「作戦の段取りを、もう一度確認しておくぞ」
リィンの一言から始まった作戦会議にはアリサとクレアの他、銀鯨からレオノーラも参加していた。
他のメンバーは作戦開始の合図を待って、各々の持ち場で待機している。
作戦の段取りはこうだ。レオノーラたち銀鯨が山道を封鎖し、退路を塞ぐ。
そこに陽動の部隊が突入し、迎撃に現れたハーキュリーズと交戦している間に別働隊が飛空挺を制圧。
囚われているアッシュを解放するというものだった。
「妥当な作戦だとは思うけど、そう上手く相手が乗ってくるかね?」
レオノーラの疑問は当然であった。相手は仮にも特殊部隊の精鋭たちだ。
普通に考えて、この程度のことは相手側も警戒していると思っていい。
しかし、そんなことは当然リィンも分かっていた。だから――
「陽動の部隊の指揮は俺が執る。連中の狙いは、どうやら俺みたいだからな」
自分を餌にするつもりで、リィンはこの作戦を立てていた。
リィン一人に復讐をするために、ここまでするような連中だ。
罠の可能性があると分かっていても、食いついて来ないはずがないと考えてのことだ。
「陽動に参加するメンバーは?」
「俺、レイフォン、ラクシャの三人だ。デアフリンガー号のメンバーは含まれていない」
なるほど、とレオノーラはリィンがそのメンバーを選んだ理由に納得する。
ラクウェルの街へ入ってからのリィンたちの動きは、ハーキュリーズにも知られていると思っていい。
さすがにメルカバやデアフリンガー号のことまでは知られていないだろうが、少なくともリィンと共に街へ入った人物は把握しているはずだ。
リィンは猟兵だ。そして、この街にはノイエ・ブランがある。
街の依頼を受けてリィンが動いたと考えれば不自然ではなく、相手の油断を誘うには適当なメンバーと言えた。
それにリィンが陽動のメンバーに選ぶくらいなのだから、実力の方も申し分ないのだろうとレオノーラは考える。
実際ラクシャとは面識があるが一分の隙も見当たらず、まともに戦って勝てるような相手とは思えなかったからだ。
それに――
(……ラインフォルトの令嬢に、氷の乙女。他にも有名人が揃っているみたいだしね)
レオノーラがリィンから紹介された人間は、何れも裏の仕事に携わる者であれば一度は耳にしたことがあるような有名人ばかりだった。
銀鯨と言っても、いま残っているのは実戦経験が乏しい若手の団員ばかりだ。それだけに犠牲なしにハーキュリーズを捕らえるのは、自分たちでは難しいと覚悟を決めていたのだ。
そのことを考えれば、リィンたちの手を借りられるのはレオノーラたちにとっても悪い話ではなかった。
それにリィンも言っていたことだが、今回の一件はきな臭い。特にレオノーラたちに取り引きを持ち掛けてきたクライスト商会は不審な点が多い。領邦軍に捕らえられた団長を解放するという目的は忘れていないが、真相を探るためにもレオノーラはリィンの誘いに乗ることを決めたのだ。
「アリサとクレアは、ここで全体の指揮を頼む」
リィンの言葉に揃って頷くアリサとクレア。
ノイエ・ブランのVIPルームには、密かに持ち込まれた通信機材が所狭しと置かれていた。
盗聴を警戒して、アリサが開発したユグドラシルのシステムを組み込んだものだ。
一晩でこれだけのものが用意できたのは、ティオやシュミット博士。ついでにヨナの協力によるところが大きかった。
博士にユグドラシルのことは知られてしまったが、どのみち一緒に行動をする以上は隠し続けるのは難しい。
なら口止めをした上で協力してもらった方が団にとってプラスになると、アリサがリィンに進言したのだ。
それに、あの博士のことだ。薄々ではあるが、既に勘付いている可能性は高いとリィンも考えていた。
そのため異論はなかったのだが、アリサがそんなことを言いだしたのはレンとキーアのことがあったからだとリィンは気付いていた。
「アリサ。昨日も言ったと思うが……」
「分かってるわ。でも、やれるだけのことはやっておきたいのよ」
カレイジャスが襲撃を受けたのも、レンとキーアがさらわれたのもアリサの所為ではない。
責任があるとすれば、すべて自分にあるとリィンは言ったのだが、アリサはまだ納得していないらしい。
最初の爆発で船の通信装置が破壊されたことが、連絡が遅れた最大の要因だった。しかし、もっと早くにユグドラシルの配備を進めていれば結果は変わっていたかもしれない。両親のことを後回しにしてでも、開発に専念すべきだったのではないかとアリサは自問自答していた。
だが、それは仮定の話でしかない。
アリサがクロスベルに残っていれば確かにユグドラシルの開発は進んだろうが、量産と配備が間に合ったとは限らない。
そのことはアリサも理解しているのだろうが、それだけアルティナの姉妹が利用されたことや、レンとキーアの二人がさらわれたことがショックだったのだろう。
しかも、それを行なったのが自身の父親なのだ。ショックを受けない方がおかしい。
(……いまは好きにさせるしかないか)
何を言ったところで、アリサは自分の考えを曲げないだろうと言うことはリィンも分かっていた。
それにユグドラシルの開発が進むのは、団にとっても悪い話ではない。
情報漏洩の恐れはあるが、ティオとシュミット博士の協力が得られるのは大きなメリットもある。
それにユグドラシルには、この世界には存在しない技術と鉱物が使われているため、完全な模倣は難しい。
イオの協力がなければそもそもアリサでさえ、理術を使ったオーブメントを開発するなんてアイデアは思い浮かばなかったのだ。
仮にユグドラシルが他者の手に渡ったとしても、解析して同じものを複製することは不可能と言っていいだろう。
(第一、通信に使われているのはアーティファクトだしな)
教会あたりが同じものを隠し持っている可能性はあるが、ユグドラシルの通信機能には『響きの貝殻』と呼ばれる特殊なアーティファクトが用いられていた。
その昔、オリヴァルトがとある遺跡で発掘したもので、密かに隠し持っていたものをアルフィンを通してリィンが譲り受けたのだ。
帝国の宰相となった以上、いままでのような自由は利かなくなる。
だから、いざという時のために最も安全な場所(人物)≠ノ預けておこうと考えたのだろう。
また大きな戦争が起きる可能性を、半年以上も前からオリヴァルトは予期していたのかも知れない。
(アリサのことは、しばらく様子を見るしかないか)
小さく溜め息を漏らしながら、アリサに気付かれないようにクレアへ目配せをするリィン。
リィンの合図に気付いて、頷くクレア。
シャロンはなんだかんだとアリサに甘いところがある。特に両親のことが絡んでいるとなると尚更だ。
負い目のあるシャロンでは、アリサの行動を咎めることは出来ないだろう。
その点クレアなら、万が一の時はアリサを諫めてくれるはずだとリィンは考えていた。
とはいえ、
(甘いのは俺も同じか……)
よく言われることだが、身内に対してリィンは少し甘いところがある。
リィンもその自覚はあるのだが、アリサに関しては猟兵団に向いている性格ではないと分かっていて、彼女を受け入れると決めたのだ。そして、そんな彼女の明るい性格に励まされている団員も少なくない。実際、密かにファンクラブが存在するくらいアリサは団員たちに人気があった。
なら――
(シャロンにも釘を刺されたところだしな)
自分にも責任を果たす義務があるとリィンは考えるのであった。
◆
作戦開始の時間まで、リィンに命じられてフィーとマヤはハーキュリーズの監視に当たっていた。
この山のことを熟知していると言うのもあるが、狙撃手としての才能は父のジョゼフを超えるほどで、敵に見つからずに監視ができるポイントを探すことにマヤは長けている。一方でフィーも気配を絶ち、身を隠すことに関してはリーシャに匹敵するほどだ。
並の相手では、この二人の存在に気付くことは難しいだろう。
リィンが二人にハーキュリーズの監視と、もしもの時の遊撃を任せたのは、そうした実力を信頼してのことだった。
「静かですね。それだけ警戒していると言うことでしょうか? 〈銀鯨〉の方々の話では、三日前から渓谷に籠もって動きは無いという話でしたが……」
「ん……でも、ちょっとおかしい」
「え?」
「情報によると、敵の数は全部で三十って話だった。でも、飛空挺の外にでてるのは三人だけ」
警戒しているのなら、もっと見張りの兵士を増やすはずだ。
それに渓谷に引き籠もったまま出て来ないと言うのも妙だと、フィーは指摘する。
「ここに引き籠もっていると言うことは、山道が封鎖されていることは分かっているはず。でも、飛空挺があるのに逃げることも場所を移すこともしないのは少し気になる」
「確かに……でも、それは彼等の狙いがリィンさんにあるからでは?」
リィンが陽動を引き受けた理由について、マヤは作戦の前に本人から聞いていた。
ハーキュリーズの狙いがリィンにあると聞いた時は驚いたが、確かにそう言われれば腑に落ちる点も多い。
街の周辺で騒ぎを起こしたのは、リィンに自分たちを見つけさせるためだとも考えられるからだ。
「ハーキュリーズの狙いがリィンにあるという点は疑ってない。でも騒ぎが大きくなれば、普通は軍がでてくる。それに街の人が困っているからと言って、リィンが助ける理由はないし依頼を受けるとも限らない」
アッシュの母親と顔見知りではなかったら、リィンが依頼を引き受けたかどうかは分からない。
そもそもラマール州までやってきたのは、オルディスの領事館に保護されているアルスターの住民を避難させるためだ。
ミュゼと連絡が付かない以上、オリヴァルトからの依頼を優先してオルディスへと向かっていた可能性もあるのだ。
そうならなかったのはアッシュからの依頼と、ヴィータやクロウの忠告があったからに他ならない。
そして、そこまでハーキュリーズが計算して動いているとは思えなかった。
「余りに不確定な要素が多すぎる」
フィーの説明に言われて見れば、とマヤも納得した様子で頷く。
だとすれば、そうせざるを得なかった理由が何かあるはずなのだ。
「場所ですか? ここでなければならない理由があった?」
動かないのではなく動けない。
ここにリィンを呼び寄せる必要があったのだと考えれば、彼等の不可解な行動にも説明が付く。
そう考えると――
「もしかして領邦軍が動かないのも……」
「軍に命令をだせる立場にいる人間が、ハーキュリーズと繋がっている可能性はあるね」
貴族が今回の件に関与している可能性が高いことに、マヤは気付かされる。
そのなかでも最も可能性が高い人物と言えば、カイエン公亡き後、領主代行を任されているバラッド候だ。
彼なら領邦軍に命令を下すことも難しくはないだろう。
「では、銀鯨の方々が街を守って欲しいと依頼された件は?」
「すべて繋がっていると考えるのなら、話に信憑性を持たせるためとは考えられるけど」
街が狙われているという話に信憑性を持たせるのであれば、危機感を募らせるために相手を用意するのが一番手っ取り早い。
その相手に〈銀鯨〉が選ばれた可能性はあると、フィーはマヤの疑問に答える。
フィーの話を聞いたマヤは表情を暗くする。
領邦軍や貴族に対して余り良いイメージは持っていなかったが、そこまで腐っているとは思っていなかった。
いや、元軍人の父親を持ち、ラクウェルで育った身としては、思いたくなかったというのが本音なのだろう。
「別に驚くほどのことじゃない。よくある話≠セから」
ありふれた話だと語るフィーに、複雑な感情を表情を滲ませるマヤ。
しかし、それが猟兵の世界なのだとマヤは実感する。
そして、これから自分が飛び込んでいく世界なのだと――
「怖くなった?」
「……試したんですか?」
どこまで本気だったのかは分からないが、フィーに覚悟を試されたのだとマヤは気付く。
「リィンが褒めるのは珍しいからね」
だから少しだけ試してみたくなった、とフィーは答える。
そういうところは、リィンとよく似ている。
やはり同じ『クラウゼル』の姓を持つ兄妹なのだと、マヤは実感する。
「でも、さっき言ったことは憶測だけど、嘘は一つも言ってない。リィンも気付いているはず」
だからデアフリンガー号に連絡を取り、自分たちを呼び寄せたのだろうとフィーは考えていた。
確かに人質を助けだすことはリィン一人では難しいかもしれないが、エマやシャーリィも一緒なのだ。
他にもクルトやレイフォン、ローゼリアやラクシャもいる。いざとなれば、トマスたちの協力を得ることだって出来たはずだ。
自分たちの手伝いを必要とするほど難しい仕事だと、フィーは考えていなかった。
カエラとの約束があるからデアフリンガー号に連絡を取ったというのもあるだろうが、恐らく他にも理由があるはずだ。
「覚悟はしておいて。たぶん……」
――この事件の背後には、もっと大きな企みが隠されている。
そう話すフィーの横顔を見て、これから自分が生きていく世界の厳しさをマヤは教えられた気がするのであった。
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