「久し振りだな。かかし男(スケアクロウ)=\―いや、いまはレクター・セイランドと呼んだ方がいいか?」
「ぐっ! お前さん、どこでそれを!?」
「招待状に堂々と書かれていたぞ? ルーシー・セイランドとの連名でな。何にせよ、よかったじゃないか。おめでとう」
「ルーシー!?」

 一番知られたくなかったであろう人物にセイランドに籍を入れたことを祝われ、ルーシーの名を叫ぶレクター。
 珍しく狼狽えた姿を見せるレクターを見て、してやったりと言った表情でリィンはクツクツと笑う。

「もう、こんなところで名前を叫ぶなんて何を考えてるのよ。あ……」
「〈暁の旅団〉団長のリィン・クラウゼルだ」
「大公付秘書官、ルーシー・セイランドです。お見苦しいところをお見せしたみたいで申し訳ありません」
「気にしなくていい。顔見知りを見つけて挨拶しようと思ったんだが、人違いだったみたいだしな」

 レクターのことを言われているのだと察し、ルーシーは驚きに目を瞠りながらも笑みを浮かべる。
 敢えてレクターの名前を招待状に記した事情を察し、話に乗ってくれたのだと察したからだ。
 教会や各国との話し合いは済んでいるとはいえ、レクターが犯した罪が消える訳ではない。
 IBCビルの爆破事件を含め、様々な事件との関与が疑われたままだ。
 だからこそ敢えてセイランドの名を表にだすことで、レクターがセイランド家の庇護下にあると言うことを示そうとしたのだろう。
 それに――

(ルーシー・セイランド。ジェニス王立学園の元生徒会副会長か。なかなか、強かな人物のようだな)

 既成事実を積み重ねることで、レクターの逃げ道を塞ぐつもりなのだとリィンは察する。
 これに関してはレクターが悪いので、ご愁傷様と言うほかない。
 アルフィンあたりと気が合いそうだなとリィンが考えていると、もう一人懐かしい顔が近付いてきた。

「ご無沙汰しています。リィンさん」
「クローゼか。いや、この場では王太女殿下とお呼びした方がいいかな?」
「クローゼでかまいません。アルフィン殿下に注意されるのが怖いと言うのなら話は別ですけど」
「言うようになったな」

 リィンに声を掛けてきたのは、クローディア・フォン・アウスレーゼ。リベール王国の王太女だった。
 一年ほど前に、リベールの城で交わした言葉をまだ覚えているのだろう。
 アルフィンとのことを話に持ちだされ、降参だと言った様子でリィンは苦笑を漏らす。
 随分と親しげな二人の様子を見て、クローゼからリィンとのことは少しだけ話に聞いていたもののルーシーは驚いた様子を見せる。
 こんな風に楽しげな笑みを浮かべるクローゼを見るのは、学園からレクターが去ったあの日から随分と久し振りのことだったからだ。

「ククッ、あのクローゼがなるほどね。さすがはプリンセスキラー≠チてところか」
「ちょっと、レクター。失礼が過ぎるわよ」

 慌ててレクターを注意するルーシー。
 リィンはクロスベル側のオブザーバーとして、通商会議への参加を認められた賓客の一人だ。
 言ってみれば、レミフェリアの国家元首アルバート・フォン・バルトロメウ大公の招待客と言うことにもある。
 他の参加者と同様、国賓として扱わなければならない重要人物だ。
 失礼があってはいけないと、ルーシーが注意するのも当然であった。
 とはいえ――

「気にするな。約束を反故にして、女の尻に敷かれてる奴よりはマシだと思うしな」
「な――なんで、そのことを知って……」
「え? 私はそこまで手紙に書いてないわよ? まさか、クローゼ……」
「いえ、私も先輩方とのことは何も……リィンさん、どこでそのことを?」

 そんなことを気にするリィンではない。
 むしろ、三人しか知らないはずの約束を指摘され、クローゼたちは困惑した様子を見せる。
 すべての問題が片付いたら、元生徒会のメンバーで同窓会をしたいと約束を交わしたが――
 そのことを他の誰かに話した記憶などないからだ。

「さて、どうしてだろうな。お前たちの知らない情報源があるのかもしれないし、心を読めるのかもしれない。もしくは過去≠竍未来≠見て、知っているとかな」
「たくっ、本当に食えない奴だぜ。そういうところは、ギリアスのおっさんとよく似てると思うぜ?」
「ちょっとレクター!」
「おっと、確かにこれは失言だったな」

 レクターの口から思わず漏れた言葉を叱責するルーシー。
 リィンがギリアス・オズボーンの息子であると言うことは既に知れ渡っているが、リィン自身がギリアスを父親だと認めていないということも彼等は知っていた。
 実際、リィンは自らの手でギリアスを巨神と共に葬っている。
 ハーメルの遺児にして大罪人の息子。逆に言えば、リィンが人々に英雄と讃えられるのは、そうした凄惨な生い立ちが理由の一つにあるのだろう。
 悲劇というのは、人々の心に印象として残りやすいからだ。

「悪かったな」
「心の底から悪いと思ってない奴に謝られてもな」
「と言っても周囲が勝手に騒いでるだけで、お前さん。気にも留めてないだろ」
猟兵(オレ)を悲劇の英雄だなんだと祭り上げてる連中を相手にするだけ面倒なだけだしな」

 失言であったことは間違いないが、リィン自身がまったく気にしていないことにレクターは気付いていた。
 リィンが父親として認めているのは、この世にただ一人。ルトガー・クラウゼルだけだ。
 だから迷わずギリアスを殺すことが出来た。いや、仮に相手がルトガーであったとしても敵として立ち塞がるのであれば、リィンは殺しただろうとレクターは考えていた。
 それは彼が世間で讃えられるような英雄ではなく、生粋の猟兵だと知っているからだ。
 そして、自分が生かされているのは殺す価値≠ェないからだとも――
 正確には殺すことよりも、セイランドに貸しを作ることの方がメリットがあると考えたのだと。

「本当に容赦がないな、お前さん」
「それを、お前が言うか?」
「ハハッ、違いない」

 真実を知れば、リィンのことを人でなしだとか非難する者もいるだろう。
 しかし、自分もリィンのことを言えないくらい碌でもない人間だとレクターは自覚していた。

「なんというか、クローゼが彼に惹かれた理由が分かった気がするわ」
「フフッ、ルーシー先輩も私のことを言えないと思いますけど」
「……否定できないところが耳が痛いわね」

 実家まで巻き込んでレクターを守ろうとしている時点で、ルーシーにも自覚はあるのだろう。
 クローゼがリィンのどういうところに惹かれたのかを察しながら、これからリィンとは長い付き合いになりそうだと、ルーシーはそんな予感を覚えるのだった。


  ◆


「会合を前に、旧交を深められたみたいですね」
「と言っても、あれから一年も経ってないがな。そんなことよりも珍しく大人しくしていたみたいだな」
「クローゼとは長い付き合いになると確信していますから」

 邪魔をしたりはしませんよ、と小悪魔的な浮かべるアルフィン。
 実のところアルフィンたちが隠れて様子を窺っていることにリィンは気付いていた。
 面倒臭いことにならなければ良いがと心配していたのだが、そういうことかと納得する。

「クローゼはリベールの次期女王だ。アルフィンの考えてるようにはならないと思うぞ?」
「そうでしょうか? リィンさんは帝国の内戦を鎮め、クロスベルを発端とする先の異変を解決に導いた英雄ですし」
「……俺は猟兵だぞ?」
「身分を気にしているのなら、いずれその問題も解決するかと思いますが……それに――」

 何かを口にしそうになって、慌てて口を塞ぐアルフィン。
 結局のところ、クローゼ自身が決めることだ。
 これ以上は自分の口からリィンには聞かせられないと思ったのだろう。

「いえ、この話をわたくしからするのは順序が違いますね」
「……何を知ってる?」
「乙女の秘密です。こればかりはリィンさんの頼みでも言えませんわ」

 ロイドくらい鈍ければ、あれこれと悩まずに済んだのだろうが、生憎とリィンはそこまで唐変木ではない。当然、クローゼが秘めている想いにも気付いていた。
 だが、彼女の立場がそれを許さない。だからリィンもそのことに特に触れようとしなかったのだ。
 しかし、アルフィンの態度から察するに何か隠していると考えるのが自然だ。
 恐らくは手紙などでやり取りをして、以前からクローゼの相談に乗っていたのだろう。
 そして――

「……まさかと思うが、エリィもグルじゃないよな?」
「本人に確認されてみますか?」

 アルフィンのその一言で、エリィもクローゼの相談相手の一人だとリィンは確信するのであった。


  ◆


「リィン!」

 これから通商会議が開かれる会場の前で、皆が来るのを待っていたのだろう。
 名前を呼び、駆け足で近づいて来るエリィをリィンは両腕で受け止める。

「大丈夫? 帝都でも随分と暴れたと聞いてるけど……」
「俺の実力は知ってるだろ? そう簡単にやられたりしないさ」
「でも、あの〈黄金の羅刹〉とも決闘したんでしょ? 例の力を使ったって聞いてるけど……」
「ああ、そのことか」

 エリィが何を心配しているのかを察し、リィンは問題ないことをアピールする。

「大丈夫だ。身体に力が馴染んだみたいで、いまではほとんど反動も感じなくなってきたしな」
「それって、本当に大丈夫なの? もう半分以上は人間と言えなくなってきてるって、ベルが嬉しそうに話してたから不安になったのだけど……」
「あいつが原因か」

 エリィの様子が何かおかしいと思っていたらベルが原因だと分かり、右手で額を覆うリィン。
 ベルの目的に一番近い位置にいるのがリィンだ。
 即ちベルにとって、リィンは最高の観察対象であり研究対象でもあると言える。
 それだけにリィンが理から外れた存在へと近付くことは、いまベルが一番望んでいることなのだろう。
 それは王者の法(アルスマグナ)≠理解し、使いこなしつつあるという証明でもあるからだ。

「仲が良いのは結構ですが、いつまで抱き合っているおつもりですか? ここは人目もありますし……」

 アルフィンに声を掛けられ我に返ると、慌ててリィンから離れるエリィ。
 その様子からも、今頃になってアルフィンたちの存在に気付いたのだろう。
 いや、正確には忘れていたと言った方が正しい。
 リィンのことが、それだけ心配だったと言うことだ。

「し、失礼しました」
「いえいえ、結構なものを見せて頂き、むしろ楽しませて頂いたと言いますか」
「ミュゼ……あなたって子は……」

 頭を下げて謝罪するエリィに対して、艶やかな笑みを浮かべるミュゼ。
 心の底から満足げな表情を浮かべるミュゼに、エリゼは呆れた様子で溜め息を吐く。
 まったくこの子は……とエリゼと同様に呆れながらも、これ以上は各国の代表を待たせては悪いとエリィに尋ねるアルフィン。

「既に他の皆さんは会場に?」
「はい。申し訳ありませんが、お付きの方々は別室でお待ち頂けますか?」

 エリィの指示に従い、エリゼ、ラクシャ、レイフォン、クルト、ノエルの五人は会議室の隣に設けられた待機室に向かう。
 ここまでは事前に打ち合わせした通りの流れだが、物々しい雰囲気を感じ取り、緊張した様子を見せるヴァレリーにリィンは声をかける。

「心配するな。俺が……いや、俺たちがついてる」

 この扉の向こうには、各国の代表として招かれた政府の重鎮たちが集められている。
 外交の経験など当然なく、政治とは無縁の世界で育ったヴァレリーが緊張するのも無理はない。
 それに帝国やノーザンブリアは、ヴァレリーが大公女を名乗ることを認めないだろう。
 厳しい言葉を浴びせられることは目に見えいている。
 しかし、それを覚悟の上でヴァレリーはリィンの計画に乗ることを決めたのだ。
 ノーザンブリアのためではない。自分のために命を落とした人々に報いるために――

「覚悟は決まったみたいだな。なら――」

 行くか、とリィンが合図を促し、エリィが会議室の扉へと手を掛ける。
 ゆっくりと重厚な扉が開かれる中、まるでこれから戦場へと向かうかのようにリィンは獰猛な笑みを浮かべるのであった。



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