「どうして、わたくしを連れて行ってくれなかったのですか?」
「……それは、ちゃんと理由を話しただろ? お前がアルノール≠フ血を引いているからだと」
水鏡はアルノール皇家が保管する〈黒の史書〉とも繋がっているアーティファクトだ。
アルノールの血がどのような影響を及ぼすか分からない以上、同行させる訳には行かなかったのだとリィンは説明する。
既に一度説明したことなのだが、やはり微妙に納得していなかったのだろう。
というのも――
「事情は理解できます。でも、あの子――ミュゼは一緒だったんですよね?」
ミュゼの本当の名は、ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン。
内戦で命を落としたカイエン公の姪に当たる正真正銘の公爵家のお姫様だ。
そしてカイエン公爵家と言えば、偽帝オルトロスの血を引く子孫。
言ってみれば、ミュゼも古の血を継承していると言えるのだ。
どうしてミュゼはよくて自分はダメなのかと、アルフィンが不満を口にするのは無理からぬ話だった。
「皇家と比べれば、まだ血の影響は薄いって話だったしな。それに忘れたのか?」
「はい?」
「お前は一度、緋の騎神に取り込まれたことがあるだろ」
「あ……」
リィンに言われて、すっかり自分でも忘れていたことを思い出すアルフィン。
そう、彼女は〈紅き終焉の魔王〉を復活させるため、緋の騎神に取り込まれたことがあった。
シャーリィたちの活躍で無事に救出されたとはいえ、一度は〈緋の騎神〉の起動者となったことは事実だ。
その影響で、現在のアルフィンは〈緋の騎神〉の準起動者としての資格≠得ていた。
「起動者としての資格を得たものは、騎神と心を通わせることが出来る。逆に言えば、それは精神を取り込まれやすいってことでもある」
過去にもアーティファクトに魅入られ、引き起こされた事件は数多く存在する。
となれば、アルフィンに関しても同じことが二度ないとは言い切れない。
特にアルフィンは〈古の血〉を色濃く継いでいることが、その髪の色からも分かる。
だからローゼリアとも相談した結果、同行させなかったのだとリィンは説明する。
「……もしかして、元凶の正体に気付いていたのですか?」
リィンが何を心配したのかを察して、アルフィンは尋ねる。
黒の騎神〈イシュメルガ〉がすべての元凶であることは、アルフィンも話に聞いていた。
悪意に目覚めた騎神。それは即ち、魔王に憑依された〈緋の騎神〉に近い存在と考えて、間違いないのだろう。
水鏡に触れることでイシュメルガの悪意に触れ、魔王に取り込まれた時の記憶が呼び覚まされることになれば、アルフィン自身にもどのような影響がでるか分からない。
悪夢にうなされる程度であればいいが、紅き終焉の魔王に取り込まれた時のようにイシュメルガに選ばれる可能性がゼロとは言えないのだ。
実際、アルフィンにはその素養≠ェあるとリィンは考えていた。
「大凡な。俺のなかに宿る〈鬼の力〉の原因でもあるようだし」
「え……それって大丈夫なのですか?」
リィンの持つ力については、アルフィンも知っている。
だからこそ、その力の一つにイシュメルガが関係していると知って驚きを隠せなかったのだろう。
「正確には、帝国の呪い≠ェ力の源泉らしいがな。イシュメルガはその呪い≠フ力を利用して、ホムンクルスの技術によって再生した肉体に魂≠定着させたらしい。あくまで、ローゼリアやベルの話から推察したことだけどな」
ギリアスの望み通り、そのお陰で幼い頃のリィンは一命を取り留めた。
しかし、それが果たして本当に成功したと言えるのかどうかにはリィンは疑問を持っていた。
肉体は確かにこの世界のリィンのものではあるが、別の世界で生きた異なる人間の記憶を有している。
別の人間の魂が器に入ったと言うよりは、混ざり合ったと言う方が正しいのだろうが、それでも成功と言えるかは微妙なところだ。
それに――
(ギリアスが銃弾を受けて死ななかった理由は分かったが、正直複雑なところだな)
月霊窟にいた者たちを除き、アルフィンや他の皆には言っていないことが一つだけあった。
ギリアス・オズボーンの心臓≠ェ、リィンの蘇生に用いられているということを――
ホムンクルスの技術を用いれば、失われた心臓を再生することも難しくは無いはずだ。なのに敢えてイシュメルガがギリアスの心臓を用いたのは、呪いの力を利用するためだと考えられる。正確にはギリアスの心臓を触媒とすることで、呪いの力の源――〈巨イナル一〉を受け止めるための器≠用意したのだとリィンは考えていた。
言ってみれば、リィンの胸に宿る心臓は呪いを受け止めるための杯――〈黒キ聖杯〉とでも呼べる機能を有していると言うことだ。
常人であれば、耐えられるはずがない。呪いに精神を侵され暴走するか、よくて廃人と言ったところだろう。
しかし、リィンは幼い頃から〈鬼の力〉を息をするかのように使いこなしていた。
いつか〈巨イナル一〉を取り込むための贄として利用するつもりで、リィンにギリアスの心臓を移植したのであろうが――
まさか、呪いに精神を侵されることなく、聖杯の力を完全に制御してしまうなどとはイシュメルガも予想していなかったはずだ。
焔と大地の至宝。その二つが相克を起こし、一つとなることで誕生したのが〈巨イナル一〉と呼ばれる〈鋼の至宝〉だ。
しかし呪いと言っても、その力の源が女神の遺した〈至宝〉であることに変わりは無い。
そしてリィンの身体には、女神の力を否定し、至宝すらも消滅させることが可能なもう一つの力≠ェ宿っている。
王者の法――ベルたち錬金術師たちが〈アルス・マグナ〉と呼ぶ力。すべての根源へと至る虚無の力。
呪いの影響をリィンが受けないのは、これが原因と考えて良いだろう。
「シャーリィだって魔王の狂気に取り込まれることなく、上手く騎神を制御しているだろ?」
「彼女は特別だと思いますが……リィンさんが非常識な存在だと言うのは、再確認しました」
リィンだからと言うことで、取り敢えずアルフィンは納得するのだった。
◆
「で? 俺を呼んだのは、そんなことを言うためじゃないんだろ?」
さっさと用件に入れと急かすリィンに、アルフィンは溜め息を交えながら答える。
「先程、カレイジャスを通じてエリィさんから連絡がありました。通商会議の日程が正式に決まったそうです。参加国は前回と同じ、今回の開催国であるレミフェリア。そして、カルバート共和国。リベール王国。そして――」
帝国からは宰相のオリヴァルトが参加するとの通達があった、とアルフィンは説明する。
クロスベルの名前がないのは自治が認められているとは、他の州と同じく帝国の一部であることに変わりは無いからだろう。
クロスベルが不参加なのは理解できる。しかし、アルフィンの口から予想もしなかった名前が飛び出す。
「最後に、ノーザンブリアも参加するそうです」
これはリィンも予想していなかったのか、目を丸くする。
アルフィン自身、エリィから話を聞いた時には驚きに目を瞠ったのだ。
慌ててエリゼにリィンを呼びに行かせた最大の理由がここにあった。
「誰の企てだ? まさか、ミュゼが……」
「いえ、あの子も寝耳に水だったようで、珍しく驚いている様子でした」
それは即ち、ミュゼの予想を超える何かが起きていると言うことだ。
ミュゼは千里眼とも呼べる高い洞察力と観察眼を有しているが、本当に未来が見える訳ではない。
膨大な情報を元に頭の中に盤面を描くことで、自分にとって都合の良い状況を導き出しているに過ぎなかった。
故に、突発的な状況に弱いところがある。知らないことまで予測するのは難しいと言うことだ。
「ミュゼも掴んでいない何かが、ノーザンブリアで起きていると言うことか」
「……だと思います。そこでリィンさんに相談があるのですが」
畏まった様子で姿勢を正し、真剣な表情でリィンに相談を持ち掛けるアルフィン。
ここからが話の本題なのだと察して、リィンはアルフィンの言葉に耳を傾け――
「リィンさんが保護している大公家の縁者――ヴァレリーさんのことで、お尋ねしたいことがあります」
相談の内容を察するのだった。
◆
「――了解。こっちも、そのつもりで準備を進めておくわ」
通話を終えると、折り畳んだ〈ARCUS〉をジャケットのポケットに仕舞う仕草を見せるアリサに、エマは声を掛ける。
「リィンさんからですか?」
「ええ、通商会議の日程が決まったそうよ」
「では……」
「ええ、例の作戦を実行に移す時がきたわ」
例の作戦というのが、レンとキーアの救出作戦のことだとエマは察する。
そして、黒の工房の本拠地を押さえるのが、この作戦の本命でもあった。
しかし、地精が魔女と袂を分かってから八百年。ずっと身を潜めてきた彼等の本拠地は、未だに所在が掴めない状態にある。
ローゼリアの霊視を持ってしても、探り当てることが出来ずにいたのだ。
簡単でないことは、アリサとエマも承知していた。
しかし、
「前に言ってた杭≠フ方は、既に準備を終えているのよね?」
「はい。ガイウスさんに話を通して、ノルドの人たちの力を貸して頂きましたから」
杭と言うのは、地脈に打ち込むことで一種のソナーのような役割を果たす霊具のことだ。
現在、呪いの影響で内戦時のように各地の地脈が活性化し、特異点が発生していることがローゼリアの霊視で判明していた。
見つかった特異点の数は八箇所=Bそこにローゼリアの用意した霊具を打ち込むことで、霊脈の流れを探知する。
そうして、霊脈の空白地帯――霊視できない場所≠絞り込もうというのが、アリサたちの進めている作戦の概要だった。
八百年もの間、姿を隠し続けてきた慎重な相手だ。だとすれば、恐らくはローゼリアの霊視すらも阻害する何かしらの結界を拠点に張っているのだと予想できる。
なら、霊的な探知が出来ない場所。
その場所さえ突き止めることが出来れば、〈黒の工房〉の本拠地に辿り着くはずだとアリサたちは考えたのだ。
問題の杭を打ち込む作業は、ノルドの民の協力を得ることで既に準備が進められていた。
あとはそこから得られた情報を解析することで、黒の工房の本拠地を突き止めることが可能となるはずだ。
より正確な位置を探るため、アリサの提案でオルキスタワーの演算装置を利用する方向で話は進んでいた。
そのためにベルをこちらの世界に呼び戻したのだ。
とはいえ――
「こちらは、いつでも構いません。あとは……」
「ベルの方も、いつでも良いそうよ。随分と協力的だったのが、逆に不安なんだけどね」
アリサの不安の種を察して、エマは苦笑を漏らすのだった。
◆
「もう、話は良いのですか?」
アルフィンとの話を終え、ブリッジをでたところで声を掛けられ、足を止めるリィン。
廊下の角から姿を見せたのはラクシャだった。
アルフィンとの話が終わるのを、ずっとそこで待っていたのだろう。
「俺に何か用か?」
「はい。そもそも用がなければ、こんなところで待ち伏せたりしませんから」
あっさりと待ち伏せていたことを認めるラクシャに、リィンは溜め息を返す。
とはいえ、ラクシャの聞きたいことは予想がついていた。
会議の時から、ラクシャが訝しげな視線を向けてきていたことに気付いていたからだ。
「何を隠しているのですか?」
「……アルフィンにも気付かれなかったんだがな」
「それは、敢えて気付かない振りをしてくれているだけではありませんか?」
かもな、とリィンは答える。
長い付き合いだ。普通に尋ねたところで、リィンが素直に答えてはくれないことはアルフィンも理解している。
言わないということは、話したくない事情があると言うこと。必要であれば、話してくれるはずだ。
気付いていて敢えてそのことを尋ねなかったのは、リィンを信用してのことなのだろう。
「話したくないのであれば無理に聞き出すつもりはありませんが、一つだけ聞かせてください」
「……なんだ?」
「無理は、していませんよね?」
思い掛けない質問だったのか、目を丸くするリィン。
リィンの胸に埋め込まれた聖杯のことを、ラクシャは知らないはずだ。
しかし、知らなくても察することは出来る。恐らくは、そういうことなのだろう。
「もしかして、心配してくれているのか?」
「ええ、悪いですか?」
「……意外だな。素直に認めるとは思わなかった」
「私が向きになって否定すれば、そう言ってはぐらかすつもりなのでしょ?」
あなたのやり方には慣れました、とラクシャは答える。
以前の彼女であれば、顔を真っ赤にして反論していたはずだが、挑発に乗ってくる様子はない。
学習もしているのだろうが、それだけ本気でリィンのことを心配しているのだろう。
「問題ない。普通の人間ならまずい状況だろうが、俺は普通≠ナはないみたいだしな」
「……そこは自覚があったのですね」
その点はリィンにも自覚はあったのだと知って、苦笑を漏らすラクシャ。
とはいえ――
「強がり……と言う訳ではなさそうですね」
少なくとも嘘は言っていないと悟って、ほっと胸を撫で下ろす。
他人の前では絶対に弱味を見せないと分かっているだけに、本気でリィンのことを心配していたのだろう。
本音で言えば、何を隠しているのか問い質したい気持ちはある。
しかし皆が敢えて尋ねようとしなかったように、素直に教えてくれないであろうことはラクシャにも分かっていた。
だから、
「いまは、その言葉を信用します。ですが、これだけは覚えておいてください」
――あなたには心配してくれる家族がいると言うことを。
家族に特別な思い入れがある彼女だからこそ、余計なお節介だとは思いつつも釘を刺さずにいられなかったのだろう。
どこか泣きそうな顔で話をするラクシャを見て、リィンはやれやれと頭を掻くと――
「わかった。心に留めておく」
少し困った顔で頷き返すのだった。
◆
「ところで、そんな風に心配してくれるってことは、決心したと受け取っていいのか?」
「え? なんのことですか?」
「俺と家族になる決心を、だ」
そこまでは考えていなかったのか?
頬を真っ赤に染めて、その場で固まるラクシャ。
自分が何を言ったのか、今更ながら思い出したのだろう。
振り返ってみれば、確かにプロポーズのように聞こえなくもない。
そんな彼女の悲鳴を背に――
(まだ、先は長そうだな)
リィンは逃げるように、その場を後にするのだった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m