「今日はよろしくお願いします」
道場でレイフォンの支度が終わるのを待っていると、準備万端と言った様子で腰に愛剣を提げたクルトから挨拶をされ、リィンは首を傾げる。
今日は帝国学術院で開かれる学会の日だ。このあとティオと合流して、リィンも出席する予定になっていた。
とはいえ、ヴァンダールから貴族除けの護衛兼監視役を付けられることになり、レイフォンが選ばれたはずだった。
「お前も一緒に来るのか?」
「はい。その……レイフォンだけでは不安だと……」
昨日のことを思い出し、そういうことかとリィンは得心する。
確かに監視対象を放って一人で帰ってしまう監視役では、オリエが不安に思うのも無理はない。
リィンが一人でいるところを貴族派にでも見られたら、ここぞとばかりにミュラーの責任を追及してくるだろう。
それに監視だけが理由ではなく、バカな貴族にちょっかいを掛けさせないための防波堤的な役割があった。
相手が貴族であろうとリィンが遠慮をするタイプの人間ではないことは、これまでのことでわかりきっているからだ。
「あの……何か?」
「いや、そういうところはミュラーと似てるなと思ってな」
「兄とですか?」
「ああ、オリヴァルトに振り回されて、そんな風に要らぬ苦労ばっかりしてるからな。お前の兄貴は……」
同情しての言葉だったのだが、どこか嬉しそうな表情を浮かべるクルトをリィンは訝しむ。
「……ヴァンダールの男連中は、苦労を背負い込むと喜ぶ性癖でもあるのか?」
「違います!」
変な誤解をされそうになって、クルトは慌てて否定する。
「この容姿ですからヴァンダール家の者となかなか一目でわかってもらえなくて、兄と似ていると言われるのは初めてだったので遂……」
そんなクルトの話を聞いて、オリエやレイフォンの話を思い出すリィン。
優秀な兄にコンプレックスを抱いているという話だったが、どう見てもこれは――
(……ブラコンか)
ミュラーのことを嫌って避けていると言うよりは、むしろ逆と言った感じだった。
兄や父親のことを心の底から尊敬し、慕っているのだろう。
だからこそ、ヴァンダールの一員として見て貰えないのが辛いのだとリィンは察する。
だが、それは――
「一つ、質問をしていいか?」
「えっと……はい、なんでしょうか?」
「母親のことは、どう思ってるんだ?」
「え……」
唐突に考えもしなかった質問をされ、クルトは唖然とした表情で固まる。
しかし、
「……尊敬しています。俺にとって母は剣の師であり、目標でもありますから」
すぐに立ち直って、そうリィンの質問に答える。
元々オリエはヴァンダールの傍流にあたる武門の出だ。
クルトが得意とするヴァンダールの双剣術は、そんな母親から教わったものだった。
剣の師とも言える母親のことを尊敬していないはずがない。
「なら周りになんと言われようが、必要以上に兄貴と自分を比べる必要はないだろ? 自分はヴァンダールの風御前≠フ息子だと、胸を張れば良いじゃないか」
そんな風に考えたことはなかったのか? リィンに言われて、クルトは目を丸くする。
だが、リィンの言っていることは何も間違ってはいなかった。
そもそも母親を疎んでいるのならともかく尊敬しているのなら、必要以上に自分の容姿を蔑むことはない。
オリエは超一流の剣士だ。剛剣術の使い手の中でも、オリエとまともに打ち合える者はそう多くないだろう。
「お前の母親は、俺に本気をださせた数少ない剣士の一人だ。ヴァンダールの双剣術は剛剣術に劣ってなどいない。それは俺が保証してやる」
リィンは剣士ではないが、武の世界に名を轟かせる最強クラスの猟兵だ。
その強さをクルトは少しも疑っていなかった。
実際、レイフォンと二人掛かりでも手も足もでなかったのだ。
そんな現役最強と噂される猟兵に実力を認められて嬉しくないはずがない。
母親の実力が認められたことが、自分のことのように誇らしく感じるクルト。
だが、同時に――
(僕は……間違っていたのか?)
自分の過ちにクルトは気付かされる。
兄や父のようになりたいと剣を振ってきたが、それは本当に正しかったのかと?
同じように母のことも尊敬している。クルトの青みがかった銀髪や中性的な容姿は、そんな母から受け継いだものだ。
なのに兄や父に似ていないからと言って自分の容姿を蔑むと言うことは、そんな母を貶めると言うことだ。
(リィンさんの言うとおりだ)
と自嘲したところで、ふと気付く。
「……母と手合わせしたのですか?」
「ああ、昨日ちょっとな」
リィンとオリエが手合わせをしたと聞いて驚きながらも、その場に立ち合いたかったと言った表情を滲ませるクルト。
昨日は警備のことで確認しておくことがあり、バンや他の門下生と共に帝国学術院へ出向いていたのだ。
そう言えば――と、昨晩レイフォンの様子がおかしかったことをクルトは思い出す。
「自分からも一つ、質問をしても良いですか?」
「ん? なんだ?」
「リィンさんは変身する度に強くなると聞いたのですか……」
レイフォンだな、とクルトに余計なことを吹き込んだ犯人をリィンは察する。
とはいえ、口を滑らせたのは自分なので、レイフォンだけを責めることは出来なかった。
「俺の場合は少し特殊≠ネ体質をしているからな」
「……特殊な体質ですか?」
「機会があったら見せてやるよ。それより――」
やっときたみたいだな、と口にしながらリィンは奥へと続く扉へ視線を向ける。
バタバタとした足取りが聞こえてきて、ようやくクルトも気付いた様子で扉の方を見る。
すると勢いよく扉を開け放ち、レイフォンが姿を見せた。
しかし、
「お待たせ。ごめんね、準備に時間が掛かっちゃって」
「レイフォン……その格好は……」
クルトは唖然とした顔で、レイフォンに尋ねる。
というのも、
「どう? リィンさんみたいに強くなるには、まず格好から入ろうと思って、似合ってるでしょ?」
胸もとが大きくはだけた大胆な装いの上に漆黒の外套を羽織り。
蝙蝠をイメージした髪留めに、禍々しい大剣を腰に下げたそれは――
その昔、帝国で流行った子供向けのラジオ番組のキャラクター。
魔法少女の敵役として登場する悪のヒロイン――魔界皇女≠フ衣装だった。
◆
「……随分とギリギリの到着ですね」
「悪い。本当はもう少し早くでる予定だったんだが、アリサのトラウマを刺激するような出来事があってな……」
「はい?」
時間ぎりぎりに待ち合わせ場所に現れたリィンに愚痴を溢すも、どうしてここでアリサの名前が出て来るのかとティオは首を傾げる。
「良いアイデアだと思ったんだけどな……」
まだ納得の行っていない様子のレイフォンに「あれだけは絶対に止めてくれ」と懇願するクルト。
ヴァンダール流の剣士が破廉恥な格好をして街中をウロウロしているという噂が広まれば、ヴァンダールの名は地に落ちる。
それだけは絶対に阻止しなくてはならないと、嫌がるレイフォンをクルトは強引に着替えさせたのだ。
「ユウナは一緒じゃないのか?」
待ち合わせの場所にユウナがいないことに気付き、リィンはティオに尋ねる。
いつもティオにべったりのユウナが一緒にいないことを不思議に思ったからだ。
「ユウナさんなら、ヨナを追い掛けてもらっています」
「……どういうことだ?」
「あなたがヨナを紹介して欲しいと言ったからですよ」
ヨナを紹介して欲しいとティオに頼んだことは確かだ。
しかし、それでユウナがどうしてヨナを追い掛けているのか?
要領を得ず、リィンは首を傾げる。
「最初は普通に紹介するつもりでした。ですが、あなたの名前をだした途端、顔を真っ青にして逃げ出してしまって……何をやったんですか?」
白状しろと言わんばかりにティオに睨み付けられ、そういうことかとリィンは溜め息を吐く。
リィンが異世界に行っていた時の話だが、カレイジャスがハッキングを受けたことがあったのだ。
その時の犯人が――
「……ヨナ、と言う訳ですか」
「ああ、アルティナたちに撃退されたみたいだがな」
リィンからヨナのしたことを聞いて、苦い表情を浮かべるティオ。ヨナが逃げている理由を察したからだ。
カレイジャスのシステム防壁はアリサが構築し、アルティナ率いるOZシリーズが管理しているのだ。
子猫の異名を持つ天才ハッカーのレンですら、正攻法では突破できないと降参の手を上げた強固な防壁だった。
幾ら腕が立つと言っても、ヨナ一人に突破されるほど甘くはない。
「……ヨナをどうするつもりですか?」
ヨナが悪いとはいえ、さすがに殺させる訳にはいかないとティオは覚悟を決めてリィンに尋ねる。
しかし、リィンとてエプスタイン財団を敵に回してまで、ヨナをどうこうするつもりはなかった。
「少し借り≠返してもらうだけだ。命まで奪うつもりはない。それなら良いだろ?」
「まあ、それなら……」
殺しさえしなければ、多少は仕方がないと考えていたティオはあっさり折れる。
そもそもリィンの話を聞く限りでは、完全にヨナの自業自得だ。
恐らく、いつものように好奇心を抑えきれなかったのだと思うが、今回ばかりは相手が悪すぎた。
少しくらい痛い目に遭った方が良いと言うのが、ティオの本音だった。
「例のブツ≠返して欲しかったら、大人しく捕まった方が身のためだと伝えてくれるか?」
「……例のブツですか?」
「ああ、仕返しにヨナの端末をハッキングして、保存されていたファイルを掠め取ったそうでな」
アルティナ曰く『不埒ですね』と呆れるような画像が、ヨナの端末には保存されていた。
それが表にでれば、リィンが手を下すまでもなく社会的に抹殺されるようなブツだ。
「これが、そのブツの一部だ。なかなか、よく撮れてるだろ?」
「……ちょっと、ヨナとお話≠してきます」
リィンが〈ARCUSU〉に表示した映像。
それは港湾区の広場でみっしぃに抱きつくティオの写真だった。
◆
「いててっ……ボクが何をしたってんだ」
「何をしたのか、もう一度その身体で味わってみますか?」
魔導杖の先端を向けられ、ひぃと小さな悲鳴を上げるティオと同じくらいの背格好の少年。
彼がヨナ・セイクリッド。エプスタイン財団に所属する天才エンジニアだった。
「お前がヨナだな」
「なんだよ。アンタ……人に名前を尋ねるときは自分からって、まさか!?」
「〈暁の旅団〉団長、リィン・クラウゼルだ」
再び逃げだそうとするヨナの襟首を掴み、その場に座らせるユウナ。
ティオだけでなく、ユウナの目も据わっていた。隠し撮り写真のことをティオから聞かされたためだ。
しかも、ヨナが保存していたのはティオの写真だけではない。
キーアを含む特務支援課のメンバー全員の写真が、彼の秘蔵フォルダには保存されていたのだ。
恐らくはハッキング技術を駆使し、街中に設置された監視カメラの映像などを蒐集したのだろう。
「くッ! 大体あんなの卑怯だろ。一対一なら負けないってのに寄って集って……」
「遺言はそれだけですか?」
「ちょっ、タンマタンマ! マジで死ぬからやめて!?」
ジャキン! とエーテルバスターの構えを取るティオに危険を感じて、命乞いをするヨナ。
確かに一対一ならOZシリーズに負けないハッキング技術をヨナは持っている。
だが、OZシリーズの強味は数による連携にある。
ティオのエイオンシステムと同じような並列処理を、OZシリーズは精神リンクによって可能としているのだ。
その処理速度はレンだけでなく、エイオンシステムのリミットを解放したティオすらも凌駕する。
そうと知らずに彼女たちに勝負を挑んだ時点で、ヨナに勝ち目などあるはずもなかった。
「そもそも、どうしてあんなもの≠集めていたのですか? まさか……」
ハッとした顔で自分の胸を腕で隠すティオを見て、ヨナは冗談じゃないと声を上げる。
「違うから! アンタの想像してるようなことじゃないからな! 第一、誰がそんな凹凸の分からない胸なんか――」
「殺します」
ティオの空虚な目を見て、本気だと悟ったのだろう。
鼻先に魔導杖の先端を当てられ、慌てふためくヨナ。
「ちょ、マジで洒落になってないから――ああ、もうっ! 頼まれたんだよ! 特務支援課のファンって奴から!」
「……え」
ティオの視線が自然とユウナに向けられる。
一瞬なんのことか分からずに呆けるも、すぐに自分が疑われていると気付いて誤解だと叫ぶユウナ。
「違います! 私じゃありませんから!?」
余りに必死にユウナが否定することから、ティオは取り敢えず疑惑の視線を向けるの止める。
しかし、ユウナでないとすれば一体誰が? という疑問が頭を過ぎる。
「依頼人の名前は聞いていないのですか?」
「ボクはプロだぜ。知っていたとしても教えられるもんか」
「…………」
「無言で武器を向けないでもらえますか? はい、すみません。本当に知らないんです。許してください」
急に敬語で謝り始めたヨナを見て、本当に知らないのだとティオは察する。
不気味ではあるが、実行犯のヨナが知らないとなると、これ以上は犯人を捜しようがない。
ユウナの疑いも完全に晴れた訳では無いが、一旦追求を諦めるティオ。
そして、
「ヨナの集めた画像の件ですが……」
「ああ、俺に協力してくれたら、ちゃんと元データを渡してやる」
くッと苦い顔を見せるティオ。
リィンが前に『お前にも関係のある話だ』と口にしていた言葉の意味を、いまになってティオは噛み締める。
嫌でも協力せざるを得ないと、自分の置かれている立場を理解させられたからだ。
しかし、
「……前にも言いましたが、犯罪行為には手を貸しませんよ?」
「街中でエーテルバスターをぶちかました奴がそれを言うか?」
「うっ……」
頭に血が上っていたとはいえ、ティオも街中でエーテルバスターを放ったのは失敗だったと反省していた。
幸いなことにティオがヨナ目掛けてエーテルバスターを放ったのは、学術院の敷地内だった。
そのため、学会で発表する予定でいた新型魔導杖が誤動作を起こしたと説明することで難を逃れたのだ。
しかし、敷地内の警備を担当しているのがヴァンダールの門下生だから誤魔化せたようなもので、クルトとレイフォンがいなかったら憲兵隊に突き出されているところだった。事実その二人はと言うと、いまは詰所で警備の責任者に事情を説明しているところだ。
「ティオ先輩は悪くありませんから! 悪いのは全部コイツですから!」
「――ぐえッ!」
迷惑を掛けたことを気にして肩を落とすティオにフォローを入れるユウナ。
元気づけようと必死に励ますも、ヨナの襟首を持つ手に力が入る。
そんな蛙をひき殺したような声を漏らすヨナを見て、リィンは溜め息を交えながら助け船をだす。
「良いのか? 死にそうになってるぞ」
「あ」
そうして、ようやく自分のしでかしたことにユウナは気付く。
慌てるユウナ。口から泡を吹きながら首を垂れるヨナ。
混沌とした状況を眺めながら、リィンは一抹の不安を覚えるのだった。
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