――話は少し溯る。
「……は?」
無事に転位が完了したことを確認すると、警戒しながら周囲へ視線をやったところでリィンは固まる。
無理もない。転位先に何故か、見知った顔の三人が待ち受けていたからだ。
「どうして、お前等がここにいる?」
ノルンとシャーリィ。それにどう言う訳か、ラクシャの姿もあった。
訝しげな表情で尋ねてくるリィンに、シャーリィは「ベルから聞いた」とこれ以上ない説明を口にする。
「そういうことか……」
あちらの状況も確認しておく必要があるため、こちらの状況も逐一カレイジャスに報せている。
そのため、バルデルの件もベルに伝わっているはずだった。
恐らくは、その話を聞いたのだろうとリィンは納得する。
「で? シャーリィやノルンはともかく、なんでお前まで?」
「私に聞かないでください。無理矢理連れて来られたのですから……」
そう言って、リィンに事情を説明するラクシャ。
ラクシャの話を聞いて、哀れむような表情で「災難だったな」とリィンは言葉を返す。
そうこうしていると、
「リィン!」
「直接、会うのは久し振りだな。元気にしてたか?」
「うん」
遂に我慢できなくなったのか? リィンの胸に飛び込むノルン。
リィンに頭を撫でられ、満面の笑顔を見せるノルンを見て、先程から置いてけぼりを食らっていたエマを除く面々は目を丸くする。
特にレイフォンの驚きは大きかった。
「あの……リィンさん、その子は?」
「ああ、こいつは……」
「ノルン・クラウゼルです!」
リィンが紹介するよりも早く、レイフォンの疑問に答えるように挨拶をするノルン。
その元気一杯の愛らしい姿に、思わずレイフォンは抱きしめたい衝動に駆られる。
しかし、先程ノルンが口にした『クラウゼル』という言葉が引っ掛かり、寸前のところで踏み止まるレイフォン。
「クラウゼル? リィンさんの妹さんですか?」
リィンには妹が一人いると話を聞いてるだけに彼女のことだろうかとレイフォンは考え、質問する。
レイフォンの質問にすぐには答えず、微妙に返答に困った様子を見せるリィン。
そんなリィンの反応に嫌な予感を覚えつつもレイフォンが返事を待っていると、リィンよりも先にノルンが口を開く。
「私はリィンの娘≠セよ」
「……え?」
正確には娘みたいなものかな、と話を補足するも既にレイフォンの耳には入っていない。
その後、レイフォンの絶叫が街道に響き渡ったのは言うまでもなかった。
◆
――という騒動があったのが、一刻ほど前のことだ。
大人しく島へ帰れと言ったところで、素直に言うことを聞くシャーリィではない。
それに、ヴァリマールの力が必要になる可能性が高い以上、どのみちノルンはこちらへ呼び寄せるつもりだったのだ。
ラクシャもなんだかんだと腕は立つし、機転も利く。
どのみち人手が足りていないからと互いの持っている情報を交換し、リィンは同行を許可したのだが――
「ロジーヌが捕まった?」
トラブルは立て続けに起きるというが、まさにその通りだった。
シャーリィの報告がリィンの頭を過ぎる。街は兵士で一杯だと言っていたのだ。
しかし、教会に喧嘩を売るような真似を帝国の兵士がするとは思えない。
だとすれば、
「はい。正確には、猟兵くずれが街の人たちを人質にして立て籠もっているそうで……」
「なるほど……それで、街に兵士がいたのか」
予想通りの答えがトマスの口から返ってきて、リィンは納得した様子で頷く。
トマスが一人でここにいる理由。そして、ロジーヌの置かれている状況を察したからだ。
トマスから詳しく事情を聞いていると、そこに連絡を受けたエマたちがシャーリィと一緒に戻ってくる。
周囲の確認をして戻って来てみれば、また見知らぬ人物がいることに驚きながらも、訝しむような視線をトマスに向けるクルトとレイフォン。
そんな二人の視線に気付き、トマスは警戒を解こうと自分の方から挨拶をする。
「失礼。トマス・ライサンダーと言います。トールズ士官学院の元°ウ官で、いまはフリーの歴史学者をやっている者です」
元が頭に付くとはいえ、トールズ士官学院の教官と聞いて驚くクルトとレイフォン。
トールズ士官学院と言えば獅子心皇帝が設立し、皇家の男子も通っているという帝国で最も歴史のある学校だ。
ユーゲント三世やオリヴァルトもトールズ士官学院の卒業生で、クルトの兄ミュラーも通っていたことがある。
そんな由緒正しき学院だけに、教官も各種能力に秀でた優秀な人材が多い。
そのトールズで教鞭を執っていたと聞かされれば、二人が驚くのも無理はなかった。
「見た目に騙されるなよ。こう見えて、かなりの手練れだ」
「……そうなんですか?」
リィンの話でも、俄には信じがたいと言った表情を見せるレイフォン。クルトも同様のようだ。
とはいえ、それも仕方のない評価だろうとリィンは考える。
それほどにトマスと言う男は気配≠隠すのが上手い。
それが、この男の特徴と言っても良いくらいに自分を偽ることに長けていた。
「これでも、星杯騎士団の副長だからな」
予想もしなかったことを聞かされ、呆気に取られた様子で目を丸くし、その場に固まるクルトとレイフォン。
星杯騎士団。その名は噂程度ではあるが、二人も耳にしたことくらいはあった。
教会が保有する最高戦力。まさか、その副長が目の前の冴えない男など、トールズ士官学院の教官だったと言う話以上に信じがたい。
「あの……リィンくん? 一応、それは秘密なのですが……」
あっさりと正体を暴露されて、戸惑いを隠せない様子でリィンに抗議するトマス。
しかし、リィンはまったく悪びれない様子で肩をすくめながら答える。
「どのみちアレ≠持ってきてるんだろ? なら、嫌でも正体はバレるんだ」
早いか遅いかの違いでしかない、と言われればトマスも納得するしかなかった。
アレ……という言葉に疑問を覚えつつも、レイフォンは一つの答えに思い至る。
「もしかして、リーヴスで待ち合わせをしていた相手って……」
「ああ、こいつだ」
正確にはロジーヌの方なんだが、とレイフォンの問いに答えるリィン。
転位前に話していた意味深なローゼリアとリィンの会話を思い出し、ようやく合点が行ったという表情をクルトとレイフォンは見せる。
確かに今の状況を考えると、教会の人間が協力してくれるというのは心強い話ではあった。
「さてと……」
驚く二人を置いておいて、ロジーヌの方をどうしたものかとリィンは話を戻す。
シャーリィにも言ったことだが、出来るだけ目立つ行動は避けたい。だからと言って、ロジーヌを見捨てることも出来ない。
そもそもロジーヌをこっちに呼び寄せたのはリィンなのだ。
そうである以上、責任の一端は自分にあるとリィンは考えていた。
(俺やシャーリィはダメだな。ロゼはともかくエマも顔が知れ渡ってるし、クルトやレイフォンも厳しいか)
しかし、リィンたちは顔を覚えられているし、正面から街の中へ入るのは難しい。
クルトやレイフォンも手配書が回っていると考えて行動した方がいいだろう。
先を急いでいるだけに事件が解決するまで待つというのも、出来れば勘弁願いたいところだ。
となると――
「ラクシャ」
「……はい?」
「ノルンと二人で行ってくれるか?」
リィンの頼みに、ラクシャは目を瞬かせるのだった。
◆
「リィンさんを疑うわけじゃありませんけど、本当にあの二人だけで大丈夫なんですか?」
少し不安そうな表情で、そう尋ねるレイフォン。
どこからどう見ても貴族のお嬢様と言った感じのラクシャに、子供にしか見えないノルン。
リーヴスへの潜入という危険な仕事を、あの二人に任せて大丈夫なのかと心配になるのは無理もなかった。
しかし、
「大丈夫だ。ああ見えて、ラクシャはお前たちより強いぞ?」
『え?』
レイフォンだけでなくクルトもリィンの言葉に驚きの声を漏らす。
得物の違いはあるが、剣術の腕はほぼ大差ないだろう。
しかし少なくともクルトとレイフォンより、実戦経験の豊富さと言う面ではラクシャに軍配が上がる。
いまのクルトとレイフォンでは、命懸けの戦いになった場合、ラクシャに勝つのは難しいだろうとリィンは見立てていた。
「それにノルンは戦闘タイプではないが、特殊な力が使えるからな。今回のようなケースには、エマやロゼよりも向いている」
そんなリィンの話に苦笑するエマ。一方で、ローゼリアは特に何も言わずフンと鼻を鳴らす。
そのくらいのことは自分も出来ると反論したいのだろうが、ノルンの方が今回の件には打って付けだというリィンの言葉には納得していたからだ。
転位で追ってきたのではなく転位先で待ち受けていたのは、ノルンの能力≠ノよるものだとローゼリアは見抜いていた。
嘗ては因果律を左右し、歴史を改変するほどの力を行使することが出来たと言われる零の巫女。
いまのノルンにはそこまでの力はないが、近い未来を見通し、因果を手繰り寄せる程度のことは出来る。
魔女も未来を占う程度のことは出来るが、ノルンほどの精度で未来を予知することは不可能だ。
それも自分にとって都合の良い。有利な因果を手繰り寄せる力など、人間には不可能な神の領域と言っていい。
制限は当然あるのだろうが、それでも宝くじなどを買えば百発百中で当たりを引けるような力をノルンは持っていると言うことになる。
そのため、怪しまれずに街の中へ入るには、ノルンの力は打って付けと言う訳だった。
「暁の旅団って、皆さんそんな力を持ってるんですか?」
「大なり小なり、一芸に秀でてる奴は多いな」
リィンのその言葉に、改めて〈暁の旅団〉が帝国や共和国からも一目置かれている理由をレイフォンは再確認する。
普通そんな話を聞かされれば、団に入るのを諦めるか、本当に自分はやっていけるのかと不安に思うところだが――
「私だって……絶対にリィンさんに認めさせてみせますから!」
逆に火のついた様子で決意を口にするレイフォンに、リィンは苦笑を浮かべるのだった。
◆
「こんなにも、あっさりと街の中へ入れるなんて……」
街の入り口にいた兵士に姉妹で旅をしていると説明すると、あっさりと街の中へ入れたのだ。
いろいろと心配していただけに肩の力が抜けた様子で、ラクシャは溜め息を溢す。
はっきりと言えば、パスポートの提示などを求められたら、そこで危なかった。
余りに都合良く物事が進み過ぎている。それに――
「普通に言葉が通じるのですね」
今更なことを呟くラクシャに、ノルンは呆れた様子で苦笑する。
クロスベルでも普通にしていたから、とっくにそういうものだと納得していると思っていたからだ。
「加護が働いているからね」
「……加護ですか?」
「うん。リィンや私。それにイオとクイナもそうだけど、世界のルールに縛られない存在だから」
その近くにいる人たちも加護を得ているのだと、ノルンはラクシャの疑問に答える。
盟約のように不老不死になると言ったことはないが、加護を得た者には少しばかりの特典≠ェある。
鍛練や実戦などで得られる経験値に補正が付くと言った程度のものだが、そのなかにラクシャの疑問を解決する答えがあった。
「言葉って言うのは、その世界の理≠フ一部だからね」
世界の外側に身を置く神々が、言葉に縛られないのは不思議な話ではない。
それに様々な文字が存在するのに、ここゼムリア大陸では国によって言葉が通じないということはない。
それは、この世界を造った〈空の女神〉がそういう風にルールを定めたからだとノルンは説明する。
これはセイレン島も同じだ。大地神マイアの力で満たされているあの島では、加護の有無に関係なく言葉の壁は存在しなかった。
「なるほど……」
ノルンの説明に納得しつつも、微妙に複雑な表情を見せるラクシャ。
改めて、目の前の少女も神≠ニ呼称される存在なのだと、再確認してのことだった。
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