覚めようとしているのでは、とリィンは考える。
 本来であれば、クイナが〈はじまりの大樹〉を完全に掌握してからマイアを呼び覚ます計画だったのだ。
 不完全な状態でマイアが目覚めれば、最悪それを切っ掛けに世界が消滅する可能性が考えられるからだ。
 だが、

「違いますわ。恐らく、これは――」

 そう言ってベルが視線を向ける先には、異様な気配を放つ〈緋の騎神〉の姿があった。
 全身から真紅のオーラを放ち、背には精霊化したリィンのように炎の翼が広がっている。
 その姿にリィンたちは見覚えがあった。
 忘れるはずがない。あれは――

「……紅き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)

 フィーの震えるような声が響く。
 暗黒竜の血を浴びたことで呪いを掛けられ、魔王の依り代となった緋の騎神。
 エンド・オブ・ヴァーミリオン。それは魔女の間でも長く禁忌とされてきた魔王の名前だった。

「でも、どういうこと? リィンが呪いを浄化したんだよね?」

 フィーが言うように、確かに〈緋の騎神〉に掛けられた呪いはリィンのグングニルによって浄化された。
 呪いが浄化され、起動者の契約も解除されたからこそ、シャーリィは〈緋の騎神〉を自分のものとすることが出来たのだ。

「簡単な話ですわ。呪いは切っ掛け≠ノ過ぎなかった。そういうことなのでしょう」

 暗黒竜の呪いは、外の理と接続する切っ掛けに過ぎなかった。
 魔王の依り代となったのは〈緋の騎神〉に元々その素養があったからだ。
 呪いがなくなっても、魔王との繋がりは完全に消えたわけではない。
 いや、むしろ呪い≠ニいう余計なものが排除されたことで、完全なカタチで〈紅き終焉の魔王〉が呼び覚まされたのではないかとベルは話す。

「……それって大丈夫なの?」

 魔王と化した騎神の放つ瘴気は生気を奪い、人の心を狂わせる。それは起動者も例外ではない。
 帝都の人々を恐怖で支配し、かのドライケルス帝に討たれた〈偽帝〉オルトロスのように――
 狂気に呑まれれば、人の心を失ってしまう。暴走の果てに力を吸い尽くされ、衰弱死する恐れすらあった。
 フィーがシャーリィのことを心配するのは当然だ。
 しかし、

「たぶん大丈夫だ。あの魔王を再び呼び起こしたのは――」

 シャーリィの狂気だ、とリィンは答えるのだった。


  ◆


 全身に漲る力、頭の中に直接響く声。
 それは常人であれば力に酔い、容易く呑まれてしまうほどの狂気に満ちていた。
 だが、

「アハッ」

 そんなかでシャーリィは笑みを浮かべていた。
 気が触れたと言う訳ではない。その狂気≠ェ心地よかったからだ。

「分かるよ。テスタ・ロッサも、もっと愉しみたいんだよね」

 いまなら手に取るように騎神の――テスタ・ロッサと一つになった〈紅き終焉の魔王〉の考えが理解できる。
 闘争本能の塊とも言える魔王の意志を理解し、共感することでシャーリィで魔王の力を取り込んでいく。
 抗うのではなくあるがままを受け入れ、狂気を狂気によって染め上げるように――
 心を通わせることで、騎神は起動者と共に成長する。
 誰かに教わったわけじゃない。無意識にシャーリィは騎神のあるべき姿、力の本質を理解していた。

「いくよ、テスタ・ロッサ!」

 騎神の名を冠する愛用の武器を、そのまま大きくしたかのようなブレードライフルを召喚するシャーリィ。
 複雑な構造の武器を再現することは、以前のテスタ・ロッサであれば出来なかった。
 しかし〈外の理〉と接続し、魔王と化した騎神なら――

「ディザスター・オブ・マハ!」

 起動者の願いに応え、騎神は望まれた力を具現化する。
 紅い風を纏い、無数の銃弾を放つと共に〈テオス・ド・エンドログラム〉に連撃を叩き込むテスタ・ロッサ。
 ――血を啜り、肉を喰らう。
 触れたもののマナを奪い、糧とすることで無限の闘争を繰り返す。

「これで――仕上げだよ!」

 それが魔王の力に覚醒した〈緋の騎神〉の新たなチカラだった。


  ◆


「想像の上を行く成長ですわね。……あれに勝てます?」
「勝てないとは言わないが……」

 マナを奪うという能力は、リィンにとっては天敵と言えるものだ。
 勝てないとは言わないまでも、いろいろと覚悟を決める必要があるというのが、覚醒した〈緋の騎神〉を見たリィンの感想だった。

「むう……」

 また差を広げられたと感じてか、難しい顔で唸るフィー。
 ないものねだりになるが、せめて自分にも〈騎神〉があればと考えてしまう。
 不老不死になったからと言って、では今のシャーリィに勝てるかと言えば、フィーは首を横に振る。
 暁の旅団で突出した強さを持っているのは、間違いなくリィンとシャーリィの二人だ。
 フィーを含め、他の団員との間には不老不死≠ノなった程度では埋められないほどの歴然とした力の差があった。
 どうにかしてその差を埋めたいと考えているが、道は険しく遠いとフィーは実感させられる。

(でも……)

 諦めるつもりはなかった。
 どのくらいの差があるか。頂きを見るために、この場に残ったのだ。
 いつか絶対に届かせて見せると、フィーは決意を新たにして鋭い双眸を戦場に向ける。
 一瞬、一瞬を見逃さないように、両眼に目指すべき頂き≠焼き付けるために――

「決着がついたみたいですね」

 ダーナの言うように、障壁が破壊されると共に〈テスタ・ロッサ〉の一撃が決まり、〈テオス・ド・エンドログラム〉は動きを停止する。
 無為に攻撃をしていたのではない。マナを奪うことで障壁を破壊し、〈テオス・ド・エンドログラム〉の動きを止めたのだろう。

「クイナ」
「うん、準備は出来てるよ」

 リィンの言葉に力強く頷くクイナ。そして――

「じゃあ、はじめるね。〈アルバ計画〉最後の一幕を――」

 夜明けを意味する計画の仕上げを宣言するのだった。


  ◆


「幽霊船というだけでも非常識なのに……」

 周囲の景色を見渡しながら溜め息を吐くラクシャ。
 無理もない。ラクシャたちが乗船している船は、百年前にゲーテ海を荒らし回ったと伝えられている〈海賊船〉エレフセリア号。
 船員は全員、骸骨。幽霊船と言うだけでも驚きなのに、船の周りに見えるのは海の景色ではなく――

「一体全体、ここはどこなのですか!?」

 七色の煌びやかな光が射す不可思議な空間が広がっていた。

「〈精霊の道〉って奴だ。話には聞いてるんだろ?」

 そんなラクシャの疑問に答えるように、海賊らしき風体の男が姿を見せる。
 エレフセリア号の船長――キャプテン・リードだ。

「確か、それは一瞬で離れた場所を行き来するという……」
「まあ、一瞬とは言っても距離に応じて相応の時間は掛かるみたいだがな」

 精霊の道は地脈の力を利用して移動するため、何処にでも〈転位〉出来ると言う訳ではなく相応の時間が掛かる。
 利点は魔術による〈転位〉と違い、マナの消耗を抑えながら多くの人と物資を運べることにある。
 そして〈エレフセリア号〉はただの幽霊船ではなく、キャプテン・リードがクイナの眷属となったことで地脈を渡る能力を得ていた。
 謂わば、幽霊船あらため〈精霊船〉と言ったところだ。もっとも、船員の大半はアンデットだが――

「……この船は何処≠ノ向かってるんだい?」
「え? 話の流れからしてセルセタではないのですか?」

 てっきりグリゼルダが治めるセルセタ地方へ向かっていると思っていたラクシャは、アドルの言葉に疑問を挟む。
 だが、幾ら時間が掛かると言っても、セルセタはあくまでグリーク地方と同じエレシア大陸西部に位置する。
 少なくとも〈灰の騎神〉が漂流者たちと共に〈転位〉した時、リィンが到着を確認するまでに一分と誤差がなかった。
 なのに、既に船が出航してから十分余りが経過している。
 幾らなんでも時間が掛かりすぎていると、アドルは訝しんだのだ。

「ほう……さすがに鋭いな」
「どういうことですか? この船は一体どこへ――」

 アドルに続き、眉間にしわを寄せて尋ねてくるラクシャを、「落ち着け」と宥めるキャプテン・リード。
 そうこうしていると、物凄い速さで船へ近づいて来る何か≠見つけて、キャプテン・リードはニヤリと笑う。

「来たみたいだな」
「きた? 一体なにがですか?」

 何を言っているのか理解できないと言った顔で、訝しげな声を漏らすラクシャ。
 その時だった。

「アドル兄、ラクシャ姉! でかい狼が近づいて来る!」

 マストの上に用意された物見台から身を乗り出し、大きな声でアドルとラクシャの名前を呼ぶリコッタ。
 甲板から進行方向を眺めると、確かに四つ足で宙を懸ける蒼い狼が真っ直ぐに船へ向かって来ていた。

「話によると神獣の類らしいからな。間違っても怒らせるような真似はするなよ」
「し、神獣?」

 どこからどう突っ込めばいいのか分からない話をされ、頬を引き攣るラクシャ。
 だが、

(身体の震えが止まらない……)

 アドルと共に、これまでに幾つも死線を乗り越えてきたのだ。
 蒼い狼がどれほどの力を持っているのか、察せられないほどラクシャは愚かではなかった。
 言われずとも喧嘩を売るような気にはなれない。
 むしろ、どうして落ち着いていられるのかと、溜め息交じりの視線をキャプテン・リードに向ける。

(……いえ、非常識なのは他にもいましたね)

 リコッタと一緒になって目を輝かせているアドルを見て、共感してくれる仲間はいないとラクシャは悟る。
 ふと、ヒュンメルと目が合うが視線を逸らされてしまい溜め息を吐いた、その時だった。

『お前たちがリィンの言っていた者たちだな』

 船に衝突するかと思った次の瞬間、身体を縮め、甲板に降り立つ一匹の狼。
 その直後、頭に声が響く。
 それが目の前の狼のものだと察するのは難しくなかった。
 人の言葉を理解する狼というだけでも驚きだが、それよりも――

「女の子?」

 ラクシャは目を丸くして、呆然とした声を漏らす。
 狼の背には、成長したクイナと同じくらいの青い髪の少女が座っていた。
 白いローブを纏い、全身からは青白い光を放っている。
 よいしょと掛け声を漏らしながら、少女は狼の背中から降りようとするが、

「あうッ!」

 着地に失敗して転び、顔を床に打ち付けてしまう。
 慌てて少女に駆け寄り、手を貸すラクシャ。

「だ、大丈夫ですか?」
「あ、うん。ありがとう」

 真っ赤になった額を撫でながら、手を貸してくれたラクシャに頭を下げる少女。

(か、可愛い)

 そのあどけない笑顔にやられ、頬を紅く染めるラクシャ。
 先程までの緊張感はどこいにいったのか?
 ラクシャたちだけでなく船で働く骸骨たちも、にこやかな雰囲気を醸し出していた。
 そんななか、

「私はノルン。リィンの娘=\―ノルン・クラウゼル」

 ――お兄さん、お姉さん、よろしくね。
 と、青い髪の少女――ノルンが自己紹介をすると、ピシリと空気が凍り付いたかのような音が響くのだった。



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