「……アウロラですか?」

 リィンに呼ばれたラクシャは、フィーの案内でカレイジャス二番艦〈アウロラ〉を訪れていた。
 今更、空を飛ぶ鉄の船を見たくらいで驚いたりはしないが、船の名称を聞いて目を丸くするラクシャ。
 まさか、その名前をこちらの世界でも耳にするとは思っていなかったからだ。

「どうかしたの?」
「いえ、知人のお子さんと同じ名前だったので……アリスンさんのことを覚えていますか?」
「ん……ああ、そういうこと」

 ラクシャが何に驚いたのかを察し、フィーは納得した様子を見せる。
 しかし、ただの偶然だろうと考える。
 そもそも、こちらの世界へ帰ってきてからリィンは一度もセイレン島を訪れていない。
 アリスンたちとも島で別れてから、一度も顔を合わせていないのだ。

「アウロラって、そっちの世界だとどう言う意味があるの?」
「ロムンの言葉で『暁』と言う意味が込められているそうですが……もしかして、こちらの世界でも?」
「ん……確か、御伽話に出て来る『恋愛』の神様だったかな?」
「……恋愛ですか?」
「美少年を見つけると声を掛けずにいられないらしくて、天界へ連れ去ってしまうんだって」
「……逆に置き換えると、リィンみたいですね」

 酷い言い掛かりだと、この場にリィンがいたら反論しているところだろう。
 しかし良い女を見つけると団に勧誘して、自分の女にしてしまう悪い癖がリィンにはある。
 まあ、あくまで周りから見たらそう見えると言うだけの話なのだが、すべてが誤解と言う訳でもなかった。
 リィンの周りにいる女性の多くが、リィンに好意を寄せていることは誰の目にも明らかだからだ。

「まあ、リィンはそっちの意味で船の名前を決めた訳じゃないみたいだけど」

 闇を払い、夜明けを告げる女神でもあると、アウロラの逸話をフィーは説明する。
 リィンからの受け売りではあるが、気になって領主館の書庫で調べたりもしたのだ。
 最初に言った恋愛の神様と言うのは、そこから得た知識でもあった。
 女神と言えば、この世界では『空の女神』が最も有名だが、他にも神にまつわる伝承が存在しない訳ではない。
 七耀教会がこれほどの権勢を振うようになる前は、このゼムリア大陸にも様々な信仰が存在していたのだ。
 いまでも、その土地に根付く土着神を奉っている地域は存在する。アウロラも、そうした女神の一柱と言って良いだろう。

「……不思議な感じがしますね」
「どういうこと?」
「世界が違うというのに、わたくしたちの世界とこの世界。随分と類似する点が多いと思いませんか?」

 アウロラに関する伝承もそうだが、この世界とラクシャの世界では共通している点も少なくない。
 実際、この世界の常識を学ぶためにラクシャは情報の収集に努めていたが、技術レベルや文化の違いに戸惑うことはあっても、それ以外のことで特に困るようなことはなかった。
 本来であれば、交わることのなかったはずの二つの世界。
 なのに、こうも似通った部分が多いことを、ラクシャは以前から不思議に感じていたのだ。

「私たちが知らないだけで、昔から世界を行き来している人は結構いたってことかも」
「なるほど、そういう考え方もありますか」

 ベルたちの祖先も、別の世界からこの世界へと移住してきたと言う話だ。
 同じようにラクシャたちの世界にも、他の世界から移住してきた者たちがいたとしても不思議な話ではない。
 それならば同じような伝承が存在し、文化が似通っているのも説明が付く。
 考古学を専攻していた父親譲りとでも言うべきか、学者の血が騒ぐのだろう。
 真剣な表情で思考に耽るラクシャを見て、フィーはやれやれと言った様子で溜め息を溢すのだった。


  ◆


「……すみません」

 フィーに頭を下げて、心の底から申し訳なさそうに謝罪をするラクシャ。
 気になることがあると、自分の世界へ入ってしまうのは悪い癖だという自覚はあるのだろう。

「まだ、約束の時間まではあるしね」

 真摯に謝罪をするラクシャに、気にしなくていいと答えるフィー。
 まったく気にしていないと言えば嘘になるが、それで何か迷惑を被ったと言う訳でもないからだ。
 それにリィンとの約束の時間までは、まだ少し時間がある。
 呼ばれているのはラクシャだけではないため、早く着いたところで意味はなかった。

「そう言えば、こうして皆を集めて話があるということは、何か進展があったのですか?」

 詳しく話を聞いた訳ではないが、リィンが独自に動いていることはラクシャも知っていた。
 そんななか、こうして自分にも呼び出しが掛かったと言うことは、何かしらの進展があったのだろうと察しを付けたのだ。
 暁の旅団の正式なメンバーと言う訳ではないが、出来る限りリィンには協力したいとラクシャは考えていた。
 黒の工房――地精については、少しばかり思うところもあるからだ。
 いや、無関係な人々を不安と恐怖に陥れるやり方に、憤りを感じていると言った方が正しいのだろう。

「うん。進展があったと言えば、あったね」

 微妙に煮え切らない答えを口にするフィー。
 手掛かりを掴めたことには間違いないが、何か問題が生じたのだろう。
 恐らくはその辺りも含めて相談をするために皆を集めたのだと、ラクシャはリィンの思惑を察するのだった。


  ◆


 同じ頃、オルディスの領主館では――

「――以上が、私がリィン団長と共に見てきた真実です」

 重い沈黙が場を支配していた。
 ミュゼの口から語られた歴史の裏に隠された真実。
 それはオーレリアをもってしても、俄には受け入れ難い話だったからだ。

「おい、ヴィータ……」
「事実よ。信じられないのも無理はないと思うけどね」

 表情を歪め、不快げに舌打ちをするクロウ。
 ヴィータが認めたことで、ミュゼの話が妄言の類ではなく真実だと嫌でも理解せざるを得なかったのだろう。
 内戦時から――いや、それ以前からヴィータが〈結社〉とは別の思惑があって、独自に動いていたことはクロウも気付いていた。
 だからこそ、尚更ミュゼが嘘を言っていないと分かるのだ。

「黒のイシュメルガ……そいつが、すべての元凶って訳か」

 苦々しげな表情で、その名を口にするクロウ。
 それはヴァリマールやテスタロッサと同じ、騎神の名だった。
 黒の騎神イシュメルガ。しかし過去一度として、表舞台で姿を確認されていない謎のベールに包まれた騎神。
 その騎神こそが呪い≠フ元凶――諸悪の根源であると聞かされたのだ。クロウが怒りを覚えるのも無理はなかった。
 だが、ありえない話ではない。騎神には意志がある。それはクロウの騎神、オルディーヌも同じだ。

 ――何かしらの要因で、騎神が悪意≠ノ目覚めてしまったとしたら?

 悪意に満ちた騎神が生まれる可能性がゼロとは言えなかった。
 しかし、そうなると気になることがある。

「待てよ? じゃあ、その騎神の起動者は一体?」
「あなたも見ているはずよ。黒い巨神の姿を」
「――! ギリアス・オズボーンか!?」

 ヴィータが言っているのが、エレボニウスのことだとクロウは察する。
 光の巨神がノルドに打ち捨てられた巨神の抜け殻を取り込み、覚醒したヴァリマールの姿であるのなら、エレボニウスにも元となった騎神がいても不思議ではない。恐らくは、それがイシュメルガなのだろう。
 そしてエレボニウスを操っていたのは、鉄血宰相――ギリアス・オズボーンだった。
 だとすれば、イシュメルガの起動者はギリアスであったと考えるのが自然だ。
 しかし、エレボニウスは既にリィンとヴァリマールによって倒されている。それが、どうしてという疑問がクロウの頭を過る。

「なるほど。破壊したのは器の方で、中身は無事だったと言うことか」

 オーレリアの言葉が、その答えを物語っていた。
 確かにエレボニウスはヴァリマールの一撃で消滅したが、イシュメルガは無事だったと考えるのが自然だ。
 だが、それならば、もしかしたらという考えがクロウの頭を過る。

「……待てよ? それだと、まさか鉄血の野郎も……」
「その可能性は低いわ。鉄血宰相が生きているのであれば、彼を勧誘したりはしないでしょうし」

 ギリアス・オズボーンは誰もが死んだと思われていた中、生き返った過去がある。
 クロウがそう考えるのも無理はないが、恐らくその可能性は低いとヴィータは考えていた。
 というのも、ギリアスが生きているのであれば、リィンを仲間に引き入れようとはしないはずだ
 恐らくはリィンをギリアスの代わりに、イシュメルガの新たな起動者とするつもりだったのではないかとヴィータは答える。

「考えられる話ですね。仮にリィン団長を取り込むことが出来れば、彼等の願いは達成されたも同然なのですから」

 イシュメルガの目的。それは〈巨イナル一〉の力を手にすることで間違いないだろう。
 不完全とはいえ、至宝の力を引き出して見せているリィンは、イシュメルガの願いに最も近い位置にいる。
 仮にリィンを引き入れることが出来れば、七の相克を勝ち抜くことも難しくはないだろう。
 そう言う意味で、いま最も〈巨イナル一〉に近い位置にいるのは、ヴァリマールであるとも言えるのだ。
 ヴィータの予想は間違っていないだろうと、そこはミュゼも同じ考えだった。
 しかしアルベリヒがリィンを勧誘したのは、それだけが理由ではないとミュゼは感じていた。

「はっきりとは言えませんが、恐らくイシュメルガは――」


  ◆


「リィンさんに恐怖を覚えた」

 消滅の危機に瀕し、リィンに恐怖を植え付けられた。
 それはイシュメルガにとって、はじめての経験であったはずだとエマは話す。
 エマの話を聞きながら、ぐるりと会議室を見渡すラクシャ。
 二十人ほどが一度に利用できる船内の会議室には、新しく団に入ったレイフォンとマヤ。その父親のジョゼフ。
 それにリーシャとフィー。シャーリィにアリサと言った〈暁の旅団〉のメンバーの他、遊撃士を代表してサラやシェラザードも招かれていた。
 そして――入り口から一番奥の席にはリィンと、その隣にエマの姿が確認できる。

「恐怖、ですか」

 リィンが敵と認識した相手に対して、一切の容赦がないことをラクシャは知っている。
 不気味な笑みを浮かべるキルゴールの胸に、容赦なく突き立てられた刃。あの光景は今も頭から離れない。
 そんなリィンに対してラクシャ自身、恐怖を感じたことがない訳ではなかった。
 もっとも、いまは非情な一面だけではないと理解しているのだが、それは戦場以外でのリィンを知っているからだ。

「話が見えないんだけど、結局どういうことなの?」

 今回の事件の裏には、イシュメルガという元凶がいること。
 そいつが地精を裏で操っていて、〈巨イナル一〉へと至ろうとしていることまでは分かった。
 しかし、そのこととイシュメルガがリィンに恐怖を感じていることが、どう繋がるのかとサラは首を傾げる。

「分かりませんか? これほど長い時間をかけて用意周到に準備を進めてきた相手なんですよ? それも表にでてくることなく、ずっと裏に徹してきた相手が正体を晒す危険を冒してまで表に出て来た意味が?」

 確かに、とアリサの言っていることに一理あることをサラは認める。
 失敗しているのだから、一旦計画を仕切り直すのが冷静な判断と言える。
 しかし、クロスベルでの事件から半年と経たずに地精は次の行動を開始した。
 一見すると計画は失敗したのではなく、そこまで予定調和であるかのように思えるが――

「……焦っていると言うこと?」

 サラのだした答えを、アリサとエマは肯定するように揃って頷く。
 イシュメルガは焦っている。そして、その判断を鈍らせているのが、リィンに対する恐怖だと二人は考えていた。
 だから――

「恐らくイシュメルガはこう考えているはずです。リィンさんが〈鋼〉の力を完全に掌握した時、贄となるのは自分の方だと――」

 中断した儀式を再開することで、強引に計画の修正を図ろうとしたのだとエマは話す。
 それが水鏡から得た情報から、エマとアリサが推察した答えだった。

「……って、アンタが原因の一端ってことじゃない!?」

 敵の不可解な動きにリィンが関係していると知って、思わず叫ぶサラ。
 しかし否定も反論もするつもりはないのか、リィンはただ肩をすくめるのだった。


  ◆


「よかったの?」

 皆が去った後の会議室で、そうリィンに尋ねるアリサ。
 嘘は言っていないが、すべてを語った訳ではないからだ。

「ギリアス・オズボーンの正体≠ェなんであれ、奴が大罪人であることに変わりは無い」

 リィンならそう答えると分かっていたのか、アリサは深々と溜め息を溢す。
 そんなアリサを見て、逆に尋ねるリィン。

「お前こそ、いいのか? ロゼとシャロンの話の裏付けは取れた訳だが」

 水鏡が見せたのは、イシュメルガやギリアスのことだけではない。
 いまから十年前、フランツがアルベリヒに覚醒する様を水鏡は記憶していたのだ。
 少なからず、そのことをアリサが気にしていることをリィンは察していた。
 本来であれば、他人のことなど気遣う余裕などないほどに動揺しているはずだと――

「私だって覚悟は決めているわ」
「なら、いいが……」
「心配してくれてるの?」
「足手纏いになられると困るだけだ」

 そう言って顔をそらすリィンを見て、アリサは苦笑を漏らす。
 素っ気ない態度を取っていても、気遣ってくれているのだと察せられたからだ。
 一人では無理でも、リィンと一緒なら――

「ねえ、リィン――」
「良い雰囲気のところ申し訳ありませんが、兄様をお借りしてもよろしいですか?」
「エリゼさん!?」

 いつからそこにいたのか?
 会議室の入り口に立つエリゼに声を掛けられ、アリサは驚きの声を上げる。
 そんなアリサを見て、リィンはやれやれと溜め息を吐くと――

「何かあったのか?」
「姫様がお呼びです。例の件≠ナ話があると――」
「……わかった。すぐに行く」

 顔を真っ赤にして慌てふためくアリサを置いて、エリゼの後についていくのだった。



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