「まったく……アドルといい、乙女心をなんだと……」
カレイジャス二番艦〈アウロラ〉の食堂でスープと睨めっこをしながら、ブツブツと念仏のように愚痴を溢すラクシャの姿があった。
そんなラクシャを見て、首を傾げながら近くの席で同じく食事を取っていたフィーに声を掛けるシャーリィ。
「ラクシャ、どうかしたの?」
「ん……ただの痴話喧嘩だから気にしなくていい」
フィーから痴話喧嘩と聞いて、何があったのかをシャーリィは察する。
ラクシャがこんな反応を見せる相手など、リィン以外にはいないからだ。
アドルとの間で気持ちが揺れ動いていたことは確かだろうが、そのアドルも今はいない。
しかも、いまセイレン島にはアドルを追って複数の女性≠ェ押し掛けてきていた。
当然そのことはラクシャも知っている。
怒っていると言うよりは、アドルに対して呆れていると言った方が正しいのだが――
「あの様子だと、ようやく心が決まったってところ?」
「素直にはなれないみたいだけどね。ちょっと昔のアリサと似てるかも」
「そこ! 人の心を勝手に解説しないでください!」
言いたい放題のシャーリィとフィーの二人に、席を立って指をさしながら抗議するラクシャ。
その反応から察するに、当たらずといえども遠からずと言ったところなのだろう。
「……というか、あなたたちはそれで良いのですか?」
「シャーリィは別に気にしないよ。焦らなくても十八になったら恋人≠ノしてくれるって約束だしね」
「ん……家族が増えるのは嫌じゃないし、ラクシャならいいかなって」
シャーリィとフィーがリィンに好意を寄せていることは誰もが知っている周知の事実だ。
それだけにラクシャとしては、そんな二人に対して少しは遠慮もあったのだろう。
なのに、まったく気にしていないと言った様子の二人に戸惑うラクシャ。
とはいえ、
「今更だしね。これからも増えると思った方がいいよ」
その覚悟がないならリィンのことは諦めた方がいい、とフィーは告げる。
そこはエリィやアリサも納得の上で、リィンの恋人になることを決めたはずだ。
あの二人からリィンを奪うつもりなら話は別だが、少なくともラクシャにはそうした真似は出来ないだろうとフィーは考えていた。
なら、リィンのことをきっぱりと諦めるか、状況を受け入れるしかない。
「第一、リィンの相手を一人でするのは無理だと思うよ? エリィの話だと、かなり凄いって話だからね」
「え……」
一瞬なんのことか分からず呆けるも、シャーリィの言葉の意味を察して頬を赤らめるラクシャ。
恋人となれば当然そうした行為に至っても不思議ではないと言うことに、今更ながら気付いたのだろう。
そもそもシャーリィは普段からリィンの子供が欲しいと言っているくらいなのだ。
「そ、そういう行為は結婚してからだと……」
「ラクシャって時々、貴族みたいなことを言うよね」
「一応、元貴族ですから……」
領地を没収されたとはいえ、ラクシャの実家はガルマンの貴族だ。
基本的に貴族の結婚というのは政治が絡む。
故に貞操が重要で、婚姻前の性交渉などありえないという考えなのだろう。
まあ、それ以前にラクシャの場合は、ただ単にそうしたことに奥手なだけとも言えるのだが――
「私たちのことは気にしないで、ラクシャの思うようにしたらいいと思うよ。応援は出来ないけどね」
「……はい」
応援は出来ないというのは、受け入れてはいてもライバルには違いないというフィーなりの宣戦布告なのだろう。
その上で、自分はリィンとの関係をどうしたいのか?
芽生え始めた感情に戸惑いを覚えながら、ラクシャの思考は再び迷走することになるのであった。
◆
「リィンさん!」
「……ティータか。それにティオも一緒か」
「どうも」
船を降り、オルディスの領主館へ向かおうとしたところで声を掛けられ、足を止めるリィン。
リィンを呼び止めたのは、ティータとティオの二人だった。
「二人は買い物の帰りか?」
「あ、はい。息抜きに街を見て回らないかと、ティオちゃんが誘ってくれて……」
「へえ……」
ティオの方がティータを誘ったと聞いて、意外そうな顔をするリィン。
この組み合わせなら、その逆を考えていたからだ。
「なんですか? その何か言いたそうな顔は……」
「気を悪くしたなら謝るが、意外だなと思って。いや、そうでもないか」
「……? 何が言いたいのですか?」
「ヨナに対する態度はともかく、ユウナへの接し方を見れば分かる。素っ気ないように見えて、お前が優しい奴だってことは――」
「何を言って……」
そんな風にリィンに褒められるとは思ってもいなかったのだろう。
どう反応していいのか分からず、戸惑いを見せるティオ。
そんなティオに――
「そうなんです! ティオちゃんは凄く優しくて良い子なんです!」
「ちょっと、ティータ!?」
追い討ちとばかりに、リィンの話に同調するティータ。
普段は誰が相手でも敬称をつけて呼んでいるティオが、思わず呼び捨てにしてしまうくらい動揺しているのが見て取れる。
珍しいものを見たとばかりにクツクツと笑うリィンを、頬を赤らめながらキッと睨み付けるティオ。
原因を作っておいて、他人事のように笑うなと言いたいのだろう。
「悪い悪い。まあ、仲良くやれてるようで何よりだ」
「まったく悪かったと思っていませんよね? はあ……もう、いいです。猟兵って、皆そうなのですか?」
「誰と比較しているかは察しが付くが、まあそうだな。否定はしない」
ランディと比べて聞いているのだろうと察して、リィンはティオの疑問に答える。
実際、猟兵というのは粗野でデリカシーのない人物が多い。
この程度のやり取りは、彼等にとっては挨拶と言ってもいいだろう。
そこはリィンも否定するつもりはなかった。
「お二人は仲が良いんですね」
「は?」
「はい?」
何を勘違いしたら、そうなるのか?
思ってもいなかったことを言われ、何とも言えない表情を浮かべるリィンとティオ。
とはいえ、笑顔のティータを見ていると敢えて否定する気にもなれず、二人揃って溜め息を溢す。
互いに思惑があって協力関係にあるとはいえ、仲が悪いかと言えば、そんなことはないだろう。
少なくとも信頼に対しては信頼で応えると言ったように、相手のことを互いに信用はしていた。
「あの……リィンさん。少しいいですか?」
「うん? 何か聞きたいことでもあるのか?」
「えっと……はい。レンちゃんのことで……」
なるほど、とそれだけでティオがティータを息抜きに誘った理由をリィンは察する。
作戦の内容までは報されていなくとも、決行が近いことはティータも薄々と勘付いているはずだ。
だとすれば――
「救出作戦に自分も参加させて欲しい、と言ったところか?」
ティータの考えていそうなことには予想が付く。
リィンの問いに、首を縦に振ることで答えるティータ。
だが、レンとキーアを救出に向かうと言うことは、敵の本拠地に乗り込むと言うことだ。
当然、相応の危険が付き纏う。最悪の場合、命を落とすこともあるだろう。
しかし、ティータは〈暁の旅団〉のメンバーではない。
船のエンジニアとして引き続き乗船を許可したが、正式な協力者と言う訳でもない。
本来であれば、そんな危険な作戦に参加させる訳にはいかないと断るところなのだろうが――
「好きにしろ。ただ、救出作戦の指揮はアリサに一任してるからな。説得は自分でしろよ?」
「――! ありがとうございます!」
こうもあっさりと許可が下りるとは思ってもいなかったのだろう。
驚きつつも、頭を下げて御礼を言うティータ。
そして――
「早速、アリサさんに作戦参加の許可を貰ってきます!」
ティオを置いて、さっさと船へと走り去ってしまう。
いまアリサは作戦の準備のためにエリンの里へと行っているのだが、最後まで話を聞かずに走り去ってしまうあたり、レンのことが余程気掛かりなのだろう。
「よかったのですか?」
当然ティオも、ティータの気持ちは察していた。
ティータがレンのことを心配しているように、ティオもキーアのことを気に掛けているからだ。
キーアなら大丈夫だと信頼しつつも、心配であることに変わりはない。
だからこそ、ティータが焦る気持ちも分かるのだろう。
「レンとキーアがさらわれたのは、こちらの落ち度でもあるしな。それに――」
覚悟を決めた人間に何を言っても無駄だ、とリィンは答える。
仮にダメだと言ったところで、ティータは一人でも親友のために動くだろう。
なら、まだ目の届くところにおいておく方がマシだと、リィンは自分の考えをティオに告げる。
「……それって、もしかして私にも言っています?」
「そう聞こえたのなら、自制してくれると助かるな」
落ち着いているように見えて、ティオも人のことを言えない。
でなければ、仲間のために国家を敵に回すような真似は出来ないだろう。
ティオだけが特別ではなく、それは特務支援課の全員に言えることだ。
エリィもキーアのためなら無茶をする可能性が高いとリィンは見ていた。
しかし、
「逆に尋ねますが家族を傷つけられて、あなたは黙っていられるのですか?」
それはリィンも同じではないかとティオは考える。
敵に対して容赦のない一面を持つ一方で、リィンは情に厚いところがある。
家族に危害を加えられて、黙っていられるとは思えなかったのだろう。
「否定はしない」
――ゾクリ、とティオの背筋に寒気が走る。
人並み外れた感応力を持つティオだからこそ、気付けたと言えるのかもしれない。
空気が凍り付くかのような――リィンの身体から僅かに漏れ出た殺気を感じ取ったのだろう。
「だから奴等には報いを受けてもらう。俺たちを敵に回したことを後悔するほどにな」
レンとキーアのことを気遣っているのは自分たちだけではない。
静かに怒りを滾らせるリィンを見て、黒の工房は――アルベリヒは虎の尾を踏んだのだと、この時ティオは悟るのだった。
◆
「……では、やはりログナー候の協力は得られませんか」
「すまないね。頑固な父上で」
「いえ、お気になさらないでください。ログナー候の仰ることは、もっともですから」
アンゼリカがアリサたちに同行したのは、メッセンジャーとしての役割もあった。
ミュゼ――ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンに、侯爵家の意志と考えを伝えるためだ。
自分たちの計画に力を貸してもらえないかと、ミュゼに協力を持ち掛けられたログナー候の答えは否。
アルノール皇家を――皇帝陛下を裏切ることは出来ないとの返答だった。
しかし、それはミュゼにとって想定範囲でもあった。信に厚いログナー候のことだ。
仮に間違っていると分かっていても、皇家に対して弓を引くことは出来ないだろうと――
「それで、他の二家はなんと?」
アンゼリカの質問に対して、首を左右に振ることで答えるミュゼ。
他の二家、ハイアームズ侯爵家とアルバレア公爵家にも協力を要請したが、答えは変わらずだったのだ。
不幸中の幸いは、ハイアームズ候に関しては中立を約束してもらえたことだろう。
一方でアルバレア公爵家は当主が先の内戦で死亡し、次期当主と目されていた長男も命を落としている。
いまはユーシスが爵位を継ぎ、若き当主として頑張ってはいるが、立場的にも皇家の要請を断るのは難しいのだと察せられた。
「孤立無援と言う訳か。厳しい状況だね」
「そうでもありません。他の三家の協力は得られませんでしたが、皇族派の一部と中立派を取り込むことには成功しましたから」
皇族派の一部と言うのは、アルフィンを支持する一派のことだ。
様子見を決め込んでいた中立派の貴族の多くも、アルフィンが合流したことで態度を決めた者は少なくない。
実際、セドリックではなくアルフィンを次の皇帝に推す声も小さくはなかったのだ。
ミュゼがリィンにアルフィンを迎えに行かせたのも、これが最大の理由と言って良い。
「それでも全体の二割と言ったところだろう? それで、どうにかなるのかい?」
「数の上では不利ですが、こちらには内戦終結の立役者でもある英雄≠ェついていますから。それに背後を気にする必要がある以上、こちらと正面から事を構える余裕はないはずです」
「……共和国か。ノルド高原での衝突は聞いているが、かなり厳しい情勢みたいだね」
「クロスベルを併合したことで、共和国内で帝国に対する反感が高まっていますから」
「これも彼≠フ思惑の内と言うことかな?」
「それもあるのでしょうが、マクダエル政務官がやり手なのでしょうね」
帝国政府の最大の失策は、焦ってクロスベルを併合してしまったことだとミュゼは考えていた。
しかも、過去に例を見ないほどの特権を与えたことで、いまのクロスベルは帝国に属してはいるが小さな独立国と言ってもいい。一つの国の中に、もう一つの国が存在しているようなものだ。
アルフィンを総督に命じることで邪魔者を追い出し、首輪を嵌めたつもりなのだろうが、むしろそれは逆効果となっていた。
平民からも支持の厚いアルフィンを御旗とすることで独自の政治体制を築き、公国とも呼べる立場を確立しようとしている。
更には共和国の目を帝国へ向けさせることで、クロスベルへの干渉を抑制する狙いもあるのだろう。
いまのクロスベルは外交的にも上手く立ち回っていると、ミュゼはクロスベル政府の――エリィの手腕を高く評価していた。
「しかし、嘗ては貴族派の筆頭だったカイエン公爵家が、いまや中立派を束ねる長とはね」
皮肉なものだと苦笑を漏らすアンゼリカ。
その一方で、貴族派は今やセドリックを頂点とする皇族派に取り込まれてしまっている。
完全に立場が逆転し、先の内戦からは考えられない情勢へと変化していた。
「はたして、誰が思い描いた絵図なのやら」
「少なくとも、私一人の力ではありませんね。正直、予定外のことが多くて、自分でも驚いているくらいですから」
アンゼリカはミュゼの思惑通りにことが進んでいると思っているみたいだが、実際には少し違っていた。
勿論、中立派が自分たちの側になびくように工作はしたが、黒の工房の動きやリィンたちの行動はミュゼの予想を大きく越えていたからだ。
しかし、それも無理はない。ミュゼは本当に未来が見えている訳ではない。
得られた情報を繋ぎ合わせることで最適な手を導き出し、ただ自分の望む未来に近付くように計略を練り、その都度修正を試みているだけの話だ。
知らないことは予測できないし、非常識な存在を正確に推し量ることなど出来るはずもない。
お陰で幾つかの計画を前倒ししなければ、ならない状況にまで追い込まれていた。
そのため、大幅な計画の修正を余儀なくされ、余裕がないというのがミュゼの本音であった。
「それで、アンゼリカお姉様は私に力を貸して頂けるのですよね?」
「可愛い妹分≠フ危機だしね。それに――ここには魅力的な子猫ちゃんたちが、たくさんいるみたいだし」
どっちの味方につくかなど決まっていると胸を張るアンゼリカに、ミュゼも小悪魔的な笑みを返すのだった。
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