「やはり、教会が動いたか」
七耀教会のシンボルである聖杯の封蝋がされた手紙に目を通しながら、バレスタイン大佐は予想通りと言った反応を見せる。
教会の手紙には、現在ノーザンブリアで起きている異変の調査と原因となった騎神の封印に協力するように書かれていたからだ。
一応は要請というカタチになっているが、これが拒否権のないものであることは大佐にも分かっていた。
自治州として独立する際、各国と同じようにノーザンブリアも教会と盟約を結んでいる。
異変を引き起こす可能性がある危険なアーティファクトの回収に協力するというものだ。
その理屈から言えば、確かに騎神は教会の言う危険なアーティファクト≠ノ該当するのだろう。
しかし、
「彼等≠ェ応じるはずもない、か」
確かにノーザンブリアは教会と盟約を結んでいる。
それはクーデターを正当化し、各国に独立を認めさせるために教会の後ろ盾を必要としたからだ。
そう言う意味では教会の要請を断ることは出来ないのだが、金の騎神ならまだしも灰の騎神はノーザンブリアのものではない。
教会の要請に〈暁の旅団〉が大人しく従うはずもなかった。
そして、現在のノーザンブリアはその〈暁の旅団〉の庇護の下にある。
帝国にノーザンブリアを売った議員の多くは粛清され、通商会議を利用して国外へ逃げた議員もすべて〈暁の旅団〉に囚われている現状だ。
議会が機能不全に陥っている状況で、こんな手紙を渡されても何も出来ないというのが本音であった。
故に――
「こんなものを見せて、どうするつもりだ」
暫定政府の代表となった銀髪の少女≠ノ大佐は尋ねる。
ヴァレリー・バルムント。バルムント大公の残した遺産を相続し、暫定政府の代表となった少女だ。
とはいえ、それをノーザンブリアの人々が素直に受け入れたかと言えば、答えはノーと言っていい。
国を見捨てて逃げた大公の血縁者。これまで悪魔の一族と蔑んできた相手だ。
ヴァレリーの要請で〈暁の旅団〉が救援に駆けつけたと言うことになっているが、それで納得するはずもなかった。
だが、そんなことは彼女も承知の上だ。
しかし日々の生活もままならず、満足な教育を受けてない人々が議員たちの代わりに統治を担うなど不可能と言っていい。
そもそも、これまでも上手く政治が機能していたとは言えないのだ。
内政や外交に長けた人物がいれば、ノーザンブリアの現状は少しはマシになっていただろう。
彼等に舵取りを任せるのは不可能と言っていい。それは〈北の猟兵〉も同じだ。
「教会や各国の対応は私がします。大佐には内≠任せたいのです」
そういうことか、とヴァレリーの話に大佐は納得した様子を見せる。
バレスタイン大佐はノーザンブリアの人々にとって英雄とも呼べる人物だ。
彼に憧れて猟兵の道を志す若者も少なくなく、たくさんの人々から信頼と尊敬を集めている。
悪魔の一族と蔑まれてきたヴァレリーとは、真逆の位置にあると言って良いだろう。
だからこそ、ノーザンブリアの人々を説得し、従わせるには打って付けの人物と言える。
(私を殺さずに生かしたのは、最初からこれが狙いだったと言うことか……)
暁の旅団は猟兵団だ。彼等がノーザンブリアを占領し、統治すれば非難の的となることは避けられない。
しかしヴァレリーが〈暁の旅団〉を雇い、危機に瀕していた故郷を救ったとなれば話は別だ。
クーデターで身分を失ったとはいえ、嘗てはこの地を治めていた大公家の血縁者だ。
ノーザンブリアの内政問題である以上、各国は介入できずヴァレリーが代表となることにも大義名分が立つ。
問題は領内の反発だが、それを抑えるために最初からバレスタイン大佐を利用するつもりだったのだろう。
「それがノーザンブリアのためになるのであれば、協力を拒むつもりはない。しかし――」
それで本当に良いのか?
と、バレスタイン大佐はヴァレリーに尋ねる。
確かに大佐が表に立てば、ノーザンブリアの人々も安心し、一先ずは納得するだろう。
しかし、それでバルムント大公のしたことが許される訳でも、大公家の信頼が回復する訳でもない。
ヴァレリーがノーザンブリアのためにどれだけ尽くそうと、感謝されることはないだろう。
むしろ、ここで彼に頼るということは、反抗の芽を残すと言うことだ。
統治に失敗すれば、再びクーデターが起きる可能性はゼロではない。
本音を言えば、ノーザンブリアのためにヴァレリーがそこまでする必要はないと大佐は考えていた。
確かにバルムント大公が国を見捨てて逃げたのは事実だが、もう三十年以上も前の話だ。
当時まだ生まれていたなかったヴァレリーに罪があるとは思わないし、それでなくとも彼女は生まれてからずっと悪魔の一族と蔑まれながらも耐え続けてきたのだ。
しかもそれは、民衆の不満を議会へ向けさせないために議員たちが仕組んだことだとも分かっている。
恨みを抱きこそすれ、この地の人々のために尽くす理由などヴァレリーには一つもない。
「大佐の仰りたいことは分かります。両親を嵌めた議会のことは憎んでいますし、そんな議員たちの言葉を鵜呑みにして騙され続けてきた人々には呆れてすらいます。大佐には感謝していますが、北の猟兵が議会の暴走を見過ごしてきたのも事実。統治を民衆に委ねるのではなく、あなたが国を治めるべきだったと私は考えています。それなら、ここまで酷い状況にはならなかったでしょう」
「……耳の痛い話だな」
クーデターの責任を取るのであれば大佐が国を治め、民を導くべきだったとヴァレリーは考えていた。
勿論、クーデターによって軍が国を統治すれば、周辺諸国の反発は避けられないだろう。
しかし貴族たちを排し、これまで政治と縁の無かった人々が自治州の運営を担うというのは無理がある。
内政に必要な知識と経験。外交に必要なパイプやカードを、何一つ持っていないからだ。
こうなることは自明の理だったと言えるだろう。
「だが、そこまで分かっているのなら、この街のために尽くす義理はないはずだ。大公の血を継いでいると言っても直系ではなく傍系。ましてや、生まれる前のことだ。責任を感じる必要はないし、大公の犯した罪を償う義務があるとは思えない」
いまここですべてを投げ出したところで、誰もヴァレリーを責めることなど出来ない。
むしろ、そうしないのが不思議だと言った口調で、大佐はヴァレリーを諭すように話す。
大佐の本音としてはヴァレリーには普通の少女として、ノーザンブリアのことを忘れて生きて欲しかったのだろう。
しかし、
「もう二度≠ニ、逃げたと思われるのは嫌ですから」
「……なに?」
ヴァレリーは大佐の思いを否定する。
そして、一冊の本を大佐に差し出すヴァレリー。
嘗ての大公家の紋章が記された古ぼけた日誌。
そう、それは――
「バルムント大公が残した日誌だそうです。レミフェリアの国家元首、アルバート・フォン・バルトロメウス閣下より託されました。大佐にはこの日誌を読む権利が……いえ、義務があると私は思っています」
「大公閣下の日誌……」
まさか、そのようなものがでてくるとは思っていなかった大佐はゴクリと咽を鳴らす。
そして緊張した面持ちで日誌を広げ、中身に目を通すと――
「大公閣下……」
そこに書かれている内容を見て、バレスタイン大佐は声を震わせるのであった。
◆
バルムント大公が残した日誌。そこにはレミフェリアへ亡命してからの日々が記されていた。
大公が国を捨てた後悔をずっと抱き続けてきたことが、その内容を見れば分かる。
レミフェリに亡命してから築いた財のほとんどをノーザンブリアのために残した事実からも、その日誌の内容に嘘はないのだろう。
大公には、国の行く末が見えていたのかもしれない。だから外≠ノ力を求めた。
「やはり、大佐は気付いていたのですね」
バレスタイン大佐の反応を見て、大公の考えを大佐は知っていたのだとヴァレリーは察する。
「塩の杭によって産業基盤を失ったノーザンブリアがどうにか持ち直すことが出来たのは、各国の援助とクーデターによって接収した貴族たちの財産があったからだ」
当然そのなかには大公家の財産も含まれていた。
その金がなければ、ノーザンブリアはもっと早くに地図から姿を消していただろう。
しかし国のためとはいえ、財産の接収に貴族たちが素直に応じるはずもない。
帝国を見れば分かるように、貴族制度を廃止するのは更に難しい。
時間を掛ければ資産の大半を国外へ持ち出し、国を捨てて逃げる貴族もでてくるだろう。
それに――
「未曾有の大災害により人々の心は失意の底にあり、生きる気力を取り戻させる必要があった」
だから大公家へと国民の怒りを向け、革命を急ぐ必要があったのだと大佐は話す。
「ずっと不思議に思っていました。どうして大佐は私を助け、逃がすような真似をしたのかと……」
クーデターの首謀者である大佐が、大公家を一番恨んでいないとおかしい。
しかし彼は大公家の縁者を悪魔の一族と蔑むこともしなければ、ヴァレリーのことをずっと気遣っていた。
それは、バルムント大公が国をでた本当の理由を知っていたから――
公国軍の騎士でありながら、大公家に弓を引いた贖罪≠セったのではないかとヴァレリーは考えたのだ。
「幻滅しただろう。ノーザンブリアの英雄などと、まやかしに過ぎないのだから」
作り上げられた英雄。大佐は自分のことをそう思っているのだろう。
確かにバルムント大公とバレスタイン大佐が繋がっていたのなら、彼はまやかしの英雄と言えるのかもしれない。
革命を起こし貴族制度を廃すには、悪の大公と民衆の英雄の二つが必要不可欠だったからだ。
しかし、
「それでも救われた人々がいます。大佐が〈北の猟兵〉を起こさなければ、もっとたくさんの人たちが飢えに苦しみ、亡くなっていたはずですから」
これまで大佐が民のためにしてきた行為が、すべて嘘になる訳ではない。
確かに偽りだったかもしれないが、それで救われた命もたくさんあるのだ。
それに英雄とは自ら名乗るものではない。
彼の行為がノーザンブリアの人々に認められたからこそ、英雄と讃えられるようになったのだ。
そこに偽りはないと、ヴァレリーは自らの考えを述べる。
「結果論だな。私が皆を偽っていたことに変わりはない」
「名声とは後からついてくるものです。結果で語って何が悪いのですか? むしろ、大佐は自らのことを誇るべきだと思います。三十六年前のことを本当に悔いているのであれば――」
「偽りの英雄を続けることが贖罪≠ノ繋がる、か」
顔に似合わず残酷なことを言ってくれると、大佐は苦笑いを浮かべる。
だが、下手な同情よりは心地よいと感じていた。
ヴァレリーもそれだけの覚悟を持って、大公の名を継ぐ決意をしたのだろう。
ならば、それに応えるのが騎士≠フ務めだとバレスタイン大佐は考え――
「我が剣を大公女殿下に捧げます。この身が朽ちる時まで、どうぞお役立てください」
膝を折り、ヴァレリーに騎士の忠誠を誓うのだった。
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