アッシュがハーキュリーズに捕らえられて凡そ四日。
銀鯨と取り決めた作戦の決行日時まで残り一日と迫った頃――
アリサから連絡を受けたリィンはマヤとジョゼフの二人を伴い、ラクウェル郊外の古い集積場を訪れていた。
街の再開発が盛んだった頃、貨物列車を引き込むために作られた場所だ。
現在はフェンスで覆われた広場の入り口で、一人で到着を待っていたと思われるアリサにリィンは声を掛ける。
「待たせたな。お前、一人か?」
「ええ。例の作戦、明日なんでしょ? だから皆には悪いけど、急ピッチで準備を進めてもらっているところよ」
そういうことかと納得するも、ならどうしてアリサはここにいるのかと言った疑問がリィンの頭を過る。
作戦のための準備と言うのであれば、むしろアリサが不在の方が問題があるだろうと考えたからだ。
とはいえ、アリサの態度や仕草を見て、その理由を察せられないほどリィンは朴念仁ではなかった。
「心配を掛けたな。そっちも元気そうでよかった」
「ええ、リィンも……本当によかった」
正面から体温を確かめるように、ギュッとリィンの背中に手を回すアリサ。
リィンが強いことは知っているが、少しも心配にならないと言えば嘘になる。
通信で連絡を取り合っていたとはいえ、出来ることなら会って互いの無事を確認したい。ずっと、そんな風に思っていたのだ。
シャロンだけでなくフィーもこの場にいないのは、アリサがずっと元気がなかったことを察していたからだ。
両親の件もあって色々と心に溜め込んでいるのを知っていたため、今回だけはとフィーもアリサに譲ることにしたのだろう。
「そこの二人が通信で言ってた?」
「ああ、新しく団に入ったジョゼフと、娘のマヤだ」
リィンのことだから、てっきりまた新しい女を捕まえたのではないかと思っていただけに、ジョゼフを見て驚くアリサ。
しかしマヤへと視線を向けると、やっぱりと言った表情を見せる。
「……また妙な誤解をしてないか?」
「別に。リィンが気に入った子≠団に引き込むのは、いまに始まったことじゃないから全然気にしてないわよ」
アリサに棘のある言い方をされ、やっぱり誤解しているじゃないかと溜め息を溢すリィン。
とはいえ、アリサも本気で怒っている訳ではなかった。
自分もその一人だと言うのも理由の一つにあるが、少なくともリィンの人を見る目は信じているからだ。
親子揃ってスカウトしたと言うことは、リィンが認める何かが二人にはあるのだと考えたからでもあった。
「アリサ・ラインフォルトよ。団の技術顧問をしているわ」
そう言って自己紹介をしてくるアリサに、緊張を滲ませながら父親と共に挨拶を返すマヤ。
互いに自己紹介を交わし、少し落ち着いたところで――
ふとアリサが名乗った『ラインフォルト』の名が気になり、マヤはそのことを尋ねる。
「ラインフォルトって、まさかあの?」
「ええ、あなたの考えているラインフォルトで間違いないわ」
マヤからの質問に、やっぱりそこが気になるわよねと溜め息を吐くアリサ。
帝国の人間であれば、ラインフォルトの名前を聞いてピンと来ない者はまずいないからだ。
実際こういう質問をされるのが嫌で、士官学院に通い始めた当初は名字を伏せていたことがあったくらいだった。
だが、結局それは家から――母親から逃げているだけだと気付き、堂々と名前を名乗るようになったのだ。
しかし、そんなアリサの反応から自分が地雷を踏んでしまったのだと考え、マヤは謝罪する。
「すみません。不躾な質問をしてしまったみたいで……」
「気にしないで。私があの人たちの娘なのは、本当のことだしね」
ラインフォルトグループの会長、イリーナ・ラインフォルト。
そして〈黒の工房〉の工房長にして地精の長、フランツ・ルーグマン。
いまは『黒のアルベリヒ』とも名乗っているが、彼が事故で亡くなったはずの父親であることは間違いないと、これまでに集めた情報や母親の反応からアリサは確信していた。
その二人の娘であることは、今更変えようのない事実だ。
なら自分は家族から逃げるのではなく、ちゃんと向き合わなければならないとアリサは考えていた。
だから、名を偽ることをやめたのだ。それに――
「いろいろとあったのは確かだけど、いまは新しい家族も出来たしね」
暁の旅団に入ったことを、アリサは少しも後悔していなかった。
猟兵団の仲間のことを『家族』と呼び、固い絆と信頼で結ばれた彼等のことを以前から羨ましく思っていたからだ。
血の繋がりなどなくても互いを尊重し、認め合う気持ちがあれば家族になれるのだとリィンは証明してくれた。
だから両親と向き合う覚悟を決めることが出来たのだ。
そんな彼等の一員となれたことを、アリサは誇らしく思っていた。
しかし、
「新しい家族って……もしかして、お腹にリィンさんの赤ちゃんが?」
「ぶ――ッ! ちがっ! 違うから! リィンとは、まだそこまで――」
マヤにとんでもない誤解をされ、聞いてもいないことを自分から説明もとい暴露するアリサ。
テンパって自爆するアリサを眺めながら、こんな感じだけど仲良くやってくれとリィンはジョゼフの肩を叩くのであった。
◆
「こいつが話に聞いてたデアフリンガー号か」
ラクウェルの郊外に停車した銀色の列車を眺めながら、感心した声を漏らすリィン。
「だが、ルーレからよくここまで臨検も受けずに来られたな?」
デアフリンガー号を運用するようになった経緯は聞いているが、飛行船と違い列車は決まったルートを進む以外に道はない。
線路を封鎖されれば、当然のことながら動くことは出来ない。
よく邪魔が入らなかったものだと、リィンが疑問に思うのは当然だった。
「TMPの動きは把握していますし、軍の内部に協力者もいますから」
「ああ、そう言えば、お前も一緒だったか……」
振り向かずに声の主に察しを付けると、そう言うことかと納得するリィン。
リィンの後ろに立っていたのは、いつもの灰色の軍服ではなく私服に身を包んだクレア・リーヴェルト元少佐だった。
軍を退役した今は頭に『元』が付くとはいえ、それでも軍関係者のなかには未だクレアのことを慕っている者は多い。
そもそも内戦の後、大きな混乱もなく騒動を収めることが出来たのは、彼女の手腕によるところが大きかったからだ。
「それに彼等も一枚岩と言う訳ではありませんから」
その上、いまの帝国は皇族派、貴族派、革新派の三つに分かれ、とてもではないが一枚岩とは言い難い状況にある。
貴族派と革新派が手を結んだという情報もあるが、それでも――いや、だからこそ付け入る隙は少なくないとクレアは考えていた。
考え方の違う二つの派閥が、皇族派に対抗するためとはいえ手を結ぼうと言うのだ。
隙あらば互いのことを利用しようと企んでいるような関係で、息の合った連携が取れるはずもない。
「第一、相応の理由がなければ侯爵家の紋章が入った列車を臨検なんて出来るはずもないわよ。いまの鉄道憲兵隊はそれでなくても権限を制限されているのでしょ?」
そう補足を入れるように尋ねてくるアリサに、クレアは小さく苦笑しながら頷く。
鉄道憲兵隊を創設したのは、ギリアス・オズボーンだ。故に彼が反逆者として裁かれた後、鉄道憲兵隊もその影響を受けて権限を大きく縮小していた。
とはいえ、完全になくしてしまえば治安の悪化を招き、国民の生活に少なくない影響を与えることなる。
帝国全土に広がる鉄道網を鉄道憲兵隊抜きで管理できるかというと、それは不可能と言っていいからだ。
そんな訳で、いまの鉄道憲兵隊は以前のような絶対的な権力を持ち合わせていない。貴族の専用列車を臨検できるような権限は彼等にはないと言うことだ。
同じことは領邦軍にも言える。中央の政治家以上に、貴族はしがらみが多い。
デアフリンガー号を他家の領邦軍が臨検すると言うことは、ログナー侯爵家に喧嘩を売るも同じだ。
基本的に貴族間の争いは避けるのが暗黙の了解。藪をつついて蛇を出すような真似を態々する貴族がいるはずもなかった。
「ログナー候には感謝しないとな」
「ええ、それと皇女殿下にもね」
どうして、そこでアルフィンの名前が出て来るのかと首を傾げるリィンにアリサは説明する。
「皇女殿下が事前に、ログナー候へ話を通しておいてくれたらしいわ」
「アルフィンが?」
「ええ、開発が中断していたデアフリンガー号を買い上げるように、ログナー候へ根回しをしたのも皇女殿下みたいね」
自分が直接動けば貴族たちを警戒させることから、間にログナー候を挟んだのだろうとアリサは話す。
ということは、文字通りデアフリンガー号は内戦時のカレイジャスのような立場にあると言うことだ。
ログナー侯爵家並びアルノール皇家の庇護を受けているとなると、確かに手をだすのは難しい。
万が一に備え、リィンたちが帝国内で自由に動けるようにと、随分と前から準備を整えていたのだろう。
「それだけを聞くと、凄いやり手に聞こえるんだけどな……」
普段のアルフィンを知るだけに、なんとも言えない表情を浮かべるリィン。
あれで一応やり手なのは理解しているが、そのギャップは如何ともしがたかったからだ。
アリサもアルフィンとは付き合いがあるだけに、その辺りは理解しているのか?
敢えて、否定も肯定もせずに苦笑だけを返す。
「外から声が聞こえると思ったら、そんなところで立ち話をしてないで入ってきたらどうですか?」
そう言って三人の話に割って入るように、車両の中から顔を覗かせたのはティオだった。
事前に連絡はあったのに、いつまでもリィンがやって来ないから気になって様子を見に来たのだろう。
てっきり三人だけかと思っていたらマヤとジョゼフに気付き、ティオは二人のことをリィンに尋ねる。
「新入りさんですか?」
「ああ、顔見せを兼ねて連れてきた。それに明日の作戦に参加させるつもりだからな。二人とも、かなり凄腕のスナイパーだ」
リィンがこんな風に手放しに褒める相手と言うのは余り聞いたことがないため、感心するティオ。
「えっと……そんな風に持ち上げられると、さすがに期待が重いのですが……」
「俺も十年以上のブランクがあるしな……」
とはいえ、当人たちにしてみれば、かなり重い期待と言えた。
腕が立つと言ってもマヤはまだまだ経験不足なところがあるし、父親のジョゼフも実戦から遠ざかって久しい。
リィンの期待に応えられるかどうかと言った不安が、少なからず二人にはあった。
しかし、
「〈閃撃〉に勝るとも劣らない名スナイパーが、嘗て帝国軍にもいたという話を耳にしたことがあります」
それがジョゼフだと確信した様子で、クレアはフォローを入れる。
クレアが軍に入ったのは、ジョゼフが退役してからのことだ。
まさか自分のことを知られていると思っていなかったジョゼフは驚きつつも、誤魔化すように「昔のことだ」と頬を掻く。
「父はそんなに凄いスナイパーだったのですか?」
「ええ、そう聞いています。ベアトリクス教官も懐かしむように話していましたから」
「……ベアトリクス教官ですか?」
聞き覚えのない名前を耳にして、首を傾げながら尋ね返すマヤ。
「帝国正規軍の元大佐で、いまはトールズ士官学院で保険医をしている婆さんだ。〈死人返し〉の異名くらいは耳にしたことがあるんじゃないか?」
リィンの口から返ってきた説明に目を瞠るマヤ。
死人返しの名前は狙撃手を生業とする者であれば、一度は耳にしたことがあるくらい有名なものだったからだ。
軍にいた頃のベアトリクスは、死者すら蘇らせると噂されるほど高度な医術の腕を持つ一方で、狙撃の名手でもあった。
敵味方問わず戦場で世話になったことがある者も少なくないため、ある意味で〈閃撃〉の異名を持つガレスよりも有名な人物だ。
自分の父親が、そんな人物に認められるほどのスナイパーだったとは思ってもいなかったのだろう。
マヤは驚きの表情をジョゼフに向ける。
そんなクレアたちの話を聞いていたティオは――
「なるほど。確かに期待の新人みたいですね」
リィンが手放しに褒めるのも頷けると納得するのであった。
◆
「……で、明日のことを相談するために俺はここへ来たんだが?」
なんでこんなことになっている、と言った視線をアリサに向けるリィン。
バツの悪そうな顔でそっと視線を逸らすアリサを見て、敢えてこのこと≠伝えなかったのだとリィンは察する。
というのも――
「フンッ、態々出向いてやったと言うのに」
「いや、別に俺は頼んでないんだが……」
「頼んでないだと? 〈赤い顎〉の改造を私に依頼しておいて、随分とご挨拶≠セな」
シュミット博士がデアフリンガー号に同乗していたからだ。
どういうことだとリィンが再びアリサに視線を向けると、アリサはフィーに視線を向ける。
珍しく困った顔を浮かべるフィーを見て、それだけで大凡何があったかを察するリィン。
「ああ、悪かった。うちの団員が世話になったみたいだな」
「分かればいい。それに礼は不要だ。私は自分の研究にしか興味はないのでな」
その話からシュミット博士がデアフリンガー号に乗っている理由を察し、リィンは確認を取るように尋ねる。
「〈赤い顎〉の性能を自分の目で確かめるためか?」
「それもある。だが、私の最大の興味はリィン・クラウゼル――〈灰の起動者〉にある」
そっちが目的かとシュミット博士の目的を理解し、溜め息を溢すリィン。
敢えて〈灰の起動者〉と言い直したと言うことは、シュミット博士の興味はリィン自身ではなくヴァリマールにあると考えて良かったからだ。
確かに科学者からすれば、騎神は興味深い研究対象だろう。
それに、シュミット博士は機甲兵の設計を手掛けた人物と言うことになっている。
気にするのは当然かと納得してのことだった。
「言っておくが、爺さんの道楽≠ノ付き合うつもりはないぞ?」
「構わん。だが、私も好きにやらせてもらう。その程度の対価≠ヘ支払ったつもりだ」
赤い顎の改造の件を言っているのだとリィンは理解する。
それに一度こうと決めたら絶対に考えを変えないであろうことは、その頑なな態度からも容易に察せられた。
導力技術の生みの親、エプスタイン博士の三高弟の一人。アリサの祖父とは古い友人という話だが、
(確かに変わり者だな。グエン老の旧友だけのことはある)
一緒にするなとグエンが聞けば怒りそうなことを考えながら、リィンは説得を諦めるのであった。
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