月光木馬団。それは暗黒時代から続く暗殺集団の名前だった。
感情を持たず、ただ組織から与えられた任務を黙々とこなすだけの殺戮人形。
それが十三歳にして組織でナンバー2の腕を持ち、代々受け継がれてきた〈死線〉の忌名と〈クルーガー〉の号を与えられた少女だった。
「老若男女を問わず、命乞いをする者すらも一切の慈悲なく、ただ組織に命じられるままに少女は多くの人間を手に掛けました」
そんな日常が、ずっと続くと思っていた。
戦えなくなるまで、動けなくなるまで、死ぬまでずっと――
だが、突然のように終わりが来る。
「ですが、そんな日々も長くは続かなかった。組織に存亡の危機が訪れたのです」
当時まだ新興の勢力だった〈身喰らう蛇〉――かの〈結社〉と水面下で全面衝突したのだ。
千年近い歴史を持つ〈月光木馬団〉と比べれば若い組織とはいえ、結社を構成するメンバーは人外の実力者揃い。結果は分かりきっていた。
人の領域を超えた怪物たちに敵うはずもなく、当然のように蹂躙され、月光木馬団は千年の歴史に終止符を打つことになる。
後に第四柱となる〈千の破戒者〉と、執行者ナンバーVとなる〈黄金蝶〉。
そして、ナンバー\となる〈死線〉を結社に吸収されるカタチで――
その〈死線〉の名を持つ少女こそ、後にラインフォルト家のメイドとなるシャロン・クルーガーだった。
「なるほど……確かによくある§bだ」
こんな話を聞けば普通は恐怖するか、同情するかと言ったところだが、当然のように受け止めるリィンの反応にシャロンは苦笑する。
暗殺者と猟兵。立場は違えど、幼い頃から戦場に身を置き、数多の人間を手に掛けてきたと言う意味ではシャロンとリィンに大きな違いはない。
多くの人間の命を奪ってきたこと、人殺しであることをリィンは否定するつもりはなかった。
金のため、生きるため、理由は様々だが――生まれ育った環境を否定したり、後悔したことは一度もないからだ。
それは恐らく捨て子を拾い、家族となってくれた〈西風〉の皆や、ルトガーにフィーの存在が大きかったのだとリィンは思う。
そう言う意味では、シャロンの境遇には同情すべき点がある。
こんな風に淡々と潰された古巣の話が出来ると言うことは、当時のシャロンには大切に思える人が、守りたい場所がなかったのだろう。
命じられるままに戦う以外に生きる意味を見出せなかったと言うことだ。
だが、シャロンに限った話ではない。そんな話はこの世界≠ノは腐るほどに転がっている。
明るく振る舞ってはいるが、教団にさらわれた経験を持つエマやレン。それにティオ。
王国軍に偽装した猟兵団に故郷を滅ぼされ、家族や友人を失ったヨシュア。
リィンと同じように物心がついた頃には、既に戦場を渡り歩いていたフィーやシャーリィ。
そして〈銀〉の名を継ぐことを宿命付けられ、幼い頃より暗殺技術を叩き込まれてきたリーシャ。
そうした自身の境遇を不幸だと思うか、糧とするかは本人次第だ。
シャロンは確かに普通の人から見れば、恵まれない環境で育ったのかもしれない。しかし、そのお陰で今の彼女があるとも言える。
どんな暗い過去を背負っていようと、血の滲むような努力の末、手にした技術と経験は自分を裏切らない。
月光木馬団で培った暗殺技術。それがまったく無意味で、役に立たないものだとリィンは思わなかった。
少なくとも、その力があったからこそ為し得たこと、守れたものもあるはずだからだ。
だから、同情や慰めの言葉を掛けるつもりはない。それはシャロンの生き様≠否定することだとリィンは考えていた。
「皆様がリィン様に惹かれる理由が、少し分かる気がします」
そんなリィンの考えを察してか、シャロンはそう言って微笑みを漏らす。
慰めの言葉が欲しいから、こんな話をした訳じゃ無い。ただ、聞いて欲しかっただけだ。
自分の我が儘にリィンを付き合わせているという自覚がシャロンにはあった。
それでも黙って話を聞いてくれるリィンに感謝しつつ、昔話の続きを語り始めるのだった。
◆
むしろ、ここからの話がシャロンにとって、本題と言ってもよかった。
「〈執行者〉となった後も、少女の日々は変わりませんでした」
組織に命じられるまま幾つもの任務をこなしてきたとシャロンは話す。
拒むことも出来た。しかし、それ以外の生き方を知らなかったからだ。
そんな日々を送る中、第六柱からの依頼でルーレ市へ潜入していた少女のもとへ一つの仕事が舞い込んできた。
その仕事の内容とは、とある人物との接触――しかし、そこで思わぬアクシデントが発生する。
結果、依頼は失敗。娘は重症を負い、その場に居合わせた人物の命も失われてしまった。
それが――
「フランツ・ラインフォルトと言う訳か」
リィンの言葉に、シャロンは一言「はい」と答えながら頷く。
哀しみと後悔に満ちた悲痛な表情を浮かべるシャロンを見て、これで合点が行ったとリィンは察する。
「このことをアリサには?」
「……お嬢様は何も知りません。このことを知っているのは元凶である少女を治療したばかりか、居場所を与えてくれたイリーナ会長だけです」
命を救われ、決して償えないはずの罪を赦されたのだ。
シャロンが恩を感じて、イリーナに――いや、ラインフォルト家に尽くすのも理解できるとリィンは頷く。
「シャロンという名前も会長が与えたくれたものです。クルーガーは受け継いだ〈死線〉の号。任務に応じて名前を変えるのが、木馬団の流儀でしたから」
そう話すシャロンを見て、リィンは疑問が晴れたと言った様子で感じたことを口にする。
「イリーナ会長は、シャロンにとって恩人であり、母親のような存在だったんだな」
空っぽだった少女に、名前と居場所をくれた人物。
血の繋がりはなくとも、それはもう親子≠ニ言っていいはずだ。
「イリーナ会長がわたくしの親……そんな風に考えたことは一度もありませんでした」
「そうなると、アリサとは姉妹≠チてことになるのか。意外とピッタリかもな」
しっかりものの姉に、どこか放って置けない少し手が掛かる妹。
むしろ、いまと余り変わらない気がするとリィンは思う。
シャロンがどう思っているのかは知らないが、傍から見ればそんなものだ。
「ですが、わたくしはアリサお嬢様を……」
裏切っている、と言いたいのだろうが、それは少し違うとリィンは感じていた。
シャロンは償いのつもりなのだろうが、イリーナやアリサに向けている想いが偽り≠セとは思わない。
はっきりと一つだけ言えることは、アリサはシャロンのことを家族と同じように大切に想っている。
いや、アリサにとってシャロンは既に家族の一員≠ノなっていると言ってもいい。
そして、シャロンも――
「悩むってことは、アリサに嫌われたくないってことだろ?」
そう話すリィンにシャロンは目を丸くする。
九年前と言えば、まだアリサは十歳だ。アリサにだけ真実を伝えなかったのは、様々な事情があるのかもしれない。
しかし、いまもこうして悩みを抱えていると言うことは、結局のところはアリサに嫌われたくないから話せずにいると思うのが自然だ。
もう、その時点で答えは出ているようなものだが、本気で気付いていなかったと言った反応のシャロンにリィンは呆れる。
「俺にこんな話をしたのは、アリサに伝える勇気がなかったからだろ?」
「それは……」
リィンの言葉を否定できずに、戸惑いと困惑の色を瞳に滲ませるシャロン。
自分の気持ちを理解していなかった。いや、考えないようにしていたと言ったところだろうか?
「俺からアリサに真実を伝えさせて、お前はどうするつもりだったんだ?」
ローゼリアといい、シャロンといい、厄介事ばかり持ってくるとリィンは呆れながら尋ねる。
身内に弱いという点ではリィンも他人のことを余り強くは言えないが、そういうことは当人同士で解決してくれと言うのが本音だった。
大体シャロンの考えていることなど察しがつく。
フランツが生きているとわかれば、自ずと九年前の事件の真相にアリサは辿り着く。
だからリィンに真実を伝え、その前にアリサのもとから姿を消すつもりなのだろう。
「それに、まだ隠していることがあるだろ? さっきの話に出て来たとある人物≠チてのは、フランツ・ラインフォルトのことだな」
「……やはり、リィン様は欺けませんか」
偶然、フランツが事故の現場に居合わせたとは考え難い。
むしろ、シャロンが結社の命令で会いに行った人物というのが、フランツだと考える方が自然だ。
そう考えると、事故というのもどこまで本当のことか怪しい。
仮にシャロンがフランツを手に掛けたと言われても、リィンはまったく驚かない自信があった。
それならば、これほどまでにシャロンがアリサに負い目を感じる理由も納得が行くからだ。
「その通りです。地精の一人として結社の依頼を受け、あるものを研究していた彼を訪ねました。ですが、開発成果を巡って交渉は決裂。そして――」
死闘の果てに重症を負いながらも、フランツを殺害したのだとシャロンは答える。
「しかし、現場にはフランツ様の死体はなく、わたくしは気を失い倒れているところを会長に拾われ、命を救われました」
そして、イリーナ会長はこう言ったそうだ。
代償にラインフォルトで働きなさい。期限はあの人≠ェ戻ってくるまででいいわ。
と――
(……そういうことか)
このタイミングでシャロンが自分の前に姿を見せた理由をリィンは察する。
イリーナとの契約通りにラインフォルトを去り、シャロンの名を捨て、結社に戻るつもりでいるのだろう。
だから、その前に真実をリィンに伝えておこうとしたわけだ。
だが、
「逃げるな。これは、お前自身がケジメ≠つける問題だ」
それは自分への言い訳に過ぎないと、リィンはシャロンの甘え≠切り捨てる。
ただの契約だったのなら、本当になんとも思っていないのなら、何も告げずに黙って去れば良いだけの話だ。
なのにシャロンは今もこうして自分が去った後のことを、アリサのことを気に掛けている。
「……厳しいことを仰るのですね」
「甘えるな。すべてをなかった≠アとに出来るほど、お前の手は汚れてないと言えるのか?」
人殺しという意味では、リィンは自分もシャロンとそうやってきたことは変わらないと思っている。
だが、自分の犯した罪や責任から逃れようとしたことは一度もない。
それが戦争を生業とし、命を糧とする猟兵としての最低限の流儀だと思っているからだ。
このままアリサと向き合わず〈結社〉に戻るというのは、そうした責任から逃げることと同じだ。
悪党には悪党なりのルールがある。ケジメも自分でつけられず、他人に運命を委ねるような行為をリィンは認める訳にはいかなかった。
だから――
「……ッ! 何を……」
リィンは腰に下げたブレードライフルを抜き、その切っ先をシャロンに突きつけるのだった。
◆
「本当に分からないのか? 言ったはずだぞ。俺が責任を取る≠ニな」
シャロンがアリサを裏切るはずがない。そう信用したからこそ、リィンは同席を許したのだ。
ミュゼがシャロンの同席を黙認したのも、そんなリィンの言葉を信用したからだ。
なのに、その信頼を裏切ると言うのであれば、
「これ以上、思い悩む必要はない。俺がここで殺してやる」
リィンの髪が白く染まり、真紅の瞳から放たれた濃密な殺気が部屋を包み込む。
思わず身体が反応して、スカートのなかに隠し持っていたダガーを左手で引き抜くシャロン。
しかし距離を取って逃げることは疎か、それ以上、身体を動かすことが出来なかった。
(これが、猟兵王の名を継ぐ者……)
極度の緊張から呼吸が乱れ、シャロンの額から大粒の汗がこぼれ落ちる。
理解はしていたつもりでも、理解が足りていなかったのだと思い知らされる。
シャロンは月光木馬団に所属する暗殺者のなかでも、第二の使い手と目された実力者だ。
それだけにリィンの方が強いとわかっていても、それなりに戦える自信があったのだ。
最悪でも逃げる程度のことは出来ると――
だが、
(まさか、これほどの差があるなんて……)
勝ち筋がまったくと言って良いほど見えない。
それどころか、背を向けた瞬間に殺されるイメージしか湧かない
格の違いをまざまざと見せつけられているようだった。
その一方でリィンは、以前と比べて明らかにシャロンが弱く≠ネっていると感じていた。
迷いは剣を鈍らせる。いまのシャロンは、ノルド高原でシャーリィに敗れた時のリーシャと同じだ。
「もう少し張り合いがあると思ったんだがな。もういい」
そう口にした次の瞬間、リィンの姿がシャロンの視界から消える。
一瞬にして背中を取られ目を瞠るシャロンだったが、弧を描くようにダガーを振り抜くことで即座に反応する。
だが、鋭く突き出した左腕をあっさりとリィンに掴まれ、床に組み伏せられる。
「くッ!」
背中にのし掛かる体重に苦痛を滲ませながらも、残ったもう一方の手でシャロンは得意の鋼糸を操る。
シャロンを中心に繭状に広がった銀色の糸が、まるで意志を持つかのように伸縮し、リィンに襲い掛かる。
しかしシャロンを片手で床に押さえつけながら、リィンはブレードライフルを一閃する。
そして、
「無駄だ」
あっさりと鋼糸は斬り裂かれ、返す刃を容赦なくシャロンに振り下ろすのだった。
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