同時刻、オルキスタワーの中枢〈魔導区画〉では――
「まさか、あれは……」
空中に投影された映像を食い入るように見詰めながら、声を震わせる男がいた。
トワやクロウ。それにアンゼリカの友人にして、彼等と同じトールズ士官学院の卒業生。
そして、シュミット博士がその腕と知識を認めた弟子の一人。
名をジョルジュ・ノーム。そして、彼は――
「何か、心当たりがありそうですわね。銅≠フゲオルグさん」
ジョルジュの名を『ゲオルグ』と呼ぶベル。
そう、彼の本当の名はジョルジュではなくゲオルグ。
地精の血を引く〈黒の工房〉に所属する技術者の一人だった。
とはいえ、これまで彼は周囲を騙したり、欺こうとしていた訳ではない。
彼自身、いままで自身がゲオルグ≠ナあると言う記憶を失っていたのだ。
ミリアムやアルティナが生まれた頃の記憶を思い出せないように、ゲオルグにも記憶を操作する暗示が施されていた。
その暗示が解けたのが半年ほど前のこと。
記憶を取り戻した彼の元にアルベリヒが現れ、最近≠ワで〈黒の工房〉の指示で動いていた。
とはいえ――
「僕に聞かなくても、あなたにもアレが何か分かるはずだ」
そのことをベルに見抜かれ、いまはこうしているのだが――
ベルは商談≠ネどと言っているが、実際には脅迫≠ノ近い。
彼女が求めているのは知識≠セ。それも、まだ自分の知らない未知の知識。
彼がそれを持っているからこそ、敵と分かっても殺さず交渉≠フ機会を与えたに過ぎない。
最も、交渉にすらなっていないのだが――
「では、答え合わせをするとしましょうか」
「……その前に約束≠ヘ守って欲しい」
「ええ、ベル・クラウゼルの名に懸けて、トワ・ハーシェルを黒の史書の示す運命≠ゥら必ず救うと約束しますわ」
◆
黒の史書は、単に歴史を記録するだけのアーティファクトではない。
これから先、帝国を中心に起きる大まかな出来事が記されていると言われている。
代々エレボニア帝国の皇帝に受け継がれ、現在もセドリックの手元にある。
しかし、内戦以降のことは記されておらず、その後は預言書としての機能を失っていたはずだった。
ところが、最近になって再び史書が未来≠ノついての内容を書き記すようになったのだ。
リィンについては相変わらず何も記されていないが、その記述の中によく知る少女の名があった。
それが、トワ・ハーシェル。後の世で〈黒の聖女〉と呼ばれることになる少女。
槍の聖女に続く功績を残し、戦争で命を落とすことが記されていたのだ。
実のところセドリックが変わってしまった理由も、黒の史書にあるのではないかとベルは考えていた。
その証拠に、セドリックはリィンにそのことを話していない。
セドリックがリィンと会談した時点で、既に史書はトワの死について啓示していたからだ。
「リィンさんにしか、史書の示す運命を覆せる者はいない。そう考えたからこそ、わたくしの誘い≠ノ乗ったのでしょう? いまのところは口約束に過ぎませんが、信じてもらうしかありませんわね」
別に信じられないのであれば、それでもいいと言った風に話すベル。
ゲオルグ――いや、ジョルジュに他の選択肢がないことが分かっていて言っているのだろう。
確かに彼には、黒の工房に所属するゲオルグとしての記憶がある。
だが同時に、ジョルジュ・ノームとして生きてきた数年間の記憶も残っているのだ。
だからこそ、切り捨てられない。見て見ぬ振りをすることが出来ない。
知ってしまった以上、トワを見捨てるなんて選択肢はジョルジュのなかにはなかった。
「実際いま起きていることは、その証明≠ノなるのでは?」
「それは……確かに……」
ベルの言葉を否定できず、どこか納得した様子を見せるジョルジュ。
いまノーザンブリアで起きていること。こんなことは黒の史書にも記されていない。
いや、それどころかアルベリヒや、あのイシュメルガにすら予想できなかった事態だ。
「その反応……やはりアレは巨イナル一≠ナ間違いないようですわね」
――巨イナル一。
それは魔女と地精によって亜空間に封じられたとされる〈鋼の至宝〉のもう一つの名。
イシュメルガが地精を使い、神となるために追い求めていた呪いの根源とも呼べる力だ。
七の相克と呼ばれる儀式を用いることで最後の一体になるまで騎神を競わせ、亜空間に封印された巨イナル一を現世に再錬成するというのがアルベリヒが考えた計画だった。
七つに分けられた力を一つに束ねることで、巨イナル一の依り代とするつもりだったのだろう。
本来であれば七体の騎神が現存している状況で、このような現象が起きるはずもない。
だが――
「そう、普通ならこんなこと≠ェ起きるはずもない。ですが、騎神は起動者と共に成長するもの」
「まさか……」
「ええ、二度の覚醒によってヴァリマールの器は拡張され、起動者に最適化された。その結果は言うまでもありませんわね」
不敵な笑みを浮かべながら、ジョルジュの疑問に答えるベル。
それは即ち、リィンには元々〈巨イナル一〉を受け止めるだけの器が備わっていたと言うことを意味していた。
この場合ようやくヴァリマールが、起動者の力に追い付いたと言うべきだろう。
その結果がこれだ。
現在のヴァリマールは〈巨イナル一〉が持つすべての力を受け止められる器を備えている。
残り六体の騎神を結集した力よりも、遥かに強大な力を有していると言うことだ。
ただの人間が至宝を超える力など持つはずがない。神の力を制御できるはずがない。
その普通ならありえない≠アとが起きたことで、今回のイレギュラーが起きたのだとベルは考える。
「これで、はっきりとしましたわね。リィンさんの力は、既に神の領域≠ヨ足を踏み入れている」
いや、もしかしたら女神さえも超えたかもしれないとベルは話す。
しかし、これこそがベルの追い求めた至高の力――人の身で神へと至るアルス・マグナの力だった。
だからこそ、これは必然。また一歩、理想に近づいたことで喜びこそしても驚くことはない。
このくらいは結果を見せてもらわなくては困るというのがベルの本音だからだ。
とはいえ――
「彼は一体、何者なんだ……」
ジョルジュが驚愕し、困惑し、恐怖を覚えるのも無理はないとベルは考える。
リィン・クラウゼルが何者なのかという問いには、ベルも答えることが出来ないからだ。
少なくとも、ただの人間ではない。
そもそもの話、ただの人間が世界の意志に導かれて、この世界に転生するなんてことが起こるはずもない。
至宝によって歪められた歴史を修正するために呼び出した修正力がリィンだと仮定するなら、元々リィンには神に対抗する力が備わっていたと考えるのが自然だ。
リィンはアルス・マグナを世界によって与えられた力だと考えいるようだが、ベルの考えは違った。
そもそも与えられたからと言って、普通の人間に使いこなせる力でないことは明らかだからだ。
過ぎた力は身を滅ぼす。それは、この世界の歴史が証明している。
至宝を与えられた人々は尽く道を誤り、神の力に呑まれて築き上げた文明を滅ぼしているのだから――
ベル自身、アルス・マグナの力をリィンのように使いこなせるかというと、その自信はない。
優れた魔導師であっても、百分の一も力を引き出すことは出来ないだろうと言うのがベルのだした結論だった。
人の身で神へ至れる力と言われているが、そもそもの話、人に扱えるような力ではない。
なら、リィン・クラウゼルとは一体何者なのか?
その答えをベルは持ち合わせていない。
ただ、一つだけ言えることは――
「彼は猟兵≠ナすわ」
リィンの在り方はリィン自身が決める。
彼の生き方こそが、リィン・クラウゼルが何者であるかを示しているとベルは考えるのだった。
◆
白い髪に黄金の瞳=\―
闇に覆われた殻を破り現れたのは、
「……上手く行ったか」
リィン・クラウゼルだった。
両眼を閉じると感覚を研ぎ澄まし、周囲の状況を探るリィン。
「皆は無事に脱出したみたいだな」
工房内に人の気配がないことを確認して、アリサたちが無事に脱出したことを悟る。
本来であれば、魔術を用いなければ不可能な探知能力。
しかし贄としての力を完全に掌握した今のリィンであれば、意識を集中すれば半径数キロの気配を把握することが出来る。
巨イナル一と同化した至高の存在。新たな魔王とも呼ぶべき力を手にしたのだから――
「アルグレス」
リィンが名を呼ぶと、リィンの影から巨大な竜が姿を現す。
アルグレス――女神の遣わした聖獣の一体にして、イオと同じくリィンの眷属となった聖獣だ。
大地の聖獣であった頃よりも充実した力を内に感じながら、アルグレスは新たな主に頭を垂れる。
「ヴァリマールの位置はたぐれるな?」
『可能だ。いまの我と主は霊的に繋がっているからな』
「精霊の道は?」
『元とはいえ、我は女神の遣わした聖獣だ。他の聖獣に出来ることが出来ない道理はない』
アルグレスの答えを聞き、精霊の道による帰還は可能だとリィンは判断する。
となれば、あとの問題はこの工房の扱いだけだった。
現在、この工房は消滅こそ免れたものの次元の狭間を漂っている状態だ。
或いはローゼリアなら再び現実世界とのパスを繋ぐことも可能かもしれないが、魔術を使えないリィンではそれも不可能。
だからと言って、この工房を破棄するのは惜しいとリィンは考えていた。
「考えようによっては、いまの状況の方が俺たちにとっては都合が良いか」
黒の工房の拠点を〈暁の旅団〉が押さえたと知れば、各国は黙っていないだろう。
入手した技術や研究資料の提示。
それで済めばいいが、工房の共同管理を要求してくるのは目に見えていた。
勿論そんな話に応じるつもりはないが、面倒事は少ない方が良いに決まっている。
世界の外を自由に行き来できるのは、いまのところリィンたちだけ。
ならば、この状況を利用しない手はないと考えたのだ。
「アルグレス。ここへまた戻ってくることは可能か?」
『目印となるものがあれば可能だ』
「……なら、これはどうだ?」
ルトガーから受け継いだブレードライフルをアルグレスに見せるリィン。
ずっと共に死線を潜り抜けてきた相棒。リィンにとっては養父の形見とも言える武器だ。
それだけに縁≠熕[い。
『良いのか? それは主にとって……』
「思い出の武器であることは否定しない。だが、必要なら利用する」
それが、猟兵だとリィンは答える。
いまのリィンであれば、王者の法の発動に触媒を必要としない。
それに形見の武器に代わる新しい武器については、既に目処も付いていた。
ただのゼムリアストーンの武器では、いまのリィンの全力≠ノはついて来られない。
そのことはリィン自身が一番よく理解しているからだ。
だからこそ手放すのであれば、いまがその時だと考えたのだろう。
『……ならば、その武器を工房の中心に突き立てるがよい』
アルグレスの言葉に従い、巨大なシャフトがそびえ立つ連絡路の中心に形見の武器を突き立てるリィン。
その直後、ブレードライフルに込められたマナが剣先を伝い、工房全体へと広がっていくのを感じる。
「これは?」
『その武器を中心に工房全体を包み込むように結界を展開した。魔女の里に張られていたものと同様のものだ。言ったであろう? 他の聖獣に出来ることは我にも出来ると――』
想像を超えたアルグレスの力を目の当たりにして驚きつつも、さすがだなと笑みを浮かべるリィン。
あとは転位陣さえ用意すれば、自由に工房を行き来することが可能と悟ったからだ。
転位陣については、エマやローゼリアに相談すれば解決する話だ。
『それで、どうするのだ?』
「……何がだ?」
『この拠点の名だ。女神との戦いに備え、この地を拠点とするつもりなのだろう?』
「さすがにお見通しか」
もう一つ、リィンがこの工房を拠点として活用したいと考える理由があった。
次元の狭間はすべての世界へと繋がる外の領域≠ナあると同時に、神の目が届かない場所でもある。
女神の裏を掻くのであれば、ここほど最適な拠点は存在しないとリィンは考えたのだ。
「ファヴォニウス。狭間の工房、ファヴォニウスだ」
西風の名を冠する神の名。
工房の中央に突き立てられた形見のブレードライフルを眺めながら、リィンは新たな城の名を口にするのだった。
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