「すまないね、アルフィン。こんなことになってしまって……。少し不便を掛けると思うが……」
「いえ、この程度のことは覚悟していましたから。それよりもお兄様≠ヘわたくしたちのことは気にせず、ご自分の仕事をなさってください」
バツの悪そうな表情で申し訳なさそうに頭を下げる腹違いの兄を、そう言って励ます妹――アルフィン。
兄――オリヴァルトの気配が部屋から遠ざかっていくのを確認して、少し疲れた様子でアルフィンはソファーに身体を預ける。
そのタイミングで様子を見守っていたエリゼが、アルフィンの前に紅茶のカップを置く。
「どうぞ、姫様」
「ありがとう。エリゼ」
そうしてエリゼのいれた紅茶で、アルフィンが人心地ついていた時だった。
オリヴァルトに引き続き、また誰かが扉をノックする音が聞こえ、部屋に控えていたミレイユが確認のために外へでる。
すると、扉の前には不機嫌そうな表情のノエルが立っていた。
そんなノエルの様子を見て何があったかを察すると、苦笑を漏らしながらミレイユはノエルを部屋に招き入れる。
リィンが行方を眩ませたことで、ここにいる全員が軍の事情聴取を受けていたからだ。
先程のオリヴァルトの謝罪は、そうした意味も含んでいた。
何も知らないと言ったところで、それを鵜呑みにしてくれるほど帝国政府は甘くない。
だからクロスベルに帰ることも出来ず、こうして足止めを食らっていると言う訳だ。
とはいえ、リィンのことがあったにせよ、なかったにせよ、結果は同じだっただろう。
事実、オリヴァルトが襲撃を受けた日からずっと、ここカレル離宮≠ノ彼女たちは軟禁されているからだ。
一応、アルフィンの身の回りは彼女が連れてきた親衛隊が護衛兼世話役として固めているが、離宮の外には正規軍の兵士が配置されている。
離宮を守るためと言うよりは、ここに閉じ込めておくための口実と言ったところだろうとアルフィンたちは軍の動きを見抜いていた。
「ノエル、少しは抑えなさい。総督閣下の前よ」
「うっ……すみません」
ミレイユに窘められて、アルフィンに謝罪するノエル。とはいえ、ミレイユもノエルの憤りが理解できない訳では無かった。
さすがに自国の姫様を相手に強気にでるのは難しいようだが、その分ミレイユやノエルたちに対する風当たりは強かったからだ。
クロスベルの人々が帝国に対して余り良い感情を抱いていないように、帝国でもクロスベルのことを快く思っていない人はいる。
お互い様とはいえ、ガレリア要塞の一件もあってクロスベルに対して複雑な感情を抱いている者も少なくない。
そのため、アルフィンや『暁の旅団』との関係を持ちだして、ミレイユたちのことを『虎の威を借る狐』と蔑む者もいた。
直接的な暴力を振われるようなことはないが、その分ネチネチと上から目線でいろいろと聞かれたのだろうと察せられる。
「謝るのは、こちらの方です。申し訳ありません。不快な思いをさせてしまって」
「いえ! 総督閣下に謝って頂くようなことでは――」
頭を下げるアルフィンに、あたふたと慌てた様子を見せるノエル。
帝国に良くない感情を持っているクロスベル市民は少なくないが、それでもアルフィンのことを嫌っている人は少ない。
それはアルフィンが総督に着任してから、誠実にクロスベルの人々と向き合ってきた結果だった。
ミレイユやノエルも上からの命令で親衛隊に入ったのではない。そんなアルフィンの頑張りを知っているからこそ、彼女の力になりたいと考え、親衛隊に志願したのだ。
それが結果的にクロスベルのために繋がると信じての行動だった。
「許して頂けますか?」
「許すも何も……悪いのは総督閣下ではありませんし……」
「でしたら、一緒にお茶にしましょう。ロイドさんとの話も聞かせて頂きたいですし」
「ふえ!?」
一転して、頬を紅く染めて狼狽えるノエル。
そんな二人のやり取りを見て、本当に侮れないお姫様だとアルフィンのことをミレイユは評するのだった。
◆
皆が寝静まった夜更け過ぎ――離宮に忍び込む黒い人影があった。
見回りの衛兵に存在を悟らせることなく、真っ直ぐに目的の場所へと向かう影。
物音一つ立てずバルコニーに降り立つと、そっとアルフィン≠フ寝所へと忍び込む。
「お待ちしていました。リーシャさん」
「――ッ!?」
思わず声を漏らしそうになるほど、仮面の下に驚きの表情浮かべる侵入者。
まさか、部屋の中で待ち受けられているとは――それも、この暗闇の中で正体を察せられるとは思ってもいなかったのだろう。
リーシャ・マオ。彼女は今、仮面で素顔を隠し、黒い外套を羽織っていた。
「何故……」
「ここにはエリゼもいますし、リィンさんが何の手も打たずに帝都を離れるとは思えませんから」
質問を終える前に返ってきたアルフィンの言葉に納得すると、リーシャは観念した様子で仮面を外す。
とはいえ、
「どうして、私だと?」
納得の行く説明ではあるが、それでも相手がリーシャだと特定できた理由にはならない。
しかし、クスリと笑いながら簡単なことだとアルフィンは答える。
「現在、帝都へ来ている〈暁の旅団〉のメンバーで単独行動に優れ、リィンさんが頼りにする女性≠ヘ一人しかいませんから」
微妙に別の意味を含んだ言い回しをするアルフィンに、頬を紅く染めて「うっ……」と言葉を詰まらせるリーシャ。
適材適所だと言うのは、リーシャも理解している。リィンに頼りにされて嬉しかったのも事実だ。
しかし、それをアルフィンに見透かされているようで、居心地の悪いものを感じてのことだった。
「一度リーシャさんとは、ゆっくりとお話がしたいと思っていたのですよ」
そう言って慣れた手つきで紅茶の準備をしながら、リーシャに着席を促すアルフィン。
その様子に逃げられないと諦め、リーシャは大人しくアルフィンの誘いに乗るのだった。
◆
どうしてこんなことに――と言った戸惑いを隠せない表情で、紅茶を口にするリーシャ。
隣の部屋で寝ていたエリゼや部屋の前で寝ずの番をしていたミレイユも加わり、深夜のお茶会が開かれていた。
「リーシャさん、ミレイユさん。よかったら、こちらもどうぞ」
何とも言えない表情で顔を見合わせると二人揃って溜め息を吐き、エリゼが用意したクッキーに手を伸ばすリーシャとミレイユ。
相手がリーシャとはいえ、あっさりとアルフィンの部屋に侵入を許したことを反省する一方で、どうしてこんなことになっているのかとリーシャと同じようなことをミレイユは考えていた。
そんな二人の様子に苦笑するエリゼ。
「姫様はこういう方ですから、あれこれと考えるよりも早く慣れた方が精神的にも楽だと思いますよ」
アルフィンのことをよく知るエリゼらしい説得力のあるアドバイスに、なるほどとリーシャとミレイユは揃って頷く。
一方で親友の余りな物言いに、何か言いたげな表情を浮かべるアルフィン。
しかし敢えて口にだして反論しないのは、この手のことでエリゼと議論しても絶対に勝てないと理解しているからだった。
それどころか下手に反論をすれば、余計に面倒なことになるのが目に見えている。
そのため、話の流れを変えようと、アルフィンは誤魔化すように別の話題を振る。
「こほん。とはいえ、こうして夜遅くに集まって話をしていると、パジャマパーティーみたいでワクワクしますわね」
「姫様……また、どこでそんなことを……」
目を輝かせながら突拍子もないことを口にするアルフィンに、エリゼは呆れた表情を見せる。
そんな二人のやり取りを眺めながら、エリゼの苦労を察するリーシャとミレイユ。
「昼はノエルさんとロイドさんの話を伺いましたが、ミレイユさんもランディさんとはどうなのですか?」
他人事のように話を聞いていると、突然アルフィンから話を振られてミレイユは口に含んでいた紅茶を噴き出しそうになる。
どうしてランディとのことを知っているのかと疑問に思いながら、期待に胸を膨らませて返答を待つアルフィンに溜め息を吐くミレイユ。
「時々、連絡は取り合っていますけど……それ以上は別に……」
誤魔化すよりは正直に答えた方が害は少ないと考え、そう説明するミレイユ。
実際アルフィンが期待しているような話はなく、特に隠すような進展はなかった。
ここ最近はミレイユも警備隊の仕事が忙しかったこともあり、メールのやり取りくらいしかしていないからだ。
昔の仲間に扱かれながら頑張っていると言うことくらいしか、ランディの現状をミレイユは知らなかった。
期待していたような話が聞けないと分かってか、少し不満げな表情を見せるアルフィン。ならばと、ターゲットをリーシャに移す。
「リーシャさんは、最近リィンさんとどうなのですか?」
ミレイユのお陰で心構えは出来ていたとはいえ、やっぱり自分にも同じ質問がきたかと困った表情を見せるリーシャ。
頼みの綱のエリゼも、この件に関しては役に立たない。
気になる様子でアルフィンを止めることなく、ピクピクと耳を動かしている。
「……よくしてもらっています。そ、そんなことよりも! 私の話を聞いてください!」
――逃げた、と心の声が揃う三人。
とはいえ、同じ女性でも羨むようなプロポーションをしているリーシャだが、その実はとても純情で身持ちが堅い。
こうした話にはアリサ以上に免疫が薄く、自分から積極的に行動すると言ったことを苦手としていた。
だからこそ、分かり易い反応とも言える。
「リィンさんには、後日詳しく話を伺う必要がありそうですね」
「姫様、その時はご一緒します」
後ろめたいことは何一つしていないのだが、自分の与り知らぬところで窮地に立たされるリィン。
とはいえ、前科があるだけに信用がないのは当然だ。
普段の行いが行ないだけに自業自得と言えるだろう。
「このくらいにして本題に入りましょうか。それで、リィンさんはなんと?」
話が大きく脱線した原因はアルフィンにあるのだが、しれっとした表情でリーシャに尋ねる。
切り替えが早いというか、皇女の顔付きに戻ったアルフィンに戸惑いながらも質問に答えるリーシャ。
「私から説明するより、詳しいことは本人に聞いてください」
そう言って胸元から取り出したオーブメントをテーブルの上に置くリーシャ。
暁の旅団でも限られたメンバーしか、まだ所持していないユグドラシル搭載型の戦術オーブメントから、
『随分と遅かったな。何かあったのか?』
アルフィンやエリゼの良く知る声が響くのだった。
◆
「リィン! ただいま――って、どうかしたの?」
リーヴスの様子を確認して戻ってきてみれば、戦術オーブメントを手に微妙な表情を浮かべるリィンを見つけて、シャーリィは首を傾げる。
しかしリィンはシャーリィの疑問に答えることなく、話を逸らすように別の話題を振る。
「それより、街の様子はどうだった?」
明らかに話を逸らそうとしていることに気付くも、なんとなく事情を察した様子でシャーリィは大人しくリィンの質問に答える。
「街の外も中も兵士で一杯だった。リィンたちを捜してるんだとしたら、随分と手回しがいいね」
シャーリィの報告に考え込む仕草を見せるリィン。
確かにシャーリィの言うようにリィンたちのことを捜しているのだとすれば、随分と用意周到だ。いや、出来すぎと言っていい。
そもそもリィンたちは転位陣を使って、リーヴスの近郊へ転位したのだ。
最初からリィンたちがリーヴスへやって来ることを予想していなければ、ここまで早い対応は出来ないだろう。
ありえない話ではないが、何か他に理由があるのでは? とリィンは考える。
とはいえ、どちらにせよ街に近付くのは避けた方が良さそうだ。
仮に目的が別にあったとしても、手配書が出回っている可能性は高い。
「強行突破する?」
「お前な……」
シャーリィの提案に呆れるリィン。
出来なくはないが余計な恨みを買うことになるし、自分たちの現在位置を態々教えるようなものだ。
まだ帝国軍と本気で事を構える気がない以上、極力戦闘は避けたいと言うのがリィンの本音だった。
「取り敢えず、エマたちを呼んできてくれ。話はそれから――」
周囲の警戒に散っているエマたちをシャーリィに呼びに行かせようとした、その時だった。
何者かの気配を察知し、リィンは流れるような動作でブレードライフルを構える。
「出て来い。撃ち殺されたくなかったらな」
油断なく銃口を向けながら声を掛けるリィン。
リィンから漏れ出る殺気を感じて、冗談ではないと悟ったのだろう。
慌てて木の陰から、古ぼけたコートを羽織った眼鏡の男が姿を現す。
「待ってください! 敵ではありません!」
「やっぱり、お前か……」
予想通りと言った表情で、呆れた眼差しを眼鏡の男に向けるリィン。
銃口を向けられ、情けない表情で両手を挙げる目の前の男こそ――
星杯騎士団副長、第二位〈匣使い〉の異名を持つ守護騎士の一人。
「ロジーヌは一緒じゃないのか?」
トマス・ライサンダーだった。
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