「本気なのか?」
「ええ、今回の件で腹を括ったわ。私たち≠ヘ〈暁の旅団〉に所属する」
アリサが敢えて私たち≠ニ強調したのは、シャロンを含めての発言だと言うのはリィンも察していた。
いまのアリサはラインフォルトからの出向という扱いになっている。〈暁の旅団〉のメンバーにカレイジャスの運用に必要な知識と技術を教授するのが、本来のアリサの仕事だ。だが、その役割も九割方終え、年明けにはラインフォルトとの契約も完了する予定となっていた。
契約が終わればアリサはラインフォルトに戻るか、このまま〈暁の旅団〉に残るかの選択を迫られることになる。リィンとしては、このまま団に残って欲しいと思っているが、仮に戦闘に参加しなくとも〈暁の旅団〉は猟兵団だ。仕事柄、恨みを買うことも多く、関係者と言うだけで危険が付き纏う。リィンも〈西風〉のメンバーと言うだけで、幼い時分から命を狙われたことが何度もあった。そのため、無理強いをするつもりはなかったのだ。
「覚悟は出来ているわ。それに危険だって言うのなら、ラインフォルトにいたって狙われる理由には事欠かないしね」
言われてみればそれもそうか、とリィンはアリサの言い分に一理あることを認める。
アリサは『死の商人』とも呼ばれている兵器メーカー〈RFグループ〉の一人娘だ。それだけでも命を狙われる理由には事欠かない。
下手をすれば、そこらの貴族や猟兵よりも多くの恨みを買っているはずだ。
命の危険があると言う意味では、確かにラインフォルトに戻ろうと〈暁の旅団〉に所属しようと大差はないと言えるだろう。
アリサが自分でそうと決めたのなら、リィンは反対するつもりはなかった。
本音で言えば、このままアリサには団に残って欲しいと思っていたからだ。
実際、アリサは〈暁の旅団〉からすると、咽から手が出るほどに欲しい人材だ。
母親譲りの経営手腕。そして、父や祖父から受け継いだ技術者としての知識と経験。
経営者としてはイリーナに届かず、技術者としての腕もグエン老には及ばないと言ったところだが、総合的な能力は極めて高い。
むしろ、すべてのことを平均的≠ノ高いレベル≠ナこなせることがアリサの強味だとリィンは感じていた。
技術者として見れば、既存の技術を組み合わせ、応用・発展することにアリサは長けている。
騎神の装備として開発されたアロンダイトがまさにそうだ。
あれは技術的には特別なものは使われていない。その気になれば、ラインフォルト以外の組織でも同じ物が造れるだろう。
だが、アロンダイトの性能を万全に発揮できるのは、リィンとヴァリマールだけだ。
リィンからの要請に従い、アリサがリィンのためだけに開発した武装。それが、騎神専用武装アロンダイトだった。
だから、リィンはアリサの腕を高く買っていた。本人が〈暁の旅団〉に所属したいと望むなら拒む理由はない。
しかし、
「……シャロンはいいのか?」
アリサと契約を結び直したからと言って、シャロンが〈結社〉の執行者であることに変わりはない。
能力的には申し分ないが信用の置けない相手に背中を預けるほど、リィンはお人好しではなかった。
だからこそ尋ねる。猟兵団に所属すると言う意味を本当に理解しているのか、と――
「すぐに信じて頂けるとは思っていません。ですが、わたくしの愛と献身に掛けて、二度とお嬢様を裏切るような真似はしないと誓います」
揺るぎない瞳で真っ直ぐにリィンを見詰め、そう宣言するシャロン。
表情からは昨日のような迷いは感じられない。ようやく覚悟を決めたと言うことなのだろうとリィンは察する。
それに〈結社〉の執行者には、ありとあらゆる自由が認められている。言い換えれば、それは組織を抜けるも自由と言うことだ。
実際、レンがそのような立場に現在あるが、結社の方でレンを連れ戻すと言った動きはない。レンの行動を盟主が黙認しているからだ。
そのことから仮にシャロンが執行者を辞めることになっても、結社がそれを理由に動く可能性は低いと見て良いだろう。
だが、絶対と言うことはない。ありとあらゆる自由が認められているのは、シャロンだけではないからだ。
執行者以外にも、七名で構成される〈結社〉の幹部〈蛇の使徒〉も組織の思惑だけで動いていると言う訳ではない。
ヴィータや行方知れずとなっているF・ノバルティスなどがまさにそうだ。
それにシャロンの話によると〈月光木馬団〉の幹部は他にも二名、結社に所属しているという話だった。
そうした連中がちょっかいを掛けてくる可能性がゼロとは言えない。
とはいえ、
(……これも今更な話か)
結社最強の執行者と噂されるマクバーンを始め、〈鋼の聖女〉の異名を持つアリアンロードなど、リィン自身が既に厄介な連中に目を付けられている。
生死不明の行方知れずとなっているノバルティスも、死体が出て来ていない時点で生きている可能性が高い。
そう遠くない内に、また対峙することになるだろうとリィンは覚悟を決めていた。
結社とは互いに不干渉を約束してはいるが、所詮は口約束だ。
盟主はともかく、あの一癖も二癖もある連中が律儀に約束を守ると、リィンは端から信用していなかった。
「分かった。だが、二度目はない。もし、同じ過ちを繰り返すようなら――」
リィンの放つ殺気に息を呑みながら、シャロンは小さく「はい」と頷き返す。
あの場で殺されていても文句を言えないことをしたという自覚くらいはシャロンにもあった。
リィンがシャロンを殺さなかったのは、アリサの存在があったからだ。
そう言う意味ではイリーナに続きアリサにも、シャロンは命を救われたと言うことになる。
アリサと結んだ契約に期限はない。アリサが生きている限り、契約はシャロンを縛り続けると言うことだ。
一見するとアリサに優位な契約に思えるが、一生働いても返せないだけの対価を既に受け取っているとシャロンは考えていた。
だから――
「アリサお嬢様共々、誠心誠意旦那様≠ノも尽くさせて頂きます」
メイド服のスカートの裾を持ち上げ、優雅に頭を下げるシャロン。
恩を感じているのは、リィンに対しても同じだ。だから、この言葉に嘘はなかった。
しかし、
「ちょ、シャロン!? だ、旦那様って、リィンとはまだ≠サんな――」
「フフッ、まだですか」
顔を真っ赤にして何処かで聞いたような反応をするアリサを、シャロンはからかうような声音で慈しむ。
そんな二人のやり取りを眺めながら指で頬を掻き、リィンは溜め息を漏らす。
以前にも増して騒がしくなりそうな予感を感じ取ったからだ。
(まあ、いろいろとあったが、これなら大丈夫そうだな)
だが、まだ少し強がっている様子ではあるが、少なくともアリサの落ち込んでいる顔を見ずには済んだ。
アロンダイトの件を含め、アリサには幾つか借り≠ェある。約束していたデートもイリアの所為で有耶無耶になったままだ。
それに一回のデートで借りをすべて返したと考えるほど、リィンは恩知らずではなかった。
働きには相応の対価を――それは、いつもリィンが口にしている言葉だ。
理法具の件も含めると借りを返すどころか、アリサへの借りは溜まる一方だ。
これで少しでも返せれば、とリィンは思っていた。
「……リィン」
そんなことを考えていると、いつもと違って神妙な面持ちのアリサに声を掛けられ、リィンは「どうした」と尋ねる。
「……ごめんなさい」
「なんのことだ?」
「頬を叩いたでしょ……事情も聞かないで……」
アリサの謝罪の言葉に一瞬なんのこと分からずに呆けるが、続けて発せられた言葉にそのことかとリィンは察する。
すっかり忘れていたくらいだ。リィンは特に気にしてはいなかったが、アリサはそうでもないのだろう。
自分のやってしまったことに気まずさと後悔を滲ませているのは、表情からも伝わってくる。
だからなのか?
「……気の済むようにして頂戴」
瞼を閉じ、そう言って頬を差し出すアリサを見て、リィンは困ったように頬を掻く。
そう言うつもりで、態とアリサに頬を打たれた訳ではないからだ。
それにここでアリサを打てば、確実にアルフィンやエリゼに察せられる。
後々、面倒なことになるのは目に見えていた。
だからシャロンに視線で助けを求めるも、苦笑を浮かべ首を横に振られてしまう。
(まいったな……)
気にしていないと言うのは簡単だが、それでアリサ本人が納得するかは別問題だ。
生真面目で強情なところがあるので、許すと言ってもアリサは素直に納得しないだろう。
(覚悟、か……)
微かに肩を震わせるアリサを見て、リィンは思う。
アリサの気持ちに気付かないほどリィンは鈍くない。
シャロンが何を自分に期待してアリサのもとを去ろうとしたのか?
そのことにもリィンは気付いていた。
だと言うのに、
(ケジメが必要なのは、俺も一緒か)
シャロンに覚悟を決めろと選択を迫っておきながら自分のしていることを振り返って、リィンはバツが悪そうな表情を見せる。
確かにアリサは素直じゃない。エリィと比べれば、ずっと不器用と言えるだろう。
それでも、アリサなりに精一杯の覚悟を示した結果が今回のこれだ。
いや、今回だけではない。そうしたアリサの頑張りに気付きながら、リィンは何もしなかった。してこなかった。
エリィとのことがあって他の女性と関係を持つことを躊躇っていたと言うのは確かにあるが、そんなことをエリィは望んでいない。
結局のところは問題を先送りするため、自分に言い訳をしているだけに過ぎないと言うことにリィン自身も気付いていた。
これでは、シャロンのことをとやかく言える立場にないとリィンは自嘲する。
「アリサ。うちの団に入ると言うことは、以前に聞いた質問≠フ答えだと思っていいのか?」
「……え?」
以前リィンはアリサに「その気があるならラインフォルトの名を捨てろ」と言った。
そのことをアリサは思い出し、顔を真っ赤にする。
「そ、それは……ううっ……さ、察しなさいよ」
否定も肯定もせず、ただ俯きながらそう答えるアリサ。
だが、それがアリサに出来る精一杯の返事だと言うことはリィンも察していた。
だから――
「なら、今度は俺が覚悟を見せる番だ」
「え……ッ!?」
どういうことかと尋ねようとした直後、リィンに唇を塞がれ、アリサは目を瞠る。
軽く唇が触れたかと思うと次の瞬間、口の中で舌と舌が絡み合い、ねっとりとした感触がアリサを襲う。
アリサにだけ覚悟を示させて、自分は何もしないという選択肢はリィンにはなかった。
「リィン……」
自然と自分の方から求めるように、アリサはリィンの背中に手を回す。
再び触れ合う唇。甘い吐息がアリサの口から漏れ、唇からこぼれ落ちた唾液が艶やかな糸を引く。
その情熱的な口付けに応えるように、リィンもまたアリサの唇を貪る。
「遂にアリサさんまで、リィンさんの毒牙に……」
「姫様。覗き見なんて、はしたないです」
「そう言いながら、エリゼも凝視していますよね?」
こっそりとドアの隙間から覗くアルフィンとエリゼの視線にアリサが気付いたのは、それから数分が経過してのことだった。
◆
「ううっ……シャロンが傍にいることはわかっていたのに、どうして私はあんな大胆な真似を……」
「なんて言っていいか分からないが……ご馳走様?」
フォローにすらなっていない発言に、キッとリィンを睨み付けるアリサ。
熱いベーゼの現場を見られて、アリサが羞恥に悶えるのも理解できなくはないが、リィンにも言い分はあった。
「軽い口付けのつもりだったんだが……まさか、あんなに激しく求められるとは、俺も思ってなかったからな」
「うあああああ……!」
自分のしでかしたことを思い出し、頭を抱えて身悶えるアリサ。
最初の口付けはリィンからだったが、その後はアリサから求めてきたのだ。そう言う意味では、アリサにも非がある。
いや、むしろ周囲に気付くことなくリィンとのキスに夢中になっていたアリサの方に問題があると言えなくもなかった。
実際――
「アリサさんだけ狡いですわ。エリゼも、そう思いますわよね?」
「そこで、私に話を振らないでください!」
一度目のキスで止めていれば、アルフィンとエリゼに見られることは少なくともなかったのだ。
想い、焦がれてと言ったところなのだろうが、フォローのしようがないほどに自業自得だった。
「二年待つという約束だったろ?」
「釣った魚に餌をやらないのも、どうかと思いますわ」
約束を理由に拒否しようとするも、食い下がるアルフィンにリィンは困った顔を見せる。
アルフィンの言うことにも一理あると、リィン自身も認めているからだった。
傍から見れば、女心を弄んでいるように思われても仕方がない。
問題を先送りにしているだけで、アリサやエリィ以外にもケジメをつけるべき相手は大勢いる。
そして、自分に向けられている好意に気付かないほど、リィンは鈍くなかった。
(親父のようにはならないと思ってたんだがな……)
ルトガーも女癖が悪かった。いや、正確にはルトガーを慕っている女性が、それだけ大勢いたと言うことだ。
だが、それだけに最強の猟兵≠焜vライベートでは、自分の女に頭の上がらない情けない一面を持っていた。
そんな養父の姿を見ているだけに、ああはなるまいとリィンは心に誓っていたのだ。
しかし、理想と現実は違う。そう言う意味でも、リィンは猟兵王の息子と言うことなのだろう。
(とにかく、この場をやり過ごさないと……)
拙いことになるとリィンは冷や汗を流す。
普通こういう状況になったら『誰を選ぶのか?』と選択を迫られるところだが、ここは平和な日本とは違う。家の繁栄や存続が義務の一つでもある皇族や貴族にとって一夫多妻は珍しい話ではなく、貴族でなくとも金や力を持つ者が妾の一人や二人を囲っているのは当たり前の世界だ。この世界では複数の女性を囲うことは卑下されるようなことではなく、しっかりと責任を持てるのであれば、国によっては推奨されていることだった。
というのも、街の外には危険な魔獣が徘徊している世界だ。戦争が絶えないという現状もあり、どうしても成人男性の方が死亡する割合が高いことから、どの国でも人口割合は女性の方が多い傾向にある。そうした環境で育ったことや、ほぼ全員が顔見知りと言うこともあって暗黙のルールが交わされているため、泥沼の事態に発展していないと言う訳だった。
男にとって実に都合の良い話だ。だが、それに甘えて選択を誤れば、危うい立場に置かれることをリィンは理解していた。
リィンが無類の女好きで誰彼と構わず手をだすような人物なら、アルフィンたちも黙ってはいないだろう。
だからこそ、一定の線引きが必要となる。十八歳という条件をだしたのはリィンなりのケジメでもあった。
それ故に、自分からだした条件を反故にするような真似は出来ない。どうやって、この場を収めるべきかと逡巡していたところで、
「わたくしには熱いベーゼを頂けないのでしょうか? なんでしたら、アリサお嬢様と一緒でも」
「シャロン!?」
火に油を注ぐシャロンを、リィンは「おい!」と睨み付ける。
そんななか更に顔を赤くしてシャロンに詰め寄るアリサの傍ら、アルフィンとエリゼからは何処か期待するような眼差しを向けられ、
(仕方がないか……)
リィンは観念した様子で溜め息を吐く。
アリサだけでなく、今回の件は自分の不注意でもあるとリィンは認めていた。
アルフィンやエリゼの気配には気付いていたのだ。はね除けようと思えば出来たのに、そうしなかったリィンにも責任はある。
故にリィンは――
「これで、いまは勘弁してくれ」
アルフィンとエリゼの頬に、軽く触れるような口付けをするのだった。
◆
――後日。
「アルフィンやエリゼだけ狡い」
誰からか話を聞いたフィーにキスを強請られ、リィンは兄の尊厳と格闘することになる。
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