「そのようなことが……」
これまでの経緯をグリゼルダから聞いたレオは腕を組んで唸るように頷く。
正直に言えば夢や幻でも見たのではないかと疑うほどに、グリゼルダの話は俄には信じがたいものだった。
他の者がこのような話を口にしていれば、レオもまともに取り合おうとはしなかっただろう。
しかし、グリゼルダが妄言を吐くような人物でないことを、彼はよく知っていた。
それだけに考えさせられる。グリゼルダの話が事実だとすれば、セルセタにとって重要な転機となるからだ。
「それで総督閣下は、どうされるおつもりなのですか?」
「……セルセタをロムンから解放する」
無謀だ、と口にしかけた言葉をレオは呑み込む。
どのような交渉を持ち掛けようと、ロムン本国がセルセタの独立など認めるはずがない。
しかし皇女であるグリゼルダが、そのことを理解していないはずもないと思ったからだ。
だとすれば、ロムン本国がどのような反応を示すか承知の上で、彼女は覚悟を決めたと言うことになる。
そう、反逆者の汚名を被ろうともセルセタを守るため、ロムン帝国と矛を交えるつもりだと言うことだ。
「……ロムンに勝てると?」
「彼等――〈暁の旅団〉の力を借りれば、確実に勝てる」
はっきりと断言するグリゼルダを見て、レオは目を瞠り一瞬驚いた様子を見せるも、逡巡するかのように瞼を閉じる。
彼もグリゼルダと同様、侵略戦争を続けるロムンの在り方に異を唱え、本国の意向に沿わない厄介者として辺境に飛ばされた身だ。
それだけにロムンのやり方は、よく理解している。現にアルタゴ公国との戦争は終わりが見えない状況だ。
これまではどうにか本国の干渉を抑えてこられたが、それもそろそろ限界に近付いていた。
このままロムンの横暴を許せば、セルセタの住民にも累が及ぶだろう。
しかし、その横暴を是とするだけの力がロムンにはある。だからグリゼルダもぐっと耐え忍んできたのだ。
そうした彼女の苦悩をこの三年余り――傍で見続けてきたのがレオだった。
だからこそ、これほど力強く、はっきりと『ロムンに勝てる』と断言したグリゼルダに内心驚きを隠せずにいた。
「いまこそ、貴殿の力を貸して欲しい。〈雷鳴〉のレオ」
ロムンという国の強大さはグリゼルダが一番よく理解しているはずだ。
それでも尚、この自信。
余程のものをセイレン島で目にしてきたのだろうと、レオは考える。
本来であれば、止めるべきなのだろう。
だが、
「総督閣下……いえ、皇女殿下が望まれるのであれば――」
そう言って片膝を床につき、恭しく頭を下げるレオ。
グリゼルダがずっとロムンとセルセタの間に立ち、苦悩を続けてきたことをレオは知っている。
悩みに悩み抜いた末の決断であれば、レオはグリゼルダを止めるつもりはなかった。
むしろ、こうして仕えるべき主から力を貸して欲しいと望まれ、奮い立たない騎士はいない。
いつかは、こういう日が来ると覚悟を決めていたのだ。少し早いか遅いかの差でしかなかった。
「ですが一つ、お願いがあります」
「……聞こう」
「皇女殿下が見込まれたという男。先に、その者と会わせて頂きたい」
レオの願いに、少し困った顔でグリゼルダは唸る。
話だけではなく、実際に会って見極めたいというレオの申し出は正当なものだ。
しかし、
「まさか、剣を交えるつもりか?」
「はっ! 機会を与えて頂ければと」
グリゼルダの言葉を疑っているわけではないだろうが、理解することと納得することは違う。
グリゼルダも武人だ。レオがどのような気持ちで、このような願いを申し出たかは分かるつもりだ。
相手がリィンでなければ、二つ返事で了承しただろう。
だが、
(どうする? レオのやる気に水を差すのも……かと言って、レオを失う訳には……)
リィンは手加減をしてくれるか? と考え、グリゼルダは微妙な表情を浮かべる。
小島を消滅させ、海を蒸発させたというリィンの力を考えれば、仮に手加減をしたとしても不安は残る。
だが、実際に力を示さなければ、レオは納得しないだろう。
なんとかして、レオにリィンの力を認めさせる必要がある。それも出来るだけ穏便に――
どうしたものかと思い悩むグリゼルダ。その時だった。
「何事だ!?」
窓から眩い光が射し込むと同時にグリゼルダを庇うように前へでて、大声で叫ぶレオ。
襲撃を警戒して腰の剣を抜き、構えるレオ。そして、窓の外へと視線を向ける。
すると、
「なっ……」
森の方角から光の柱が空に向かって立ち上っていく光景が目に入った。
唖然とするレオと違い、グリゼルダはすぐに光の正体に気付く。
「あれが〈暁の旅団〉の力。ロムンに勝てるとする根拠――騎神だ。リィンがヴァリマールを呼んだのだろう」
最後の戦いが近いのだと、グリゼルダは察する。
目に見えるほどの膨大なマナの奔流。
風が吹き荒れ、木の葉が舞い、森が騒がしく音を立てる。
まさか、これほどのものとは思っていなかったのだろう。
呆然とした顔で空を見上げるレオに、
「言って置くが、あれはリィンの持つ力の一部に過ぎない。もう一度、聞くが……本気で戦う気か?」
グリゼルダは、そう尋ねるのだった。
◆
「どうやら、あちらも大詰めのようだの」
森の中から空を見上げるタナトスの視線の先には、光の柱があった。
リィンがヴァリマールを呼んだのだと察し、タナトスはニヤリと笑う。
「何よ、あれ……」
そんなタナトスの後ろで空を見上げ、呆然とした声を漏らす一人の女性がいた。
尻尾のように束ねられた茶色の髪。踊り子のように身軽な装いで、快活な印象を受ける彼女の名はカーナ。
ここ、セルセタの地で暮らす樹海の民だ。
森の異変に気付き、調査を行っていたところ、森の中を彷徨っていたタナトスと出会ったのだ。
何か事情を知っていると思い、タナトスから話を聞いていた最中のことだった。
セルセタ行政府のあるキャスナンの方角から光の柱が立ち上ったのは――
「どうじゃ? これで儂の話を信じてもらえる気にはなったかの?」
「むう……」
得意げな表情を浮かべるタナトスに対して、カーナは不満げな表情を浮かべるが、
「仕方ないか……」
はあ、と溜め息を漏らしながら警戒のために構えていたナイフを下げる。
完全に納得した訳では無いが、少なくとも話を聞くだけの価値はあると判断したが故だった。
というのも――
「……アドルからの手紙≠預かってるって、本当なんでしょうね?」
「嘘は吐かんよ」
訝しげな視線を向けるも、飄々としたタナトスの態度にカーナは苛立ちを募らせる。
はっきり言うとカーナは、タナトスのことを胡散臭い老人だと疑っていた。
しかし出会い頭にカーナがコモド≠フ住民であることを言い当てたばかりか、アドルの名前をだされては話を聞かないわけにはいかない。
ましてやアドルからの手紙≠預かっていると聞かされれば、尚更だ。
「言って置くけど、嘘だったらタダじゃおかないから」
カーナに念を押すように睨まれ、タナトスは肩をすくめる。
しかし、あの光の正体にアドルが関係していると言われれば、思わず納得してしまうところはあった。
行く先々で問題に首を突っ込み、トラブルを巻き起こすアドルの体質を嫌と言うほどカーナはよく知っているからだ。
何を隠そう今から三年前、セルセタの樹海を巡る異変をアドルと共に解決したメンバーの一人が――彼女、カーナだった。
故に、それからと言うものセルセタを離れ、再び冒険の旅にでたアドルのことを気に掛けていたのだ。
(あれから三年。やっと連絡を寄越したかと思ったら、アドルらしいと言うか……)
短い期間とは言え、一緒に冒険をした仲なのに手紙の一つも寄越さないのだから薄情極まりない。
それでも連絡がないのが無事の報せだと、カーナは自分を納得させていた。
その方がアドルらしいとも思っていたからだ。
しかし、こうして実際にアドルに繋がる手掛かり≠見せられれば、タナトスに協力しないという選択肢はカーナにはなかった。
アドルの近況を知っておきたい。出来れば直接会って文句の一つも言ってやりたい、と考えていたからだ。
だから、
「気は進まないけど、案内してあげるわ」
始原の地へ――と、カーナはタナトスに告げるのだった。
◆
樹海を抜けた先に存在すると噂される始原の地。
その地の小高い丘に〈ハイランド〉と呼ばれる街があった。
「リーザ姉さん……あの光って……」
腰元まで伸びる長い桜色の髪。少女と見紛う小さな身体。
フリルをあしらった可愛らしい洋服の上に、肩からケープのようなものを羽織った彼女の名は、カンリリカ。
ハイランドの街に住む十七歳の女の子だ。
そして、もう一人。森の方角から立ち上る光を、バルコニーから眺める金髪の女性がいた。
彼女の名はリーザ。血の繋がりはないが、カンリリカが姉のように慕う人物だ。
三年前まで、この地には人々から神のように崇められていた一人の有翼人≠ェいた。
その名は、エルディール。リーザは嘗てこの地に存在したとされるセルセタ王国の末裔で、その使徒を務めていた女性だ。
だが、三年前に起きた異変を最後にエルディールは永久の眠りにつき、いまはリーザが彼の遺した叡智≠フ管理を行っていた。
いまの世には過ぎた知識。しかし、いつか必要とされる日が来ると、エルディールより託されたためだ。
そして、
「ええ、エルディール様が最後に残された予言の日≠ェ近いようです」
光の柱を眺めながら、その日が近いことをリーザは感じ取る。
エルディールから託された予言。
リーザの他に、その内容を知る者はカンリリカだけだ。
だからこそ、不安に思ったのだろう。
「じゃあ、やっぱりアレが……」
浮かない表情を浮かべるカンリリカを見て、リーザは優しく微笑む。
この三年で少しは背が伸びたとはいえ、同世代の少女と比べてもカンリリカは小柄だ。
子供のように小さなその身体を、リーザはそっと抱き寄せる。
「リ、リーザ姉さん?」
姉のように慕う女性に抱きしめられ、顔を真っ赤にして狼狽えるカンリリカ。
そんな彼女の動揺を察してか、リーザは優しく声を掛ける。
「大丈夫」
「あ……」
リーザの胸に顔を埋めるカンリリカ。
こうして頭を撫でられていると、嘘のように不安が和らいでいくのを感じる。
緑の香りと、お日様のような温もりに包まれながら、
「エルディール様がお認めになった最後≠フお客様。その人なら、きっと――」
カンリリカはリーザに身を委ねるのだった。
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