明日に控えた作戦のためにマヤとジョゼフをデアフリンガー号に残し、リィンは一人でラクウェルの街へと戻ってきていた。
そこに――
「――兄上!」
尻尾のように後ろで束ねられた髪を揺らしながら、リィンのもとへ駆け寄るラウラ。
アリサから連絡を貰い、街の入り口でリィンが到着するのをずっと待っていたのだろう。
なんか犬みたいだなと思いつつもそれを口にだすことはなく、リィンは言葉を返す。
「話には聞いていたが、かなり腕を上げたみたいだな」
「うっ……認めて頂けるのは嬉しいのですが、まだまだです。フィーにも、また差を付けられてしまいましたし……」
てっきり喜ぶかと思いきや、沈んだ表情を見せるラウラ。
そんな彼女を見て、そういうことかとリィンは大凡の事情を察する。
光の剣匠との修行でラウラは確かにレベルアップしているが、フィーもその間ずっと実戦に身を投じていたのだ。
差が埋まるどころか広がっていたとしても不思議な話ではない。
(剣の腕は、間違いなく超一流なんだがな)
純粋に剣の技量では、ラウラの方がフィーよりも上だ。それどころか、リィンも剣術の試合ではラウラに勝つのは難しいだろう。
だが実戦であれば、間違いなくフィーやリィンが勝つ。ラウラに足りていないものは明らかだった。
そのことはラウラ自身も理解しているのだろう。
だからフィーから団に誘われ、答えを保留にしているのだとリィンは察する。
「ラウラ。お前が目指す強さ≠ニはなんだ?」
考えてもいなかったことをリィンに尋ねられ、目を丸くするラウラ。
強くなりたい。少しでもフィーとの差を埋めたいと考えてはいたが、そんなことは考えたこともなかったのだろう。
だが、リィンがルトガーの背中を見て強さを追い求めたように、ラウラにも切っ掛けがあったはずだ。
そうでなければ厳しい鍛練に耐えられるはずもなく、奥義を伝授されるまでに至ることはなかっただろう。
そうまでして強さを思い求める理由が、きっと彼女にもあるはずだ。
「うちの団に入るというのなら歓迎する。だが、その前にもう一度、自分自身と向き合ってみろ」
◆
「アンタ、意外と教官に向いてるんじゃない?」
「まあ、飲んだくれの教官よりかはマシだろうな」
ラウラとのやり取りを、こっそりと眺めていたのだろう。
顔を合わせるなり冷やかしてくるサラに、きつい一言を返すリィン。
何も言い返せずにいるあたり、その程度の自覚は彼女にもあるのだと察せられる。
「フフッ、サラ様の負けですね。リィン様……いえ、旦那様≠ニお呼びした方がよろしいですか?」
「リィンでいい。お前も相変わらずだな」
リィンの反応を見て、思っていたような進展はなかったようだと察したシャロンは頬に手を当てながら溜め息を吐く。
しかしリィンの方も、アリサと二人きりにするためにシャロンがサラたちを連れ出したことに最初から気付いていたのだ。
態々シャロンの悪巧みに乗ってやるつもりはなかった。
「エリィ様になさったように、一気に押し倒してくださってもよろしいのですよ?」
「お前、一応はアリサのメイドだろ……」
主人を売るようなことを、あっさりと口にするシャロンにリィンは呆れる。
「メイドだからこそです。お嬢様の幸せを願うのは、メイドとして当然のことですから」
しかし、そう言われれば、これ以上はリィンも何も言えなかった。
アリサの性格を一番よく理解しているのはシャロンだ。
少なくともアリサの方からそう言ったアプローチを仕掛けられるかと言えば、まず無理だと断言できる。
だからこそ多少強引であったとしても、リィンの方がリードをすべきだとシャロンは主張しているのだろう。
「地精の件が片付いたら、ちゃんと責任は取るつもりだ」
「……絶対ですよ? 言質は取りましたからね?」
有無を言わせないシャロンの微笑みに、観念した様子でリィンは頷く。
リィンも本当のところは、アリサに対してどのような行動を取るべきか、答えはだしているのだ。
しかし少なくとも地精の件が――アルベリヒとの決着が付くまでは、アリサとのことは保留することにしていた。
それどころではないと言うのも理由にあるが、アリサ自身にも家族と向き合う時間が必要だと考えてのことだ。
とはいえ、周りの目には、そんなリィンとアリサの距離感が焦れったく映るのだろう。
シャロンにしても、むしろこんな時だからこそ、リィンにはアリサの傍にいて欲しいと本心では考えていた。
リィンにも立場と事情があることを理解しているので、それを口にだしたりはしないのだが――
「相変わらずの色男ね。いつか刺されるわよ。アンタ……」
サラのツッコミに、余計なお世話だと返すリィン。
そこにタイミングを窺っていたガイウスが割って入る。
「ご無沙汰しています」
「ガイウスか。遊撃士も板に付いてきたみたいだな。……まあ、サラのお守りをしてたら成長もするか」
「はは……」
「ちょっと!? 少しは否定しなさいよ!」
リィンの話を否定も肯定もしないガイウスに、不満を漏らすサラ。
しかし教官時代のサラの勤務態度は、お世辞にも生徒の見本になるものとは言えなかった。
反面教師と言う意味では、生徒たちの参考になっていたことは間違いないのだが……。
何れにせよ、ガイウスの反応からもサラが教え子たちにどう言う目で見られていたか、察せられるというものだ。
「リィンさん。少しよろしいですか?」
「クレアか。ちょっと待ってくれるか? どうせ、カレイジャスの件だろ?」
「え……はい」
クレアに話し掛けられるも、どうせならまとめて済ませてしまおうと一旦話を止めるリィン。
リィンの考えを察してか、シャロンは小さく頷くとガイウスとラウラに声を掛ける。
「ガイウス様、ラウラ様。デアフリンガー号まで荷物を運ぶのを手伝って頂けますか?」
街の入り口に停められた導力バイクには、街で買い揃えた日用品が積み込まれていた。
それとなく話の意図を察したガイウスとラウラはシャロンの言葉に頷き、帰り支度を始める。
それを見届けたリィンは――
「クレア、サラ。二人は俺に付き合ってくれるか? 話しておきたいことがある」
クレアとサラの二人を、そう言って〈ノイエ・ブラン〉へ招待するのだった。
◆
クレアとサラの二人だけをリィンが引き留めたのは、明日の作戦を前に伝えておきたいことがあったからだ。
「そうですか。ミリアムちゃんが……」
レンとキーアを誘拐した犯人がミリアムだと聞かされ、クレアは半ば予想していたとばかりに嘆息する。
ミリアムが任務の途中で消息を絶ったとの情報を得てから、最悪の事態を常に想定していたからだ。
後から判明したことだが、艦内のカメラを解析した結果、ミリアムの姿が映っていたらしい。
レンやキーアと接触したところも映像には残されていたが、そこで二度目の爆発が起こり、映像は途切れていた。
「誘拐されたって……こんなところで、のんびりしてていいの?」
「他人の店で、タダ酒を飲んでる奴に言われたくはないな」
あの後アリサからも同じようなことを言われたが、サラだけには言われたくないとリィンは反論する。
話があるとは言ったが、酒を奢るとは一言も約束していないからだ。
しかも、ここぞとばかりに普段は飲めない高い酒ばかりをテーブルに並べているサラを見て、リィンが呆れるのは当然であった。
「何処に連れ去られたのか分からない以上、いまは待つしかない。それに抵抗らしい抵抗もせず自分からついていったみたいだしな」
「……それって、脅されていたとか?」
「その可能性はあるが、あの二人のことだ。何か考えがあってのことだろう」
脅されたからと言って素直に従うような二人ではないと、リィンはサラの疑問に答える。
特にキーアはともかく、レンは元執行者だ。汚いやり口には慣れているはずだ。
心配をしていない訳ではないが、同じだけレンの実力をリィンは信頼していた。
「リィンさん、明日の作戦のことは……」
「そっちは予定通り行なう。ハーキュリーズが〈黒の工房〉と繋がっているのだとすれば、何か手掛かりを得られるかもしれないしな」
「……黒の工房と? それは確かなのですか?」
「確信がある訳ではないが、どうにもタイミングが良すぎる気がしてな」
クレアが何かを言い切る前にリィンは先手を打つ。
大方、明日のことは自分たちに任せて、リィンはクロスベルへ戻るようにと説得するつもりでいたのだろう。
しかし、リィンをクロスベルへ戻すためにアルベリヒが仕掛けた罠という可能性も残されている。
何より襲撃者の中にマクバーンがまじっていたと言う話が、リィンは気になっていた。
リーヴスでもカンパネルラやデュバリィたちが暗躍していたが、今回の件はあの時と大きく状況が異なる。
少なくとも彼等にリィンたちと事を構える気がなかったことは、ギルバートの供述からも明らかとなっているからだ。
しかし、マクバーンはカレイジャスの襲撃に加担した。それは〈暁の旅団〉に対する宣戦布告と言っていい。
「それに襲撃者のなかにマクバーンがまざっていたという話が気になってな」
「……結社が地精と手を組んだと言うことでしょうか?」
「さてな。無関係だとは思わないが、アイツとは少しばかり因縁もあるからな」
盟主の名の下に、執行者には自由が許されている。
その範囲の行動と捉えれば、カレイジャスの襲撃に〈結社〉が直接関与していない可能性は十分にある。
まったくの無関係と考えるほどリィンはお人好しではないが、相手がマクバーンと言うことで私怨の可能性が高いと考えていた。
魔煌城の一件でマクバーンのプライドを大きく傷つけ、恨みを買っている自覚はリィンにもあるからだ。
「アンタって、いろんなところで恨みを買ってるわよね」
「お前だって、人のことは言えないだろ」
ツッコミを入れてくるサラに反論し、睨み返すリィン。
考え方や立場の違いから遊撃士と猟兵の仲が悪いと言うのはよく耳にすることではあるが、この二人は特に馬が合わなかった。
まさに犬猿の仲と言っていい。しかし、そんな二人を見て――
「相変わらず、お二人は仲が良いですね」
『どこが!?』
妙な誤解をするクレアに、リィンとサラは声を揃えて反論するのであった。
◆
「取り敢えず、お前を呼んだのはガキども≠フ面倒を任せたかったからだ」
「え? 聞いてないわよ? なんでアタシがそんなことを……」
「アッシュとは顔見知りなんだろ?」
「それはそうだけど……何をさせるつもりよ?」
「お前等にとっても悪い話じゃない。この街にギルドの支部を起ち上げて欲しい」
そう言って、リィンは一冊のファイルをサラに手渡す。
そこに挟まれていたのは、遊撃士協会に宛てた街の有力者たちの署名入りの要請書だった。
しかもご丁寧に、すぐにギルドの支部として利用できる物件まで押さえているという徹底振りだ
確かにこれがあれば、本部を説得する材料にはなる。しかし、
「……なんだって、アンタがここまでするのよ?」
支部設立のためにギルド本部との仲介を頼まれているのだと察して、サラはリィンに目的を尋ねる。
こうした根回しが苦手なサラでも、ここまでお膳立てをされればギルドに働き掛けることは難しくない。
帝国への影響力を強めるために、ギルドも積極的に協力してくれる可能性は高いだろう。
だが、リィンがアッシュたちのために、そうまでする理由がサラには分からなかった。
「親父が受けた借りを息子の俺が返すのは、おかしな話ではないだろ?」
リィンらしい回答に、なるほどねとサラは頷く。
義理堅いところも養父譲りかと納得したからだ。
案外良いところもあるじゃない、と見直すサラであったが――
「ちなみに頼みを聞いてもらえないようなら、ここの酒代は払ってもらうからな?」
「鬼! この悪魔! だからアンタのことは好きになれないのよ!?」
断るに断れない状況に追い込まれ、あっさりとリィンへの評価を覆すのであった。
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